紫綬褒章を受けた孤高の人、森陶岳さん

2006年5月5日号

白鳥正夫


紫綬褒章を受章した森陶岳さん

古今東西最大の全長80メートルを超す巨大な登り窯での作陶に挑む森陶岳さんが、芸術文化やスポーツの分野での業績を評価する紫綬褒章を受けられました。今年の紫綬褒章には、トリノ・オリンピックで日本唯一の金メダルを獲得した荒川静香さんや、第一回ワールド・ベースボール・クラシックで世界一に輝いた王貞治監督率いる野球の日本チーム、女優の吉永小百合さんらも選ばれ話題の年になりました。この度、備前の窯元に宗教学者の山折哲雄さんと同行しましたので、あらためて近況をお伝えします。


古備前を求め80メートルの大窯

陶岳さんは1937年、室町時代から続く備前焼窯元の家に生まれ、小学生の頃から自作を焼いて育ったといいます。岡山大学教育学部特設美術科を卒業後、中学の美術教師になりますが、「やはり窯を焚いてみたい」との思いが強まり、25歳で作陶生活に入ります。


森陶岳「三石甕」


森陶岳「尻張花入」
無口でひたむきな人柄で、ストイックな姿勢は地道なやきものづくりに向いていたようです。川砂をまぜたり、象眼技法を採り入れたりして、独自の造形を生み出します。1963年の第10回日本伝統工芸展で「備前大壷」が初入選、1969年には日本陶磁協会賞を受賞したのです。加守田章二、江崎一生らとの陶芸三人展など意欲的な作品の発表を続け陶芸界に頭角を現します。

しかし作れば作るほど、陶岳さんは自分の作品に満足できなくなるのです。「400年も前に作られた古備前の存在感や、秘められたエネルギーをどうすれば現代によみがえらせることができるのか……」。陶岳さんは室町、桃山時代の古備前と比べて、自分の作品が焼き締めの点で見劣りすると悩んだのです。

「桃山時代に作られ、今もなお感動を与える。その源泉は何なのか」を問い続けることになったわけです。その答えは、昔と同じような土づくり、成形、そして何より大窯でたくしかない、という結論でした。かつての備前焼は何人もの陶工が集まり、一つの大窯で作り上げていたのです。

1980年に兵庫県相生市に築いた全長46メートルの大窯で初の窯たきをしました。ここは土づくりから成形方法、窯詰め、窯焚き、焼成時間など一つ一つの工程をテストする実験炉ともいえました。1985年以降は、備前須恵器の発祥の地、寒風に室町様式で半地下直炎式の全長53メートルの大窯を築き、ほぼ4年おきに焼成を繰り返しました。試行錯誤の末、白い土味に黒い焼き上がりになったり、灰色の網がかかるなどの深みのある絶妙の窯変に「予想を超える色合いだ」と、大窯での焼成に自信を深めたのでした。


53メートルの窯の前で懇談する山折哲雄先生(左)と陶岳さん
私が陶岳さんに会ったのは1997年の秋ですから、まもなく10年になります。当時、朝日新聞備前通信局記者から「すごい陶芸家がいる。ぜひ会いに来てほしい」との誘いで、岡山牛窓町長浜の寒風(さぶかぜ)丘陵にある陶岳さんの窯を訪ねて以来、ほぼ毎年のように備前の里に赴くようになったのです。

この間、「古備前を超えて 森陶岳」展(朝日新聞社主催)を企画し、1999年9月の東京を皮切りに、約7カ月にわたって大阪、京都、広島、奈良を巡回開催しました。初期から約40年間の代表作101点が展示し、5会場合わせて5万人を超す観客を集めたのでした。

この展覧会に、通算4回目の窯たきとなった新作17点も出品しました。展覧会のタイトルは、監修者の乾由明・前金沢美術工芸大学学長が名付けました。大窯から窯出しされた存在感のある作品にふれ「古備前を超えて、まったく新しい美の世界を示している」と感嘆されたからです。


53メートルの窯の中に入って驚く山折哲雄先生
その後、私の著した『夢をつむぐ人々』(2002年、東方出版刊)や『アートへの招待状』(2005年、梧桐書院刊)にも、陶岳さんの作陶人生を取り上げさせていただくなど交流を続けてきました。174センチ、82キロの堂々とした体格で、見事に頭を丸めた風貌もさることながら、古備前への限りない情熱に強く魅かれたのです。

何より驚かされたのは、巨大な登り窯のプロジェクトを聞かされたことです。初めて訪ねた時にその下地が用意されていましたが、上屋ができ、2001年夏から窯づくりに着手したのでした。2006年秋には幅6メートル、高さ約3メートル、全長80メートルの「おばけ窯」が完成する見通しです。

窯焼きは「行」窯変は「神の手」

今回、山折先生を陶岳さんの窯にお連れしたのには理由がありました。美術店を経営し、長年にわたって陶岳さんを支えてきた豊池勇さんからの申し出です。豊池さんは雑誌『サライ』(小学館刊、2005年15号)のインタビュー記事を見ていて、山折先生の「私は宗教の最高形態が芸術であり、芸術の最高形態が宗教だと考えています」との言葉に打たれたそうです。


