音声ガイドの役割

2007年6月5日号

白鳥正夫


美術館入り口で貸し出している音声ガイドの機材。文字や画像も表示される

文化的で豊かな生活に、アートは音楽と共に欠かせない存在となってきました。そうしたニーズに応えて、都市圏では多様な美術展が展開しています。何の先入観もなく多くの名画を見るのはいいのですが、より理解を深める鑑賞ができればと思います。事前に図録に目を通したり、学芸員のギャラリートークを聞いたりする方法もありますが、音声ガイドがいまや定番となっています。そこで現在開催中の「ベルギー王立美術館展」(〜6月24日、大阪・国立国際美術館)と「国立ロシア美術館展 ロシア絵画の真髄」(〜7月8日、東京都美術館)を、実際に音声ガイドを活用して鑑賞し、その役割を考えてみました。

ベルギー絵画400年の旅を

「皆様、ベルギー王立美術館展にようこそお越し下さいました。ベルギー王立美術館は主として古典美術館と近現代美術館からなり、中世から現代に至る2万点もの豊富な美術コレクションを所蔵しています。この展覧会は、そのコレクションから選ばれた名画でつづるベルギー絵画400年の旅と言っても良いでしょう。そのご案内をつとめますのは私、朝岡聡です。どうかよろしくお付き合いください」。


音声ガイドのある絵画のまえで番号を表示し鑑賞する「ベルギー王立美術館展」の入館者

ピーテル・ブリューゲル〔父〕「イカロスの墜落」16世紀後半(C)KMSKB-MRBAB

朝岡さんと言えば、かつてニュースステーショーンも担当したフリーアナウンサーで、現在も音楽コンサートの司会などで活躍しています。その朝岡さんの名調子がクラッシックの名曲に乗って、ヘッドホンから流れてきます。

プロローグの語りは続き、「ヨーロッパで油絵の技法が生まれたのは15世紀のフランドル地方、現在のベルギーでした。この地に花開いたフランドル絵画の魅力を国立西洋美術館の幸福輝さんにうかがって参りました」。幸福さんの話から、緻密な描写や豊かな色彩に優れたフランドル絵画の特色が簡潔に伝わってきます。

ベルギー王立美術館には7年前に訪ねたことがあります。200年以上の歴史を持ち、15世紀から20世紀の2万点を所蔵しています。当時、「ベルギーの巨匠5人展」の開催を前に現地を訪ねたもので、この館からの借用が無かったのですが、ブリューゲル親子やルーベンス、ヴァン・ダイクらの名画を急ぎ足で見た思い出があります。

今回の展覧会には、同館の代表作でもあるピーテル・ブリューゲル(父)の作とされる「イカロスの墜落」も出品されています。ブリューゲル(父)は、16世紀後半、農民の暮らしを見つめ、詩情豊かに日々の営みを描いた画家です。


フェルナン・クノップフ「ジェルメーヌ・ヴィーナーの肖像」1893年頃(C)KMSKB-MRBAB

ガイドでは「イカロスはギリシア神話に登場する少年です。クレタ島のミノス王によって父親のダイダロスと一緒に塔に幽閉されました。父親は鳥の羽根を集めて翼を作り、空へ脱出しようとします。その時息子にこう言いました。羽根は蝋で固めてある。だから、高く上がり過ぎると太陽の熱で溶けてしまうぞ」。

説明は続き「大空に飛び出し有頂天になったイカロスは高く飛び過ぎて蝋が溶け、真っ逆さまに海に落ちてしまったのです。画面右下に小さく、イカロスの足が海に出ています。主人公を敢えて画面の片隅に描き、見る人達の想像力を掻き立てたのでしょうか。日常において死を忘れるなという作者からのメッセージにも受け取れます」

もう1点紹介しましょう。ルネ・マグリットの「光の帝国」です。「街灯に照らされた家の姿が、池の水面に浮かびます。木々も夜のとばりに覆われています。しかし、空が何か妙ですね。青空に白い雲が漂う昼の空…。そう、マグリットが描いたのは夜と昼が共存する風景なのです」といった具合で、作品に付けられたキャプションに目を落とすことなく、じっくり鑑賞できます。


ルネ・マグリット「光の帝国」1954年(C)ADAGP,Paris & SPDA,Tokyo,2006 (C)KMSKB-MRBAB

マグリットは、シュルレアリスム、超現実主義を代表する画家です。日常性を再現しながら、しかし昼と夜の意外な組み合わせで、非現実的な世界を生み出したのでした。「光の帝国」のモチーフをマグリットは15年余り手がけ、油絵や水彩画に残しました。中でも、この作品はベルギー王立美術館のために晩年になって描いたものです。

新鮮なロシア絵画の名品100点

一方、国立ロシア美術館はサンクトペテルブルクにあります。1898年に、時の皇帝ニコライ二世がミハイロフスキー宮殿に設けたのです。収蔵美術品は約40万点といわれ、10世紀から現代に至るロシア美術を網羅した美の殿堂です。昨年6月に現地を訪れたのですが、エルミタージュ美術館に時間を取られ、建物だけを見て入館できなかったのでした。


「国立ロシア美術館展」では割安のペアガイドも人気

今回の展覧会では、そのコレクションの中から、絵画、彫刻、工芸など100点を選び、18世紀後半から20世紀初めまでのロシア美術の変遷を日本で初めて紹介するものです。

ガイドのセクション解説では「18世紀のロシアでは、ピョートル一世、エカテリーナ二世のもとで近代化政策が進められます。文芸の振興もその一環で、ルネサンスから連綿と続くヨーロッパの芸術潮流が一気にロシアに流入しました。ヨーロッパから学ぶ一方、ロシアらしい絵画が発展します。自由で生き生きとした筆致の肖像画が生まれ、都市や自然に目を向けた風景画のジャンルも確立されます」。

