インカ・マヤ・アスティカ展に寄せて

2007年11月5日号

白鳥正夫


トプカプ宮殿内からマルマラ海を望む

NHKが番組内でおこなった投票「世界遺産 絶景! これが見たいベスト30」で、1位に選ばれたのがインカ帝国の古代都市マチュピチュだったそうです。私が幼い頃憧れ、実際に現地に行ったことのあるピラミッド(5位)や万里の長城(19位)を引き離しているのです。私にとって、シルクロードから始まった異文化への旅は、近年になって世界遺産に関心を寄せており、インカは近い将来、訪れたいと思っています。

そうした好奇心をくすぐる「インカ・マヤ・アステカ展」が12月24日まで神戸市立博物館で開催中です。内覧会に加え後日じっくり鑑賞しました。今回の展覧会はNHKスペシャルの「失われた文明 インカ・マヤ」と連動し企画され、初公開のマチュピチュ出土品やアンデスのミイラなど約220点が展示されていて、異文化を知る絶好の機会です。


インカ「父と子のミイラ」

インカから「父と子のミイラ」

世界地図を広げてみても中南米は遠い地です。今年3月に初めてキューバに行きましたが、飛行時間だけでも約20時間もかかりました。アメリカ大陸は2万年前、アジアと陸続きであったのですが、15世紀になってコロンブスによって発見されたのでした。スペイン人が新大陸の南に豊かな黄金の国があるらしいという情報を得てパナマに進出したのが16世紀はじめです。

そこでは異なる気候風土や歴史の中、豊かな多様性を持った文明を発達させていたのでした。農耕生活や神々への崇拝、国家の建設、数や暦の体系作りなど、旧大陸との共通点も多く見られる一方、インカでは文字を持たず、マヤやアステカでは鉄器を持たなかったにもかかわらず、先住民たちは旧大陸に劣らぬ豊かな文明を築いています。


インカ「情報記録具 キープ」

中南米では、110を超える世界遺産が登録されています。「天空の都」マチュピチュなど謎の繁栄を遂げた南米のインカをはじめ、中米のユカタン半島を中心に2000年にもわたって密林に栄えたマヤ、そして14世紀から湖上に20万人を超える巨大都市を築いたアステカは、それぞれペルー、グアテマラ、メキシコにある三大文明なのです。

まずインカは、ケチュア族が13世紀に造り、16世紀にスペインに侵略されるまで続きました。15世紀に北は現在のコロンビアから、南はチリ中部に至る南北3000キロに及ぶ長大な国家を形造ったのです。その繁栄はわずか56年でしたが、インカの王は80もの民族をすぐれた手腕で統治したのでした。


インカ「チムーの金の装身具」

マヤ「ヒスイ製仮面」

マヤ「ジャガーの爪王の仮面」

地形も海抜0メートルの灼熱の砂漠から6000メートルの極寒のアンデス山脈まで、しかも生活環境や言葉も異なる多様な人々を一つの国に結びつけたのは「インカ道」と呼ばれる通行路でした。網の目のように張り巡らされ、食糧などの物資や兵士はもちろん、公用の継ぎ飛脚が行き来し重要な情報を伝える通信網の役割を持ったようです。

第9代のインカ王が築いたといわれるマチュピチュは、1911年アメリカの歴史家ビンガムによって発見されました。標高2000メートルを超す尾根に築かれたまさに天空の都市で、会場では模型と映像によって全体像が分かりやすく展示されています。住居跡と段々畑が高度な土木技術を示しています。

ここは他都市のようにスペイン人により破壊された形跡のなかっただけに、インカ文明の貴重な資料を現代に残すことになったのです。なかでも注目されるのはミイラです。アンデス地域では古くから死者をミイラとする風習があったといいます。「父と子のミイラ」(マルキ研究所)は帽子を被り服をまとった姿で、リアリティーに富んでいます。ミイラの顔を見ながら共に暮らしていたインカの死生観に驚きます。

またインカは文字がなかった文明として知られていますが、インカ道を行き来した飛脚は「キープ」(ラルコ博物館)という情報記録具を持っていたのです。縄の結び目で数を情報を記録したとされ、色分けもされていますが、まだ何の情報を伝えたのか解明されていません。

青く光るマヤのヒスイの仮面

続いてマヤは、ユカタン半島を中心に紀元後、巨大な階段式基壇を伴うピラミッド神殿が築き、王朝の歴史を表す石碑などを刻み、2000年にもわたって継続された文明です。統一国家を樹立することなく、各地の小さな都市国家が合従連衡と興亡を繰り返しました。16世紀、スペイン人の侵入を迎え、1697年に自立を保っていたタヤサルが陥落し、マヤ圏全域がスペイン領に併合されたのでした。

