名画を決めるのはあなた

2006年12月20日号

白鳥正夫


木村重信氏
民族藝術学会会長、兵庫県立美術館名誉館長、大阪大学・京都市立芸術大学名誉教授

1925年京都府城陽市生まれ。1949年京都大学文学部卒業。京都市立芸術大学教授、大阪大学教授などを務め、国立国際美術館館長、兵庫県立近代美術館館長を経て、兵庫県立美術館館長。勲三等旭日中綬章、大阪府文化賞、京都市文化功労者、兵庫県文化賞。著書に「木村重信著作集」(8巻)など多数。

「勉強が頭の足しに、スポーツは体の足しになるように、芸術は心の足しになります」と唱える木村重信・民族藝術学会会長は、芸術学の権威者です。国立国際と兵庫県立の美術館長を長らく務め、一人で『世界美術史』(朝日新聞社)を著している。芸術の本質から民族芸術、現代美術まで幅広い見識を持っています。その木村先生には、朝日新聞社の企画部時代に兵庫県美の新築開館記念展「美術の力 時代を拓く七作家」の仕事を共催させていただくなど、これまで多くの指導と教示を受けてきました。また『アートへの招待状』(梧桐書院)を出版した際には、序文を寄せていただきました。そのご縁もあって、このほど大阪のリーガロイヤルホテルの文化教室で対談する機会を得ました。「アートへの招待」のテーマで、「美とは何か」「鑑賞の手引き」などを取り上げ、木村氏の見解を伺ったので、このサイトでも紹介します。(文中敬称略)

「心ここにありて」見る視点を

――日本では「美術館、冬の時代」といわれていますが、国民のアートへの関心は高いですね。このところルーヴルをはじめプラド、オルセー、エルミタージュ、ベルギー王立、ポンピドー・センターと、世界のメジャーな美術館の名品展が目白押しです。さらに海外旅行ではこうした美術館めぐりが定番です。エルミタージュには約300万点、大英博物館には約700万点の所蔵品があります。さらにポンピドー・センターのドイツ国境のメッスとアジア進出構想や、エルミタージュ美術館の米ラスベガスおよびアムステルダムに進出計画など国際展開の情報ももたらされています。アートが身近な時代、美術館に出向くのに際し、また美術館で作品を鑑賞するに当たって、どのように対応すればいいのでしょうか。


対談の木村氏(右)と筆者(大阪のリーガロイヤルホテル)

対談を熱心に聞く受講生

木村 白鳥さんの著書に紹介されていますが、フランス国立人類学博物館の入り口に掲げられている銘文に端的に示されています。そこには「それは、通り過ぎるあなた次第ですよ。私が墓場になるか、宝庫になるか、語るか沈黙するか、どちらにするかは、あなた自身が決めることです。友よ 欲することなく、ここに入ってはいけません」と。
  要は鑑賞者の働きかけがなければ、どんな立派な作品であっても、意味を持たないのです。日本では「心ここにあらざれば、視れども見えず 聴けども聞こえず」という言葉があります。例えば、生徒たちが修学旅行で、奈良では大仏さんの東大寺へ行きます。京都では三十三間堂の千体仏を見ます。しかし「大きいなぁ、たくさんあるなぁ」という印象しか持たないでしょう。「心ここにありて」見ていないからです。先生がちょっとヒントをだしたら違ってくるのです。大仏さんについては、「顔と体を比較しなさい」といえばいいのです。頭は戦火に焼かれて作り直されていますが、体は部分的に修復されていますが奈良時代のものです。連弁の毛彫りなど非常に優美です。顔は江戸時代のはじめに下手な仏師が作りましたから、扁平で、むしろ醜悪です。そういう風にちょっと意識して見れば、顔と体が全然違うということに気付くはずです。
  美しいものがここにあって、人間の目が鏡のように写し取るのではないのです。富士山は昔からあそこにありますが、富士山の美というのはどこにもない。人間がいて、富士山があって、その間に成立するのが美なのです。だからこそ昔から、北斎、広重、梅原龍三郎など、多くの人々が富士山を描いていても、二つとして同じ絵がない。つまり富士山はあるが、その美はその一人一人の目によって全部異なります。
  もっと分かりやすい例をあげると、赤い光と緑の光を一緒にすると、黄色になります。しかし赤い絵の具と緑の絵の具を混ぜると黒になります。この現象は外界でおこっているのではなく、目の中で、つまり混合興奮という生理的過程をへて、脳中枢の視領に伝達されてあらわれるのです。したがって、このプロセスに欠陥があると色は見えません。いわゆる色盲です。


