主婦、アフガン難民と共に歩む

2007年7月5日号

白鳥正夫


テントの中で刺繍をするアフガニスタンの女性(1996年、ジャララバード)

日本から直線で6000キロ以上も離れた異国の地で、「宝塚・アフガニスタン友好協会」代表の西垣敬子さんは感動の日を迎えました。2007年4月、苦労を重ねて集めた寄金でアフガン東部のジャララバードに建設していた国立ナンガルハル大学の女子寮が完成したのです。女性の教育を禁止していたタリバーン政権が崩壊して、「これからの祖国復興に女性たちの教育は欠かせない」との願いが込められています。

アフガンは1978年に軍事クーデターが起き、旧ソ連の軍事介入による内戦を経てタリバーン支配、さらにアメリカのアフガンへの空爆と30年以上にわたって紛争が続き、いまなお戦火が絶えません。西垣さんは1994年からアフガンの難民支援に取り組んでいます。この間、危険を冒しての渡航は40回を超えました。「気がついたら72歳になっていました」と自嘲する西垣さん。一人の主婦が体現した草の根の国際交流の歳月は、13年になります。

生々しい戦場の写真展に衝撃


現地での活動報告を伝える自家製の「ざくろ通信」

1993年夏、アフガンへのソ連軍侵攻の写真展を東京で見ました。「何気なく立ち寄ったのよ」と振り返るが、それが運命的な出合いとなりました。生々しい戦場の光景に衝撃を受けたのでした。「平和に暮らす私たちが、戦争で苦しむ人たちに何かお役に立たなければ」との思いにかられました。

西垣さんは1994年1月、自宅に「宝塚・アフガニスタン友好協会」を設立しました。その年の春、大使館から東京で見た写真を借り受け、地元で写真展を開きました。ちょうどその頃、アフガンでは本格的な内戦に突入したのです。「幼児が栄養失調で死にかけている」との報道に心を痛めました。「赤ちゃんにミルクを」と、写真展会場に置いた募金箱に約40万円が寄せられました。

その年11月に、初めてパキスタン経由でアフガンに飛びました。事情を話し、国連の10人乗りプロペラ機に乗せてもらい、パキスタン国境に近いジャララバードの難民キャンプに入ったのです。褐色の大地に並ぶ無数のテント。当時、首都のカブールが戦場になっていて、35万人もの難民がテント生活をしていました。


完成した国立ナンガルハル大学の女子寮(2007年4月、ジャララバード)

「宝塚・アフガニスタン友好協会」の名も刻まれたプレートの前に立つ西垣敬子さん

寄金をミルク代にと申し出たが、多くの赤ん坊は、45度から50度にもなる夏の暑さですでに死んでいました。「小旗を付けた枯れた棒切れが地面にたくさん突き刺さっていました」。それが墓だと知り、絶句したのでした。

元教師の難民が青空教室を開いていたが、教科書もなく、地べたに座り込んでの授業でした。要らなくなったミルク代の寄金を学校用のテントに充てることに決め、帰路のパキスタンで、現地に届けてもらうよう発注しました。

翌年の1995年、「さあ、これから難民支援に本気で取り組もう」と気を引き締めていた矢先、阪神淡路大震災に遭ったのです。宝塚市在住の西垣さんの家も被災した。散乱する家財を前にして、「難民支援は、もう続けられない」と、ふさぎ込んだのでした。しかし被災地にあふれるテントを見て、「注文したあのテントは難民キャンプに届いているのだろうか」と、とても気になったのです。

年末、再び現地へ向かいました。すでに5張りの大型テントは、現地に届き使われていた。西垣さんは、子どもたちが男女別にテントの中で勉強をしていたのを見届け、「とてもうれしかった。と同時に、寄金の使われ方を確認することの大切さを実感しました。それが募金した者の責任なのです」と述懐します。

国連の援助で職業訓練をする男性と違い、女性は何をするでもなくテント生活を強いられていた。イスラームでは女性は意志表示も外出もままならないのです。しかし西垣さんの前では「刺繍がしたい」「ミシンが欲しい」と口々に訴えました。西垣さんは以前に仕立て業をしていた未亡人もいて、洋裁教室を開けないかと考えました。翌年にはパキスタンで買った手回しミシン25台を持ち込んだ。

