キューバの文化事情

2007年4月20日号

白鳥正夫


ホセ・マルティの像が建つ革命広場

キューバといえばフィデル・カストロやチェ・ゲバラが率いた1959年の革命のことを思い起こします。その3年後、米ソ冷戦下、核戦争へ一触即発だった「キューバの危機」のことは鮮烈に記憶しています。そんなキューバへ行くことになろうとは想像しませんでした。異文化に触れたいとこれまで40数カ国を旅しましたが、海外への優先順位はさほど高くありませんでした。ところがキューバ行きを熱望する知人に誘われ、その気になったのです。ソ連解体後も独自の社会主義を進める国情を見たいと思いました。このサイトでは、ハバナ旧市街と要塞など世界遺産を中心に、見聞したキューバの文化事情をリポートします。

カストロとへミングウェイ

カリブ海に浮かぶ約1600の島からなるキューバは、遠い国でした。直行便がなく飛行時間だけでも約20時間という遠さです。アメリカの経済封鎖が続いており、メキシコ経由でのフライトが一般的ですが、関西空港からカナダのバンクーバーを乗り継ぎトロント経由となりました。行きも帰りもトロントで一泊、さらに時差が14時間もあり帰路は機中泊となって10日間のうち実質7日間の旅でした。


チェ・ゲバラの肖像が取り付けられている内務省ビル

蔵書が所狭しと並べられているへミングウェイ博物館(石崎勝義さん撮影)

首都ハバナに到着後、まず訪ねたのが革命広場でした。ここには独立戦争を指導した英雄ホセ・マルティの大理石の像がそびえています。反対側には内務省ビルがあり、壁面にゲバラの肖像が飾っていて、夜は電光で浮かび上がるような仕掛けになっていました。しかしカストロ国家評議会議長の像はどこにもありません。

広場では、毎年1月1日とメーデーの5月1日にカストロ議長の演説があり数十万人が埋め尽くすそうです。ところが議長は、昨年7月以降大腸の手術を受け、容体が悪化していると報じられており、詳しい病状は国家機密となっています。「カストロ後」のキューバが気がかりですが、ガイドは「後継者も決まっており、今後は集団指導で何の心配もない」ときっぱり。そして「カストロは指導者ですが、オーナーではない」と付け加えました。

キューバから連想するのが、何といってもアメリカ人ノーベル賞作家のアーネスト・へミングウェイ(1899−1961)です。遠い日『誰がために鐘はなる』、『老人と海』を読みふけりましたが、1940年から20年間、この地に住み、名作を書き上げたのです。そのゆかりの地を訪れました。新市街から車で20分足らず走った小さな漁村コヒマルは『老人と海』の舞台となった所です。胸像が建てられ、近くにへミングウェイの愛艇が停泊した港や主人公の老いた漁師のモデルの家もありました。せっかく釣り上げた大物が帰港中にサメに襲われ徒労となって深い眠りの中で終わる物語がよみがえってきました。


ホワイトハウスそっくりの旧国会議事堂

ハバナ湾の入り口にそそり立つ堅牢なモロ要塞

また旧市街から20分ぐらいの所にはへミングウェイ博物館があります。『誰がために鐘はなる』の印税で購入した邸宅で、4ヘクタールの敷地です。内部は当時のまま保存されていて、約9000冊の蔵書があり、トイレにまで書棚が置かれていました。ただビデオ撮影料が50兌換ペソ(日本円で6500円)も取ると聞いてあきれました。寝室とリビングにはピカソの陶板やドガの絵が飾られていました。夜にはへミングウェイが座っていた席があるハバナ市内のレストラン・バー「フロディータ」に出かけ、同じようにラム酒カクテル「ダイキリ」を飲んでみました。

カリブに築かれた堅牢な要塞

キューバの世界遺産は自然遺産を含め7ヵ所を数えますが、1997年までに登録された文化遺産の3ヵ所を見学しました。かのコロンブスが1492年に発見し「この世でもっとも美しい土地」といわしめたキューバ島は、スペインの植民地として苦難の道をたどります。しかし砂糖とタバコ、奴隷の貿易で栄え、カリブ海の要所にあるだけに、スペイン人によって堅牢な要塞と碁盤の目状に区画整理された旧市街が遺され、1982年に世界遺産となっています。

旧市街から海底トンネルで結ばれたモロ要塞は、ハバナ湾の入り口に16世紀末に築かれ、高さ20メートル、厚さは20センチもあります。要塞としての役割を終えてから一時牢獄として転用され、現在は灯台として活用されています。要塞だけに各所に砲台が備えられていますが、青い海に突き出した威容は、世界遺産にふさわしい特有の建築美を醸していました。


