垣間見たモンゴルの世界遺産

2006年8月5日号

白鳥正夫


モンゴルの首都、ウランバートルの市内

今年はチンギス・ハーンが1206年にモンゴル帝国を樹立して800年の節目にあたります。歴史の大きな舞台となったモンゴルを初めて訪ねました。建国800周年を記念して、4月から年末まで観光目的の査証(ビザ)取得が不要でした。日本の4倍もある広大な国ですので、首都のウランバートルとその周辺、そこから西へ400キロ離れた旧都・カラコルムしか行けませんでしたが、目にした現況を報告します。ここは1235年、第2代オゴタイ・ハーンによって築かれました。近くにオルホン川が流れていますが、この流域一帯の遺跡や史蹟群が2004年の世界遺産に登録されています。「兵(つわもの)たちの夢の跡」を駆け巡った5日間でした。

建国800周年を祝う騎馬イベント

関西空港をJALの直行便で出発し、ソウルや北京の上空を通過して約4時間余、草原の中にある空港に着きました。離陸前に眼下に広がるゴビ砂漠を見たかったのですが、夜行便でかないませんでした。宿泊のモンゴリアホテルは郊外にありました。夜が明けると、ホテルの高台からの眺めは四方に草原が広がり山並みが遠望でき感動を覚えました。


山肌に描かれたチンギス・ハーンの肖像画

見学初日、現地の歴史学者からチンギス・ハーンについての講義がありました。その中で「チンギス・ハーンは諸部族を統一した上、1211年に金朝を奇襲するなど次々と戦略を変え領土を拡大しました。太陽が昇る所から沈む所を『わがもの』と思うほどでした。しかし情報を入手し民族を教育し国旗や文化を創り、ヨーロッパとアジアを融合する国際的な役割も大きいものでした」と強調していました。

ウランバートル市内が一望できるザイサンの丘の山肌にはチンギス・ハーンの肖像画が描かれています。かつてはチンギスハーンの下、オホーツク海からアドリア海にいたるユーラシア大陸の大部分を支配下におさめるという史上最大の国家を形成した輝ける時代を開いた英雄を讃えているのです。


建国800年を祝う騎馬イベント

800周年記念事業の一環として「チンギス・ハーン800年目の帰還 〜ユーラシアの祝祭〜」のイベントを見ることが出来ました。首都より車で45分の中央県セレグレン郡トゥグリグ村で開催していて、この祭典の目玉はチンギス・ハーン率いる500騎の騎馬軍団のショーでした。草原のどこからともなくから騎馬軍団が現れ、馬術、武術や当時の兵法等を再現したり、勝利のパレードを行ったりの約2時間のショーでしたが、結構楽しめました。

ウランバートル市内では、チベット様式のラマ教寺院であるガンダン寺(正式にはガンダンテグチンレン寺院)を訪ねました。もともとモンゴルの仏教はチベットより受け継いだ活仏思想に基づいています。ガンダン寺は第5代活仏が1838年に建立したお寺です。

境内には高さ26メートルの観音像のある観音堂を中心に、いくつもの寺院やストゥーパ(仏塔)、マニ車などがあります。極左政権時に機能が失われていたといいますが、現在は仏教大学も併設され宗教活動の拠点となっていました。多くのラマ僧が行き交い、マニ車を回したり、五体投地する信者の姿も多く見受けました。

広い草原に散在する旧都跡や遺跡


宗教活動の拠点・ガンダン寺

2日目からカラコルムへの遠出です。都心部から30分も走ると草原地帯に入ります。沿道にはモンゴル特有の住居である白いゲルが点在しています。広い敷地を板塀などで囲っているゲルも数多く見受けました。モンゴルでは1992年の民主化後、新憲法によって土地私有化の方向性が提示され、2003年から施行され、居住を目的に都市周辺部に土地が与えられているのだそうです。

カラコルムまでは車で約6時間もかかります。車窓は、なだらかな緑の丘陵地が延々と続きます。所々で馬や牛、羊や山羊、ラクダの放牧の姿が見られ、のどかな光景が眺められます。ただ一部舗装を除いて大半がデコボコの道で、ドライブは快適といえません。道すがら丘の上などでオボーといわれる石積みの塚を見かけます。真ん中に棒を立て青い布を巻いており、使い古した松葉杖なども立てかけています。道標であり、道中の安全を祈願したものであると思われます。


「エルデ二・ゾー寺」の全景

やがて車はウブルハンガイ県とアルハンガイ県にまたがるオルホン川流域へ。遠くに白いゲルが規則正しく並んでいるのが見えてきました。その日宿泊予定のキャンプ地かと思われたのですが、近づくにつれ、草原の中に突如現れた寺院を取り巻く仏塔だったのです。この辺一帯がめざすカラコルム遺跡でした。

