地域に根を張る「本の学校」

2006年3月5日号

白鳥正夫

むかし、ふかぁい ふかい うみが ありました
その、ふかぁい ふかい うみのそこに
ふかぁい ふかい もりが ありました

『お話とあそぼう』(一声社刊)に収められている文章が、ゆっくりゆっくり読まれます。騒いでいた子供たちも、思わず引き込まれていきます。


鳥取県米子市にある「本の学校」の外観

30万冊をそろえるブックセンター

国立公園・大山を仰ぎ見る鳥取県米子市にある「本の学校」で毎月開かれている「おはなしタイム」の一コマです。時計台のある建物の一階は三十万冊をそろえるブックセンターとメディア館、二階には図書室や博物室、研修室、絵本コーナー、多目的ホールがあります。市民の生涯教育や書店員らの研修をめざして、今井書店グループが創刊120周年記念事業として1995年に設立しました。

10年も続く「おはなしタイム」

「おはなしタイム」は「本の学校」のオープンに合わせ開設されました。現在、鳥取県西部の絵本の読み聞かせや高齢者向け朗読ボランティアグループなどで構成する「本の学校」生涯読書をすすめる会のメンバーが中心に参加しています。生涯読書をすすめる会は、「本の学校」郁文塾に事務局を置き、母親の胎内にいる時から老後まで、本との豊かな暮らしをテーマにネットワークを図り、充実した活動を展開しています。


開設されて10年になる「おはなしタイム」の一コマ

設立時から事務局を担当する足立寿子さんによると、特定の子供を対象とした会が多い中、「おはなしタイム」は書店の二階が会場なので「気軽に誰でも立ち寄ってもらえ、読み手のボランティアも増え、趣向の違った話が聞けるのが特徴です」と、長続きの秘訣を説明しています。

「初めて来た人、手を上げてください」に10数人が手を挙げる。「お話の間は、しゃべらない、走らない。食べないことを約束してね」と読み手が優しく語りかけます。子供らは元気な声で「はーい」と答えていました。


「おはなしタイム」では腹話術のコーナーが人気だ

私が訪ねた土曜日午後には、1歳から小学2年生までの子供と親たち約80人が集まっていました。一時間にわたってのメニューは、単に絵本などの話を聞くだけではなく、紙芝居があれば腹話術もあり、参加者たちは読書の楽しさを満喫していました。

代表者の足立茂美さんは鳥取短期大学で幼児教育を指導しているエキスパートです。「テレビ万能の時代ですが、お話の会は目と目が合って生身で伝えることに意義があります。聞く子供たちと読む大人も同じ時間を共有し、共感するのです。子供たちの輝くような笑顔が何よりの支えになります。本を読むことの面白さを、一人でも多くの子供たちに伝えたい。今後は老後の読書のあり方についても研究したい」と、語っていました。

「本の学校」では、「おはなしタイム」以外にも様々なイベントを開いています。例えば、お話おばさんとして有名な藤田浩子さんの研修会や、作家の中山千夏さんを迎えて絵本『おとしものしちゃた』(自由国民社刊)の朗読とトークの会など随時開催し、着実に地域に根づいた取り組みです。

回数決めずに「奥の細道」講

子供向けの催しばかりではありません。生涯学習講座として「英字新聞を読む」をはじめ古典、俳句、自分史などのテーマでも開講中です。その一つ「奥の細道」講座をのぞいてみました。講師は元高校教諭の井山憲さんです。この日は、みちのく入りの芭蕉の足跡と心境をいくつかの文献から引用した副教材の解釈をまじえ、分かりやすく説明していました。


2階の図書室では大人向けのカルチャー講座も

「奥の細道」の奥は深いのです。井山先生の話でも、東北での芭蕉は古代や中世の歌枕に失望し、自らの眼で風物を見つめ、人々の中に分け入ることになります。その中からいつの時代にも変わらない「不易流行」という俳諧理念を醸成していったという石堂秀夫説を言及していました。

「ここでの学習は受験勉強ではないので、じっくり教えられる喜びがあります。他のカルチャーと違って、何回という限りがありません。回り道、寄り道しながら、皆さんと生涯学習を味わっています」。井山さんは「本の学校」の良さを、さりげなく語っていました。

受講生のほとんどがリタイアされた年配者で、二時間の講義に熱心に耳を傾けていました。その一人は井山さんのかつての教え子で、「井山先生の講義を再び聞けるなんてすばらしいことです。読書の深さを知る思いです」と話していました。

