留学生支援「愛と友好の芸術祭」

2006年6月5日号

白鳥正夫

日本、中国、韓国の音楽アーティストが競演する「愛と友好の芸術祭」が6月18日、大阪市中央区大手前のドーンセンター(大阪府立女性総合センター)で開かれます。この催しは各国留学生助けあいの会が企画しています。これまでも随時国際交流の集いを実施し、収益金は留学生の支援に充てられています。この運動を立ち上げ、車椅子の生活を余儀されながらも献身的な活動を続けている88歳の久保田東作さんの生き様も合わせて紹介します。

日中韓から総勢25人もの出演


朝日新聞社で報じられた
「盲目のピアニスト」の
木下航志さん
今回の芸術祭には3カ国から総勢25人も出演します。その中に、「盲目のピアニスト」としてNHK総テレビのドキュメント番組で紹介された16歳の木下航志さんもいます。8歳の時から生地の鹿児島で路上ライブを始め、音楽へのひたむきな姿とその日常生活を長期にわたって丹念に追いかけた映像は心を打ちました。その後もピアノに傾倒し、オリジナル曲づくりに専念しております。舞台ではピアノ演奏とともに、「絆」「チャレンジャー」「赤とんぼ」など透明な歌声も聴かせます。

また寺尾正さんが率いるアンサンブル・ダッフォディルは女性コーラス11人のメンバーで、日本古謡をはじめ「さくら」「故郷」などの美しい歌声を響かせます。津軽三味線の稲岡満男さん、尺八の石川利光さんも出演し、「津軽ジョンガラ節」「ねぶた祭り」「津軽海峡」を披露します。

中国からは、おなじみの二胡独奏の劉鋒さんの「蘇南小曲」「みだれ髪」が花を添えます。さらに琵琶や楊琴、古筝のメンバーも加えた弦楽四重奏で「夏の雪」や「念」を演奏します。

韓国からはムン・ジョンエさんおよび韓国女人伝統芸術団6人が参加し、韓国重要無形文化財の芸を披露します。「てぴょんむ」「群舞ウグム」「独舞サルプリ」など日ごろお目にかかれない踊りを観ることが出来ます。


寺尾正さん指揮の
アンサンブル・
ダッフォディルの女性
コーラスメンバー11人
代表の久保田さんは「少しでも良いものをと欲張りました。最高の舞台を楽しんでいただきたい」と抱負を語っています。大阪市舞台芸術振興助成公演として大阪府や朝日新聞社、朝日放送も後援しております。入場料全席指定で5000円(前売り3500円)、学生2000円です。問い合わせ先は、各国留学生助けあいの会事務局06−6927−0591です。会場の最寄り駅は地下鉄谷町線と京阪の天満橋。

大正人の気骨、45年続く実践

こうした活動の支え役が久保田さんです。1918年生まれの大正人は、162センチ50キロの小柄な体ですが元中支那派遣軍司令部特務部軍属で、その闘志と情熱は人一倍大きいのです。国際平和を願い、国境や人種を超えて人に感動を与え、自分も感動して生きたいとの思いで、国際交流とボランティアを約45年間も実践しています。

1995年1月17日の阪神・淡路大震災の翌日、神戸に久保田さんの姿がありました。テレビに映った惨事に「居ても立ってもいられなかった。体が勝手に動いていたんですわ」という久保田さん。大阪から自転車で半日、救援物資を積んで、就・留学生を訪ね歩いていたのです。当時77歳の久保田さんは一日置きに自転車をこぎ、3カ月間で115人に3万円ずつ配ったのです。

こうした献身的な久保田さんの活動がテレビで報じられ、大きな反響があったといいます。「世の常とは申せ、陽のあたる人、陰の人が出来てしまう世の中。そしてその中で悩みながらも、何もできぬ人の多い社会の中で、このようなお姿に接し、私は言葉も出ぬ程の心の豊かさをいただきました。心ばかりの支援金をお届けします」。久保田さんの元に連日のように現金書留の郵便が届いたのです。

香典をそっくり振り込んでこられた人もいたそうです。「善意がよう分かりましたわ」。久保田さんは今もその空き袋を大切に保管しています。久保田さん自身が、人の善意の輪に感動したのでした。


津軽三味線の稲岡満男さん
大震災による就・留学生たちの被災者は230人にのぼっていました。異国で災難をこうむった学生にとって、金は一時的なものです。住む家や働き口が必要でした。親戚がなく、落ち着いて勉強できる場所の確保が急がれました。助けあいの会には、被災した外国人学生に部屋貸しの申し出も数多くありました。しかし国公立大学生や給費留学生の受け入れがほんどでした。

生計と日本語学習を必要とする就学生には厳しいものでした。このため助ける会は事務所を避難生活の場に提供しました。さらに久保田さんは奔走し100人以上の住まい探しに奔走しました。行政の対応が行き届かなかった外国人への手助けだったのです。

