白鶴美術館秋季展に寄せて

2006年10月5日号

白鳥正夫


城郭風の白鶴美術館本館

一点一点陳列ケースに収められた展示室

「皆様、スローフード運動という言葉をご存知でしょうか。画一的でなく、その国、その土地にしっかり根づいている世界中の多様な味を大切にしようという運動です。故郷(ふるさと)に誇りを抱き、異文化に深い理解を示す人々が生きる世の中の実現を理想にしています」。島村菜津さんの『スローフードな日本』(新潮社刊)から引用した文章の書き出しで綴られた案内状をいただきました。これは白鶴美術館で12月3日まで開催の秋季展「中国青銅器―3000年の時を超えて―」の文面なのです。要は味と言う言葉を美術作品等のいわゆる文化財に置き換えてもそのまま通用するのでは、との意図です。美術の秋、国宝・重要文化財の逸品を含む中国と日本の古美術コレクションを所蔵する白鶴美術館を訪ねました。

六甲の山を背に城郭風の本館

白鶴美術館は神戸市東灘区にあり、六甲の山と神戸の海に挟まれ、「清流の道」の名で親しまれる住吉川の上流部の閑静な環境に立地しています。築70年を超える城郭風の美術館本館は、山肌に石組堰堤と鶯色の銅葺屋根の建物が映え、一見の価値があります。さらに木々の美しい庭を有し、散策を楽しめます。ただし開館は春季(3月中旬から6月初旬)と秋季(9月上旬から11月末ころ)で、テーマを変え企画展が行われます。


「饕餮き龍文方ゆう」(とうてつきりゅうもん ほうゆう)、殷時代

白鶴酒造7代目嘉納治兵衛が昭和6年に設立、9年に開設した私立美術館の先駆けです。治兵衛は幼少の頃から古美術品に親しみ、婿養子として嘉納家に入ってから、茶の湯とともに審美眼を高め、青銅・銀器、陶磁器をはじめとする中国古美術や奈良・平安から江戸に至る経巻や絵巻、屏風絵、掛軸などの日本画等を蒐集しました。現在では治兵衛歿後の収集品や、開館60周年記念として中近東の絨毯を展示する新館も併設しています。

白鶴美術館といえば、忘れられない思い出があります。1999年4月に遡ります。当時、朝日新聞創刊120周年記念事業として「シルクロード 三蔵法師の道展」開催に向けて邁進していました。奈良県立美術館での開幕を約2ヵ月前にして、借用予定の中国からキャンセルを通達されたのでした。展示リストの約5分の1を占める50余点を当て込んでいたため、私の人生にとっても最大の試練に立たされたのでした。


「饕餮き鳳文方尊」(とうてつきほうもん ほうそん)、西周時代

監修者の百橋明穂・神戸大学教授と、奈良県立美術館の宮崎隆旨副館長(現館長)らと善後策を協議し、「三蔵法師が誕生した中国から出品されないのは何とも残念」だが、「この展覧会は、三蔵法師ゆかりの作品で構成しているわけではない」との認識で一致したのでした。三蔵法師のたどった道をとらえ、わが国への影響など幅広いテーマをかかえており、代替のものを国内で借り受けることにしたのです。

こうした判断を踏まえ、まず国内にある唐代の名品を調査しリストアップし、出品交渉をすることにしました。そこでまず訪ねたのが中国の名品コレクションで知られている白鶴美術館だったのです。応対にあたっていただいた山中理学芸課長は静かな人でした。「出来る限り協力しましょう」とのありがたい言葉を受け、ほぼ希望リストの了解が得られたのでした。


「鳥形ゆう」(とりがたゆう)、西周時代

急な申し出に関わらず「鍍金狩猟文六花形銀杯」(ときんしゅりょうもんろくかがた ぎんぱい、唐時代)など重文3点を含む17点もの借用ができたのです。その後、奈良国立博物館、京都国立博物館のほか、大阪市立東洋陶磁美術館、大阪市立美術館、黒川古文化研究所、東京の永青文庫、静嘉堂文庫、五島美術館から借り受けることができ、無事、展覧会を開くことができたのでした。

3000年前に奇抜なデザイン

「地獄に仏」となった山中学芸課長の案内で、秋季展を見せていただきました。冒頭の案内状にも書かれているように、隣国・中国の古代文化の精髄にゆったりと触れられる、まさにスローカルチャー運動として位置づけられる内容でした。展示品は商(殷)周青銅器の名品ばかりで、一点一点、味わい深く鑑賞できます。

展示品はいずれも3000年も前に作られているのですが、そのデザインの奇抜さには感嘆します。と同時にこうした青銅器に関心を抱き、入手したコレクターの眼にも敬意を表したいと思いました。


「象頭じこう」(ぞうとう じこう)、殷時代

青銅器は、考古学上の時代区分にもなっており、石器時代に次ぎ、鉄器時代に先行するのです。現代の生活において陶器や漆器、ガラス器などと比べ、なじみがありませんが、「鼎の軽重を問う」の諺が使われたり、また緑青の存在はよく知られています。

美術館のパンフレットによると、その鋳造は殷前期(紀元前1600年頃〜1500年頃)の文様のない爵に始まり、殷中期(紀元前1500年頃〜1300年頃)に入ると、酒器など祭祀などで使用する様々な用途に作られます。そして殷後期(紀元前1300年頃〜1050年頃)に最高潮に達します。

