企画者冥利の「肉筆浮世絵」展

2006年5月20日号

白鳥正夫


完成した「妖怪絵巻」を掲げての記念写真に喜ぶ小学生ら。左端が「妖怪博士」の藤本圭太さん(神戸市立博物館で)

「妖怪絵巻をつくろう!」。ここ神戸市立博物館の地下会議室では、こんな子どものためのワークショップが開かれていました。5月28日まで開催中のアメリカのボストン美術館所蔵肉筆浮世絵展「江戸の誘惑」の関連イベントです。なんと会場で「妖怪博士」として講師を務めていたのが、朝日新聞社で、この展覧会を仕立てた藤本圭太さんでした。彼はかつて私といくつかの仕事を一緒にした後輩です。現在は事業本部大阪企画事業部次長として活躍しています。量産品の版画と異なり貴重な肉筆浮世絵の里帰り展の企画は、長い準備期間をかけていたのを知っていただけに、実現した喜びは、さぞかし企画者冥利に尽きると思います。今回はこの展覧会の内容や構成とともに、その舞台裏の一端を探ってみることにします。

小学生らが挑んだ「妖怪絵巻」


北斎の「朱鍾馗図幟」

ワークショップは小学生が対象で、期間中に13日間も開かれ、毎回20−30人を抽選や整理券を発行して受け付けています。「妖怪絵巻」以外にも、展覧会に即して「のぼり」や「屏風」などを制作してもらう趣向です。

私がのぞいた「妖怪絵巻」は、まず会場に展示している鳥山石燕の「百鬼夜行図巻」を見させ、子どもたちに思い思いの妖怪を描かせ、あらかじめ用意していた簡易な絵巻に張り合わせ会場ロビーに広げて記念撮影する試みです。一大展覧会を企画したことにとどまらず、こうした地道な美術教育への取り組みに拍手を贈りたいと感じました。

まず肝心な展覧会ですが、葛飾北斎や喜多川歌麿をはじめ、菱川師宣、歌川広重ら名だたる浮世絵師らが描いた肉筆の名品が約80点も出品されています。浮世絵といえば版画が通り相場で、絵師がその下図のみを手がけるのです。しかし肉筆画は、浮世絵師が特別の注文によって描いた一品きりの貴重品なのです。それだけ絵師の色へのこだわりが見て取れるのです。


北斎の「鳳凰図屏風」

これらはボストンの富豪ウイリアム・ビゲロー(1850〜1926)の収集品が中心ということです。それにしても7年間でここまでの作品を収集したビゲローの熱意に感服するとともに、日本が失ってしまった幻の作品の数々に複雑な感懐もあります。


北斎の「唐獅子図」

彼は明治時代に来日し、700点の肉筆浮世絵をはじめ約3万5000点も収集したといいますから驚きです。そのコレクションの寄贈を受けた美術館では、彼の遺志を尊重しほとんどを門外不出としていたそうで、1世紀ぶりの里帰りとなったのです。今回借用を実現した背景は後述しますが、ほとんどが日本初公開といいます。おそらく現地でもまとまって見る事はできないと思われます。

展覧会は、「江戸の四季」「浮世の華」「歌舞礼讃」「古典への憧れ」の4章から構成され、浮世絵師たちが庶民の生活や娯楽、装いなど、華やかな江戸文化の粋を活写しています。会場を回ると、ところどころに絵から抜け出した等身大のパネルが飾っています。2階の喫茶コーナーの前には、勝川春章が「春遊柳蔭図屏風」に描いた前掛けをした美人が盃と銚子を持って断つ姿のパネルが立っています。子ども向けワークショップ同様、これも藤本さんの遊び心かと苦笑しました。

驚くべき北斎の色彩・描写力

個別の作品では、やはり北斎が圧巻です。会場入り口で、「朱鍾馗図幟」が目に飛び込んできます。90歳に及ぶ生涯のちょうど中ほどの45歳の作品です。高さ230センチ余りの麻布の幟いっぱいに朱一色で彩られています。端午の節句に鯉のぼり一緒に軒先に掲げられたそうですが、特注品として描かれたと思われます。


北斎の「鏡面美人図」

ポスターやチラシの一部にもなっている極彩色の妖艶壮絶な「鳳凰図屏風」と「唐獅子図」は、晩年近くに描かれていますが、いずれも力強い筆致に驚かされます。しかしそれ以上に赤・緑・青を基調とした極彩色の色彩の妙と、デザインの奇抜さに描写力のすごさを感じさせます。

北斎の肉筆画は豪快な構図ばかりではありません。「鏡面美人図」は、近づいて見ると、着物の模様や髪の毛にいたるまで繊細に描き込んでいます。黒塗りの化粧箱を少し開け、そこに大きな手鏡を置き、身支度をする女性の後ろ姿を描いています。腰を前に突き出し、簪を触る指やうなじに、なんともいえぬ色気が漂います。 鏡を通して顔の表情を見せる構図の巧さに脱帽です。

