生誕100年記念 ダリ展に寄せて

2007年4月5日号

白鳥正夫


サルバドール・ダリ
Image rights of Salvador Dali reserved. Fundacio Gala-Salvador Dali, Figueres, Spain, 2007

「私はダリでしょう?」とは昨年、東京・上野の森美術館のみで開催された「ダリ回顧展」の宣伝文句です。そんな言葉はともかく、20世紀美術界で奇才として名を馳せたスペイン人画家、サルバドール・ダリ(1904−1989)の作品は、どこかの美術館や展覧会場、美術書などで見られていると思います。今度は大阪で「創造する多面体 ダリ展」がサントリーミュージアム[天保山]で5月6日まで開催中です。ともにダリ生誕100年を記念する特別展で、巨匠の足跡をたどる充実した内容です。出品作品の一部が重なっていますが、別バージョンの展覧会です。二つの展覧会の舞台裏でいささか関わった私にとって感慨深く鑑賞しました。

歿後の展覧会で著作権訴訟


サントリーミュージアム[天保山]の会場入口

ダリと言えば、奇想天外な作品とともに、アンタッチャブルなイメージを抱いていました。というのも私が所属した朝日新聞大阪企画部時代に、著作権をめぐって係争中だったからです。先輩が企画し1990年秋に大阪や東京など4ヵ所で開かれた展覧会で、ダリ作品の複製を掲載したカタログを販売した朝日新聞社に対し、ダリから著作権を譲渡されたと主張するオランダの法人が損害賠償を求めたのでした。

訴えていたのは、1986年にダリと契約を結んだデマート・プロ・アルテ・ビー・ブイ社で、朝日側は1989年1月のダリの死去に伴い「著作権は全財産を相続したスペイン政府に帰属する」と主張していました。東京地裁の判決は1997年に出されましたが、デ社側の勝訴となりました。しかし、その後も別の展覧会を開催した日本の美術館を相手取り、デ社が同様の訴訟を起こしましたが、今度は敗訴したのでした。


ダリがデザインしたファッションを展示する会場

当時、裁判の経過は時折り耳にし、展覧会を企画する私にとって著作権に神経を尖らせることになったのでした。当サイトの2006年6月20日号の藤田嗣治展の項でも取り上げましたが、実現には「著作権の壁」がつきまとうのです。ダリの著作権は2004年の期限切れに伴って、全ての権利をスペイン政府が有すことになり、ガラ=サルバドール・ダリ財団が管理することになったのです。

「朝日でリベンジされては」との誘いが、質の高い西洋絵画を日本に紹介することで定評のあるブレーントラスト社(東京)からもたらされたのは2003年春のことです。スペインでは2004年はダリ生誕100年にあたるため、政府が祝賀委員会を組織し世界各地で展覧会を巡回させることになっていたのです。

以下3点は、(c)Salvador Dali Museum Inc. St. Petersburg, FL 2007

「自画像(フィゲラス)」1921年

「秋のパズル」1935年

ダリの作品をまとまって見たのは、1982年に大阪・大丸のアート・ミュージアムで開かれた「ダリ展」が最初でした。シュールレアリスム(超現実主義)の旗手として活躍中で、トレード・マークのピンとはねあがった口ひげとともに幻想的な作品に衝撃を受けたものでした。歿後には、朝日などいくつかの展覧会が開かれ、スペイン絵画のグループ展や所蔵美術館で目に留めていましたが、訴訟が影響していたのか、日本でのダリ展はお目にかからなくなりました。

生誕100年を記念しての展覧会に意義を感じましたが、私は2004年8月に退職することが決まっており、やむなく朝日新聞東京企画部に話を持ち込んだのでした。すでにブレーントラスト社ではスペインのダリ財団と折衝を進めており、朝日も参入することになりました。ところが、同時期にフジテレビがアメリカにあるサルバドール・ダリ美術館と折衝を重ねていたため、朝日とフジが異例の共催を決めたのでした。その結果ブレーントラスト社は、ダリ財団とダリ美術館の意向により、東京以外の地域で、東京展とは異なるコンセプトの展覧会を開催することになったのです。

絵画を超え多様な表現世界

東京の「ダリ回顧展」は見逃したのですが、大阪の「創造する多面体 ダリ展」に足を運びました。二つの図録を見比べてみると、ともにスペインのダリ財団とアメリカのダリ美術館の全面協力で構成されていました。東京に比べ油彩画は約40点とやや少ないものの、大阪では財団秘蔵の手稿やドローイングなどを交え約180点が展示され、絵画のみならず、多方面に稀有な才能と熱情をもって取り組んだダリの世界が展覧できました。


「催淫作用のあるタキシード」オリジナル1936年/レプリカ1970年

展覧会は、ダリの業績から「絵画とオブジェ」「著述家」「挿絵画家」「グラフィックデザイナー」「ファッションと広告」に大きく分けて紹介するとともに、1939年に開催されたニューヨーク万国博のためにデザインしたパビリオン「ヴィーナスの夢」のコーナーも設けられていました。

ここではパビリオンの外観や内部の様子を二人の写真家によって撮影された多数の写真で詳細が分かるように展示されています。ダリはこの万博を通じ、形のデザインだけでなく、人魚によって演じられるバレエを演出するなどインスタレーション芸術の先駆的な試みを実践していたのです。

