メッセンジャー、鯉江良二さん

2007年9月20日号

白鳥正夫


鯉江良二さんが工房を構える
岐阜県恵那の山あいにある家

陶芸家、鯉江良二さんの仕事にロクロを使わないオブジェがあります。陶器だけでなく、反戦・反核へのメッセージを込めた作品でも知られています。かつて私が関わった展覧会に、美術館コレクションの作品が展示されたこともあり、一度工房を見せていただき、制作の意図や作品に込めたメッセージなどについてお聞きしたいと思っていました。その機会に恵まれ、この夏に工房を訪ねました。

反戦や転生へのオブジェ作品


工房でくつろぐ右から鯉江さんと、山木武夫さん、全文煥さん

鯉江さんから「来るなら泊まりこみでいらっしゃい」と声をかけていただいたのがうなずけました。名古屋から車で約1時間半、工房は岐阜県恵那の山あいにありました。標高約500メートル、周囲を山に囲まれていた。愛知県常滑出身の作家、鯉江さんがすっかり気に入った土地です。

工房へは、大阪で画廊・山木美術を経営する山木武夫さんに同行していただきました。山木さんは鯉江さんの20年来の理解者で、多くの展覧会に関わり、海外への作品紹介も度重なります。とりわけアメリカやオーストラリアでのワークショップに参画し、買い上げた費用で、ミシガン大学やシドニー大学でと日本の大学とのスカラシップでアートの交流に貢献してきたのです。

鯉江さんは1994年11月、養蚕を営んでいた大きな古い農家の一軒を買い取り、ここに工房を構えました。アメリカで活躍する陶芸家、金子潤さんの窯が近くにあり、そこを借り受けていたこともあり、この地を選んだようです。


「証言」(山口県立美術館蔵)

外観からは陶芸家の家と分からりませんが、中に入ると広い土間にロクロが置かれ、別棟にはガス窯や電気炉、作品棚などが雑然と置かれています。私の訪問時、韓国の陶芸家の全文煥さんが居候していました。

私が「鯉江良二」の名前を深く刻んだのは1993年にさかのぼります。朝日新聞企画部に転任後、初めて仕立てた展覧会が「ヒロシマ 21世紀へのメッセージ」でした。戦後50年の節目の年に現代美術の分野で「ヒロシマの心」がいかに表現されたかを見つめ直そうという趣旨です。「ヒロシマ」をテーマに制作した広島市現代美術館所蔵の35点に加え、他館からも14点を借用しました。その一点が山口県立美術館所蔵の鯉江さんの「証言」(1973年)でした。


「土に還る―68」

「証言」は、台の上に置かれた時計が窯の中で焼けただれ、ガラスが溶けている作品。この時計は原爆投下の8時15分にセットされていました。窯の火と原子爆弾の劫火と重ね合わせたのです。広島の絶えざる追体験を表現したと考えられます。「反戦・反核へ、ひとりの陶工として、どのようにかかわるか」といった永遠のテーマを感じさせる作品で、借用や返却に関わり、強烈な印象を持ったのでした。

さらに朝日新聞社と開催美術館が総力を挙げて取り組んだ「戦後文化の軌跡 1945−1995」展でも、鯉江さんの「土に還(かえ)る―68」(1971年)の作品を紹介しました。顔を石膏で型取りしたものを、そのままで、ある時は焼いて、表現していました。やがて土の中に消滅する作品です。生命の象徴である一つのマスクが、土に還るのは、死ではなく新たな生への転生とのメッセージが込められていました。

世界各地でワークショップ


「NO MORE HIROSHIMA, NAGASAKI」(個人蔵)

鯉江さんと初めてお会いしたのは2003年の「大地の芸術−クレイワーク新世紀−」展が開かれた国立国際美術館のオープニング・レセプション会場です。作品のイメージから気難しそうな作家かと思っていたら、日焼けした顔に大きな声で気さくな人柄でした。その時は、工房が常滑にあると思っていて「一度、常滑を訪ねます」と伝えると、人なつこい笑顔が返ってきたのでした。

2006年2月、山木美術で催された漆の角偉三郎さんを偲ぶ会で親しく懇談させていただく機会を得たのです。その後も山木美術で何度かお会いし、酒席を共にさせていただきました。それまでに茶碗や鉢、水指などの作品も見ていましたが、作風通り豪放磊落な方で、角さんが慕っていたのが納得できました。


「織部釉茶碗」1994年

角さんは1980年、常滑に面識のなかった鯉江さんを訪ねています。日展など公募展をやめ迷っていた時期でした。作家から職人へ転換する40歳の頃だ。鯉江さんから、「作家である前に人間であれ」といった温かい人柄に触れ、背中を押してもらった気持ちで輪島へ戻ったそうですです。50歳になった角さんは一つ年上の鯉江さんに「50歳は面白いです」と言うと、「51歳はもっと面白いからね」と言葉が返ってきたといいます。それ以来、角さんは「鯉江さんのうしろ姿をみて歩いている」と述懐していました。

