トルコ 世界遺産考

2007年2月5日号

白鳥正夫


修理中だったトロイの木馬

いくつもの文化・文明が交差し重層化してきた遺跡の宝庫、トルコへの旅は宿願でした。ギリシャの詩人、ホメロスの叙事詩『イーリアス』の舞台となったトロイの遺跡や、凝灰岩の台地が侵食されてできたカッパドキアの奇観は一度目にしておきたいと思い続けていました。そしてシルクロード踏査の夢を実現するためにも、アジアとヨーロッパの二つの大陸を結ぶトルコは要所なのです。昨年12月、16日間かけて六つの世界遺産を中心に巡ってきました。

伝説の地トロイは9層の遺跡

トルコへは関西空港からソウルの仁川空港を経由して深夜にイスタンブールに到着しました。翌朝、黒海とマルマラ海をつなぐボスポラス海峡を渡りヨーロッパ圏からアジア圏へ。「冬のボスポラス海峡は荒れていて、船で越すのは大変だった」。アガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』の一節にも書かれています。オリエント急行は1977年までイスタンブールとパリ間を運行していました。まさに文明の十字路です。


上積みされた街の各層が分かるトロイ遺跡

世界遺産の一つ、トロイ遺跡に着くと、入口に置いてある大きな木馬が目に飛び込んできます。もちろんレプリカで、古代の記録やトロイア戦争時(古代名はトロイア)の城壁の規模などから推定し復元されたものです。この辺は風が強く、木馬は毎年、シーズンオフに修理するため、腹部に上れませんでした。

トロイは長い間、ホメロスのフィクションの都市と思われていました。しかし実在すると信じてやまなかったドイツ人シュリーマンによって1873年に発掘され、脚光を浴びることになったのです。

シュリーマンは8000点にのぼる宝飾品を見つけ、神話のトロイ王の名をとり、「プリアモスの財宝」と名付けました。そして多数の発掘品を自国に持ち帰ります。それらの一部はロシアへ流出しましたが、大半は第2次世界大戦時の爆撃で焼失してしまいます。ところが、その後の研究でトロイア戦争が想定されている年代よりも遥かに古いものであり、戦争が史実であったとは証明されていないのです。

トロイ遺跡は、戦争や地震で崩壊するたびに新しい街を築いていったため、BC3000〜AD400年頃にかけて、9層もの都市遺構が複雑に重なり合ったのでした。


エフェソス遺跡に置かれている勝利の女神のレリーフ

ローマ時代に建てられたセルシウス図書館

「三姉妹」と呼ばれるカッパドキアの奇岩

巨大なキノコ岩がそそり立つギョレメの景観

洞窟教会に描かれたフレスコ画

遺跡の規模は小さく、城壁に沿ってぐるりと一周するように見学路が設けられていました。門を入ると、6層の東の塔と城壁の外側を通って進みます。2層は最初の繁栄期で、陶器や金・銅製品などが出土し、高度の文明があったようです。シュリーマンが財宝を掘り当てたのも、この2層です。侵略してきた外敵により滅亡します。しかしホメロスの描いたトロイは、全盛期とされる6層という説が強くなっており、ここは地震によって崩壊します。

出口に向かって歩いて行くと、ローマ期の9層で、生贄を捧げる祭壇や井戸のような円筒形の構造があり、女神の像が立っていたと基壇もありました。小劇場跡が比較的形を遺していました。音楽堂として使われていたようですが、客席も少なく、当時は木造の屋根で覆われていたといいます。

現在も発掘調査が続けられていますが、大きな成果が上がっていないそうです。現地ガイドは「発見したシュリーマンの功績が大きいですが、目的は宝探しに来たのです」と皮肉っぽく説明していました。確かに「ホメロスのトロイ」より新しいと考えた遺構を潰して掘り進めたからです。遺跡の発掘があと100年遅かったら、調査は慎重に進められていただろうし、貴重な発掘品も現地に残っていたかもしれません。