このパビリオンと同名の「ヴィーナスの夢」と題された油彩もありました。この作品は広島県立美術館所蔵で、実際にパビリオン内部に展示されていたといいます。まさにダリのシュールレアリスム的な表現世界です。作品は4つのパネルから出来ており、ぐにゃりと垂れ下がる時計を左前面に描き、右半分には頭にロブスターが覆いかぶさる人物と引き出しのついた体や、燃える2頭のキリンなどが描かれています。

以下3点は、(c)Salvador Dali, Fundacio Gala-Salvador Dali, SPDA, Tokyo, 2007

「イメージが消える」1938年

こうした溶解する時計をモチーフにした作品は、ダリの幻想力を示す代表作の一つ「記憶の固執」(1931年、ニューヨーク近代美術館)にも描かれています。その後、広島に原爆が落とされ、核時代によって変容した光景を「記憶の固執の崩壊」(1952−54、サルバドール・ダリ美術館)として発表したのです。同一の構図ながら、時計の架かる枝やその台、背景の山までが解体されていく光景を描写しています。ヒロシマ以後の核の不安を反映した作品で、東京の回顧展に展示されています。

絵画作品は、夢や幻覚によるイメージを生かしつつも、用意周到に内面世界を写実的に描いていると見受けました。「偏執狂的・批判的」とみずからの絵画手法を語っているように、一つの作品が見方によって複数の姿が見える「ダブルイメージ」の作品を残しました。


「3つのガラの顔の出現」1945年

「奇妙な廃墟の中で自らの影の上を心配でふさぎがちに歩き回る、妊婦に形を変えるナポレオンの鼻」1945年

中でも「イメージが消える」(1938年、ガラ=サルバドール・ダリ財団)は、フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」(1657年頃、ドレスデン国立絵画室)と、ベラスケスの「自画像」(16407年頃、バレンシア聖ピオ五世美術館)が、それぞれに巧妙に描き込まれています。ダリは現実をもてあそびながらも、懐疑的な精神に満ち溢れていました。

展覧会を通じ、愛妻ガラ(1894〜1982)の存在がうかがえました。ガラは妻としてだけではなく、ミューズ(女神)としてインスピレーションを受けたのでした。しばしばモデルとして描かれ、その一つ「3つのガラの顔の出現」(1945年、ガラ=サルバドール・ダリ財団)は、小品ながら印象に残りました。

絵画以外にも、オブジェ、版画、宝石やファッションのデザイン、書籍の挿絵などが展示され楽しめます。ハッカ入りリキュールと毛針が入ったグラスで飾られた衣服「催淫作用のあるタキシード」やダリ劇場美術館にある女優メイ・ウェストの部屋の模型も出品され、唇の形をしたソファが目をひきました。

自己顕示欲がダリの創造力に

ダリはスペイン東部、カタルーニャ地方のフィゲラスに生まれ、印象派やキュビズム、形而上絵画に感化されたのでした。マドリードで美術を学んだ後、パリに出てシュールレアリスム運動に参加します。また親交のあったピカソや映画監督のルイス・ブニュエル、フロイトの精神分析学などの影響を受けました。そして詩人の夫と子供を持つガラとの運命的な出会いがありました。


スペインの ダリ劇場美術館
(c)Fundacio Gala-Salvador Dali, Figueres, 2007

一方で、フランスパンを頭に乗せて人前に出たり、ゾウを連れて歩いたことも。さらには潜水服姿で講演し、窒息死しかける奇行などで知られ毀誉褒貶の激しい画家として受け止められていました。しかしその誇大妄想的な自己顕示欲こそがダリの創造力を生み出していたとも理解できます。

「創造する多面体 ダリ展」と題される通り、あらためてダリの多様な世界に引き込まれる感じでした。85年の生涯で1600点以上の作品を仕上げたといわれるダリの一端にふれたのかもしれませんが、少しその実像を垣間見た思いがします。

ダリの自画像「ダリの太陽」を所蔵する岡崎市美術博物館の村松和明学芸員は、その著作に次のような文章を寄せています。

彼の絵画は、現在でこそ、クラシカルに映る面もあるが、20世紀の前半に登場した時には、なんと斬新だったことか。驚かされるのは、評価が分かれる晩年の作品のなかでも、実際には精力的に絵画の可能性を絶えず試みていたということである。成功した画家の多くに見られる陳腐化に没することなく最後まで前衛といえる精神を貫き通した。これは同郷のピカソの旺盛さに引けをとらない。また、ダリ流のパフォーマンスも21世紀の今日ならば何の抵抗もなく受け入れられていただろう。いやむしろこの前衛的表現者ダリが、この道も切り開いてきたといった方がよいのかもしれない。
(生活の友社刊ダリ特集より抜粋)


アメリカのサルバドール・ダリ美術館
(c)Salvador Dali Museum Florida, 2007

村松さんとは、2002年に「太陽の賛歌 ミロ展」で仕事を一緒にしています。ダリに関する数多くの論文があり、目下新たな出版を企画しています。

今回の「創造する多面体 ダリ展」は、大阪会場の後、5月12日から7月11日まで名古屋市美術館、7月21日から9月6日まで北海道立近代美術館に巡回します。知られざるダリの画業を概観するまたとない機会でもあります。

 

 


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

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