写真家・公文健太郎の道

2007年3月05日号

白鳥正夫

2004年1月、立ち寄った東京の展示会場で知りあった大学生の公文健太郎さんは、その春からフリーのカメラマンとして独立したのでした。その公文さんが初の写真集『大地の花―ネパール 人々のくらしと祈り』(東方出版、A4変形・128ページ・オールカラー/定価:5250円)を出しました。公文さんは大学の4年間を、毎年ネパールの小さな村に足を運び、村びとたちを撮り続け、さらに大学卒業後も通い、膨大な写真の中から選び抜き、1冊の本にまとめたのでした。


写真集『大地の花』の表紙
(写真)朝の祈りを終えたスニタ(16才)。彼女は2週間後、別の村に嫁いでいった。一年に何度かの大きな祭りのたびに、彼女は村に帰ってくる。

村びとの生活と祈り『大地の花』

お寺へと続く急な坂道を上り、上りきる少し手前を左に入ると、ゴマとその家族5人が暮らす小さな土づくりの家がある。一階は水牛が1頭、それに鶏が10匹ほど。二階にはベッドが二つ。三階は天井に穴があいた台所。ゴマの家族も村の他の人たちと同じように、畑から穫れる作物と、家畜の肉を食べ、ミルクを飲み、残ったほんの少しを街で売って生活している。(中略)
2005年11月、ゴマは結婚し街へと嫁いで行った。
彼女は僕に一通の手紙を手渡してくれた。手紙の最後に彼女はちいさな祈りを記した。 『夜空の星より 大地の花を私にください お金や財産はいりません 友達の愛があればそれでいいのです』          

送られてきた写真集のあとがきには、公文さんの、この本のタイトルとなった『大地の花』の言葉が添えられていました。どのページからも、ネパールの大地に暮らす人びとの営みと、貧しくとも平穏な日々を感謝する祈りが、現地に溶け込み、ともに寝起きする視点で捉えられていました。

※写真集『大地の花』の作品より

朝、お寺に祈祷師がやってくる。祈りに訪れた人々は順々に手を合わせてゆく。合掌して挨拶「ナマステ」も、ここから生まれた。

サヌの家の裏手には、雑草にまぎれて、一本の木と十ばかりの石が奉られている。特別な日以外は、毎朝ここで祈る。お香が焚かれ、米、花、ティカが捧げられる。

春、麦とジャガイモの畑が広がる。夏に向け、新しい畑に堆肥を運ぶベクマヤ(15才)。

蒸してたたき、乾かした米「チュラ」に、カレー味の芋と豆。これが畑仕事のお弁当。

 

本を入手した直後に、出版記念パーティーの案内状が届きました。友人達によって企画され、「人びとの日常や暮らしを写し撮った、さり気ない作品ばかりなのに、なぜか忘れてしまったモノにたましいで触れた喜びを感じました」と書かれていました。いかに彼の歩みが友人達に温かく見守られ支えられているかを知ることができました。

展覧会企画の仕事柄、これまで数多くの写真家に出会いました。朝日新聞企画部時代には、「色彩の魔術師」と呼ばれた故緑川洋一さんや、近年もシルクロードの風物を撮り続けている萩野矢慶記さんの写真展を仕立て、風景写真家の高田誠三さんには10年にわたって夕陽写真展の審査員をしていただきました。

しかし公文さんはまさに写真家へのスタート時から着目し、その歩みを見ているだけに感慨深いものがあります。今回の写真集を出す際にも相談を受け、出版社を紹介したほどでした。集いは昨年12月に開かれました。ぜひとも出席して祝辞をと思っていたのですが、海外旅行と重なり、「ネパールで取り組んだ確かな目と心でこれからも一層のご活躍を」との激励FAXを送ったのでした。

毎年、現地に通い丹念に追う

私が公文さんと会い、作品を見たのは3年前に東京の世田谷文化生活情報センターで開かれた展示会でのことです。ネパールの生活文化を紹介する企画でしたが、メインは当時、自由学園の学生であった公文さんが撮った写真でした。公文さんは1999年に自由学園が実施したネパールでの植林活動に参加して以来、ネパールを訪れ、村の生活を撮り続けてきました。

公文さんは、当初から写真家なりたかったわけではなかったのです。写真という世界に入ってゆくことになったのには、いつまでも留めておきたい光景との出合いと、それを見せたいと思う友人がいたからだったといいます。

公文さんは二度目の旅で、カトマンドゥから東方に30キロ離れたカブレ郡の山間に点在する小さな村を知ったのです。農業を中心とした素朴な村の生活と家族の絆に触れたのです。そこは自然があふれ、子どもたちの屈託のない笑顔に包まれていました。

日本で失われた風景を求めて、毎年のように訪れました。次第に「ただいま」と言って戻り、一定期間の生活を共にするようになります。こうして何年もの長い時間をかけて培ってきた信頼関係による写真に写った村びとの表情は、穏やかで優しく、美しい自然と同化していました。

