「神の島」沖縄・久高島の旧正月

2004年2月5日号

白鳥正夫

 新年も2月に入りましたが、今年の「お正月」を2度体験しました。
 大阪府下に在住の私は、今年も賀状書きで年越し、おせち料理をいただき住吉大社で初詣でといった型どおりの新年を過ごしました。ところが旧正月に「久高(くだか)に帰る」と表現する大阪出身の知人に誘われ、沖縄本島から船で渡る小さな島に行ってまいりました。沖縄・久高島は琉球開闢(かいびゃく)、五穀発祥の聖地とされる神秘に満ちた島でした。ここには都会人が忘れかけた文化本来の原型が息づいていました。
 一行8人は1月21日、伊丹から那覇空港にひとっ飛び、ジャンボタクシーで約40分、安座真港に着きました。そこから一日5便の連絡船に乗って30分足らずで目的の島の徳仁港へ。行きの船は旧正月を故郷で過ごそうとする者や、私たちのように物見遊山のよそ者らであふれていました。この時期、列島は寒波に襲われており、南国のはずが寒さに震える始末。念のため持ち込んでいたセーターを着込むほどでした。
 明けて22日、島で唯一の宿である久高島宿泊交流館で宿の人や泊まり合わせた旅の人たちと、時期はずれの「明けましておめでとうございます」。7時18分の初日の出は悪天候で断念、あまりの寒さに布団に逆戻りしました。再び眠りにつきましたが、どこからともなく流れてくる三線(さんしん)の音。引き寄せられ赴いた所は、外間(ふかま)殿と呼ばれる祭場。そこでは島の人たちが一年の健康祈願をする盃事が行われていました。

大晦日、久高島の食堂では
土地の漁師の三線に合わせ、
 観光に来た若い女性らの
踊りの輪ができた
元旦には島びとたちが
神職から盃事で
1年の健康祈願


 殿(トゥン)では、島びとたちが2人一組になり、祭事をつかさどる外間ヌル、根神(ニーガン)や居神(ギイガミ)らの前に進み、決まりごとに従い泡盛の盃を交わす。これが終わると、庭に出て来て、三線と太鼓の囃子に合わせ、手を振りかざしカチャーシー舞いをします。庭では島の人らが泡盛にイモと魚の料理を味わいながら、談笑し、舞いに合わせ手拍子を打つといった島ぐるみの正月行事が延々と繰り広げられます。
 これらの盃事に使う酒や食べ物はすべて島々や本土からの来訪者らの供出(ハカイメー)でまかなわれています。島に住む者は、男は漁師に、女は農作業に就きますが、年々出稼ぎも増えているそうです。三線奏者になった島出身の茶髪の若者もいて、腕前を披露していました。魔除けのシーサーが設置されている石垣に囲まれた家々には日の丸国旗が掲げられ、今なお陰暦での正月を祝っているのです。
 翌23日の正月2日の朝は天候も回復しました。この日は島の神職の一人である真栄田苗さん(64歳)に案内していただき、最北端の岬までハイキングしました。途中、五穀の種が入った黄金の壷が流れ着いたという伊敷浜で、朝日を拝しました。島の人はこの浜で3個の石を拾い、家に持ち帰りお祈りをし、翌年に浜に返す習わしです。3個は天と地と海を表し、自然の恵みに感謝の気持ち捧げるそうです。

三線と太鼓に沖縄民謡で
祭事を盛り上げる奏者たち
盃事を終えた島びとらは、
にぎやかな囃子に合わせ舞う


 伊敷浜は数ある遥拝所の一つで、アマミキヨが降臨して創った琉球開闢七御嶽の第一の霊地とされるフボー御嶽は男子禁制の地です。この島は「女が男を守るクニ」とされてきました。1978年を最後に途絶えましたイザイホーは12年に一度、午年の旧暦11月15日から5日間かけて行われた神事です。30歳以上の女性が巫女になる厳かなる儀式で、「神の島」と言われる由縁も納得がいきます。島の人々の祈りは、まず地球上のすべてに、次に子孫の未来へ、そして最後に自分のことをお願いすると聞きました。
 困った時の神頼みで、神社でもお寺でも、ともすれば自分の幸せだけを祈る信仰心の薄い私たちとは雲泥の差です。この島には信号機が無ければ警察官も居ません。大きな島の出来事は、正月はじめ島ぐるみの年中行事なのです。人口200余人の島は、現代社会に失われたコミュニティ社会を築いているのです。もっとも驚くべきことは、この島には、土地の私有は認められていないことです。相互扶助的な総有制度になっていて、細切れの畑は一定年齢期限だけ耕作権が与えられる地割り制度になっているのです。
 正月2日には浜辺で漁師たちが車座になって「初興し」といった祝事の習わしもあります。新年の大漁を願っての行事です。ここでも三線と太鼓、そして沖縄の祝い歌が披露されます。昼前から集い始め夕刻まで飲み歌い踊るのです。近年はこうした島の行事に旅の人も参加します。一度来て忘れない思い出となった若い女性らがリピータとなるのです。
 ちなみに私を誘ってくれた50歳半ばの男性は、島のおばあさんから「いつ帰ってくるね」と尋ねられ、まるで故郷に帰る思いで、島への旅は約50回を重ねたといいます。初めて訪ねた私にも、漁師や古老たちも気軽に声をかけてくれます。昔は島びとたちだけの生活の場に新たな波が押し寄せています。

島に数ある遥拝所の
一つである伊敷浜。
前年に祈願のため
持ち帰った石を返し
できた小さな山
正月2日には漁師らが
集まって大漁祈願の酒盛り。
旅人たちも自由に
参加し飲み、語り踊る


 過疎化が進み3年前、中学生が2人となり、廃校の危機に追い込まれました。こうした時期に、琉球大学で学んだ横浜出身の男性が「新しき村」の実践活動として、留学の話を持ち込んだのでした。私が宿泊した交流館に現在、小学生2人と中学生9人が共同生活をしながら島の学校に通っています。半数ほどが都会での不登校生です。
 留学センター代表の坂本清治さんは、単身赴任での生活です。夏休みなどの休暇を除くと24時間ほぼ子供たちとの触れ合いの生活です。「自然いっぱいの島で、素直でピュアな子に接して幸せを感じます。島の受け入れ態勢も整ってきました。この春には寄宿舎も完成します」と話していました。
 わずか5日間の生活でしたが、この地には心をいやす不思議な魅力がありました。何でもおカネで買える時代に、もっと大切な精神世界があることを認識させてくれました。
 あら玉る年に 炭(たん)とくぼかざして
 心から姿 若くなゆさ
島に伝わる古謡「旧正月元旦の唄」の歌詞です。
帰路、連絡船の甲板から遠ざかる島に「ありがとう」と声をかけずにはおれませんでした。


しらとり・まさお
朝日新聞社大阪企画事業部企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から、現在に至る。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。


新刊
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたち平山郁夫画伯らの文化財保護活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者の「夢しごと」をつづったルポルタージュ。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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