極めつけは「提灯絵 龍虎・龍蛇」です。もともと提灯に描いた絵を、ボストンに持ち出す際にはがして、平面にしてあったものを、今回の展覧会のために元通りの立体としての提灯絵に復元したといいます。こんな北斎の珍品にお目にかかれるのも感動です。欠損部分を補い半年間もかけて修復したそうで、北斎特有の躍動感を蘇らせています。


北斎の「提灯絵 龍虎」(部分)

北斎の「提灯絵 龍蛇」

北斎の描写力に感嘆するばかりですが、世界に数点しか現存しないといわれます鈴木春信の「隅田河畔春遊図」もすばらしいものでした。春の隅田川の河畔で花摘みを楽しむ女性たちを描いた優雅な作品です。後日、NHKの新日曜美術館の特集を見ました。このボストン美術館に所蔵されている浮世絵コレクションを調査した小林忠・学習院大学教授は、ことさら春信が好きで、この作品を発見した時の喜びを「半信半疑でした。極楽島に上陸したような気持ちです」と話されています。

初期浮世絵の大作、師宣の「芝居町・遊里図屏風」や、歌麿の華麗な「遊女と禿図」など、時間をわすれるほどの名作がそろっています。そうした中で、注目の1品は、冒頭にも書いた石燕の「百鬼夜行図巻」です。約4メートルわたって描かれた作品は、歌麿の師匠でもあった石燕が描いた妖怪の肉筆画として唯一のものです。ロクロ首や一つ目、牛鬼などの妖怪が描かれ、現代の妖怪漫画の第一人者、水木しげるさんにも影響を与えているそうです。企画者の藤本さんは、「大(Oh!)水木しげる展」を仕立て、全国11会場でヒットさせており、さぞかし「わが意を得たり」の心境だったことでしょう。

足かけ5年の交渉を経て実現

さて、なぜ門外不出の肉筆浮世絵展が実現したのでしょう。最初のきっかけは2000年1月に朝日新聞の一面トップを飾った「春信・北斎 世紀のめざめ 肉筆浮世絵700点を確認」の特報記事だったのです。

ボストン美術館の日本関係の所蔵品は、約7万点とあまりにも膨大なため作品調査は進まず、長い間「幻の浮世絵コレクション」と言われてきました。1996年から日本人研究者が現地で調査を進め、1点しかない肉筆の浮世絵が多数見つかったのでした。


春信の「隅田河畔春遊図」

記事が出た翌年、藤本さんは海外研修の機会に、単身ボストン美術館に乗り込み、東洋部のアン・モース日本美術課長らと会ったのでした。館の規定で貸し出し不可能とされていたのに、果敢にも食い下がったといいます。

それから約3ヵ月後、美術館から「いい知らせがある」とのメールが届き、ゲン・ワタナベ展覧会担当日本部長が朝日新聞社を訪れたのです。交渉の糸口が開かれたものの、いざ展覧会開催となると、貸出料や修復費、輸送費、保険料など事業予算がふくらみ、一時は断念したといいます。しかしボストンに本社のある投資顧問会社が不足分の負担を引き受け好転したのです。


石燕の「百鬼夜行図巻」(部分)
※作品写真はいずれも(C)2006Museum of Fine Arts,Boston. All rights

私が朝日新聞社を退社する2004年8月の半年前、日本開催の契約書の調印にこぎつけたのでした。一本のスクープ記事きっかけにして生まれた展覧会は、まさに新聞社の企画にふさわしいものです。

藤本さんは社内誌の報告で「足かけ5年の交渉を経て、やっと開催できました。新聞社の事業のあらたな可能性を示してくれるものと期待しています」と、結んでいます。展覧会の舞台裏では企画者の涙ぐましい努力があることも知ってほしいと思います。


展示演出のため、会場のあちこちに浮世絵から飛び出した江戸人のパネルが目を引く

私も足かけ4年がかりで「シルクロード 三蔵法師の道」展に取り組んだ思い出があります。展覧会開幕の約2ヵ月前に中国からキャンセルされましたが、内外6カ国から借用し、何とか実現したものです。その時、藤本さんは私の支え役として、大いに貢献してくれました。

このシルクロード展でも、子どもたちに展覧会に足を運んでもらおうと「ジミー大西親子絵画教室」を開きました。大型展であればあるほど、展覧会を企画することの難しさが伴います。今回の肉筆浮世絵展については、その経過を断片的に聞いていただけに、それを実現し、「妖怪博士」として活躍する後輩の姿を頼もしく見つめたのでした。

なお展覧会は、神戸会場の後、6月17−8月27日まで名古屋ボストン美術館、10月21日から12月10日まで東京江戸博物館に巡回します。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

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三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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