西周前期(紀元前1050年頃〜950年頃)に移ると、酒器と共に穀物を盛る食器も多く作られます。文様も二つの眼を中心に奇異な獣面文様の饕餮文(とうてつもん)から鳥などをあしらったものなどに変化します。さらに殷後期から周時代にかけ銘文が見受けられ、次第に族長の功績などを書き留めたものが出現します。器の底に記されていますが、詳しく解説されていて、とても興味深いものです。


「銀貼海獣唐草文八稜鏡」(ぎんばりかいじゅうからくさもん はちりょうきょう)、唐時代

「金製蝉文飾」(きんせいせみもんかざり)、六朝時代

代表的な展示品の「饕餮き龍文方ゆう」(とうてつきりゅうもん ほうゆう)は殷時代の作品で重文です。『ゆう』とは祭祀に用いられた盛酒器で、長く美しいカーブを描くつり手があり、半球形の蓋が着装されています。「饕餮き鳳文方尊」(とうてつきほうもん  ほうそん)は西周時代の重文です。これも酒器で、口縁が広円形です。器内底に2行6字の銘文があり、同銘が根津美術館とシカゴ美術館にも所蔵されているそうです。

「鳥形ゆう」(とりがたゆう)は西周時代の酒壺です。丸い目を見開き、太く逞しい嘴、ふくらみののどはユーモラスな形体です。一方、「象頭じこう」(ぞうとう  じこう)は殷時代の作品で重文です。象のように長く曲がった鼻を持つ禽獣の頭と背が蓋になっているのが特徴です。

このほかにも重文の「鍍金花鳥獣文銀杯」(ときんかちょうじゅうもん ぎんぱい、唐時代)はじめ「銀貼海獣唐草文八稜鏡」(ぎんばりかいじゅうからくさもん はちりょうきょう、唐時代)、「金製蝉文飾」(きんせいせみもんかざり、六朝時代)など見ごたえ十分です。

会場を回っていると、「シルクロード 三蔵法師の道展」の際、急場しのぎで借用した「鍍金狩猟文六花形銀杯」も出品されていました。さらに期間中の10月22日午後2時からには、監修者の百橋・神戸大学教授が「シルクロードと古代日本」の講演をされます。すっかり7年前の苦い思い出が、懐かしくよみがえってきました。

金工にも作者の人間的な表現

白鶴美術館の支え役、山中課長のことも触れておきたいと思います。7月に届いた封書に一文が添えられていました。「喜谷美宣先生古希記念論集」に寄稿した文章で「心が温かくなる作品を求めて」と題されています。喜谷先生は長らく神戸市立博物館の学芸課長として活躍され、私も朝日新聞社時代に「装飾古墳展」や「沙漠の美術館 永遠なる敦煌展」などで何かとご指導をしていただいた方です。

さて山中課長の寄稿文にも、例の「鍍金狩猟文六花形銀杯」(高さ5.4センチ 口径8.7センチ)のことにつて以下のように書かれていました。

6曲面の一つでは穂先に覆いを被せた槍を持った騎馬の狩人が、何事が起きたのかと後を振り返っています。その先には右方向へ投げ縄を回しながら馬を走らせている狩人が表されています。でも、先ほどの狩人が気になるのはどうやら別のもののようです。投げ縄を持った狩人の下に2頭の雌鹿がいます。どうやら追われて逃げているのですが、後の1頭はとうとう下半身に矢を射込まれ、倒れ込んでいます。苦しそうに頸を反らせ、口を開けて舌を覗かせています。恐らく槍を持った狩人は鹿の悲鳴に思わず後ろを振り返ったのでしょう。これは私の恣意的な判断であって感情移入しすぎなのでしょうか。


重要文化財 「鍍金狩猟文六花形銀杯」唐時代

一つの作品から物語が紡がれています。最後に山中課長はこう伝えています。「作者の表現対象に注ぐ眼差しの温かさです。温かい血の通う人間が作ったものだということを、私たちに訴えてきます」。そして「このような喜びを来館者の方々と分かち合いたいと常々念願しています」と結んでいます。

白鶴美術館では約1400点の所蔵品を、春季と秋季にそれぞれテーマを変えながら展示していますが、他館から借りて展示するわけではないので、どうアレンジしていくのかが課題です。そこが山中課長の苦労でもあります。前段の文章は、人間の心とは関係がないと思われがちな金工作品にも細部にこだわれば、作者の深い思いが宿っていることを強調しています。

そんな山中課長も美術館勤めを始めて数年は、作品の奥深さに気づかなかったと述懐しています。今では「世界でも屈指の唐代の銀器コレクションは宝の山です」と、その表現世界の探求に心躍らせているのです。


展示品の解説をする山中理・学芸課長

白鶴美術館では、道路を隔てた隣接地の、日本で初の絨毯ミュージアムとなる新館ものぞいてみました。照明を落とした館内には、イラン・トルコ・コーカサスなど中近東の絨毯が数多く展示されています。民衆の汗で織り成した見事な芸術品です。このほかアフリカの仮面や彫刻も展示されています。

この秋、関西は「大型企画展」ラッシュです。プラド美術館展(〜10月15日・大阪市立美術館)、ルーヴル美術館展(〜11月5日・京都市美術館)、オルセー美術館展(〜07年1月8日・神戸市立美術館)が競演しています。しかし身近にある白鶴美術館の名品にふれるのも逸興だとの思いを強く持ち、美術館を後にしました。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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