音声ガイドの利用は、鑑賞券とは別に500円が通り相場です。ロシア展会場ではペアガイド券もあって、2人が利用すると800円で割安になっています。こちらでは女性の朗読で作品と章ごとの解説をいくつかのコーナーではロシアンワルツのBGMに乗って聞くことができます。


ドミトリー・レヴィツキー「エカテリーナ2世の肖像」1782年(C)The State Russian Museum 2007-2008

アレクセイ・ヴェネツィアーノフ「カード占い」1842年(C)The State Russian Museum 2007-2008

その一つ、ドミトリー・レヴィツキーの「エカテリーナ2世の肖像」のガイドは「ドミトリー・レヴィツキーは写実主義のリアルな筆使いで、教育者や女学院の生徒を描いた肖像画家です。当時のロシアには優れた先輩の作品を模倣する伝統がありました。エカテリーナ二世の姿はエリクセンの『鏡の前のエカテリーナ二世』を参考に描かれました」との説明です。

さらに「エカテリーナ二世は強い権力を背景に政治を行ない、ロシアの国土を拡げましたが、国内では農奴制を強化するなどし、反乱も起こりました」と、作品だけでなく、背景などにも及びます。

またイリヤ・レーピンの「何という広がりだ!」は、荒々しい波しぶきの中で、楽しそうにはしゃいでいるカップルを描いた構図です。観る者を波に巻き込まんばかりの迫力です。レーピン60歳近くの大作で、179×284センチもあります。

ガイドでは、「これは何を描いたのか」という問いかけにレーピンは「なに、晩年、妻と一緒に過ごした、フィンランド湾に臨む別荘でのインスピレーションを絵にしただけだ」と語ったそうです。しかし「若い男女は何かのたとえなのだろう」と批評家たちは口々に意見を述べ合いました。その中の一人は「逆境にあっても、決して、勇気と希望を失うことのないロシアの若さ」を描いたのだ、とのエピソードも紹介していました。

ロシア美術はローマやパリを中心に発展した絵画とは一線を隠し、西欧美術に慣れた私たちにとって新鮮です。これまで日本でまとまって紹介されることが少なかっただけに、今回の展覧会はいい機会です。東京都美術館の後、金沢21世紀美術館、愛媛県美術館、東京富士美術館を巡回し、サントリーミュージアム[天保山]でも11月20日から2008年1月14日まで開かれます。

耳やドラマで楽しむ展覧会


イヴァン・アイヴァゾフスキー「月夜」1849年(C)The State Russian Museum 2007-2008

イリヤ・レービン「何という広がりだ!」1903年(C)The State Russian Museum 2007-2008

なるほど、音声ガイドで鑑賞すると、すべてを聞くと、時間がかかりますが、要領よく展覧会の特色を理解でます。国立国際美術館主任研究員の平芳幸浩さんも「美術や作品に興味をもってもらうよう工夫されています。アメリカのフラデルフィア美術館ではチケットとセットされています」と話していました。

ベルギーとロシア展の音声ガイドをプロデュースした小山夏比古さんは、この道10年以上のベテランです。「普及が進んだのですが、業界は過当競争です。その分、主催者側に支払うマージン率も上がりました。厳しい環境の中、コンテンツを充実させるのが課題です」と、実情を訴えています。

最近の音声ガイドは、単に耳から聞くだけでなく画像や文字情報も見ることができる機材が開発されています。内容も作品の解説だけでなく、BGMや対話も盛り込んだりドラマ仕立てのものもあります。

私が1999年に企画した「シルクロード 三蔵法師の道」展では、三蔵法師の旅を音楽や映像も活用した会場構成などによって、旅を追体験できるよう演出しました。その手助けになったのが音声ガイドでした。この時のプロデューサーが小山さんでした。


「赤の広場」を思い起こす赤一色の壁面の部屋もある会場

音楽はシンセサイザーと中国古筝によるオリジナル曲「煌きの響き」を会場とともにガイドのBGMにも活用したのです。ナレーション以外に声の配役11人をはじめ読経、そして馬のひずめなど擬音も入れた、まさにオーディオ・ドラマに仕上がったのでした。さすがに評判はよく、150台はフル稼働し貸し出しに応じられない時間帯もあったほどです。入場者の約18%が利用、それまでの音声ガイドの利用率の記録を塗り替えたのでした。

「三蔵法師の道」展のエピローグは、こんなエピソードを紹介しオーディオ・ドラマの幕を降ろしていました。

ナレーション「三蔵法師の旅もいよいよ終わりをむかえようとしています。最後に玄奘が西域から持ち帰った、お話をお聞かせしましょう」
鳥のさえずり。森の音。ゆっくりやってくる老人の足音。
ナレーション「一人の老人が森にやって来て、ウサギに言いました」
老人「腹が減って、私はもう動けない。どうか食べ物を与えてくれないか」
ナレーション「ウサギは寂しい笑顔を老人に向け言いました」
ウサギ「食べ物を探したのですが何も見つけることができませんでした。どうか私のこの体を食べて元気になって下さい」
燃え盛る火の音。
ナレーション「ウサギは燃え盛る火に飛び込み息絶えてしまいました。その老人は、実は帝釈天の化身でした」
老人「このような慈悲深い心がこの世から消えないように、ウサギを月の中に残して、後の世に伝えよう」
ナレーション「強い感銘を受けた玄奘はこの伝説を『大唐西域記』に書き記しました。多くの人々が生きる地球。その素晴らしい地球を未来に残していくためには、他者を思いやる豊かで優しい心が何より大切なのです。それが1300年の彼方から玄奘三蔵が、私たち現代人に残したメッセージではないでしょうか」

 


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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