もう一つのモロ要塞・サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城塞

もう一つのモロ要塞は、ハバナの小さな国内空港から飛行機で2時間のサンディアゴ・デ・クーバの街から南西約10キロにありました。湾の東側の切り立った岬の突端にそびえるサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城塞で、ここも1997年に世界遺産になっています。イタリア軍の技師が設計したといい、17世紀に60年かけて完成したのです。いくつもの部屋があり、現在は海賊博物館として開放されています。屋上に出ると、革命の戦士らが拠点にしたシエラ・マエストラ山脈が望めました。

サンディアゴ・デ・クーバは16世紀に首都のあった古い街で、キューバ2番目の都市でもあります。革命の舞台となった市内には、カストロ率いる革命軍が襲撃した7月26日モンカダ兵営博物館がありました。入り口の壁面には今も弾痕がいくつも残り、建物は博物館のほか、大半を小学校として活用していました。


壁にいくつもの弾痕が残る7月26日モンカダ兵営博物館(石崎勝義さん撮影)

石畳の道路をはさんで軒を並べるトリニダーの街並み。 入り口に絵を飾る画廊も

1988年に世界遺産に登録されたキューバ島南岸のトリニダーとロス・インヘニオス盆地は、砂糖と奴隷貿易の一大中心地だっただけに、繁栄の光と影を色濃く残していました。トリニダーはホセ・マルティ広場を軸に、石畳の道路に面し、17−18世紀かけて建てられた歴史的建物が軒を並べ、さながら街全体が博物館のようです。バロック様式の鐘塔の美しいサン・フランシスコ修道院をはじめ砂糖王の異名を欲しいままにしたカンテロの邸宅には、すばらしい調度品が展示され、いかに富を蓄えたかを誇示していました。

一方、ロス・インヘニオス盆地は、かつてサトウキビ畑が広がり「砂糖工場の谷」と呼ばれた地域で、ここにはイスナーガの高さ44メートルの塔があります。塔に登ると一面にヤシが茂っていますが、当時はここから奴隷を監視していた遺物なのです。塔の上で打ち鳴らされる鐘の音が作業の開始を告げ、逃亡を知らせるものであり、奴隷たちにとって苦痛の響きだったに違いないと思われました。

貧しくも表現力豊かな国民性

キューバで特筆すべきなのは、スポーツと音楽です。アテネで9つの金メダルを取り、「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の決勝で日本に敗れはしたものの野球王国であることは誰もが認めるところです。またマンボをはじめチャチャチャ、ルンバなどのリズムはキューバから生まれたのです。連日ホテルではショーがあり、レストランには呼びもしないのに出前演奏がやってきます。感受性と表現力豊かな国民性は美術においても例外ではありません。


奴隷の仕事を知らせ監視の役目もしていたイスナーガの塔

古い話になりますが、1998年に東京で「キューバ日本人移民100周年記念 キューバ現代美術展」を見た記憶があります。アメリカの弾圧下、キューバのアーティストはどんな表現をするのだろうかと興味を引いたのですが、自分たちの信念を貫くといった個性にあふれた作品に触れたのでした。

この展覧会には確か目黒区立美術館の正木基学芸員が企画されたと思います。正木学芸員は1995年に、朝日新聞社が巡回美術館と共催した「戦後美術の軌跡展」の中心的なスタッフで、私も一員でした。その後、正木学芸員は一転、キューバに長期間滞在したのでした。

あらためて『日経アート』7月号に寄稿した正木学芸員の文章をひもといてみました。そこには「美術の表現は多様である。が、いずれの作品も彼らの歴史と生活からのまなざしをしっかり切り結んでいる。政治・経済的には極めて困難な状況にある国にもかかわらず、作品を制作することが、先行きの見えない世界を切り開き得るという幸福な美術がキューバにはある」と書かれていました。


美しい海岸線のつづくキューバ最大のビーチリゾートのバラデロ

今回の旅でもハバナやトリニダーの街角で絵画を売っている画廊や土産もの屋を数多く見受けました。ここでも底抜けに明るい色彩が目立ちました。キューバの人々は素直に感情を絵に表しているように思ったものです。医療と教育が無料のキューバでは、社会主義国ゆえ経済的には平等をめざしていますが、スポーツや芸術分野での才能を伸ばせる英才を育てる環境にあるのかもしれません。

キューバは長期的なアメリカの経済封鎖にあって、なお厳しい経済環境にあります。貿易不均衡による外貨不足のため、観光に力を入れています。長い海岸線を活かしてリゾート開発を進めており、カナダやドイツ、フランス、さらには東欧圏から観光客が増えています。開放経済を進める中国やロシアとは一線を画し、独自の社会主義を貫くキューバの今後を注目したいと思いました。そして貧しくも陽気なキューバ人に「がんばれ」とエールを送ります。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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