夭折の画家、佐伯祐三の足跡

2005年12月5日号

白鳥正夫

 東京や大阪では、世界の美術コレクションの展覧会が競い合うように展開されています。それはそれで結構なことですが、地方でも学芸員が精魂傾けたすばらしい展覧会が開かれているのです。その一つが和歌山県立近代美術館で開催されている「佐伯祐三 芸術家への道」展(12月11日まで)です。大阪に生まれパリで死去した佐伯祐三は、日本の洋画史に大きな地歩を築きましたが、わずか30歳の生涯でした。今回の展覧会では佐伯の代表作だけでなく、これまで展示されなかった作品や資料などを集め、135点もの佐伯作品を一堂に展示しています。夭折した天才画家の足跡を探って、作品の掘り出しや、画家が描いた場所を求めパリに取材した学芸員の取り組みも合わせて紹介します。

135点を展示した
「佐伯祐三 芸術家への道」展
(和歌山県立近代美術館)

画家生活の大半、パリを描く

 まず佐伯の年譜のあらましに触れておきます。佐伯は1898年(明治31年)、大阪市・中津の光徳寺という寺に、男4人女3人兄弟の次男として生まれています。1915年、北野中学4年の頃から油彩画を描きはじめ、赤松麟作の洋画塾に通います。17年に上京、小石川(現・文京区)にあった川端画学校に入り、藤島武二の指導を受け、翌18年に東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科に入学し、引き続き藤島に師事、23年に卒業します。

「立てる自画像」(1924年)
※作品の写真は、いずれも和歌山県立近代美術館提供

 佐伯はその後6年足らずの画家生活の間、2回パリに滞在し代表作の多くはパリで描かれています。最初の渡航は1924年1月から約2年で、パリの街を主題に独自の表現を追求します。26年にいったん帰国し、里見勝蔵、前田寛治らと「1930年協会」を結成。第13回二科展に出品した滞欧作19点が二科賞を受賞します。2度目の滞仏は27年で、旺盛な制作を続けていましたが、持病の結核が悪化したほか、精神面でも不安定となり、同年8月に入院中の精神病院で死去しています。
 「佐伯祐三 芸術家への道」展は練馬区立美術館に続いての開催です。まとまった佐伯展を見るのは1989年の「佐伯祐三とエコール・ド・パリの仲間たち展」、1998年の「生誕100年記念 佐伯祐三展」以来で、かねて佐伯祐三作品のコレクションで知られている和歌山で、やっと本格的な企画展開催に大いに期待が持てました。
 和歌山は、私が約30年前に5年余住んだ所です。当時、独立した美術館の建物はなく、文化会館に間借りし運営していた記憶があります。その頃、和歌山大学のあった和歌山城の天守閣を望む場所に黒川紀章設計の美術館が完成したのでした。新装移転後、すでに12年目に入っていますが、2002年には版画の山本容子展を担当し、古巣で仕事が出来て感慨深いものがありました。

描かれた場所を探し、写真に

「肥後橋風景」(1926−27年)

「肥後橋風景」写真
※作品の右の写真は、以下いずれも往時の面影を残す風景や場所
(2005年、寺口淳治学芸員撮影)

 和歌山近美を訪ねたのは会期半ばで、この展覧会を担当した寺口淳治学芸員の記念講演会が開かれた日でした。すでにチラシで告知していたこともあって、120人収容の美術館ホールは満席でした。講演会では、佐伯の生まれ育った大阪から、アトリエがあり画家として過ごした東京をたどり、二度にわたる渡仏の足跡を、作品に即して映像で紹介していました。とりわけ寺口学芸員が、画家の描いた地を訪ね歩き、現在の風景を写真に収め、対比させながらの解説に興味が引かれました。
 佐伯が亡くなって間もなく80年になります。当然ながら作品に描かれた場所や町は大きく変貌しています。しかし寺口学芸員はパリ郊外のモランという小さな村にも足を延ばします。そしていくつか当時の面影そのままの光景を見出し感激を新たにしています。寺口学芸員は「右も左もわからないパリで、とにかく佐伯の描いた絵の図版と地図を頼りに歩き回るのですから無茶といえば無茶ですが、ほとんどが徒労でも行動に移すのみでした」と振り返っています。

「パンテオン寺院」
(1928年)

「パンテオン寺院」写真

 寺口学芸員の話を聞いた後、会場へ足を運びました。いきなり自画像が7点並んでいました。帽子を阿弥陀に被った「帽子をかぶる自画像」を始め、自画像を描いて母校に寄付することがならわしになっていたという東京美術学校の卒業制作の「自画像」などです。いずれもが内向的な表情で、「芸術家への道」に全霊を注ぎ込む決意を示しているような鋭く厳しい眼差しに吸い込まれるようでした。
 初期の裸婦像や静物、愛娘像などが何点かありましたが、舞台は憧れのパリに移ります。しかし、里見勝蔵に同行してヴラマンクを訪問し、見せた作品を「アカデミズム!」と批判されたことが有名ですが、大きな転機となったようです。「夜のノートルダム」の裏面に描かれた「立てる自画像」の顔が塗りつぶされているのが印象的です。