洋裁や刺繍は、収入のない母子家庭にとって救いだった。刺繍で飾った布を買い取り、日本で売った。そのお金でミシンの台数を増やし、刺繍のテント教室も開きました。しかし1996年からタリバーンが全土をほぼ掌握し実効支配に移り、テント内の洋裁教室は、5人以上の集会の禁止に違反するとして解散させられたのでした。やむなく、ミシンを順番に戸別に回して使ったといいます。

人目を忍んだ「隠れ学校」支援


完成した子寮に集まった国立ナンガルハル大学の女子学生と記念撮影の西垣さん

女子寮前の木陰で椅子とテーブルを並べてのパーティ

1998年には、よき理解者だった夫をがんで喪いました。悲しみの日々を過ごしていましたが、アフガンの難民たちは、西垣さんが訪ねるのを心待ちするようになっていたのです。娘たちも自立し、一人暮らしの西垣さんは「アフガンは第二のふるさと」になっていました。

2000年にカブールの孤児施設でフルーザンという少女に会いました。彼女は当時12歳で、笑顔のかわいい子でしたが、下半身に目をやると右足が失われていたのです。彼女はカピサという古い町に住んでいた。ところがソ連軍が撤退直前に落としたロケット砲が家を直撃し、両親を亡くし、片足を吹き飛ばされたのでした。

帰国後、新聞記者にこの話を伝えたところ、「フルーザンに義足を」との記事になり、カンパが集まりました。さっそく奈良在住の義足の専門家の瀧谷昇さんに相談をして、彼女に「足」をプレゼントすることになりました。西垣さんは瀧谷さんとともに、義足を作るためのすべての道具や器具を現地に持ち込ことになりました。タリバーン支配でビザの入手が難しかった上、総量が22キロもありひと苦労でした。

カブールへはパキスタンからNGO(非政府組織)が乗れる航空機が飛んでいることを知り、グライダーのような4人乗りセスナ機で入れました。そして2日半かけ、フルーザンに義足を装着したのです。
 
「現地に足を運び、この目で見たことで、難民たちは何を求めているかがよく分りました」という西垣さん。タリバーンは女性の教育を禁止したため、各所で小さな「ホームスクール」が開かれるようになりました。いわゆる「隠れ学校」です。民家の中庭や、物置部屋であり家畜小屋でした。


女子寮完成を祝って開かれたささやかな祝賀会

こわごわ訪ねた「隠れ学校」の関係者から「ここで教えている教師に給料を払ってもらえないか」と相談を受けたのです。「戦争を拒み、平和な暮らしを築くためにも、女性も勉強してほしい」と、西垣さんは支援を約束しました。

1ヵ月に1人2000円分の給料です。これだけあれば10人家族がジャガイモやタマネギを食べて生きていける額。2人の教師から始めたのですが、次第に広がり、多い時には17ヵ所で22人の女性教師に給料を支払うカンパを続けました。

西垣さんの献身的な支援活動は、突然途切れる破目となったのです。2001年9月11日にアルカーイダがアメリカで同時多発テロを起こしたからです。翌月には、アメリカは報復としてアルカーイダの拠点があったアフガンへの空爆を開始しました。こうして11月にはカブールが陥落し、年末にタリバーン政権が崩壊したのです


「毎日国際交流賞」の表彰式(2006年9月、毎日新聞大阪本社)

「毎日国際交流賞」の受賞を喜ぶ西垣さんと支援者ら

西垣さんには戸惑いと苛立ちの日々でした。とりわけフルーザンに義足をプレゼントした5月、「半年後に微調整をしにくるから待っていてね」と約束していました。太ももにあてた薄い布が擦り切れているはずでした。2002年4月になって、カブールに入れました。瀧谷さんも5月の連休時に訪れやっと義足調整も終えたのです。

