プーシキン美術館展を見る

2006年1月20日号

白鳥正夫


約40年ぶりに日本での公開となった本展の目玉、マティスの傑作「金魚」を見入る観客ら

待望の「プーシキン美術館展」(朝日新聞社など主催)が大阪・中之島の国立国際美術館で、4月2日まで巡回開催されています。ルノワールの「黒い服の娘たち」や、約40年ぶりに日本で展示されたマティスの「金魚」などモスクワのプーシキン美術館所蔵のフランス近代絵画の名品50点と版画25点が展示されています。これまでまとまった海外出展をしなかった世界に誇る一大コレクションで、東京都美術館での観客は約38万人に達したそうです。大阪会場が最終となりますので、紹介しておきます。

先見性に富んだコレクション

一般公開に先立って1月10日に開会式があり、美術の関係者ら約660人の招待客が出席しました。式典ではプーシキン美術館のジナイーダ・ボナミ副館長が「大作をロシアから日本へ移送することは大変な作業でしたが、両国の文化を発展のためじつげんしました。この展覧会を見れば、芸術には国境がないことがわかります」とあいさつされていました。


クロード・モネ「白い睡蓮」1899年(C)The State Pushkin Museum of Fine Arts, Moscow

今回の展覧会は、19世紀末から20世紀初めにかけ2人のロシア人実業家、セルゲイ・シチューキンとイワン・モロゾフが集めた収集品が核となっています。国内での印象派を中心とする世界的なコレクション展としては、1994年に開催されたアメリカの「バーンズ・コレクション展」、1997−98年のイギリス「コートールド・コレクション展」以来で、私にとっても待ちに待った大型展でした。

新聞紙大の宣伝チラシや図録などによると、シチューキン(1854−1936)とモロゾフ(1871−1921)の2人は、19世紀末から第一次世界大戦までの早い時期にしかも短い期間に精力的にフランス近代絵画を収集したのが特徴です。彼等は、当時認められたばかりの印象派に端を発し、マティスやピカソなど一般に評価の定まっていない芸術家たちの作品も購入するなど、優れた審美眼を発揮し、後世になって質の高いコレクションとして、世界的な評価を得たのです。


オーギュスト・ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの庭で」1876年(C)The State Pushkin Museum of Fine Arts, Moscow

コレクターとして良き友人であり、ライバルでもあった2人ですが、収集作品にそれぞれこだわりがあったようです。シチューキンは自らパリの画商を訪ね、モネを中心にピサロ、シスレー、ルノアールなどの印象派の作品を購入し、やがてポスト印象派のゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンへと移ります。さらに注目されるのは、当時ほとんど評価されなかった気鋭のマティスとピカソの作品をアトリエまで訪ね蒐集しています。

一方、モロゾフは画商や批評家、画家らの意見をよく聞き、印象派をはじめ色彩ゆたかな作品を好みました。とりわけシチューキンが1点も求めなかったボナールの作品を15点も集めています。またセザンヌもお気に入りで、18点を購入していますが、自宅の壁にスペースがあっても、セザンヌ晩年の1点を入手するまで壁を空けておく凝りようでした。マティスの作品は、シチューキンの紹介でアトリエを訪ね11点集めるなどフランス絵画だけで140点以上に達しています。

「金魚」など名作のオンパレード


ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山の平野、ヴァルクロからの眺め」1878−1879年(C)The State Pushkin Museum of Fine Arts, Moscow

展覧会会場は分かりやすく分類されています。印象派からピカソまでの各コーナーに分けて展示されています。その中で、記憶に残った作品を取り上げてみます。まずはお目当てであったマティスの傑作「金魚」(1912年)です。何枚も描かれた決定版といわれるだけあって、会場内でも一際目立っていました。140×98センチで、図録から想像していたよりも大きく存在感がありました。中央の鉢に元気よく泳ぐ4匹の赤い金魚の周辺には植物が配置され色彩が鮮やかです。アトリエを訪れたシチューキンは、その場で購入し、持ち帰ったというのもうなずけます。


エドガー・ドガ「写真スタジオでポーズする踊子」1875年(C)The State Pushkin Museum of Fine Arts, Moscow

ポール・ゴーギャン「彼女の名はヴァイルマティといった」1892年(C)The State Pushkin Museum of Fine Arts, Moscow

フィンセント・ファン・ゴッホ「刑務所の中庭」1890年(C)The State Pushkin Museum of Fine Arts, Moscow

モネの「白い睡蓮」(1899年)にもしばらく足を止めました。モネの「睡蓮」は、最近もアサヒビール大山崎美術館で堪能していましたが、プーシキン美術館の作品はシリーズ最初期の作品でした。自邸の庭に日本風の庭園を造り、蓮池を整備するほどだからその生気が画面いっぱいにあふれています。太鼓橋がアクセントをつけていますが、緑を基調とした画面に白、赤、紫の絵の具が点滅するように輝き、見飽きることはありません。