世界遺産で無い巨大な遺跡群

古代の商業の中心であったエフェソスは、トルコ有数の都市遺跡群でありながら、世界遺産になっていません。その規模はトロイの比ではなく、山の斜面を削り造営した野外劇場は横幅14メートルで、2万4000人が収容できたといいます。日本にまだ文明と言えるものがない紀元前3世紀に、このヘレニズム世界では庶民の娯楽のために大劇場を造っていたのですから感動します。

一部復旧されていますが、石畳の大通りに面し建物跡が往時をしのばせてくれます。とりわけローマ時代に建てられたセルシウス図書館は復元され、ほぼ原型をとどめていました。知恵、運命、学問、美徳を表す4体の女神像が壁にはめ込まれ、その建築技術と芸術性には脱帽です。ここはもともと墓所であったと聞いて驚きました。

この地は当時、エーゲ海を望む港湾都市として交易で栄え、最盛時25万人も暮らしていたといいます。このため市民の娯楽施設であった競技場、浴場、泉、公衆トイレ、娼婦の館などの遺構が整備されていました。また裕福な市民の邸宅前には美しいタイルで飾られた歩道も見ることができました。

これらの遺構近くにアルテミス神殿跡がありました。紀元前7世紀に建立されたが、その後、埋没や火災、破壊などで7度も崩壊しています。紀元前6世紀に再建された時には高さ115メートル、幅55メートルを誇り、円柱127本のうち前方の36本に浮き彫りが施されていたそうです。ギザのピラミッドなどと並び古代世界の七不思議に数えられていますが、現在は、大理石の瓦礫が散乱する中に石柱が1本建つのみです。

4000を超すと言われる古代遺跡が確認されているトルコの世界遺産はわずか9つです。スペインとイタリアの各37、中国30、フランス29、ドイツ27(2国にまたがる分も含む)などと比べても少なすぎます。ガイドの説明によると、「申請に伴う整備費が追いつかないのです」と苦笑いしていました。それにしても「エフェソスがどうして」の疑問を抱き、現地を後にしました。

驚異のキノコ岩、地下都市…


トプカピ宮殿の博物館では有田や伊万里などの日本の陶磁器も数多く展示

ブルーモスクと親しまれるスルタンアフメット・ジャーミィ

「美しい馬の地」を意味するカッパドキアは、紛れもなく世界遺産にふさわしい所でした。標高1000メートルを超えるアナトリア高原中央部に、約100キロ平方にわたって岩石地帯が広がる台地です。柔らかい凝灰岩が侵食されてできたのですが、まるでキノコが大地からニョキニョキ生えたように奇岩が林立し、巨岩がそびえる景観は驚異であり、自然が創った芸術です。

友人の写真家、萩野矢慶記さんが昨春、写真集『カッパドキア』(東方出版刊)を出しており、その光景に胸躍るものがありました。さらに奇景ということにとどまらず、洞窟をくりぬき移り住んだ生活者が今もいることに興味を憶えました。

3世紀半ば、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、住居や教会を作ったのでした。1965年に発見された地下都市は、地下8階、深さ65メートルに及ぶ巨大なものです。地下1階にワイン製造所、地下2階に食堂、居間、寝室などがあります。外敵から守るため迷路のような構造になっていました。

萩野矢さんは後書きに「この荒涼とした台地の中で、多難な時代を懸命に生き抜いたキリスト教徒たちの光と闇が岩窟に深く刻み込まれ、それがカッパドキアの史伝となって輝いている」と記しています。

カッパドキア全体には、何百もの洞窟教会があるとされていますが、30余の教会が集結するギョレメ野外博物館を訪ねました。入り口のすぐ近くにバシル教会があり、岩肌には赤い塗料でキリストやマリアの肖像画、馬に乗って大蛇を退治している聖人の姿、幾何学模様などが描かれていました。光から閉ざされているため残ったと思われます。

いくつかの教会を見学しましたが、完全なフレスコ画はほとんどありません。ほとんど同じような図柄ですが、キリストの顔の部分が削られ、心無い観光客の落書きも散見されました。博物館内は監視下に置かれているものの他はまだ放置されたままです。

