竹久夢二展―描くことが生きること―

2007年5月5日号

白鳥正夫


書斎の本棚の上に飾られている「春を待つ人」

もう20年来、私の書斎の本棚の上に一枚の額絵が架けられています。少し色褪せてきましたが、竹久夢二(1984−1934)の版画「春を待つ人」です。当時、神戸・三宮の画廊に立ち寄った際に10数万円で求めたのでした。満開の梅の枝を背に古風な髪の物憂げな美しい女性が描かれた作品ですが、「夢二」「春待つ」といった語感にも魅かれ衝動買いしたように思います。後になって、春になると知人に嫁ぐ女性をモデルに、夢二がお祝いに贈ったものだと知りました。書斎は何度か所を移しましたが、「春を待つ人」はいつもほのかな微笑を与え続けてくれています。

時系列に350点の作品・資料

その「春を待つ人」(1921年、夢二郷土美術館)など代表作を集めた「竹久夢二展―描くことが生きること―」が、5月27日まで和歌山県立近代美術館で開催されています。展覧会では資料などを含め約350点を展示、夢二の全体像を探ろうという意欲的な試みです。年初の千葉市美術館、岡山市にある夢二郷土美術館を巡回しての最後の会場となります。


和歌山県立近代美術館での竹久夢二展テープカット

初公開された第一回夢二展のポスター「伏す女」について説明する井上芳子学芸員

一般公開に先立っての開会式と内覧会に出向きました。約150点を出品している夢二郷土美術館を運営する両備グループの小嶋光信代表が出席されていて、話を伺うことができました。小嶋さんは「和歌山は夢二と親交のあった田中恭吉の出身地で、縁のある土地です。夢二の初期から晩年に至る多くの作品は、人の絆が薄らいだ現代社会へ、いやしや安らぎを伝えることでしょう」と強調されていました。

展覧会では、夢二の芸術家としての生涯を初期から晩年まで、ほぼ時系列に展示してあり、多様な数多くの作品とともに作家としての変化をたどることができます。その構成は、「コマ絵からの出発」「夢二画集と作品展覧会、港屋の時代」「抒情の展開」「デザインという活路」「外遊とその前後」の五つのテーマに分け展示されており、代表作だけでなく、これまであまり知られていなかった作品や資料も含め概観することができます。

チラシの表面を飾る代表作の「立田姫」(1931年、夢二郷土美術館)は、印象に残る作品です。というのも、真っ赤な着物を身にまとった立田姫が富士山を背景に扇子を持つ姿を描いていますが、後姿なのに顔だけはくるりとこちらを向いている何とも不思議な構図なのです。それだけ女性美を追求した夢二の計算されたたくらみが感じられます。

豊作を司る立田姫の右上部の余白に書き込まれた漢詩は、杜甫の作を引用したもので「去年は米が高くて日常の食にも困り、今年は安くて農民の生活は苦しい」といった意味です。生涯、弱きものに共感を寄せる夢二の作意が汲み取れます。


「立田姫」

「童子」

大正初期の「童子」(夢二郷土美術館)は、子供の遊びをテーマにしたほのぼのとする夢二らしい作品です。赤い大輪を咲かせた椿の木を囲む5人の子の表情や細やかな着物の柄も見逃せません。「草に憩う女」(大正初期、静岡市)や「早春」(大正後期、夢二郷土美術館)、「赤衣の女」(1933年、個人蔵)など「夢二式美人」はそれぞれの時期によって描き方が微妙に違い趣があります。

このほか「人形」(大正後期、夢二郷土美術館)は、目を閉じ口をあけ足を組んで、いすに深々と腰をおろすユーモラスな男性の姿を表現しています。紙や布、針金などを使って製作したものです。さらに帯「いちご」(1914−15年、夢二郷土美術館)のほか、表紙を飾った多くの装幀本や絵本、雑誌、さらには文章や詩、短歌など多才な創作の世界を堪能できます。

第一回展のポスターや書簡も展示

この展覧会企画を担当した一人が井上芳子学芸員です。井上さんは私が朝日新聞社時代に企画した「山本容子の美術遊園地」のメーン学芸員です。準備段階での綿密な作品調査や百貨店で開催時の展示指導などで助けられた思い出があります。夢二周辺については、岡山大学時代から研究しており、やっと念願かなっての開催にこぎつけたことになります。

会場で、井上学芸員に内覧会の見どころを聞きました。その一つが1912年に京都府立図書館で開かれた第一回夢二作品展覧会のポスターでした。「伏す女」を描いたポスター(夢二郷土美術館)は綿布に着色した暗い色調ですが、公開は今回の展覧会が初めてだそうです。


