共生への道、ネパールに新校舎

2005年11月20日号

白鳥正夫

 釈迦の生まれた国・ネパールには世界の屋根、ヒマラヤがそびえます。インドから国境に近い聖地ルンビニを訪れ、パキスタンのカラコルム・ハイウェーからヒマラヤに連なる高峰を仰ぎ見た私にとって、敬虔な思いを抱かせた国ですが、とても貧しい国なのです。その国の首都カトマンドゥで日本語学校の建設に奔走した元経営者がいます。その日本語学校に兵庫県出身のカメラマン、公文健太郎さんが10月に訪ね、写真を送ってくれましたので紹介します。

「世界の屋根」といわれるヒマラヤ連峰

25年ぶりの再訪がきっかけ

 「ネパールの学校に支援をしている知り合いがいます。ぜひ会ってください」との話が、愛媛県新居浜市の同窓生から私に伝えられました。共に社団法人日本中国水墨画交流協会の役員をしているとのことでした。私は2003年6月、誘いを受け水墨画協会の合同展を鑑賞しました。同窓生とは約35年ぶりに再会でした。積もる話の中で、川口和男さんの活動を知ることになったのです。
 川口さんは私と同じ大阪在住だったこともあり、その後何度かお会いしました。水墨画の話よりネパールの話題が多くなったのです。ルンビニだけでなく、標高8000メートル級の氷山が競い合う壮大な自然のネパールへ行ってみたいと思ったし、何より川口さんの草の根交流に関心を寄せたのです。
 川口さんは大学卒業後に、実兄の因幡弥太郎さんが興した因幡電機産業(本社・大阪市)に入社しました。まだ30歳代の頃、街路灯設置の仕事で初めてカトマンドゥを訪れました。政府関係者に技術的なアドバイスをしながら、3カ月間で約50基を設置したといいます。多くの地域で電気やガス、灯油も行き届かない暮らしとはいえ、笑顔を絶やさず親しみやすい国民性を強く印象づけられたそうです。
 現地に知人が出来、その後何度か訪れたが、次第に足が遠のいていました。ところが1998年、思いもかけず政府関係者の一人だった旧知から子息の結婚式に招かれたのです。古い友情と懐かしい国柄を思い出し、25年ぶりに再訪したのでした。珍しい祝典もさることながら、新郎のデイパックさんが日本に留学経験もある親日家で、仲間数人とボランティアで日本語教室を開いていることに興味を抱きました。
 川口さんは1980年代から「アジア図書館」建設プロジェクトの支援にも取り組んでいたからです。現在、大阪市東淀川区にあるアジアセンター21では図書館運営や語学スクールなどの活動を続けています。3000人余の会員と24万冊以上の蔵書を保有しており、来年には設立25周年を迎えます。
 因幡電機産業のグループ会社の経営を経て、一時は本社の副社長をした川口さんにとって、「アジア図書館」など社会への還元を心がけていました。「21世紀、アジアの人々が国際交流を進め、人と文化の共生社会をつくらなければなりません。そのためには学校や図書館を充実させ、将来を担う人材の育成が大切だと考えたのです」。川口さんの持論でした。

遺産で日本語学校の新校舎

 ネパールを再訪した旅で、川口さんは日本語教室を視察しました。ところが建物は壁が今にも崩れ落ちそうで、まるで廃屋のようでした。室内には粗末な机と椅子が並んでいました。劣悪な教育環境にも関わらず、教師の話を聞き漏らすまいと真剣な表情で授業を受けていた若者たちの姿に胸を打たれたのでした。
 教師のスマンさんらは「政治や経済が不安定で貧困なのは、教育の不備にあります。日本語を教えるのも、多くの若者が日本の技能や知識を学んで社会に役立ててほしいからです」と訴えた。さらに教室のある建物は、家主から立ち退きを迫られていることも聞き及んだのです。川口さんは「力になれないだろうか」との思いを強くし、帰国しました。
 その翌年の1999年、一代で上場企業にまで押し上げた創業者の兄が死去しました。川口さんは、生前一貫して社内外に国際理解を示してきた兄の遺志が、世界の最高峰の地の一角に刻まれ、交流の一助になればと思ったのです。そこで遺産の一部をネパールの新校舎の建築費に当てたいと申し出たところ、遺族も快く同意しました。早速、現地に伝え、具体化へ詰めの協議に入ったのです。施設整備を急ぐネパール側と、一過性の贈与に終わらせたくない川口さん側で折衝を重ね、2002年5月に基本合意書の調印にこぎつけました。
 新校舎は2003年2月に着工しました。資材不足もあって当初より4カ月ほど遅れたものの、10月下旬に鉄筋コンクリート三階建て、外装にレンガを使ったしゃれた建物が完成しました。一階に二室、二階に四室、三階が図書室と教師室で、真新しい机や椅子もそろいました。総工費は当初予算を大幅に上回りましたが、遺産のほか、川口さんらの寄金、現地関係者らの資金でまかないました。完成を祝うセレモニーには、現地の行政機関や日本大使館も協力した。川口さんら一八人がツアーを組んで出席しました。土産に日本の図書約150冊を持参したそうです。