ガラスのピラミッドの入り口があるルーヴル美術館

「鑑賞者が善し悪しを決める」

――日頃から疑問に思っておりましたが、鑑賞するということについて、小さい頃から、我々はあまり教育されていないように思います。私の小学生時代、図画工作では絵を描くことが勉強で、鑑賞については教育されなかった、思いがあります。学校教育の一環として、実物を見に行くということも、余りなかったように思います。そういうことが、大人になって絵画を見る時に、良い鑑賞が出来なくなっていることに繋がるのではないでしょうか。もっと幼いころから美術館に出向いて鑑賞教育を受ける必要性を感じています。
  展覧会を主催する際に、作者名や製作年、コメントなどのキャプションを付けますが、これには鑑賞の立場から問題があります。見学者は絵を鑑賞するより、キャプションばかりを見ている人がいるのですね(笑)。絵画をじっくり見るより、キャプションに気を配り、文字が小さいと苦情が出るほどです。
  国立国際美術館で開催の「エッセンシャル・ペインティング」の展覧会では、一切キャプションがありません。キャプションに変わるような小さな紙をいただいて、見るようになっていました。そうすると、絵の前に近づいてキャプションを読もうとする人がいませんから、絵をしっかり鑑賞することが出来るのです。これからは、これも一つの方法だと思いました。鑑賞についての見解を聞かせてください。


宮殿の華麗さをとどめるエルミタージュ美術館

木村 大変重要な指摘です。昔も今も芸術の世界というのは、作者がいて作品があって、鑑賞者がいるわけです。これは、物品の世界でも一緒です。制作者がいて、物があって、ユーザーがいます。ところが、近代芸術論では、作者と作品の関係がもっぱら論じられて、観賞者のことはほとんど問題にされていない。いわゆる個性万能主義的芸術観、つまり自らの魂を救うという最も利己的なことが、最も芸術的だという考え方が非常に強くなっています。鑑賞者は置いてけぼりです。今回のテーマの「アートへの招待―名画を決めるのは、あなた」というのは、まさにそうあるべきということなのです。鑑賞者が善し悪しを決めるのであって、作者が決めるのではないということです。
  アートというのは、ラテン語のアルスから来ているのですが、(スペイン語やイタリア語ではアルテとなります)、この言葉は、物を作り出すこと全てを指すのです。芸術、技巧、技術。ところが、ルネッサンス時代になりますと、レオナルド・ダ・ビンチとかミケランジェロとか、偉い作家が出まして作品にサインをするようになる。そうしてアートが芸術と技術にわかれたわけです。そして芸術はファインアート「美しい技術」と呼ばれるようになりました。つまり、その辺の日常品と芸術品は違うんだと、大文字で単数の「ART」になったわけです。それ以外は、小文字の複数の「arts」になりました。この間がどんどん広がって、19世紀になると「芸術のための芸術」になってしまったのですね。
  このような考え方を大きく変えたのが、作品と鑑賞者の関係に重点を置いたマルセル・デュシャンです。「アート」と「アーツ」の分裂があまりに大きくなったので、両者をもう少し近づけようという考え方が、芸術の世界では強くなってきています。

多様な対応求められる美術館


彫刻が街に溶け込むイタリア・フレンツェの街角で演奏を楽しむ若者(ウフィツィ美術館近くの広場)

