漆の革命者、角偉三郎遺作展

2006年8月20日号

白鳥正夫


主のいなくなった山中で草木に囲まれた門前のアトリエ「逗ヤ房」(2005年12月)

漆産地・輪島に「かたち」を追い求めた職人、角偉三郎さんがいました。和倉に角偉三郎美術館が開設された昨年、65歳で急逝されました。角さんとは10年来のお付き合いがあり、企画展の実現は私の宿題でもありました。死の直前、病床から代表作を集めた回顧展に期待し、自ら作品リストを作成していましたが、遺作展となってしまいました。作家から職人の道に回帰した「漆の革命者」でもあった角偉三郎遺作展は8月24日から9月5日まで大阪・京阪百貨店守口店で開催されます。

漆芸作家から職人の道に回帰

角さんは1940年、漆の一家に生まれました。父は塗りの下地職人、母は蒔絵職人で、15歳の時に沈金師・橋本哲四郎さんに師事します。20代の前半から沈金の技法を生かした絵画的なパネル作品を手がけます。


アトリエの書斎でくつろぐ角偉三郎さん(2005年12月)

1962年に日本現代工芸美術展で初入選、64年には日展で入選し、早くから頭角を現わします。1978年に日展で漆パネル「鳥の門」が特選を受賞するなど17回も入選し、40歳までは日展作家として活躍しました。

順風満帆の角さんに、宿命的な転機が訪れます。石川県・柳田村(現能登町)合鹿で土地に伝わる椀と出合ったからです。合鹿椀は山村の民が自身で使うために作った一回塗りの素朴なものでした。質素で粗野な椀の味わいに魅せられた角さんは、使われる道具としての「漆の原点」に価値を見出したのです。

漆という素材を活用した表現世界から、漆という素材が一番生きる生活の中に存在する器への回帰でした。40歳の頃から日展などへの出品をやめ、漆芸作家の肩書を捨てたのでした。角さんの作品には、銘がありません。五つの朱点が配され、それを線で結んでいます。


和倉の角偉三郎美術館の展示場(2006年4月)

こうして角さんは美術品を生み出す作家から、生活と密着した職人へ逆流したのでした。漆芸の姿勢だけではなく、その手法においても独自性を追求しました。10回近くも重ね塗りする輪島塗の伝統を否定し、新しい造形世界をめざしたのです。合鹿椀を乗り越える精進を続けたのです。それが職人になっても、「輪島に角あり」と一目置かれ、国内外で高い評価を受けてきたのです。

1994年にはドイツ・ベルリン国立美術館で、東山魁夷に続き日本人として二番目の個展が開催されました。作品はベルリン国立美術館はじめ英国のヴィクトリア・アルバート王立美術館、フランスのパリ民俗学博物館などでも所蔵されています。

椀や鉢、盆や膳、重箱など日常使われる器を、手で漆を塗る独特の手法で制作しました。近年は曲がっていて無用とされたヘギ板で皿を作ったり、何枚かを寄せ木してテーブルやオブジェにするなど、新境地を拓いてきました。


合鹿椀

盃各種

今回の展覧会には、独特の素手で文様を付けた盆をはじめ、漆を手でつかみたたいて幽玄の味わいを醸す皿や桶、さらに合鹿椀はじめ椀、銚子、膳、櫃など際限なく「かたち」にこだわった80点余が出品されます。

とりわけ歿後、アトリエになどを調査した際に作家時代の漆パネルの作品が遺されていました。ほとんど本人も忘れられかけていた作品もあり、「ザクロ」や「浜辺」「海」など6点が特別に出展されます。また独自のヘギ板で制作した屏風や盤も出されますが、特別注文で3つしか制作しなかった朱塗ヘギ板盤も展示されます。さらに晩年に仕事の合間で手がけた書の作品も額装や軸装、屏風など11点を見ることができます。

ミャンマーで手塗りに感動

私が角さんに初めて会ったのは、朝日新聞金沢支局長に着任した1991年のことです。輪島市では1988、89年に「うるし文化フォーラム」が開催されていました。輪島漆器商工業協同組合、石川県、輪島市に朝日新聞社も加わって主催したのでした。企画から実施に歴代二人の支局長がかかわっており、「輪島に角というユニークな職人がいる」と引き継ぎを受けていました。


長手大盆

金沢は加賀百万石の城下町として栄えた歴史都市。そこには輪島塗のほか加賀友禅、九谷焼、金沢箔、山中漆器などの伝統産業が息づいていました。石川県立美術館に行けば、見事な沈金が施され「これぞ芸術品」といった漆の作品を見ることができました。

漆芸家では人間国宝の故寺井直次さんや大場松魚さんがいて、作品を出来るまでの苦労話を伺う機会にも恵まれました。天賦の才能ともいえる繊細な技は、長い鍛練から生まれたものでした。しかし人間国宝の二人は、とても近寄りがたい存在に思えました。

角さんの家は塗師の町といわれる路地裏にありました。セーターの上に半てん姿で、時折柔らかな笑顔をみせる角さんに親しみを感じました。一から聞く私にも丁寧な受け答えでした。


曲輪

輪島塗の作業は多くの分業によって成り立っていたのです。重箱などを作る指物屋がいれば、お椀の木地を作る挽物屋、盆などを作る曲物屋、さらに沈金や蒔絵をする職人もいます。角さんは「私は幾人もの職人さんと一緒に漆を制作しています。輪島の地そのものが一つの工房といってもいいかもしれません」と話していたのが、印象に残っています。

