韓国の高句麗遺跡を訪ねる

2007年9月5日号

白鳥正夫


「冬のソナタ」のロケ地、
春川の街に主役の看板

中国と北朝鮮にまたがる高句麗遺跡の壁画古墳群などが2004年7月に世界文化遺産に登録されましたが、韓国内にも江原道・京畿道からソウル市内にかけて遺跡はまたがっています。8月下旬、西谷正・九州大学名誉教授同行のツアーがあり参加しました。この旅では、京畿道の遺跡のコースにあった旧石器・青銅器時代の遺跡なども訪ね歩きました。またソウルでは、三国時代に百済や新羅と対峙した舞台の蛾嵯山(アチャサン)を縦走し、新装の国立中央博物館も見学しました。

「冬のソナタ」のロケ地近くに史跡

高句麗は中国東北部から北朝鮮、さらに韓国にかけて、紀元前1世紀後半ごろから668年まで続いた大国です。一行は21人で、メンバーの大半は、すでに国家誕生の地とされる中国遼寧(りょうねい)9省の桓仁や、鴨緑江(おうりょっこう)をはさんで北朝鮮と国境を接する吉林省の集安へ出向いていました。私は2005年9月に、壁画古墳が数多く分布している北朝鮮の平壌(ピョンヤン)にも出向いており、約700年も続いた国の勢力拡大を概観することができました。


川沿いに多く散在した
泉田里支石墓

高句麗時代の
芳洞里横穴式石室古墳の1号墳
(上屋のブラインドで緑色に)

高句麗絡みで、ソウルを2度訪問しています。2004年8月に高句麗研究の学会に出席するためでした。翌年7月にも高麗大学の博物館で開かれた高句麗展鑑賞のために訪れています。「冬のソナタ」のドラマで空前の韓国ブームにわいており、ロケ地を訪ねるバスツアーのPRに躍起でした。

ソウルに一泊した翌日、その「冬のソナタ」のロケ地となった江原道の春川市へ行くことになったのです。有名になった街の並木道には主役のペ・ヨンジュンやチェ・ジウの顔写真の入った日本語の看板が目を引きました。

途中、泉田里支石墓や翰林大学校博物館、国立春川博物館に立ち寄り、高句麗時代の芳洞里(ほうどうり)横穴式石室古墳を見た。1号墳は整備され、雨をしのぐ上屋が設けられていました。近くに盗掘跡のような開口部のある2号墳も認められましたが、こちらはすでに調査を終え埋め戻されていました。

1号墳の中に入ってみると、天井を覆った石が無く、構造がよく理解できた。壁の積み方に特徴がありました。西谷先生の説明によると、「隅三角持送り天井といい、天井近くのコーナーが斜めになり、角を取る抹角の構造で持送られていて、最後に天井石を置いて造る技術なのです」といいます。


旧石器を中心に収蔵している
漣川先史博物館

さらに先生は、「こうした技術は、中央アジアから敦煌を経由して伝わってきました。高句麗との間は離れていますが、前秦という国が結び仏教など共通した文化が伝播したのです。次第に南へと勢力が拡大し、集落を、そして砦や山城を、さらには亡くなると古墳を造ったのでした」との見解でした。

私設博物館に一大コレクション


70万年前の旧石器などについて
解説する崔茂蔵館長(右)
を聞く西谷正先生ら
(石崎勝義さん写す)

3日目には、北朝鮮との国境に接した京畿道漣川郡へ。休戦ラインの38度線から2キロ以内が非武装地帯となっていて、一般人は入れません。この辺りに来ると軍関係者の車が頻繁に走行しています。2005年の北朝鮮訪問時、板門店まで8キロの高麗時代の都、開城まで足を延ばしており、今度は韓国側からの国境地域となり、感慨深いものがありました。

西谷先生の計らいで、漣川先史博物館を訪ねました。ここは個人が開設した博物館で、館長が旧石器研究の権威者である崔茂蔵(チェムジャン)さんという方でした。崔館長は西谷先生の古くからの友人で、国立台湾大学で修士、フランスのソルボンヌ大学で博士課程を修めたという。2004年に発掘も兼ね、この地にあった精米所を活用し博物館を開設したのです。


高句麗のかわらなどが
出土した全谷里土城

博物館は精米所から別な所に移設されていて、2棟に整然と陳列されていました。もちろん旧石器から人骨、土器や甕、近年の生活用具にいたるまで展示していました。高句麗時代の砦から出土した土器片や瓦片も。日本の縄文時代の出土品まであります。屋外には石仏や石塔も並ぶ。数万点とも思える展示品は発掘品であったり、寄贈を受けた物であったり、一部は買い求めたといいますう。