タリバーン政権が崩壊して、現地は復興のさなかですが、人々はなおも貧困にあえいでいました。西垣さんは、常に困窮の地に足を運び、自分の耳で切実な訴えを聞いて回りました。日本で繰り返し、実態を話し、寄金が集まれば現地に飛び、何に使うかを決め、使った金の行方も確認する手堅さで支援活動に取り組んできたのです。

国境を超えて「家族」がいる

国立ナンガルハル大学を訪ね女子トイレが無いのです。古いトイレは使い物にならず、西垣さんのトイレ作戦が実施されました。2003年4月には無事に出来上がり、学長の提案で完成パーティーが催されたそうです。

都市部の「隠れ学校」で学んだ女子生徒たちが、大学に進学し始めたのはいいのですが、地方の生徒たちは深刻です。今度は大学から寄宿舎を求められたのです。しかし女子寮となると、現地の設計や建設事情やなどから鉄筋2階建て延べ270平方メートル、約50人収容規模を想定すると約1200万円かかることが分かりました。

まさに4年がかりの西垣プロジェクトの始動でした。講演会や写真展など地道な活動を続け、200万円を超す寄金が集まったのです。

私が西垣さんを知ったのは、その女子寮建設に高額の助成が決まった時でした。2006年7月、「国際ソロプチミスト奈良―まほろば」の10周年記念の集いに出席したのがきっかけです。この会で、女子寮建設に600万円の補助金が贈呈されました。その後も「まほろば」から、アフガン難民の写真展とバザールを実施し、その売り上げ100万円も寄贈されたのでした。


「アフガニスタン情報―草の根からの報告」の講演する西垣さん(2007年6月、泉大津市高齢者大学)

「刺繍をするアフガニスタンの女性」のスライドも紹介

その年の9月、東京で開かれた『アフガン全史』(明石書店)出版祝賀の会で、西垣さんと出会いました。「今度は毎日新聞国際交流賞に選ばれたのよ。250万円いただけるので、ほぼ女子寮建設の目処がつきました」との朗報がもたらされたのでした。

そして迎えた完成式。「多くの日本の人たちの善意がこもった建物が出来ました」。挨拶する西垣さんの声が震えていました。9つの部屋に約50人が暮らすことができる。9月からの新学期に間に合い、女子学生らとジュースとお菓子で祝ったのでした。孫のような子どもたちに囲まれ、西垣さんは言葉に言い尽くせぬ感動に包まれたのです。「老後は女子寮のゲストルームに泊まり、若い女学生たちの夢を聞きたいものです」と話しています。

最後に義足のフルーザンのその後を聞きました。西垣さんは、現地の多くの難民を支援してきたが、フルーザンへの慈しみは格別でした。そのフルーザンに家族ができたのでした。資産家のアフガン女性に引き取られ、幸せに過ごしていました。しかしフルーザンの平穏な日は長くは続かなかったのです。昔の仲間たちに安らぎ求めたのか再び陰鬱な施設に舞い戻りました。次第に大人になる彼女にも迷いがあるのか、その後また別の施設へ移ったとのことです。探し出した彼女は元気に学校に通っていました。可愛く飾った部屋にはインド映画のスターの写真が貼ってあったそうです。

西垣さんにとって、いつまでも気がかりなフルーザンの人生。遠く隔てて暮らしているものの、国籍を超えた「家族」の一員だからです。

「共に生きよう」と、声高に言うつもりはありません。しかし戦後60年経って、団塊の世代の大量定年が始まったいま、自分本位の私生活主義が蔓延していることに危惧を感じます。平凡に生きていた一介の主婦が、還暦近くになってから一転、アフガン難民の支援に取り組んでいるのです。「人間どうし共に生きている」という心の持ち様が薄らぎつつある時代、国境を超えて「きずな」を求める生き方に拍手を送りたいと思います。


宝塚・アフガニスタン友好協会事務局の連絡先は下記です。

〒 665-0844 宝塚市武庫川町5−45−117
TEL・FAX 0797-84-8446
Eメール keiko665@gmail.com


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
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定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
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定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
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定価:本体1,800円+税
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内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

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