ほぼ80パーセント完成した80メートルの巨大窯の内部(2005年10月、豊池勇さん撮影)
年初、大阪で陶岳さんを囲む新年会で「ぜひ山折先生に、陶岳先生と会っていただきたい」と提案され、陶岳さんもうなずかれたことで、私から山折先生にお願いして実現したのでした。現地では、まず53メートルの登り窯の中を陶岳さんの案内で丹念に見学し、続いてほぼ70パーセント仕上がっている80メートルの巨大窯を見て回りました。 

備前はもちろん窯を見るのは初めてと言う山折先生は陶岳さんの説明に大いに興味を感じ聞き入っていました。「火入れをすると何日も24時間態勢で監視をしなければなりません。昼夜、3時間ごとの炎の管理です」との陶岳さんの話に、山折先生は「断食、断眠による炎のコントロールは煩悩を断つ修行です。窯焼きは一種の行ですね」との感慨を述べられていました。

この後、陶岳さんから火入れの際に神主を呼んでの神事や、窯の入り口にしめ縄を張っていることなど細かく説明されました。「火をつけ、煙を立て、炎を燃やす行為は、密教の修法、とりわけ護摩壇で護摩木を燃やして祈る加持祈祷の行法に酷似しています」と、宗教学者らしい山折先生の分析でした。


80メートルの大窯に入れる大甕の試作品を前に説明する陶岳さん
備前焼の土は耐火度が弱く、急激な温度変化を受けると破損しやすいため、窯焚きには、念入りに時間をかけ、少しずつ薪を増やしながら温度を上げていく技法を採ります。無釉、高温、長時間の焼成といった特徴から窯変(ようへん)が生まれのです。このため私も陶岳さんから「人知を超え、神の手が差しのべられたとしか思えません。神秘なる技です」との言葉を、よく耳にしていました。

食事を挟んでの懇談の時にも窯変談義が続きました。陶岳さんは食事を忘れるほどに饒舌になったのには驚きました。山折先生は「火入れにしめ縄をはっているのは神の降臨を前提とする結界ですが、登り窯それ自体が一種の宗教的空間です。修行者が修行を通して仏と一体化するように、窯のなかでの作品も単なる土の塊から窯変の過程を経て芸術作品に変容するのですね」と語られたのは印象的でした。

「先人たちの功績」と受章の言葉

芸術家と宗教学者の対話は、まさに豊池さんの思惑通りでした。この約10年の交際で陶岳さんが、いかに豊池さんに信頼を寄せているかも理解できました。紫綬褒章受章を陶岳さん以上によろこんでいるのが豊池さんです。さっそく美術店では5月20、21の両日、祝賀の特別展「森陶岳の世界」を開催します。

80メートルの大窯の最上部で懇談するお二人
詳しくはhttp://www.toyoike.co.jp/です。

今回の受章は、2005年12月に推挙された文化庁長官表彰に続く栄誉です。陶芸界からたった一人選ばれたことについて、陶岳さんは「先人たちが積み重ねてきた功績のお陰です。これからも人の心に触れ、生きた焼き物づくりを続けたい。そして先人に一歩でも近づきたいものです」と謙虚に話しています。

これより先、陶岳さんは長年の足跡に対し、日本陶磁協会から2002年に金賞が贈られました。その栄誉を記念する展覧会が同じ年に東京・銀座の和光ホールで開かれましたが、2005年10月、再び同じ場所で開かれた展覧会のタイトルは「限りない備前への挑戦」でした。

その言葉通りの巨大登り窯の火入れは2011年です。延べ900人を動員し、窯焚きに3カ月、10トントラックで400台分の薪を使うそうです。その窯の中には大小合わせ数千もの作品が入るといいます。陶岳さんならではの雄大なスケールなのです。


「限りなき備前への挑戦」展会場での陶岳さん(2005年10月、銀座の和光ホールで)
見かけや形の美しさにとらわれず、やきもの本質に迫ろうとする陶岳さん。手探りから学んできた蓄積をもとに一歩一歩、古備前の世界を切り拓いてきた陶芸人生です。「まったく八方ふさがりで行き詰まっていたときに、ひらめいていたことが的中しました。これは神のお導きとしか思えません」。知恵と情熱と先人から受け継いだ細胞の記憶から、本来の古備前の輝きを確信できるまで挑むと断言します。陶岳さんはどこまでも信念の人です。

また陶岳さんは、最近「一以貫之」という言葉をよく使います。かつて古い備前焼に出会った感動から、様々な試みをしてきた自分の道を信じ作陶に取り組むという覚悟の言葉と受け取れます。めざすものは、古備前を超えるどころか、土と炎のなせる陶芸の神秘的な新しい世界を切り拓くことではないか、と思われます。

「陶芸人生のすべてをかけた挑戦です」。陶岳さんは、静かな口調ながら並々ならぬ闘志をみなぎらせています。21世紀の世界に通用する古備前の真の姿を求める陶岳さんの果てしない挑戦をこれからも見続けたいと思います。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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