河口龍夫展―見えないものと見えるもの―

2007年11月20日号

白鳥正夫


展覧会開催記念のトーク(中央が河口さん)

「DARK BOX」
(写真は兵庫県立美術館提供)

「陸と海」を説明して回る河口さん

見えるものは理解できるが、「見えない展示って?」。そんな疑問を持った方はぜひ会場に足を運んでほしい。ずばりそんな意味深なタイトルの「河口龍夫展―見えないものと見えるもの―」が、兵庫県立美術館(12月16日まで)と名古屋市美術館(12月24日まで)の二つの美術館で開催されています。しかも両美術館は、その表現について共通の認識に拠り図録も共有しながら、それぞれの視点で代表作を選んで作品構成をした実験的な試みなのです。従来の巡回展と違って、同時開催だから驚きです。肝心の「見えない展示って?」の内容は、ともかく読み進めてください。

「視覚の呪縛から美術を解放」

二大美術館を舞台に活躍の主役・河口さんは、1940年生まれで兵庫県神戸市出身です。1962年に多摩美術大学絵画科卒業後、グループ〈位〉結成し、「岐阜アンデパンダン・アート・フェスティバル」などに参加します。1968年には第3回ジャパン・アートフェスティバルで優秀賞するなど数々の国内展に出品。1970年代からサンパウロ・ビエンナーレやポンピドー・センター、ゲント市立美術館など海外展でも活躍します。

1991年から筑波大学教授となり、2003年の定年退官後、倉敷芸術科学大学と京都造形芸術大学でも教鞭を執っています。一方作家活動も精力的で、現代を代表する作家の一人として、千葉市美術館、水戸芸術館、いわき市立美術館等で相次いで個展を開催しています。後述しますが、私は朝日新聞社時代にテーマ展への出品協力をしていただくために筑波大に何度か足を運んだ思い出があります。

今回の展覧会に寄せて河口さんは図録に「未来のTたちへの手紙」と題して、次のような文章(抜粋)を記しています。

この手紙は、私がTたちのもとに届けた最初の手紙になると思います。私は、Tたちが信じられない程の力強さで成長している生命力そのものを感じ驚いています。とは言っても、まだ言葉は話せないし、字は読めないことは充分にわかっているにもかかわらず、私はTたちにこの手紙を書きたくて一筆したためました。

こんな書き出しで始まる文章に「見えないもの」の核心が言及されています。

芸術のなかでも視覚に関わる芸術を美術と言い、その美術を視覚芸術ともいいます。しかし、私は必ずしも美術は、五感のうちの視覚のみを対象化したものではないのではないかと考えています。その立場から、私は、美術を視覚の呪縛からの解放と言う精神の冒険に旅立ちました。つまり、「見えるもの」のみを重要視する美術からの解放と言ってよいでしょう。


「関係―鉛の温室」
(以下、写真2点は兵庫県立美術館提供)

「関係―浮遊する蓮の船」

さらにその作品例として「DARK BOX」を掲げています。闇を鉄製の容器に封印した作品で、兵庫県美の一室に12点が展示されています。最初は1975年に神戸で封印し、1997年からは各地で毎年封印し「DARK BOX 2007」を今回美術館の展示会場で封印したのです。さらに「DARK BOX 2040」と「DARK BOX 3000」は、その年になって封印するための容器なのです。未来のTたちに託す作品でもあります。会場では闇の中でドローイングする部屋も設けられ、何も見えない「闇」の意味を考えることができます。

「光と闇」がテーマ、蓮を使った表現

河口さんは、熱や光、電流といった「見えないもの」を意識させる作品や、鉄や銅の錆による質の変化、さらには種子と鉛による作品などを発表し、物質的な表面を見せながらも、生命や死、悠久の時間の流れや宇宙など、鑑賞者を哲学的な思索へと誘う表現を展開しているのです。

作家の言によれば、「見えるもの」を「見えなく」したり、闇のように「見えないもの」をさらに「見えなく」することにより、視覚の問題を美術の中心とし絶対視するような美術思考に風穴を開け、「見えないもの」と「見えるもの」の扉を同時に開き、風通しよく行き来が出来るようにしようと思う、とのことです。


兵庫県美のレセプションで挨拶する河口さん

今回の展覧会では、兵庫県美が光と闇をテーマにした70年代の作品のほか、蓮をモティーフとした作品群に重点を置いています。名古屋市美の方は、種子と鉛による作品を中心に、それぞれ知覚の問題や時間の観念、生命についての考察を誘う作品を構成し、両館ともインスタレーション(空間)作品を新作展示しています。 

まず兵庫県美は、開幕直後に河口さんの案内で作品を見ました。安藤忠雄氏設計の仕切られたスペースをフルに活用して、展示室ごとにテーマを持たせています。

「陸と海」は、1970年の第10回日本国際美術展に出品した作品で、今日の河口さんの原点ともなった一点です。海辺に固定された4枚の板が潮の干満によって変化する様子を26枚の写真パネルにした作品です。ここで作家は、時間の経過という「見えないもの」を視覚化しているのです。これ以降、「見えないもの」と「見えるもの」との関係づけの方法と手段を広げていったと言えます。


名古屋市美での開幕テープカット(中央が)河口さん)