そもそも45年前、印刷業を営み工場を持っていた久保田さんが、アラブの留学生と出会いました。宗教や生活慣習のギャップに悩んでいた彼を、家に寝泊まりさせ面倒をみました。これがきっかけになり、口伝えに就・留学生が次々と久保田さんを頼って来たのです。そして出来たのが、助けあいの会でした。工場が火災に遇って倒産しても、協力者と助けあいの会の活動を続けてきたのには理由がありました。

音楽を通じ広げた共感の輪


優雅な中国弦楽四重奏
久保田さんが10歳の時、さらし職人の父は家を出たのでした。母は病弱のため生活が苦しく、久保田さんは幼い妹と弟を連れ、父の元へ行き、継母に育てられます。小学校に登校前の朝5時に市場で野菜を仕入れ、大八車を引いて売って歩きました。中学校に行かず、船場の帽子屋に丁稚奉公に出ますが、あまりにも貧しい幼年期だったのです。「いつか貿易商になって家族に楽をさせよう」との志を温めたといいます。

日中開戦の4年前の1935年、奉公先を飛び出し、中国の上海に単身で渡りました。17歳の時です。「日本では貧乏人はどうあがいてもあかん。大陸で一旗あげたろう」との意気込みでした。卸市場で仕入れたテンプラやカマボコの行商を始めます。しかしその日暮らしが精一杯で稼ぐどころでなかったのです。

困り果てていた時に、仕入れ先の「ヤンさん」こと楊大根(ヤン・ターケン)さんが「うちに来い」と声をかけてくれました。奥さんと3人の子供を抱え狭い家に住んでいました。久保田さんはヤンさん一家と寝食を共にし、便所掃除も率先して担当しました。こうしたヤンさんら中国人らの親切が、帰国後の助けあいの会の活動につながっているのです。

とはいっても助けあいの会の運営は火の車です。活動資金を継続的に調達しなければならなりません。その一つがアジア・アフリカミュージカルチームです。もともと留学生の中には芸達者が多数いました。留学終了後も日本に止まる者もいて、1972年に結成されました。各国の民族楽器、踊り、歌、曲芸などを身につけていました。こうした助けあいの会の趣旨に賛同して、すでにプロとして活動している者も加わりました。

大震災の時期、ミュージカルチームは神戸市内で公演をしていました。メンバーは無事でしたが、6000人を超す犠牲者に衝撃を受けました。「自分たちにできるボランティアは、やはり音楽活動だ」。チームは震災後3カ月間、仮設住宅地などを回り、チャリティーコンサートで被災者を精神的に励ましました。その後も自主公演の他、各地からの出演依頼や、社会福祉施設への慰問など活動を続けてきました。


韓国の独舞を演じる文貞愛さん
私が久保田さんを知ったのは震災の2年前です。その秋にミュージカルチームのメンバーが中心となったステージ「アジア、パレスチナ…、その愛に喝采」の催しを朝日新聞社が後援することになったためです。この興業も就・留学生たちの救済事業の一環でした。かつて留学生でもあった中国の演奏者たちが熱演し、観客らも「北国の春」を合唱して閉幕したのを印象深く憶えています。

久保田さんはミュージカルチームのコンサートを通じ活動の輪を広げました。広島で開催されたアジア競技大会をはじめ、関西を中心に展開。ある時は大劇場で、また小ホールで、時には文化財指定の民家で、構成もテーマも様々に変えて催しました。私も出来る限り顔をのぞかせ、久保田さんの活動を見守ってきました。

久保田さんの小さな姿はどこでも見かけました。企画立案から会場交渉、出演者の依頼、そして開催日には舞台裏での音響や照明の指示まで担当。人手の無い時は受け付けや客席の世話、司会までこなしていました。就・留学生らは「先生、先生」と呼び、敬っています。

「おぼれている人がいて、対岸から頑張れといくら声をかけても救助はできんのや。自分の身を切る覚悟がないと、本当の人助けができまへん。イスラムの人間と一緒に生活をして、180度考え方を変えて、はじめて彼らを理解することができたんや」

久保田さんの草の根の活動を通じ、日本人に人間の同士の連帯を感じて帰国して行った留学生は1000人を下りません。帰国後、彼らはそれぞれの国で中核の役割を担うことでしょう。こうした人を育てることこそ真の国際交流につながり共生のかけ橋となるのではないでしょうか。

「自主公演は赤字になりますが、メンバーに大きな舞台を踏ませてやりたんや。死ぬまでやりますわ」。家も手放し、昨年春からは足が不自由となりましたが、久保田さんには迷いはありません。一人でも多くの方の入場が、久保田さんの献身に報い、この活動の継続になります。

 人間の存在を示すために、人間の優しい心を通わせるために
 体と心、若さと老い、生きている手応えを確かなものにするため
 舞い、歌い、奏で、語り合います


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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