崔館長は専門の旧石器について詳しく説明されました。70万年前から3万5千年前まで年代ごとに石器が揃っていて、「刃は始め片面ですが、次第に両面になり、多様な目的に応じ、種類も豊富になります」とのことです。石器を手に、その進化について話す崔館長は、得意満面の表情でした。


民家の裏庭に会った
漣川鶴谷里支石墓

私にとって、様々な陳列品以上に、個人博物館まで開設し運営する崔館長の情熱に興味がわきました。別棟の研究室にはおびただしい書籍が置かれていました。今年、67歳を迎える崔館長は、まさに仕事と趣味を兼ねた生き様です。私が「男のロマンに生きていますね」と声をかけると、笑顔が返ってきました。後継者は高麗大学院生の次女といいます。

その崔館長にも同行していただいて全谷里旧石器文化遺跡や全谷里土城に出かけました。10万平方メートルもの広大な地域は史跡公園となっていました。古代人たちの生活を再現し、子供たちや家族連れで楽しめるように工夫されていました。土城では、高句麗時代の土器・瓦も出土したそうです。


新羅の最後の第56代、
敬順王陵

高句麗時代の隠垈里土城では三角形の地形を活用し、南北は玄武岩の絶壁を生かし、東側のみに城壁を築いていました。発掘調査が行われ、内城は東西400メートル、南北130メートルあり、城内から高句麗と百済の遺物が出土しています。

さらに瓠蘆古壘は、高麗人参の栽培畑を縫い到着しました。発掘後に放置されたままの高句麗瓦片など多数が散布しており、いくつかは採集して崔館長のコレクションに加えられました。前後して崩れた通?支石墓や民家の庭にある漣川鶴谷(はくこく)里支石墓など、案内役がいないと見ることの出来ない遺跡も回ることが出来ました。

この日の夕刻には新羅最後の第56代、敬順王陵を訪ねました。近くから墓碑銘が見つかり碑閣に収められていました。ここも整備が行き届いていました。天気のいい日には、この辺りから開城が望めるそうです。

堡壘など発掘調査し、整備進む


蛾嵯山から漢江を隔て
百済の都のあったソウル市街

4日目は今回のツアーのハイライトともいうべき蛾嵯山に登り、堡壘を渡り歩き縦走しました。まず手前の紅蓮峰にある2つの堡壘を見ました。すでにソウル大学で発掘を終え埋め戻され草が覆っていました。西谷先生の説明ですと、1号堡壘には兵舎施設があり、2号堡壘には貯水施設やオンドルのある建物跡などが見つかっているとのことです。ここが漢江を隔てて百済と高句麗が対峙した砦となっていました。

蛾嵯山には2004年8月にも登っており、再訪となりました。三国時代に築かれた阿旦山城は百済の山城と標識に示されていたが、西谷先生は新羅の山城との見解を示されました。この山道は市民のハイキングコースになっており、行き交う人と「アンニョン ハセヨ(こんにちは)」と挨拶しました。日本と同じような30度を超す暑さの中、1号堡壘から順次たどりました。途中、漢江とソウルの街が眺められるスポットで、戦国時代に思いを馳せながら憩いました。


蛾嵯山の4号堡壘の発掘現場を案内する
蘇哉潤研究士
 (石崎勝義さん写す)

4号堡壘は、かねてソウル大学で発掘し、その出土品を大学の博物館で見ていました。今回は国立文化財研究所が発掘中でした。西谷先生の要請で特別に内部を見学させていただきました。学芸研究士の蘇哉潤(ソゼユン)さんによると、「1998年のソウル大が調査しなかった城壁などを、5月から9月までかけて進めています。整備して公開します」と話していました。

4号堡壘から、百済の風納土城が望めた。反対側に標高約350メートルの龍馬(ヨンマ)忘憂山があり、その縦走路でもいくつかの堡壘を確認した。西谷先生の見込んでいた約2時間半の予定が倍の5時間コースとなる密度の濃い遺跡めぐりとなった。


新装オープンした
豪華な韓国国立中央博物館
(石崎勝義さん写す)

最後に、2005年10月新装成した韓国国立中央博物館の高句麗室と玄武図の企画展示を鑑賞しました。戦時中に日本人が剥ぎ取ったとされる北朝鮮の平安南道龍岡里にある双楹(そうえい)塚古墳の壁画片とも再会しました。騎馬人物が描かれた実物の壁画です。解体された日本の高松塚・キトラ古墳壁画が、こうした温度・湿度・照明など管理した施設内で公開されるのか注目されます。

約700年も権勢を保持し、中国の桓仁や集安から北朝鮮のピョンヤン、そして韓国のソウルまで南進した高句麗は東アジアの歴史に大きな影響を及ぼしたのです。わずか4泊5日とはいえ、日本の文化の源流をたどる旅となりました。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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