郷愁、与勇輝人形の魅力

2007年12月5日号

白鳥正夫


「OZU(オマージュ)」

「東京物語―もう帰ろうか」

「東京物語―紀子」

「秋刀魚の味―嫁ぐ日」

「長屋紳士録―おたねさん」

「かえり道」

どっかで見たことがあるでしょう。たとえ見たことがなくても、一度見たら、何度か見ていたような印象が脳裡をかすめる、そんな人形が与勇輝さんの作品です。郷愁に満ち、ぬくもりがあり、それでいて生命力あふれる人形たちには、幼い頃の心の奥底にあるイメージを呼び起こすからでしょう。与さんの個展が昨年2月、フランス・パリのバカラ美術館で好評を博し、その帰国展が全国を巡回しています。与さんとは、いずれも展覧会の仕事を通じ、10余年前にお会いして以来、今年10月に再会しました。その「変わらない童顔」に接したのを機会に、人形が織り成す魅力について取り上げてみました。

小津作品モチーフに日常風景

初めてのパリ個展「与勇輝展―布の彫刻―」には、1985年から2005年までのほぼ20年間にわたって生み出された38作品、人形の数にして68体が出品されました。中でもパリ展で注目されたのは、「東京物語」や「秋刀魚の味」などで知られる映画監督の小津安二郎(1903−1963)の作品をモチーフにした2005年制作の17体です。

小津作品は、日本の日常風景を鋭く繊細な観察力で描いているのが特徴です。そこには忘れかけていた、また若い世代にとっても日本の心の原風景が展開されているのです。こうした映画を見て育った与さんは、そんな情景を精緻に造形したのです。主な出品を与さんの言葉で紹介してみます。

まず「OZU(オマージュ)」は、小津監督の仕事をしている姿を捉えた作品です。「小津安二郎はとてもお洒落で、着る服もグレーが中心の上等な生地を使ったとか。しかし私は敢えて使い慣れている木綿の服を着せました。優しい人柄の小津さんを想像してみました」とあります。

「東京物語―もう帰ろうか」には「老夫婦が尾道から上京して、熱海にてくつろぐ有名なシーン」とあり、浴衣がけの二人の姿が写実的です。また「東京物語―紀子」には「尾道から子どもたちを訪ねて上京した夫婦を温かく迎えたのは戦死した二男の嫁」とあり、往年の名女優であった原節子が登場しています。

「秋刀魚の味―嫁ぐ日」は「小津作品に度々登場する花嫁姿」を美しく、「長屋紳士録―おたねさん」では「戦後、両親をなくした少年の面倒を見る荒物屋のおかみ」を、それぞれ映画の一シーンを切り取るようにリアルに表現しています。

小津作品以外では、「かえり道」(1985年)や「春がきた」(2004年)など、明治から昭和初期の着物姿の子どもを取り上げた作品が出品されました。いずれもそのしぐさや表情に郷愁と安らぎを感じさせます。

一方、森の奥深くに密やかに棲む妖精を表現した一連のファンタジックな作品や現代っ子をモデルにした「ケイタイ」(2001年)など多彩な人形世界に、パリっ子も虜になったそうです。

与さんの作品1点を所蔵するパリ装飾美術館の元キュレーターのバーバラ・スパダッチーニ=デイさんは「作品には時代を、そして国境を超越する魅力があり、日本の文化が見事に描き出されています。いずれも親しみやすい作風で、内面的な奥行きと生命力が感じられる作品ばかりです」と絶賛しています。

パリ帰国展、銀座で17万人

「あたえ・ゆうき」とは、絶妙のネーミングと思われがちですが、実は本名です。「名は体を表す」とは使い古された言葉ですが、「勇気を与える」とは「勇ましくなってほしい」との、親の願いが込められたのでしょうか。実際は7人兄弟で一番病弱だったそうです。

与さんは、1937年に川崎市で生まれました。日本デザインスクール(現日本デザイン専門学校)を卒業後、マネキン会社に勤める傍ら、1965年ごろから創作人形を手がけます。1968年に人形作家の曽山武彦氏に師事し、本格的に人形制作の指導を受け、作家活動に入ったのでした。

その後、脚本家の倉本聰原作『ニングル』(理論社)に出てくる妖精の森の住人たちを、1991年から3年がかりで生み出したのです。約20センチのニングルを富良野の自然に立たせ、1年かけて撮影し、それをフォトストーリーに仕上げられたのでした。その成果が1994年に「妖精の森 与勇輝展」として全国巡回しました。

その時の図録に倉本さんは「厳冬期、雪どけ、春、夏、秋。夫々の季節の中で、与さんの人形は決して自然に負けることなく、まさに自然に溶けこんでくれました。それは自然と共生している森の民ニングルそのものでした」と書かれています。