「モランの寺」(1928年)

「モランの寺」写真

 ひどく自尊心を傷つけられた佐伯は、自分だけのスタイルを模索するため、モチーフを村や街頭などに変え、精力的に描いたと思えます。似たような風景のオンパレードを見ていると、画家としての自己確立への模索を感じさせます。
 佐伯は病気のため1926年に帰国するが、「下落合風景」や「滞船」の連作など乏しいモチーフに失望の影が漂っています。しかし同一モチーフの作品を描き続ける画家の心象風景に非凡さがうかがえ、味わい深いものがありました。そうした時代の一点に「肥後橋風景」あります。朝日新聞大阪本社の所蔵で昔の社屋が描かれています。寺口学芸員がその場所探しに苦労したそうです。
 佐伯は焦燥感とパリへの憧れから再び渡仏。展示会場でも日本の風景をはさんでパリの風景に戻ります。しかし死期を覚悟していたのか、パリに着くや時を惜しむかのように猛烈に描き始めます。「リュクサンブール公園」「広告塔」「カフェテラス」「サン・タンヌ教会」の傑作を生んでいます。そして命取りとなった厳冬のモラン写生旅行での作品「モラン風景」「モランの寺」など、見ごたえのある作品が並びます。
 晩年の「郵便配達夫」は何度見ても鮮烈な印象を受けます。もはや病が悪化し外の風景が描けなくなって、モデルを頼んでの作品といいます。配達夫の体勢が斜めに倒れ掛かっているのが頷けますが、その大きく見開かれた眼の強さに、画家の生への執着が読み取れます。

「郵便配達夫」(1928年)

回顧展、個人蔵の収集に苦労

 佐伯祐三展といえば、1978年に東京と京都の国立近代美術館で約200点を集めたそうですが、今回はそれに次ぐ規模です。大阪市立近代美術館から28点、和歌山の14点以外に、ポーラ美術館、東京国立近代美術館、三重県立美術館などから複数点出品されていますが、46点が個人蔵です。寺口学芸員は関西や関東の画廊などを回り情報収集に飛び回ったそうです。「同じ構図の作品も集められるだけ集めました」と話していました。
 また寺口学芸員は佐伯の歩いたパリを訪ね、作家自ら最高傑作と自認する晩年の「扉」の前にたたずんでいます。「作家がその場所で見た見え方や、感じた空気、雰囲気、そういうものは、その場所にいかなければ想像すらできません」と語り、図録に次のような文章を寄せています。

「扉」(1928年)

「扉」写真

この絵は、現実に見えるものすべてを描いている。無いものは描かないが、あるものは見逃さない。その形象を写すという態度ではなく、存在そのものを、描く行為によってキャンパスに移動することを目指していたのではないか。
 (中略)
この「扉」の静けさは、奔りすぎる筆を押さえながら画面に向かう佐伯の姿を浮かび上がらせる。決して鈍重な筆さばきというのではない。一筆一筆は迷いのない速さである。ある一筆と次の一筆の間に、佐伯にとっては永遠とも思えるような時間があったのではないだろうか。そしてその時間は画家佐伯にとって、至福の時であったろう。佐伯は、この瞬間に絵画の普遍性に立ち会い、その一端を捉えたといえる。

 鑑賞後、寺口学芸員に伝えたいことを聞きました。「知っているようで、実は知らない。ということが往々にしてあります。今回の佐伯展では、必ず知らない部分を見ることができますし、何より作品の前に立つことによってしか、知り得ないことが沢山あるということを感じていただければと思います」と話していました。
 一方、「何回となく開催されている佐伯展ですが、今回いろいろ調べてみますと私などが当たり前にやられていると思われたことが手付かずだったりして、日本の美術史研究の負の側面を見たように思います」と、美術界への苦言も呈しています。
 大胆で荒々しい筆の運びと、息の詰まるような暗い画面に鮮やかな原色が生々しい佐伯作品。でも傑作だけでなく多くの作品によって、画家の変遷をたどることができるのです。30年のうち、わずかな画家生活でしたが、その短い期間に400点を描き遺したといわれる佐伯の全貌を知るには、なお課題を残しているのかもしれません。
 入場者数を競い、興行収入を重視する展覧会事情の中、学芸員がもっともっと時間をかけて、作家の新たな発掘や再評価につながる展覧会を追求してほしいものだと願わずにおれません。


しらとり・まさお
朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。

新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
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定価:1,800円(税込)
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定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

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