この地帯を一望できる城砦のウチヒサールに登りました。頂上から眺めるパノラマ風景は格別でした。しかし世界遺産の足元では荒廃が進んでいるのです。遺産登録で観光に拍車がかかる一方、壁画などの保護や修復対策は取られていないからです。

千年の都の栄華を伝える建物


ビザンチィン建築の最高傑作とされるアヤソフィア聖堂 

山の斜面を活用して造られたベルガマの野外劇場跡

コンヤからのシルクロードにあるキャラバンサライ

最後にやはり世界遺産のイスタンブールの歴史地区について触れておきます。ピザンツ、オスマン帝国と約1000年もの間、首都として繁栄しただけにその建築群の華麗さに目を見張りました。1日かけて駆けずり回りましたが、やはり消化不良でした。

その中で歴代スルタンの居城であったトプカプ宮殿は博物館になっており、堪能しました。宝物館の財宝の一部は2003年に大阪歴史博物館で開催の「トルコ三大文明展」で鑑賞していましたが、エメラルド入り短剣はすばらしい輝きを放っていました。

陶磁器展示室では、日本の有田や伊万里、中国の宋、元の名品も数多く展示されていて見応えがありました。陶磁器コレクションだけで1万2000点もあるといいます。その富と権力が想像できるというものです。

宮殿に隣接するアヤソフィア聖堂は、ビザンチィン建築の最高傑作とされています。ギリシャ正教の大本山として建てられ、後にイスラム寺院に、そして現在は博物館として姿を変えてきたのです。仰ぎ見る大ドームには薄明かりの中、聖母子像が浮かび上がるように望めます。壁面のモザイク画は18世紀、すべて漆喰で塗りつぶされていたそうですが、20世紀になって発見され、歴史の闇から甦ったのです。

宮殿、聖堂と競い建っているのがブルーモスクの名前で親しまれるスルタンアフメット・ジャーミィです。直径27メートル超す大ドームに4つの副ドーム、30の小ドーム、そして6本のミナーレを持つ外観もさることながら、内部のタイルや敷き詰められた絨毯も見事です。さらに地下宮殿にも足を延ばしました。貯水池として築造されたといいますが、内部は列柱が林立し、天井などのレリーフも行き届いていてまるで竜宮城に迷い込んだ感じです。そのうち2本の柱の下に魔女・メドゥーサの顔が逆さや横になって支えていました。薄暗いライトに照らされ幻想的です。

トルコの旅を通して、世界遺産では石灰棚の奇観パムッカレ、ヒッタイトの王都ハットゥシャシュや、石積みと木組みの美しいサフランボルを訪ねました。そのほか遺跡だけでもベルガモンはじめ、ミレトス、ディディム、シデ、ペルゲ、アスベントスにも足を踏み入れました。

念願のシルクロードも通過し、コンヤからカッパドキアに向かう途中のキャラバンサライ(隊商宿)は大きな建物で当時の様子を伺うことができました。またアスベントスの円形劇場がほぼ完全な形で残っているのはキャラバンサライとして活用されていたからだと知り、隊商の旅を彷彿させました。

アジア大陸とユーラシア大陸にまたがる特異な国土を持つトルコは「東西文明の十字路」あるいは「東洋と西洋を結ぶ文化の架け橋」ともいわれ、近世まで常に歴史の表舞台にありました。それだけ興亡の荒波に翻弄されてきたともいえます。

バスツアーの車中、ウスクダラ、トルコ行進曲などの音楽を聞き、世界三大料理と自慢するトルコ料理に舌鼓を打ち、旅情を満たしてくれました。ただ不安定な政治状況や不穏な中東情勢の中で、今後の動静が気がかりです。豊かな歴史遺産を生かした国づくりをしてほしいと願わずにいられませんでした。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
「ぶんかなびで知った」といえば送料無料に!!
 

 

もどる