公文さんの写真を見ていると、そこにいるかのような情景が浮かびます。10歳にも満たない小さな少女が大きな水がめを腰に抱え、水場から続く急な坂道を行き来します。食事の支度をする母親が小さな実を石ですりつぶしています。年老いたおばあさんが土間の古びた柱にもたれかかり、ミルクをかき混ぜバターを作っています。

こうした村の生活を見つめてきた公文さんは、「生きるということが小さな行為の積み重ねによって、丁寧に築かれるものなのだ。神を畏怖し、温かいつながりを持って生きる村びとの姿に、幸せとは何なのかを考えさせられた」と言います。

公文さんが写真に寄せた一文にはこう書かれていましました。

この夏、アンジュ―一家には待望の新しい命が授かった。生後三日、まだ名もない小さな赤ちゃん、僕はきっとこれから何十年もこの子の成長を見ていくのだろう。

※展覧会『幸せと幸せの間に』より

田植えのために集まった女性たち

クッタル村で出会った姉妹
※以上、写真は全て(c)KUMON kentaro

公文さんがこれらの写真を見せたいと思った友人は、精神的な負担が原因で引き起こされる病に苦しんでいました。心も体も健康な自分には理解しがたく、何もしてあげることができなかった。そこで言葉をかけるより写真を見てもらおうと思いついたのです。村びとの表情の一コマ一コマが小さなことを忘れさせてくれる美しさと、喜びに満ちていました。これを見た友人の微笑が忘れられなかったそうです。

そういえば、私が見たネパールの写真展のタイトルは「幸せと幸せの間に…」と題されていました。田植えの写真には着飾った女性の姿がまぶしく感じられました。収穫できる喜びと、感謝の祈りがあふれていました。礼拝や語らいの日常にも笑顔がはじけています。平和であることがどんなに幸せであるかを伝えていました。約80点の写真は、公文さんにカメラマンになる決断をさせるに十分なメッセージ性がありました。

そんなネパール写真展を見て感動した人たちがいました。埼玉県在住の有志が集まり、自分たちの身近な住民にも「感動を分かち合いたい」と写真展の実行委員会をつくり、2005年3月に市民文化センターで、世田谷と同じタイトルで開催しました。初日のお祝いの会に駆けつけた私は、在日のネパール人と交歓することができました。公文さんの写真が草の根の国際交流に大いに役立っていたのです。

人と人との繋がりの不思議さ

公文さんの二度の写真展後も、東京や大阪で会ったり、メールや便りで写真家への夢を伺うことになります。そうした折、ネパールの日本語学校建設に奔走していた私の知人が病気になり入院しました。2005年10月、またまたネパールの村を訪ねるという公文さんに、カトマンドゥの学校を訪ね、写真撮影と近況を教えてほしいと依頼したのでした。「近々にネパールの学校を訪ねたい」と話していた知人に知らせてあげればと思ったからです。


埼玉県所沢で開かれた公文さんの写真展「幸せと幸せの間に…」

知人から聞いていた学校の所在地や現地責任者の名前を知らせると、公文さんから「もしかすると、私の親しいDさんと同一人物かもしれません」と打ち返してきました。

後になって分かったことですが、日本語学校のオーナーであるDさんは、日本の伝統的な文化である紙布を扱っているアーティストでもありました。JICAの支援グループで知りあった日本人から和紙の技術を学び、ネパールの手漉き紙であるロクタ紙の糸で織った布製品を仕上げていました。そんなDさんの作品が世田谷の展示会に、公文さんの写真とともに、展示されていたのです。私もDさんの作品を見ていたことになります。

カトマンドゥに入った公文さんは、「まさにその人でした。奇跡のような人の繋がりに感謝です」と興奮のメールを寄せてきたのでした。


私の依頼でメールで公文さんから送られてきたカトマンドゥの日本語学校の教室

そして連日、メールで学校の様子を伝えてくれました。校舎の中には、学校建設に貢献した知人の写真をはじめ、知人が描いた水墨画なども飾ってあったと言います。そしてDさんは、知人を「お父さんのように思っている」と語り、「一日も早い快復をネパールの空からお祈りしていますが、できるだけ早くお見舞いに駆けつけたい」とのことでした。

あらためて公文さんの写真集を眺めていると、写真は記録以上に、魅力あふれるアートであり、芸術であると確信します。1枚の写真が発するメッセージは、見る人の受け止め方にもよりますが、限りない表現力を持っているからです。

公文さんは「今後、この写真集をたくさんの方々に見ていただき、刺激を受け、一層精進してゆきたいと思っております」との手紙を寄せてくれました。公文さんの今後の写真家の道を見守っていきたいと思います。

なお公文さんのホームページは、http://www.k-kumon.netです。写真展や写真集の案内も掲載されています。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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