――今、「アート」として、作者が伝えるものを送り手側がどういう形にしていくかということが問われると思います。ロバート・ラウシェンバーグという現代作家は、組み合わせ、いわゆるガラクタ廃物利用の組み合わせ絵画を作り出していますが、見た人たちは、これを美しいとは思えません。しかし作者が何を語りかけているのかということを読み取ることが大事だと思います。「美」を理性で読み取るのか感性で捉えるのかということですよね。そこが大きな課題であると思います。感性で捉えると同時に、理性で捉えるということが必要になってくると思います。現代美術というのは、余り馴染みがないでしょうが、食わず嫌いになってはいけない、多様なアートに触れてみるということが大切だと思います。現代美術には作者の深いメッセージが託されています。「美術の力」ということについて、お話を伺いたいと思います。


マルセル・デュシャンの作品「泉」

木村 「美術の力」ということですが、本質的には「芸術とは何か」ということですね。とても一口ではいえませんが、こんな話をしましょう。もしこの世に芸術がなかったらと想像して下さい。大部分の人たちは衣食住の余裕から芸術が生まれると思われているかも知れませんが、そうではないのですね。
  例えば、アメリカが発見されて、アフリカから大勢の人々が奴隷として運ばれて行きました。1500万から2000万人といわれています。そのほかにアフリカでも大西洋上でも大勢が死んでいます。そしてアメリカに着いてからも、実に劣悪状況で働かせられました。人間の尊厳は全て剥奪され、残ったのは歌と踊りだけです。憤りを歌や踊りで表現したのです。それがジャズやサンバやタンゴの原型になった。このように、人間から人間らしさを取り上げていくと、最後に残るのは芸術なのです。
  我々の祖先であるホモ・サピエンスが現れたのと同時に、洞窟壁画などの絵画彫刻が現れた。それ以前のネアンデルタールにはありません。楽器も随分残っています。芸術が根源的に持っているそういう力というものを考えていただきたいのです。

――鑑賞は自分流にやればいいと思います。私なりの鑑賞術は、権威や先入観で見ないこと、言い換えれば「他人の目より自分の目で」ということです。そして好みに応じて見る順番と時間を配分すればいいのですが、興味を狭めるのは損です。「広くできれば深く」がのぞましいと思います。さて行政は財政が逼迫してくると、文化から切り捨てます。これからの美術館に求められるものをどのように考えたらいいのでしょうか。


美術館としての機能以外に図書館やレストラン、ブックショップ、映画館といった多くの機能があるポンピドー・センター

木村 歴史的にいって、戦前の美術館は「参拝の為の」美術館でした。仏様を拝むように、立派な美術品を拝みに行ったわけです。ですから美術館の場所も公園の中とか、郊外の閑静なところに置かれました。 戦後は、「奇蹟の」美術館となりました。どういうことかというと、一般に公開できないような非常にエロティックな作品も美術館の中なら展示できる。これも、美術館が社会に対して余り影響力がないからできたのです。ところが、1977年にポンピドー・センターができてから、人々を楽しませるという性格が強くなってきました。amuseumです。aは従来のmuseumを否定する意味をもち、またamuse(楽しませる)という意味をもちます。そのことで美術館が随分変わりました。またmuseum、つまり博物館は博く物を集める館を意味しますが、私は「博情館」を提唱しています。博く情報を集め、発信する館です。行政は美術館を単なる美の殿堂から多様なニーズに応えるamuseumとしてとらえ、展開すべきでしょう。

――最後に、文化・芸術というものが、我々人間にとってどうして必要なのか、ということを伺いたいと思います。

木村 勉強が頭の足しに、スポーツが体の足しになるように、芸術は心の足しになります。阪神・淡路大震災で傷ついた人びとの心を癒し鼓舞するために、新しい兵庫県立美術館が建てられました。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
「ぶんかなびで知った」といえば送料無料に!!
 

 

もどる