日本語学校NILIの新校舎完成で
テープカットをする川口和男さん
(2003年10月、カトマンドゥで)

新校舎を祝って
「365歩のマーチ」の合唱
 (以上3点は川口和男さん提供)

継続してPTAの役割を担う

 新しい国づくりをめざす日本語学院は、略称NILI(New International Language Institute)と呼ばれています。わずか8人の生徒で始めた日本語教室でしたが、現在は13人の教師がいて、約150人が学んでいます。生徒はホテルや旅行関係の仕事に従事している者や、今後そうした仕事をめざしている者が多いそうです。日本語を中心に英語、中国語、ネパール語などの学科もあり、ネパール語を学ぶ日本人もいます。
 カリキュラムについては教師の指導方針によりますが、規定の教科書で基礎を固め、その後は各自、図書室の文献などで自習をしています。日本語コースでは、一レベルでひらがな、二レベルでカタカナ、三レベルで漢字といったように6レベルに分かれていて、次第に上達をしていく仕組みです。

日本語学校の教室

日本語学校の図書室


 NILIは、すでに1000人を超す卒業生を送り出しています。卒業後には生計を立てるのに十分な語学力をつけることができ、日本人旅行者のガイドなどで実績を上げています。さらにNIRIの卒業生5人がコンピューターの勉強のために日本に来ているそうです。
 こうした活動状況は、基本合意にもとづき随時、川口さんにも報告されています。いつも不安なことは、政変後も政治が不安定なことです。抗争は沈静化したとはいえ現在も共産勢力(マオイスト)によるデモや反乱、襲撃なども起こっています。このため夕方のクラスはほとんどできない状況だといいます。
 今年5月には、日本大使館主催の弁論大会でNILIの生徒が初めて優勝したとの朗報も伝えられました。川口さんら協力者は今後の運営計画の評価や助言もしており、PTAの役割を担っています。デイパックさんが来日した際には、本屋を一緒に訪ね、日本の教材や参考図書の買い増しなどにも応じているとのことです。

日本語の教材

 川口さんは「一生懸命稼いだ金で日本語を学ぼうと頑張っている若者たちの姿に心を打たれました。戦後の焼け野原から経済大国になるまで頑張ったかつての日本人と、ネパールの若者の姿が重なったのです。何とか新校舎の建設にたどりつけたことは喜ばしい。両国の友好のシンボルとして活用してもらいたい。できる限り活動を見守り、応援したいものです」と話しています。
 デイパックさんは、NILIが将来、国家的な文化拠点になれば、と夢見ています。図書室をさらに充実させ、日本のことを学びたい人たちに開放し、日本の大学や研究施設との提携を進め、教師や学生も交流できる施設にしたい、との抱負です。

NILIの入り口前でデイパックさん
 (以上4点は2005年10月、公文健太郎さん撮影)

 手元に1988年に第一回大阪・アジア文化フォーラムとして取り上げられた「ひと 文化 ネパール」の資料があります。その席で、作家の故司馬遼太郎さんが語った言葉が掲載されていました。次のような文章(抜粋)が綴られています。

 文化とは、集団が共有している慣習のことです。
 人間は、文化にくるまって生きているのです。
 文化という定義は「それにくるまっていると、心がやすらぎ、
 楽しく、安全でさえある」というものです。
 地球上に多様な文化があります。
 他者を理解する、ということから、二十一世紀の幸福は
 出発するでしょう。
 人間は文化なのです。


しらとり・まさお
朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。

新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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