「うるし文化フォーラム」では、漆産業の国際化や可能性など様々な課題が討議されました。同じ会場で「アジアの漆器展」も開かれました。漆は日本のほか、中国、台湾、朝鮮半島、タイ、ビルマ、ベトナムといった広い地域に分布しています。西洋の合成塗料とは異なり、漆は木の温もりや色調を生かす、アジアだけの天然塗料といえます。各地域の交流がほとんどなく、使われ方もそれぞれです。ただ日本では作家の精巧な美術工芸品の域にまで高められたのでした。


ヘギ板屏風

「ジャパン」といわれる漆器ですが、日本を代表する産業というにはほど遠い実態です。その原料は中国から入り、年間200万個以上の漆椀が中国から輸入されています。伝統工芸の漆が日本文化の中でどのように位置づけられるのでしょうか。

角さんの目は、自分の育った輪島に足を踏ん張り、漆にたずさわってきた過去、未来の職人の営み、さらには漆を産するアジアに向けられていました。日本最大の産地、輪島はいま、不況にあえいでいますが、古来の漆文化の灯をともし続けていかねばなりません。角さんは漆のルーツを求めタイ、ミャンマー、ブータンにも出かけました。

ミャンマーのチャウカ村という小さい産地で大きな衝撃を受けたのでした。ここでは手で漆を塗り、上塗りも密閉された部屋の中でする日本とは異なって、砂ぼこりのあがる所で悠々とやっていたのです。自然の中に溶け込む漆の原点に感動を覚えたといいます。

「漆の本当の良さは使ってこそ」


朱塗ヘギ板盤

金沢を離任後も、交流が続きました。各地の小さな画廊での展覧会の案内も送られてきました。1995年秋、大阪・難波のデパートでの大がかりな作品展が開かれました。販売するための展覧会でしたが、観賞用の美術作品と変わらぬ迫力がありました。

会場で久しぶりにお会いした角さんは「私の作品は美術品ではなく工芸品なんです。だから壁やケースに飾ってほしくない。日常生活の場で使ってほしい。漆の本当の良さは、使ってみて初めて分かるはずです」。相変わらず熱っぽい口調だったのをよく憶えています。

この時、買い求めた合鹿椀がわが家の家宝となっています。朝食がパンだけに、それほど使いませんが、時々思い出したように使います。しかし家宝にしてはいけないのです。「器というのは、器それ自体で見ると、何かが満たされていません。料理を盛り付けてこそ初めて完成すると思う。漆は使われるほどに輝きを増すものなんです」。角さんの小言が聞こえてきそうです。


書額装「ものほしげの…」

2001年春、大阪キタの料理屋で角さんを囲み懇談しました。「輪島のひいては日本の塗文化を後世にしっかり伝えていきたい」「アジア各地への学術調査を続け漆のルーツを探りたい」「世界各地の漆を集めた展覧会ができないだろうか」。酒を酌み交わしながら漆について語り合ったのでした。

その頃、私は備前の森陶岳さんの展覧会を全国5会場で巡回し終えたところでした。その図録を角さんに渡すと、なぜか角さんがすでに陶岳さんのアトリエを訪ねていたのです。話が飛躍し、私は陶岳さんを、その年の晩秋、石川県・門前町にある角さんのアトリエにお連れしたのでした。

アトリエは、外見はどこにもある木造の民家風ですが、戸を開けると広い土間があります。一階は書斎とリビング、ダイニングなどにあてられていました。ブラジルで買い求めたという大きなタンスや整理棚が据え付けられていました。いずれも日本では規格外の大きさで、その道具に合わせ入れ物の建屋の設計をしたといいます。ここにも角さんの思想が見てとれました。

アトリエは二階にありました。制作中の椀や盆、器などが所狭しと置かれていました。輪島の海に面した所にもアトリエがあり、海の方で下地を作って、山で仕上げをするといいます。作業場は広く、ミュンヘンで買ったアフリカの壷や器が数多く置かれていました。そこにはポツンとプレーヤーがあり、クラシックCDを一杯積み上げていました。角さんは他の作品や音楽に囲まれて仕事をするのが好きでした。


書パネル「風に向かって」

角さんと陶岳さんの二人は、夜の更けるまで芸術談義を重ねました。その傍らで私は美味しい酒以上に、二人の言葉に酔ったのでした。漆芸と陶芸、芸域は違うが、原点を求め続ける「本物志向」の二人の作家の生きざまに共鳴したからでしょう。私には、角さんの造形へのこだわりと、古備前のあり方を追い求める森陶岳さんの執念が重なり合ってきたのです。私はいつの日か、今度は角さんの展覧会をと、心に期したのです。

喪明け後、輪島を訪ねた私は奥さんの捷子さんと、角さんの仕事を継ぐ長男の有伊さんと話し合って遺作展として全国巡回展開催を確認したのです。何よりの供養になるというのが趣旨です。展覧会実施に向け実行委員会が構成され、関係者の幅広い協力が得られることになりました。展覧会は2007年4月に金沢市の名鉄丸越百貨店でも開催され、その後は東京でも検討されています。

この展覧会に合わせ『漆人 角偉三郎の世界』(梧桐書院刊)が発行されます。定価2100円(本体2000円)で、会場および、能登印刷アートメディア事業室でも注文を受けています。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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