「ポンペイの輝き」展を見る

2006年12月5日号

白鳥正夫


ポンペイ遺跡の中央広場からユピテル神殿と背後のヴェスヴィオ山を望む(2004年4月撮影)

噴火によって埋没した都市ポンペイを訪れたのは2004年4月でした。1900年以上も前にタイムスリップしたような気分になったことを鮮明に思い出します。その遺跡の街を歩く時、古代ローマ人の栄華に驚愕し、一方で自然災害のすさまじさに戦慄を覚えたのでした。発掘された壁画や宝飾などの出土品、被災者の姿を型どりした石膏などを展示する「ポンペイの輝き 古代ローマ都市 最後の日」(朝日新聞社など主催)が、来年1月21日まで、大阪・サントリーミュージアム[天保山]で開催されています。

200年を経て今も続く発掘

まずポンペイの史実ですが、文献によれば、79年8月24日昼過ぎに、300年の眠りから目覚めたヴェスヴィオ火山が大音響とともに噴火。周囲の住民約2万5千人の頭上に、火山灰や焼けた小石が降り注いだのでした。さらに火砕流や火山灰に混じった高熱の有毒ガスは、逃げ惑う人々に襲いかかり、2千人以上の命を奪ったのです。その後3日間にわたって、6メートル以上もの火山灰が降り積り、ポンペイの街は、灰の下に埋もれてしまいました。


照明が落とされた展示会場。壁画とその前に横たわる抱き合う被災者の石膏の型どり(サントリーミュージアム[天保山])

以上のような記録は文書や碑文にはっきり銘記されているにもかかわらず、次第に人々の記憶から忘れさられたのでした。ところが18世紀に入って、ここに別荘が建てられるようになり、井戸を掘っていて、古代の彫像や円柱などを発見したのです。1748年にナポリのカルロ王(後のスペイン王カルロスV世)が発掘物を王宮に運ばせ、注目を集めたそうです。

こうしたポンペイの栄光と悲劇に関心を寄せたのは、1997年にユネスコがポンペイと周辺地域の遺跡を世界遺産に登録したからでした。数多くのメディアで紹介されたので、興味深く目を通していました。その頃、シルクロードの旅で侵略者によって滅び残骸をさらす遺跡を数多く見ていただけに、現地の遺跡を訪れたいとの思いに駆られたのでした。

その後、「日本におけるイタリア年」が開かれた2001年、記念事業の一環として「ポンペイ展」(朝日新聞社など主催)が巡回開催され、最初の会場になった江戸東京博物館に出向き、半日かけて見学したのでした。発掘された壁画断片や粘土細工、金属、ガラス製品など芸術品と生活用具が展示されていました。高度な文明を持った都市が、邪馬台国の卑弥呼が登場する前の倭の時代に、こつ然と姿を消した事にあらためて驚かされたのでした。


アマゾンの頭部(ポンペイ考古学監督局蔵)

金庫(ポンペイ考古学監督局蔵)

それから3年も経たないうちに、現地を見ることができ感慨深いものがありました。発掘は200年以上経た現在も様々な形で引き継がれており、ガイドの話だと「まだ三分の二ほど終えたぐらいでしょうか」とのことでした。遺跡から出土した無数の遺品は、古代のこの地域の繁栄を伝え、時空を超えて、その輝きをよみがえさせます。

周辺の遺跡からも数々の遺品

その強烈な印象が残る中、今回の展覧会開催でしたので、第一会場となった東京・Bunkamura ザ・ミュージアムに続いて大阪会場の内覧会にも駆けつけました。出展品はこの20−30年間に発掘した出土品の中から優れた壁画や彫像、宝飾品など約400件で、ほとんどが日本初公開との触れ込みです。2003年にナポリ国立考古学博物館で開かれた展覧会「STORIE DA UN‘ERUZIONE(噴火の物語)」を皮切りに世界各地を巡回し、今後も北京と上海、アメリカなどで開かれる予定です。

この展覧会では、ポンペイだけでなくヴェスヴィオ火山周辺の遺跡にもスポットをあて、ポンペイ考古学監督局を中心に進められてきた最新の研究成果が盛り込まれているのが特徴です。近年、発掘調査が実施されたモレージネ遺跡やテルツィーニョ遺跡を本格的に紹介するのは、今回が初めてです。

最初のコーナーである「エルコラーノ」は、ヴェスヴィオ山の西7キロほどにあり、周囲を山と海に囲まれた風光明媚な土地でした。ポンペイが主に商業の街であったのに対し保養地として知られ、ローマの貴族階級が別荘を構えた地域です。

主な展示では、全長250メートルにおよぶ別荘のパピルス荘で見つかったアマゾンの頭部やヘラ像、宝石細工師の工房にあった彫玉、船倉庫の犠牲者のそばで見つかった金製の宝飾品などです。手術道具の入った箱や剣も出土していて、犠牲者の中に医者や兵士がいたことを示しています。目を引くのがアマゾンの頭部やヘラ像で、いずれも模刻品と考えられているそうですが、ローマ時代にこれだけ優れた作品を別荘に飾る貴族の生活をしのび興味が募りました。


スキュフォス形の杯(ポンペイ考古学監督局蔵)

葉飾りが付いた首飾り(ポンペイ考古学監督局蔵)

次いで「オプロンティス」は、やはりポンペイの郊外の田園地帯で、オリーブ油やブドウ酒の生産拠点であり、別荘としての住居機能をもつ建物が点在していたとのことです。金貨や宝飾品など、この別荘で犠牲になった人々の所持品が展示されています。とりわけかつて犠牲者が大切にしていた宝石類が入っていたと思われる金庫はとても立派です。木製ですが、表面は鉄と青銅などで装飾が施されています。前面に獅子の頭部があり、口に取っ手の輪が付き、その下の四角い装飾パネルには、金銀象嵌細工で、何かの顔と唐草文様が鮮やかに施されています。