「関係―無関係・立ち枯れのひまわり」

「関係―鉛の温室」(1989−1992)は「時の封印」とも言うべき作品です。文字通り鉛に閉ざされた温室が3棟並ぶ。温室の中には鉛で覆われた種子がある。その種子が育つのに必要な土、水、空気が、それぞれ真鍮、銅、アルミニウムの筒に封印されているのです。植物が育たない暗室のような温室が放射能を遮断する鉛によって、シェルターのような役割を持たせ、種子の生命が保護されることを暗示する意図のように思えました。

「関係―浮遊する蓮の船」は、今回の展示のための新作です。白い壁の広い展示室に、船が空中に浮かんでいるのです。その船を見上げていると、まるで鑑賞者は水中にいる感じがします。船には蓮と種子、それに磁石盤と温度計が積み込まれています。現代の「ノアの方舟」と名づける作家の創作意図は、未来への希望や可能性をのせた船出を象徴しているのではと思えます。

日々、形を変えてゆく新作展示

一方、名古屋市美には開幕当日駆けつけました。こちらは今年亡くなった黒川紀章氏の設計です。仕切りを取り払った広大な一室に主要作品を配置しています。吹き抜けの2階から俯瞰できるのは圧巻です。

まず目に止まったのが「関係―無関係・立ち枯れのひまわり」(1998)です。つくば学園都市に住んでいた河口さんが、知人から貰い受けたヒマワリ7本を箱の中に蜜蝋を使って固定した作品です。まるで棺桶のなかのヒマワリの遺骸といった風情ですが、「死せる静物」は美的に見えるから不思議です。


「光になった言葉」
(以下、写真2点は名古屋市美術館提供)

2階の暗くした一室では、「光になった言葉」(2007)が設置されています。鉛の板を切り抜いた文字が、天井に吊り下げられたライトに似よって床面に投影する作品です。河口さんの芸術を特徴づける「関係」「時」「生命」といった46の言葉が作家によって選ばれ、オブジェのように提示されています。鑑賞者はその光を浴び、言葉の光の中を歩いて何かを感じればという趣向なのです。

新作インスタレーション作品「関係―無関係・落下、集積、命の形態」は、1階に置いた「関係―鉛の音、種子の音」(1993)の昨品の上に、吹き抜けの2階から透明パイプを通し、ヒマワリの種子を落とす仕掛けになっています。「関係―鉛の音、種子の音」は長年弾かれていたピアノと椅子で、それらは鉛で包まれています。鑑賞者は下から種子の軌跡を眺め、2階から種子をパイプに流し込み、うずもれていくピアノを見ることになり、日々その形を変えていくのです。


「関係―無関係・落下、集積、命の形態」

「関係―電流・種子の時、化石の時」

空間の規模や構造が異なる二つの美術館での同時開催は、見ごたえ十分です。二つの展覧会は、二つの都市と美術館が時間を共有し、連動しながら、河口作品の魅力を伝えるものです。河口さん自身が「精神の冒険」と呼ぶ芸術のメッセージを次のように語っています。

芸術は人間の精神に何らかの作用をおよぼすものです。そうだとすれば、その作用は、例えば精神を高揚させたり、未知なる感覚を享受させたり、好奇心を駆り立てたり、快と不快を同時に感じさせたり、コモンセンスからナンセンスへの面白さを感じさせたり、日常を超えた非日常を知覚させたりしますが、とりわけ、私を精神の冒険に誘い、私は誘われます。その意味では、私にとって芸術は精神の冒険と言えると思います。さらに言えば、芸術そのものが人間が見つけることができた精神の大冒険のように思われます。

二つの展覧会場を見た私は、かつて出品していただいた二つの展覧会を思い出しました、その一つが「「ヒロシマ―21世紀のへのメッセージ」です。朝日新聞社の戦後50年企画展として1994年から1995年にかけて熊本、大阪、郡山、広の4会場を巡回しました。

この展覧会に「関係―種子、土、水、空気」(1986)を出品していただきました。チェルノブイリの原発事故以降、鉛によって種子を鉛で保存する作品が生まれ、種子、土、水、空気を封印した90本の筒を会場に配置したのです。河口さんは忙しい中、全会場の展示に立ち会ってくれたのでした。


「関係―鉛の花時計」

もう一つの展覧会は、兵庫県美が新装開館記念展で朝日新聞社と共催した「美術の力 時代を拓く7作家」です。その一人が河口さんで、鉛で封印した無数の蓮で会場を埋め尽くしたのです。この展覧会には、筑波大の研究生だった蔡國強さんも出品し子弟参加となりました。さらに展覧会スタッフの山崎均学芸員(現神戸芸術工科大学教授)は筑波大出身で、ともに河口さんの研究室を訪ねた思い出があります。

久しぶりにお会いした河口さんに酒席で「世界的な二人の建築家の設計した会場を舞台に、これほどの規模で展示できるのは、作家冥利に尽きますね」と声をかけました。照れ笑いの河口さんでしたが、その作品に世界的建築家と並ぶ世界的な芸術家のスケールを見て取れたのでした。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 名画を決めるのはあなた
第一章 日本で見た世界の名画
第二章 美術から知る世界
第三章 時代を超えた作品の魅力
第四章 心に響く「人と作品」
第七章 アートの舞台裏と周辺
第八章 これからの美術館

アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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