「草に憩う女」

ほかにも「風景」や「男」「女」を描いた水彩のポスターも展示されていました。井上学芸員の話では、「いずれも作者不詳ですが、夢二あるいはその仲間らが集まって描いたことがわかっています。『伏す女』は夢二が集めた遺品の古い布の中から今回あらたに見つかりました」とのことでした。

この最初の展覧会は肉筆画を発表する初めての機会で、目録によると水彩画や、水墨画、ペン画など137点が出品されています。またこの第一回展には、夢二を応援するため田中恭吉や恩地孝四郎らも出向いています。こうした親交を裏付ける数多くの書簡なども和歌山県立近代美術館には遺されています。

「第一回展は文部省主催展覧会に対抗する形で開かれ、この文展会場周辺にポスターを貼ったり、チラシを配ったりしていました。夢二にとって展覧会は単に作品を並べるだけでなく、自分がどのような考えで仕事をしている作家なのかを示すパフォーマンスの場でもあったようだ」と、井上学芸員が指摘しています。

企画展に合わせ「大正デカダンス」展も併催されています。当時、「夢二学校」と称し、夢二を慕う仲間らが集まった様子を知ることができます。とりわけ第一回夢二作品展覧会をめぐる書簡や田中恭吉が描いた会場風景のスケッチ帖も展示されていて興味深く見ることができました。和歌山県立近代美術館が所蔵する作品や資料で、夢二展に厚みを増しています。この美術館のこだわりがみてとれました。


「早春」

内覧会では、展覧会企画に大きな役割を担った夢二郷土美術館総括マネージャーの小川晶子さんにもお会いすることができました。その小川さんが図録に「夢のふるさと」と題した文章を寄せていて、「なぜか虚飾と誤解で語られる夢二、『描くことは生きること』、多岐にわたる夢二の生きた証の本物をご覧いただき、新たな眼で夢二を感じていただきたいと願っている」と結んでいます。

時代を超えて支持される作品

明治から大正、昭和と三代を生きたが、わずか50年の生涯だった夢二。16歳まで過ごし、その芸術の原点ともいえる生家が岡山県・邑久にあります。私はこの近くに工房を構える備前の森陶岳さんの展覧会を企画し何度も足を運びましたが、その際は生家にも立ち寄りました。茅葺の家はそのまま保存され、家に上がると素描や版画が展示されていました。入り口には有島生馬の筆で「竹久夢二ここに生る」との碑が建てられています。

漂泊の詩画人・夢二は住まいを転々としていますが、晩年に自ら設計しアトリエにした東京・松原の「少年山荘」も生家近くに復元されています。この名は「山静かにして太古に似たり。日の長きこと少年の如し」という中国の詩からとって名づけたとパンフレットにありました。生涯をたどる記録を写真パネルで展示し、絵筆や絵の具などの遺品も置かれています。


「赤衣の女」

「人形」

短い生涯だったにもかかわらず、自然の中にさすらい、永遠の女性美を純粋に求めた天才画家のロマンに満ちた人生は、私にはとても幸せだったのではと思えます。しかし繊細な神経は恋に傷つき、一方で特定の画壇に属さずに独自の道を歩んでおり、多くの苦難に満ちていたのかもしれません。

和歌山での展覧会を見た直後に上京し、旧新橋操車場鉄道歴史展示室で7月8日まで開催の「千代紙いろいろ」をのぞきました。休館中の東京ステーションギャラリー主催で田中晴子学芸員が企画したものです。田中学芸員とも「真鍋博回顧展」を共に担当した思い出があります。

この展覧会でも、「夢二デザインの品々」のコーナーがあり、木版画や絵封筒見本帳などが展示されていました。夢二は自らが企画しデザインをした「港屋」を開店しており、絵葉書のほか封筒・便箋や祝儀袋、掛紙などを手がけていたのです。


帯「いちご」

その夜、酒席をご一緒した銀座の画廊主から踊り会の案内状を見せていただきました。花柳ゆず留さんの文章には「今年2月の或る日、一枚の夢二の絵と出逢ったのです。そして見つめ続けるうちに、振りの中に、夢二の描いた女性を重ね合わせることはできないかしらという、無謀な思いに取り付かれてしまいました」とありました。どのような舞台になったのかと興味をそそります。

詩を絵で表すような何気なく描いた作品は、情感にあふれ郷愁を誘い、とりわけ夢二流の美人画はえもいわれぬぬくもりがあり、没後70有余年を経て語り継がれ、今も多くの人たちをとらえるのでしょう。

書斎の「春を待つ人」をしみじみ眺めながら、どこかで誰かが言った「夢二の前に夢二なく、夢二の後に夢二なし」の言葉が思い起こされました。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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