その跡地に立てられた「エルデニ・ゾー寺院」をはじめ、1760年創建で医療所を兼ねた「ツゥブケン僧院」、8〜9世紀のウイグル国の城郭都市跡「カラ・バルガスン遺跡」、8世紀半ばのチュルク国最盛期を築いた為政者兄弟を顕彰した「ビルケ・カガンとキョルテギンの石碑」などが散在しています。この流域は肥沃な土地で、石器時代からモンゴル帝国時代まで、人々の暮らしの痕跡が認められ、狩猟生活を描いた岩壁画や人の顔を描いた石人像などが分布しているのです。

モンゴル帝国最初の首都であるカラコルムの遺構は、南北1500メートル、 東西1000メートルもありました。クビライ・ハーンが首都を大都に遷都した後も、14世紀半ばまでは繁栄しましたが、 現在この場所には当時の面影を伝える遺物はほとんど残っていません。私たちはその日カラコルム地域のオコデイ地区のキャンプ地にあるゲルに宿泊し、翌日、「エルデニ・ゾー寺院」を中心に見学することになりました。

400メートル四方の大伽藍の寺院


現存する三寺の中央寺

修復中の三寺の西寺

「エルデニ・ゾー寺院」は、1586年にハルハ族のアバタイハーンによって建立されました。四方が400メートルもある正方形の石の城壁に囲まれ、四辺の中央に4つの門と108基の仏塔がほぼ等間隔で林立しています。モンゴル時代の石碑の多くが堂宇の礎石に利用されたことが最近の調査で判明しています。 ペルシャ語の碑文なども見つかっており、寺院の礎石を本格的に調査すると貴重な発見が多くあるだろうと期待されています。

建立時、境内には62の寺院を含む500もの建物があり、約1000人もの坊さんがいたそうです。1700年代に破壊され、1930年代には政府の弾圧などがあり、広い敷地には草地が広がっています。モンゴルでは、社会主義政権下時代に宗教は禁止され、全国に700以上あった寺院や歴史的価値高い文化遺産のほとんどが破壊されてしまったということです。 

当時の面影をしのぶ建物としては、緑の屋根瓦をした漢の寺院様式の三寺が並んで残存しているだけです。向かって左の西寺は修復中でした。このほか、1799年に完成したモンゴルで最も高い13メートルのチベット様式の仏舎利塔・ソボルガン塔や、ラマ僧の修業する大講堂などもあり、種々の建築様式が複合していて、それなりに見ごたえがありました。

西門をくぐって中ほどに石塔や銅塔がありますが、その南方にアブタイ・ハーンの巨大オルゴー跡の礎石が遺っていました。いわゆるゲルなのですが、普通81本の屋根棒を1700本も備え、祭事には300人も収容できたということです。 唯一残るモンゴル時代の遺物では4つの亀石が有名です。

そのうち一つが「エルデニ・ゾー寺院」の外壁の北西方向にあります。 実はこの亀石を包む周辺にオコデイ・ハーンの宮殿・万安宮があったことが、1948−49年のソ連による発掘調査で確認されたのでした。


13メートルある仏塔・ソボルガン塔

往時の面影を偲ぶことのできる亀石

この時期のモンゴルは白夜で昼の時間が長いのですが、あまりにも広大過ぎます。この日は80キロ離れたブルドのキャンプ地に移動しなければならず世界遺産の登録を示す標柱すら確認することが出来ませんでした。地域指定されている遺跡を見るにはかなりの日数を要するのではと思われました。

遊牧民は自然との共生の生活

行けども行けども大草原のモンゴルを垣間見たに過ぎない旅でしたが、歴史の変遷を、人間の夢を、そして日々の営みや生き方を考えさせてくれました。モンゴルのハーンたちは、かつて地球を一つに結ぼうと夢を見、現に海を隔てた日本にも触手を伸ばし、世界の文物や民族を集め、東西の交流の象徴でもあった国際都市を築いたのでした。しかも400年にもわたってその足跡を刻んできたのに、その地は草原に戻り、遊牧民たちが平和でのどかな生活をし、まさに「兵(つわもの)たちの夢の跡」と化してしまっているのです。

いまモンゴルではウランバートルの近代化が進み、定住の都市部の生活者が増え、従来の草原での遊牧生活者が激減しています。ここ何年間の寒波で1千万頭の家畜が死亡し遊牧民の生活が苦しくなっていると聞きました。


草原に戻った「兵どもの夢の跡」

建国800年を機に観光誘致が進み、ウランバートル近郊のテレルジでは観光乗馬も盛んになっています。今後、観光客目当ての商売も活発になるのではと懸念されます。

私はカラコルムにある遊牧のゲルを訪ねました。そこでは馬乳酒のもてなしを受け馬にも乗せていただきました。素朴で純真な人たちの笑顔がありました。そこに住む小学生は片道2時間かけて馬に乗って学校に通っているそうです。

歴史の進展とは無関係な生活の営みは、太陽と共にあり、季節によって生活の場を変える自然との共生に心を打たれました。家族や家畜への思いやりや、電気のない生活に不便を感じない遊牧民たちは、私たち自称文明人より「心の文明度」が優れていると確信しました。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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