私が「本の学校」を訪ねたのは四回ですが、いつも新しい出会いがあります。前回には、生涯学習で当初から「文化史」や「てがみ文化講座」を教えている日本宗教文化史学会理事長でエッセイストの小林正義さんと会い、懇談することができました。小林さんは「復権させたい読み書きの習慣」と題して、「本の学校だより」に一文を寄せています。

読むこと・書くことは、考えることである。話し言葉による会話も大切だが、読み、書くことは考えること、思考することにかかわり、成長することの基となっています。 (中略)パソコンなどで便利さに依存しているうちに、人間は考えることを忘れさ せるだろう。読書というゆとりの時間を大切にして、一通でも多く手紙を書いてみよう。

本屋さんに子供向け図書館も

「本の学校」には子供向け図書室もあり、広さ約一六平方メートルの部屋には芝生色のじゅうたんが敷いてあり、キリンやウサギの絵が描かれた書棚には3000冊余の絵本や児童書が並んでいます。本を売るのが商売の書店にとって、無料で本を見ることができる図書館は、一見矛盾しているかのように思えます。


2階にある博物室に展示している「装丁の美」のショーウインドウ

今井書店会長の永井伸和さんは明確に言い放ちます。「売るだけでなく、本にかかわる文化を知ってほしい。根本的なことをいえば、正しい図書館行政を実現することが、出版界全体の構造を是正し、やがては読書人口を増やすことになるのです」。読書離れの昨今、日本全体を巻き込んで新しい図書館づくりのブームを巻き起こすためにも、出版文化の発展が必要との主張でした。
 
今や出版関係者なら知らない人はいない「本の学校」構想の基盤は、三代目社長の今井兼文さんの提言です。日本の出版文化が栄えるには、ドイツのような書籍業学校が必要だと説いていました。大学卒業後から書店一筋、五代目社長となった永井さんは、兼文さんの遺志を生かし、その資産をもとに設立したのです。ただ建物などのハードは資金があればできますが、運営などのソフトに苦労したといいます。

「本の未来」を合宿で語り合う


「おはなしタイム」に集まった子どもと母親たち

周到な準備を経て三つの柱からなる「本の学校」の理念が生まれました。その一つが職業教育。なかでも書籍業学校に触発された出版業界人研修事業です。カウンターでの実務から製本、印刷の知識なども教えています。ここで学んで、家業を継ぐ決心をした二世も少なくないといいます。春の基本教育講座と、秋冬の能力向上講座を実施。近年はホームページで講座概要を流しています。

二つ目は、聞く、語る、読む、書くという、人と人のきずなを深め精神の基礎体力を育む実践です。読書推進や図書館などの読書環境整備のための研修や研究、さらに生涯読書をすすめる会を設けています。特に力を入れているのが、冒頭に書いた子供のために、読んで聞かせる「おはなしタイム」や、自由に絵本を見られるコーナーの開設でした。

三つ目は、目玉ともいうべき「大山緑陰シンポジウム」だ。地域から出版文化のあるべき姿を問う集中講座で、スキー宿を活用しての二泊三日の夏季合宿です。グーテンベルグ以来のメディア激変となった二十世紀末、五年間にわたって開催し、出版界、図書館、教育関係者、著者、読者ら延べ2000人が参加しました。

第1回からのテーマは「揺らぐ出版文化」「豊かな読書環境をこう創る」「本と読書の未来」「二十一世紀の読者を探せ」「本で育むいのちの未来」。その記録はすべて報告書にまとめられ、閲覧できます。この蓄積が目標に向かっての着実な歩みなのです。

「本の国体」から15年後の2002年、鳥取で初の国民文化祭で出版文化展がやっと日の目を見たのでした。環日本海出版文化シンポジウムをはじめ、理想の学校図書館の展示、出版文化史や電子出版などの展示、大山緑陰シンポジウムなどで構成されました。NIE(学校教育における新聞利用)運動とも連携しました。

日本は世界でも有数の出版大国です。書籍と雑誌を合わせると、年間6万点を超す新刊が出され、総数は約60億冊におよびます。出版ラッシュどころか出版洪水です。それなのにというか、それだからこそ活字離れが加速しています。

さらにパソコンの普及で、インターネット注文が流通に変化を及ぼし、紙の媒体価値すら失わせようとしています。今後は電子書店が電子本を売る時代です。かつてない出版界の危機状況の中で、今井書店の投じた一石は重いものがあります。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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