「美しい日本」を描いた川瀬巴水

2007年8月5日号

白鳥正夫


川瀬巴水  1939 年
(写真はいずれも、
わい・アート提供)

夢二と同時代の大正から昭和にかけて日本列島を旅し、各地の風景を描いた版画家に川瀬巴水(1983−1957)がいます。国内で広く知られる存在ではなかったのです。欧米のコレクターは、江戸時代の葛飾北斎や安藤広重と並び「スリーH」と称し、愛好者らは「昭和の広重」と親しんでいます。時の宰相が「美しい日本」を力説しますが、四季折々の風景を描き続けた巴水の作品は、まさに「美しい日本」を描き、見るものの心に郷愁や旅へのあこがれを誘います。8月16日から28日まで、大阪・京阪百貨店で「没後50年大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展」(朝日新聞社主催)が開催されます。

知られざる「美の巨人」に着目

この一見ごく日本的な山道の絵のなかに、わたくしは例えばビアズレーを感じます。この官能的に蛇行する道の姿態のなかに、わたくしは世紀末のヨーロッパを感じます。この渋く調和的な色彩のなかに、わたくしは大都会の倦怠と懐かしい不安を感じます。そして向こうの夕陽に明るく輝く山容のなかに、わたくしはそれらと裏腹な憧れを、そしてこの絵を描いた人の、深い深い孤独と、いじらしいほどの至純な魂を感じます。それらが、わたくしがこの人の絵をいつまでも眺めていたい本当の理由です。


塩原おかね路

この文章は『林望の日本美憧憬 夕暮れ巴水』(講談社)の冒頭に書かれたエッセイです。巴水の「塩原おかね路(みち)」の作品に、林さんの心象風景を見事に表現しています。こうした巴水の木版画は西洋のジャポニスムを刺激したのか、日本に先立って2003年にオランダで『川瀬巴水 全木版画集』が刊行されました。

日本でも平成10年以降、昭和前期のモダニズムの研究が進むにつれ、巴水の業績を再評価し始めたのです。2005年夏に江戸東京博物館で「美しき日本 大正昭和の旅」、同じ年の秋に町田市立国際版画美術館でも「浮世絵モダーン展」が開かれ、巴水の作品が出品されたのです。さらにこの年末から2006年にかけて島田市博物館など関東・中部の美術館四館で「川瀬巴水展」が巡回開催されました。

こうした動きに着目したのが株式会社わい・アートで、2005年以来関西など西日本での開催準備を進めてきた。代表の樋口佐代子さんは「巴水は京都をはじめ全国くまなく美しい日本を求めて旅しています。この知られざる美の巨人を広く紹介したい」と、熱っぽく話されました。私はあらためて画集に見入り、風景の美しさ以上に、日本から失われてゆく郷愁やほのぼのと伝わる温もりを感じたのでした。

わい・アートは、大阪読売広告社のアート事業部門が運営に携わっていたナビオ美術館を中心に、企画活動を展開してきました。ナビオ美術館は梅田の阪急ビルに立地し、夜8時まで鑑賞でき都会の美術館として人気がありましたが、1998年閉館したのです。18年間に199の展覧会を開催し、朝日新聞社の企画も採用していただいた思い出があります。

雪の宮島
大坂道とん堀の朝

ほぼ15年の企画の仕事で、100件を超す展覧会に関わってきました。この間、公立美術館の財政事情が悪化し、デパートが展覧会事業から撤退する事態となりました。新聞社もメセナ的な企画より採算性を重視するようになってきました。当然、展覧会事情も変化し、観客動員が予想できるテーマを選ぶ傾向が強まったのです。このため内容よりも知名度優先で、なかなか「川瀬巴水展」に目が向かなかったのも実情です。

処女作から未完の作まで展示


奈良春日大社

やっと大阪で実現した「没後50年 大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展」は、初期から晩年までの木版画の代表作約150点が選び出されました。東日本で開かれた展覧会には、東京とその周辺を中心とする作品に偏っていましたが、新たに作品構成を変え、関西の作品も数多く出品されたのでした。

知る人ぞ知る風景版画家・巴水の特徴は、風景を客観的に観察して自然主義的な表現は採っていないところにあるといえます。つまり感情や情緒面を重視し、大正、昭和という時代の抒情を日本的な色彩で繊細にして力強く、木版の特徴を生かして表現しているのです。
展示構成の第一部は「大正期」で、塩原を描いた処女作から関東大震災までを取り上げています。巴水(本名、文治郎)は、東京市芝区(現・東京都港区)に糸組物職人の長男として生まれました。幼少の頃より絵が好きでしたが、周囲の反対もあって一時は画家への道を断念したのです。