「ケイタイ」

「八匹の妖精」

「椿峠の合戦」

「午後の乗客」

「おやつ」

もう一つ与さんの名前を知らしめたのが、1999年に公開された東映映画の「鉄道員(ぽっぽや)」の「雪子」の制作です。さらにテレビ朝日の「徹子の部屋」には、1986年以来、90年、94年、2001年、06年と5回も出演しています。その黒柳徹子さんは「与さんの作る人形は世界にも類がないと私は思っている。こんなに好奇心いっぱいの子供を、こんなにずるそうな子供を、こんなにあどけない子供を、こんなに可愛い子供を、平らな布地から作れるなんて!」と言い、作品から与えられた感動を「与さんの手は魔法の手」と伝えています。

川崎出身の与さんにとっても懐かしい土地で「川崎が生んだ世界の人形作家 与勇輝―神様のすみか―」展が、新年1月12日から2月3日まで川崎市市民ミュージアムで開催されます。ここでは粗末な着物を着て奉公に精を出す子や、やんちゃなガキ大将、町屋の愛らしい娘などが並びます。

なおパリ帰国展の方は、2006年3月銀座・松屋で皮切りとなりましたが、会期13日間で約17万人という驚異的な来場者となったそうです。同店では過去4回開催していますが、回を重ねるごとに増え、同店の入場者記録を更新したのでした。

仙台・藤崎(12月14日−26日)で、2007年末までに18会場を回り、年明けにも浜松・遠鉄(1月2−14日)、松山・三越(1月19日−2月1日)、立川・高島屋(3月6−17日)、富山・大和(3月27日−4月8日)など開催が続きます。

「布で作られた彫刻」との評価も

私が与さんと接点が出来たのは1996年に遡ります。朝日新聞社が主催して開催した「子どもの情景 与勇輝展」です。当時、企画部デスクとして大阪本社管内の広島・天満屋と奈良そごう美術館での展覧会の運営を担当したのでした。

この展覧会には、「チュチュ」を主人公としたニングルなど約150体が展示されました。私はこの時初めて与さんの作品を鑑賞したのですが、見れば見るほど味があり、不思議な魅力に驚かされたのでした。作家の故飯沢匡が「あふれるばかりの生命力のみなぎる布で作られた彫刻」と評していたのが、うなずけたのでした。

奈良そごう美術館での展覧会には、「法隆寺百済観音堂起工記念」という標題が掲げられました。というのも当時、法隆寺の高田良信管長は与人形のファンで、お二人は旧知の間柄だったのです。そんなご縁で、法隆寺が与さんの夕食会を開いて歓迎されたのでした。私も招かれ、そばを共にしながら、与さんの気さくな人柄に触れたのでした。

それから10年余、今秋に守口の京阪百貨店で開催された「与勇輝の世界展」について、私は朝日新聞社の名義主催を仲介したのでした。「覚えていらっしゃいますか」と声をかけると、「覚えていますよ」と、柔和な笑顔が返ってきました。「もう70歳になりましたよ」と言うが、髪も黒く、とてもそんな高齢に見えません。「童顔は得ですね」と冗談を飛ばしたところ、「身体はしっかり歳を取っています」と交わされ、話が弾みました。

「名は体を表さない」が、いくつかの男の子の人形が与さんに似ていてほほえましく思いました。この展覧会では旧作がだされていたため、私の担当した展覧会の時の人形たちと再会できました。とりわけ「椿峠の合戦」なは懐かしい思い出があります。いずれ劣らぬ面構えの悪ガキが威張った表情を競い合っています。この時のチラシを拡大コピーし、キャラクターの似た職場のメンバーに割り振りし、大笑いしたものです。


「梅香る」

見る者に感動を与える与芸術ですが、ボタン一つから履物まですべて手作りですので、隠れた努力は並大抵ではないようです。制作の手順は、頭の中でデッサンを描き、まず顔の原型づくりから始め、次に石膏で雌型を取り、紙で素型を作ってから布張りをして、頭部を仕上げます。その後、胴体を作り、組み立て、衣裳や髪付け、化粧の順に仕上げていきます。どの工程も気を抜くことができません。

人形を作る作業は深夜、雑念を払って全神経を集中させて夜を徹しての取り組みだと聞いたことがあります。与さんは「人形作りは自分との戦いです。でも完成すると、自分の手で一つの命を生み出す喜びに至福を感じます」と話しています。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
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第一章 日本で見た世界の名画
第二章 美術から知る世界
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第七章 アートの舞台裏と周辺
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アートの舞台裏へ
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発行:梧桐書院
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第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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