三つ目のコーナーは「テルツィーニョ」です。ヴェスヴィオ山の南東の斜面に位置しており、ポンペイから約6キロ離れた地区です。1980年代に発掘が開始され、3つの別荘が見つかっています。ここでは1993年から2003年にかけての調査で出土したフレスコ壁画のほか、金製の装身具や銀製品を展示されています。壁画は食堂に描かれたもので、儀式の場面を表したとされ、赤字に人物が描かれています。スキュフォス形の杯や葉飾りが付いた首飾りも必見でした。

最後のコーナーが「ポンペイ」です。この都市の起源は紀元前6世紀までさかのぼることができ、前1世紀にローマ帝国の支配下に入り、繁栄しました。当時の人口は1万人を超え、劇場や円形闘技場、公衆浴場などが整備された街で、噴火の直前まで人々は平穏に暮らしていたのです。

1年半前、私は約2時間かけて、遺構が残る「過去の世界」を歩いたのです。その保存状態の良さに感嘆するばかりでした。2000年も前に水道や舗装道路などの公共施設を設け、建物を整備し、都市を形成、豊かな社会を求めた古代人の知恵に驚かされ通しでした。その建物跡から一日の労働の疲れを浴場でいやし、劇場で芝居を楽しみ、絵画などの芸術を好み、市場で買い物をした市民生活の様子を十分知ることができました。


アポロ像(ナポリ国立考古学博物館蔵)

このポンペイからは市内16カ所で発見された壁画や彫像、宝飾品など約200件が展示されています。劇場の柱廊の建物跡から出土した剣闘士の兜や肩あて・脛あて、盾や剣などもデザイン的に精巧なものでした。またメナンドロスの家から出土したというアポロ像はほぼ原型をとどめています。さらに金製のブレスレットやネックレスをはじめ、居住空間を華麗に飾った品々から当時の贅沢な暮らしぶりがうかがえます。

このほかポンペイの南側の「モレージネ」地区は1959年、高速道路工事中に遺跡が発見されたのでした。ヴェスヴィオ山が将来的に噴火した場合の避難路を確保するため遺跡は一度埋めもどされましたが、1999年から2000年にかけて再調査が実施されました。建造物は食堂が並ぶ地域と、浴室分から構成されていることがわかり、3部屋ある食堂の壁面を飾っていたフレスコ画を取り外し、修復された食堂を飾った3面の壁画が公開されています。色彩が鮮やかに残り、中でも最も美しい壁画として注目されているのが北壁の壁画です。中央に竪琴を弾くアポロが描かれ、図録の表紙にも採用されています。


ヘビ形の腕輪(ナポリ国立考古学博物館蔵)

竪琴弾きのアポロ(部分、ポンペイ考古学監督局蔵)

栄光と悲劇の舞台から教訓

展覧会会場をめぐりながら、現地を歩いたことを思い起こしました。ポンペイと周辺の地区は青く輝くナポリ湾に臨み、背後に火山がそびえる大地に広がっていました。豊かな自然と肥沃な土地に恵まれたこの地が、大噴火に見舞われ、一瞬にして変容したのです。その後1700年近くも歴史に埋もれた都市が、19世紀初めになって発掘が始まり、ほぼかつての街並みが蘇ったのでした。

まるでタイムカプセルの世界へ足を踏み入れる感じで遺跡を歩きました。公共広場を取り囲むように神殿や市場、市の施設が建っていました。その正面に凱旋門と台座しか残っていませんが、ユピテル神殿跡がありました。その背後にヴェスヴィオが位置していました。悲劇の起こった日、人々はここに集まってきて、日ごろ崇めていた山が火を噴き上げる光景をどんな思いで見上げたことでしょう。

もっとも衝撃的だったのは、今回の展覧会にも数多く展示されていますが、被災した人間の石膏像でした。火山灰に埋まった犠牲者の遺体が朽ちると、骨だけ残るが遺骸の中が空洞になっていたのです。そこへ石膏を流し込むと、当時の遺体の様子が石膏型となって再現されたわけです。

火山灰から逃げるのをあきらめ横たわり前かがみになった被災者の姿が、当時の惨劇をリアルに伝えます。ある建物の中では、避難していた50数人が折り重なって見つかっています。妊婦の石膏像もあり、いたたまれない気持ちになったものです。

近年の発掘調査は、考古学だけでなく火山学や地理学、人類学など様々な専門分野を総合して分析されています。現代の科学によって人類史上最大規模の火山災害の全容と解き明かそうとしています。


ポンペイ考古学監督局の代表者らも出席した開幕レセプション

ポンペイは2000年の時を経て掘り出された「人類の宝もの」であり、世界遺産にふさわしいものです。圧倒的なスケールで、そこに住んだ人たちの営みなど古代人の世界を見ることができるからです。古代の街は、現代に生きている者に様々な感懐を抱かせました。かつて人々の生きた痕跡を確認するたびに、その知恵や感性に心が動かされました。

しかしそこで起こった悲劇を思わずにいられません。地震など自然災害とは無縁ではない日本人にとって、厳しい自然と共存していることを教えられたように思いました。「ポンペイの輝き」展は、私が受け取った古代ポンペイに生きた人々からのメッセージを確認する展覧会でもありました。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
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第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

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アートへの招待状
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発行:梧桐書院
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発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
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発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
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内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
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発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

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