錦帯橋の春

27歳の時、鏑木清方(1878―1972年)の門に入ります。「巴水」の雅号を与えられ、肉筆画で研鑽を重ねたのでした。しかし同門の伊東深水の影響を受けて、木版画への関心を深めます。大正7年秋に、版画制作の礎となった塩原三部作を発表します。

冒頭に林さんの文章で紹介しました「塩原おかね路」は、夕日を浴びて赤く燃え立つ遠くの山と、暗く沈む山道を描いています。その暗い画面の中に、一人の女性が馬を引いて家路を急ぐ風景です。巴水は幼い頃、病気がちで、夏になると東京の両親のもとを離れて、塩原で土産物屋を営んでいた伯母夫妻の元で過ごしました。巴水自身、「塩原は私を非常に可愛がつて呉れました。…懐かしい故郷のやうに思はれます」と書き残しています。

第二部の「関東大震災〜戦前」は、大正12年までの作品。震災で多くの作品やスケッチブック、版木などを消失しました。失意の底にあった巴水は版元の渡邊庄三郎の勧めで約3ヵ月に及ぶ写生旅行に出ます。昭和5年に大田区に居を構え精力的に制作に励んだのでした。約600点といわれる全作品の半数がこの時期のものです。

「雪の宮島」や「明石町の雨後(ともに昭和3年)、「大坂道とん堀の朝」(昭和5年)、「奈良春日大社」(昭和8年)、「讃岐の海岸寺の浜」(昭和9年)、「錦帯橋の春」(昭和12年)「紀州瀞」(昭和16年)「志摩波切」(昭和17年)など、各地の多様で多彩な風景が季節や時刻によって巧みに切り取られ描かれています。

紀州瀞
増上寺の雪



第三部「戦後〜晩年」は、塩原に疎開していた巴水が戦争も終わり、また版画を再開します。昭和23年には東京に戻り、渡邊庄三郎の家作に入り、没するまでの約10年をそこで暮らしたのです。昭和28年には、文化財保護委員会からの委嘱で「増上寺の雪」を制作します。これは無形文化財となった木版画技術を保護するために制作の過程を記録にとどめたのでした。このためスケッチから版下絵、版木など全ての資料が保存されたのです。

昭和32年2月体調不良で入院しますが、病気療養中も「平泉金色堂」の筆を進め、九分通り版画の色分けを終え、11月に未完のまま胃がんで他界します。
 この時期の作品では、珍しく「松本幸四郎 関兵衛」(昭和25年)や「中村歌右衛門 雪姫」(昭和26年)といった役者絵を描いています。この展覧会には「増上寺の雪」と、絶筆となった「平泉金色堂」も出品されます。
 
風景画家に徹し「新版画運動」

これら巴水の作品は、見る人の心に大正と昭和のモダニズムを思い起こさせ、その時代へのイメージを鮮明にします。また「増上寺の雪」は伊東深水の「髪」とともに、無形文化財技術保存記録作となり、日本の近・現代美術史上での重要な作品の一点として評価されているのです。

松本幸四郎 関兵衛
中村歌右衛門 雪姫

ところで巴水が版画制作を始めようとした時期、制作の方法として、二つの大きな潮流がありました。一つは明治30年代以降に生じた「創作版画」です。これは画家が制作の全ての工程を自ら行う「自画・自刻・自摺」を主張する動きでした。


平泉金色堂

それに対して、大正時代初期からは「新版画運動」が起こります。画家、彫師、摺師、版元が共同して版画を作り出す方法です。この運動は、日本における伝統的な版画制作の工程を見直そうとするものでした。 巴水は、風景画家に徹し「新版画運動」の重要な担い手として活躍しました。

展覧会の開催期間中の19日、正午と3時の二回、巴水作品の摺りの実演が行われます。「荒川の月(赤羽)」(昭和四年)を取り上げ、制作当時から残っている版木を使って、巴水の初版を参考にします。摺師の渡辺英次さんは、1982年に渡邊木版美術画舗に入り、堀川昭三郎さんに師事し浮世絵の復刻と巴水の後摺りなど技術の伝承に取り組んでいます。

巴水が亡くなってわずか半世紀なのに、私たちの見る日本の風景は様変わりしております。都会にはコンクリートとガラスの高層ビルが林立し、高速道路が貫き、メタリックカラーの味気のない近代都市に変身しました。「うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川」と歌われた「ふるさと」の風景も一変してしまったのです。そんな時代に唱歌に歌われた風景が、巴水の作品に残されたのでした。


摺り作業風景

巴水研究で知られる岩切信一郎・東京文化短期大学教授は「絶筆となった『平泉金色堂』は、巴水にとっては因縁深い雪景色であり、一人階段を登って行く托鉢僧の後ろ姿は、まさに孤高を持する巴水自身の姿なのであろう」(川瀬巴水展図録)と書きとどめています。

展覧会は巴水の西日本における制作活動をさらに精査し、2008年に250点規模で姫路市立美術館などへ巡回します。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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