やはり目玉の1点といわれるルノアールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの庭で」(1876年)は、逆に思ったより小さく81×65センチの作品でしたが、一見して分かるルノワールの筆致です。作品の裏に書き込みがあるそうだが、画家仲間のモネも描かれているといいます。パリの有名なダンスホールの庭でくつろぐ男女の幸福感があふれた作品です。

こさらにドガの「写真スタジオでポーズする踊り子」(1875年)は、ドガの作品にしては全体的に明るい雰囲気の作品です。画面左端に一部描かれている姿見の前でポーズを決める踊り子の緊張感が感じられる作品です。ゴーギャンの「彼女の名はヴライルマティといった」も1875年の作です。ゴーギャンはタヒチで数多くの作品を遺していますが、一緒に暮らしていた娘をモデルにした作品といわれています。異国情緒たっぷりで、画家の独創性を存分に味あわせてくれます。

最後にピカソの「アルルカンと女友達」(1901年)も強烈に印象に残る作品でした。アルルカンとは道化師のことで、アルルカンもその女友達もじっと何かを考え込んでいる構図です。ピカソが社会の片隅で生きる貧しい人々を哀歓深く描いた作品といえます。ピカソの「青の時代」に属する作品ですが、ゴーギャンの色彩感覚に通じるような筆遣いを感じ、興味深く鑑賞しました。

今回の展覧会の最大の魅力は、マティスとピカソらの優れた作品を多く含む点にあります。マティスがシチューキンに取り置いた「白い花瓶の花束」をはじめ、ピカソのキュビスム期の代表作「女王イザボー」も出品されています。このほかにも、セザンヌの「サント=ヴィクトワ―ルの山の平野、ヴァルクロからの眺め」ゴッホの「刑務所の中庭」など名作のオンパレードです。巨匠の逸品50点が厳選されたのに加え、プーシキン美術館が所蔵する版画25点も出品されています。

ソファ28脚で「ゆったり鑑賞」

ところで、この展覧会で驚いたのが、会場内の随所に置かれたソファです。主催者に聞くと、今回の展覧会のコンセプトが「ゆったり、優雅に、よく分かる」だそうです。そこで特製ソファを28脚(東京会場では一部にじゅうたんも)を備え付けたといいます。昨年春訪ねたウィーン美術史美術館では各部屋にソファが置かれ、子どもたちが床に座ってゆったり鑑賞していたのを思い出しました。何十万人も押し寄せる特別展ではソファに座ってというわけにはいきませんが、私の知る限り初めての試みで、ひと休みが出来てうれしくなりました。


「ゆったり、優雅に鑑賞を」と試みられた特設のソファ

展示について話すプーシキン美術館のジナイーダ・ボナミ副館長(左)と、アンナ・スリモヴァ学芸員

一時期、栄華を築いた「シチューキン・モロゾフ・コレクション」は、1917年のロシア革命によって国有化され、1948年からプーシキン美術館とエルミタージュ美術館に分割されて、現在に伝えられているのです。ところがプーシキン美術館はエルミタージュ美術館と異なり、日本にあまりなじみがありませんでした。1990年に東京・渋谷のBunkamuraで開催された「モスクワ プーシキン美術館所蔵による ヨーロッパ絵画500年展」以来だったからです。

さてそのプーシキン美術館は、正式には「国立A.S. プーシキン記念美術館」といい、1912年にモスクワ大学の付属美術館として開館しています。その後1937年に、ロシアの文豪プーシキンの没後100年を記念して、現在の名称に改められたのでした。文豪プーシキンはロシア近代文学の父とか、ロシア国民詩人として、国民的な評価を得ています。

所蔵品は古代エジプト・メソポタミアやギリシャ・ローマ美術、ルネサンスからヨーロッパ絵画、東洋美術など50万点に及ぶそうです。開会式の会場でボナミ副館長とアンナ・スリモヴァ学芸員に話を聞くことが出来ました。二人は口をそろえて「東京に続いて大阪でも多くの皆様に見ていただきたい。でもモスクワに来ればもっと多くの作品を見ていただけます。来年には新館の空調と改装も完了するので、さらに広いスペースで楽しんでいただけます」と、笑顔で語っていました。


しらとり・まさお
朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。

新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
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定価:本体1,300円+税
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内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
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定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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