陶芸と漆芸、道が違ってもモノづくりの精神はともに通じ合っているのでしょう。山木さんは一九九三年、アメリカ各地でガラス工芸の由水常雄さんを加えた「日本を代表するスリーアーチスト」展を開催しています。この時、鯉江さんはもっぱら織部の器を出品したのでした。

鯉江さんは1938年、常滑市に生まれ、高校卒業後に市立陶芸研究所に就職します。1966年に自立しますが、その前から現代日本陶芸展や朝日陶芸展に出品し入賞を果たしています。1960年代から走泥社の八木一夫に誘発され、オブジェ作品を発表し始めます。


「韓国手鉄絵壺」1996年(左)、「韓国手『十長生』壺」1996年(右)

「カタロニア手盤」1990年

1970年代前後からは、自身の顔をかたどった<マスク>や<土に還る>のシリーズで、現代美術家として頭角を現す。1972年には第3回バロリス国際陶芸ビエンナーレ展で国際名誉大賞を受賞。1982年には、山口県立美術館で「今『土と火で何が可能か』展」に出品し、注目されます。


「シアトル手壺」1999年

さらに1993年に日本陶磁協会賞を受賞、2001年には第3回織部賞を受けます。この間、アメリカをはじめオーストラリア、スペイン、韓国など世界10数ヵ国でワークショップや展覧会を開催し、国際的な陶芸家として活躍しています。

工房を訪問した際には、木の年輪を写す新作に取り組んでいました。木の切り株を型取りし、その表情を土に移し変える作品です。「オーストラリアに行った際に、木の温もりから着想したんです。世界各地でワークショップをしていると、新しい発見があるもんだよ。浜田庄司や河合寛次郎らもよく旅をしているね」と、さりげなく語っていました。

「やきもの」の領域超えた世界

2005年秋にオープンした兵庫陶芸美術館では、現在活躍中の作家を、丹波の地に招聘する 「アーティスト・イン・タンバ」 の第一弾として、鯉江さんを選んだのです。これまでワークショップを通じ、現地調達・現地制作・現地発表を原則として制作活動を行ってきた鯉江さんに白羽の矢が当たったのもうなずけます。館からの要請に「なんでもやりますよ。なにか楽しいことを、パーとしましょうよ」と快諾したそうです。


公開された「チェルノブイリ」の制作風景(以下の写真は兵庫陶芸美術館提供)

「丹波 焼き締められたメッセージ(チェルノブイリシリーズ)2006」

「土に還る」のマスクの型取り

「土に還る」の屋外展示風景

「TAMBA STYLE 伝統と実験」は2007年1月から3月までのほぼ1ヵ月半開かれました。約半年前から丹波通いを始め、開催期間中も何度か一定期間滞在し、公開制作をし、丹波の土と窯で作陶した作品を発表しました。丹波の特色を探るため、鯉江さんが作陶した茶碗や花入れや盤などを何ヵ所もの丹波の窯元に預け焼成させる実験なども行いました。窯元ごとの特性もあり、一様でない個性的な作品に仕上がったといいます。

「丹波の土に還る」では、参加者たちは石膏で顔型づくりから始め、完成した顔型に丹波の土と陶器の粉末を混ぜたものを詰め、土のフェイスマスクを作成。マスクは焼かず、そのまま屋外に展示しました。「雨などの自然現象により、マスクが丹波の土に還っていく過程も作品の一部」との趣旨です。

鯉江さんは行動する陶芸家です。作家から職人の道を求めた角さんとは違って両方の道をなお模索しています。織部賞を受賞した時に「私は、やききものの町常滑に、生まれてしまった所から始まった。やきものを体感した事が、私の原風景です。日本の陶芸界のしくみに疑問を持つ様になり、やきものにおける拡大解釈が始まると同時に、私の旅が始まった」と述べています。

このため、いつまでも「やきものとは何か」を問い続けているのです。「メッセージのない作品はありえない」とばかりに、原爆もまた「やきもの」であるとして、反核のメッセージを明確に打ち出した作品 『No MORE HIROSHIMA, NAGASAKI』や100点を超す『チェルノブイリ』シリーズを発表し続けてきたのです。このほか韓紙に泥を流した『泥イング』、鉄板に土を置き籾殻で焼いて痕跡を表わした『火のメッセージ 1990 September』など、「やきもの」の領域を超えた世界です。

また他方で、卓越したロクロ技術と多様な技法で茶碗をはじめ、白磁や織部の皿、壷などを作り上げています。美術商の山木さんは「常に可能性に挑戦するのが魅力」だといいます。韓国の全さんは弟子ではないが、毎年のように鯉江さんを訪ねています。「熱い気持ちの人。モノづくりの精神を学んで帰ります」と話していました。

最後に、鯉江さんにこれからの目標や方針を伺いました。「やきものだけでなく、いろんなことを試みたい。素材も金属やガラス、石も対象です。できれば社会性を持った作品がライフワークです」

まもなく70歳とは思えぬエネルギッシュな言葉です。オブジェとか器の作陶だとかの制約は脳裏にないようです。生まれた作品が言葉であり、メッセージとなるのでしょう。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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