会場内ではNHKならではの映像を駆使し、鬱蒼としたジャングルの中に突如現れる階段ピラミッドを空から見せてくれます。紀元前4世紀から紀元後10世紀ごろまで1200年以上にわたり栄えたティカルは、マヤ文明を代表する遺跡です。遺跡内の数々のピラミッドは、かつては赤く塗られていたとのことで、建設当時はさぞかし周囲の木々の緑と強烈なコントラストを見せていたことと思われます。


マヤ「ヒスイ製装飾板」

マヤ文明の会場展示

チチェン・イツァでは、遺跡の中央にある24メートルのピラミッドに、不思議な大蛇の姿が一年で春分の日と秋分の日にだけ現れるのです。NHKの「探検ロマン世界遺産」でも紹介されていましたが、「ククルカンの降臨」と呼ばれるこの現象は、大蛇の頭の彫刻に連なる長い胴の部分に陽光があたる仕掛けになっていたのです。

密林に点在するピラミッドの正面には王の姿とマヤ文字が刻まれた石碑が据えられているものも多く、今回の展覧会でも3点の石碑が出品されていました。近年、マヤ文字の解読で、かつてジャングルの中で繰り広げられていた王たちの群雄割拠の歴史が解き明かされつつあるということです。

展示品としては、カラクルムの遺跡から出土した葬祭用のマスク3点が初公開されています。「ヒスイ製仮面」「ジャガーの爪王の仮面」(いずれもカンぺチェ博物館)は緑の顔に口紅の赤が印象的です。まるで密林の中の赤いピラミッドを象徴しているように思えました。


アステカ「鷲の戦士」

アステカ「死の神ミクトランテクトリ」

「ヒスイ製装飾板」(グアテマラ国立考古学民族学博物館)は、マヤの身分の高い人を描いています。威厳のある表情で、左側に小さく描かれた人物に話しかけている様子が伺えます。何かを表現している頭髪と台座にも細かな彫刻が施されています。

マヤの人々は鉄器などの金属器や車輪、牛や馬などの家畜を持っていなかったのですが、高度な建築技術や暦、複雑で独特の絵文字を持っていたといいます。マヤ文字が記された書物の多くはスペイン人の手で焼かれてしまったそうです。この謎の文字解読の扉を開いたのは20世紀半ばになってからのことといいます。マヤ文字解読から徐々に謎を秘めた文明が紐解かれるのではと期待されているのです。

神秘的な造形出品のアステカ

アステカは、14世紀から16世紀に現在のメキシコ中央部に栄えました。かつてのアステカ王国の首都は湖に浮かぶ島の上に築かれ、人口は20万にものぼったと推定される一大都市でした。スペイン人の征服後、アステカの都は破壊され西洋風な街並みに変貌したのでした。

アステカでは多神教に基づく神権政治が行われ、王は最高位の神官で、神官や貴族がその政治を補佐したのでした。最高の供物として人間の新鮮な心臓を神に捧げなければ太陽が消滅する、という終末信仰が広く信じられ、神殿で日常的に人身御供の神事が行われたのでした。


アステカ「トラロック神の鉢」(会場展示)

こうした神事を裏付けるピラミッド神殿が1979年、メキシコシティーの地下から発掘されたのです。この神殿がアステカの神官たちが神々に生贄の心臓を捧げていた場所だったのです。展覧会では今なお発掘が続くこの中心神殿の出土品の数々を初公開しています。

生贄となる人々には戦いの捕虜たちも含まれており、アステカ王国は生贄の確保のために周辺諸国に戦士を送ったそうです。戦争功労者にジャガーの戦士や鷲の戦士の称号を与え最強軍団を編成したのです。

等身大の「鷲の戦士」や「死の神ミクトランテクトリ」(いずれもテンプロ・マジョール博物館)は、神事にふさわしい神秘的な造形です。「トラロック神の鉢」(テンプロ・マジョール博物館)は、雨と豊饒の神として崇められていたトラロック神をモチーフにした鉢です。会場ではアステカ王国の人身供犠の儀礼にまつわる珍しい品々も展示されています。


アステカ文明の会場展示

スペインの侵攻で失われた中南米の三大文明はともかく多くの謎に包まれています。不便な高地に都市を築いたインカ、川さえもない密林に高度な文明を育んだマヤ、そして湖上に築かれ、太陽神を崇め生贄を捧げたアステカは、いずれも好奇心を駆り立てるに十分な異文化です。

展覧会は新年も1月11日から3月16日まで岡山市デジタルミュージアム、3月25日から6月8日まで福岡市博物館に巡回します。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
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 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
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定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
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発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
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定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
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定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
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