念願の高句麗壁画を北朝鮮で見た

2005年10月20日号

白鳥正夫

 威厳のある王の姿や墓主の姿があれば、裸で争っている力士もいます。馬にまたがっての狩猟や厨房での煮炊きなどの生活場面があれば、想像上の神獣である四神もありました。4世紀にもわたり描き続けられた高句麗の装飾壁画は、1300年以上もの歳月を経てなお鮮やかな色彩をとどめていました。北朝鮮の安岳3号墳など三基の壁画古墳を直に見てきましたので報告します。

羊角島国際ホテルからの眺望

史跡や遺跡を復旧し整備進む

 私が高句麗壁画に関心を持ったのは、北朝鮮初の世界遺産指定への動きと、その壁画の影響がある高松塚とキトラ古墳の劣化が同時進行のように伝えられたことによります。昨年7月の世界遺産登録をはさんで、シンポジウムの企画に関与し、高句麗発祥の地である中国の桓仁と発展の礎となった集安に赴き、鴨緑江をはさんで国境を接する北朝鮮を訪ねたいとの思いに駆られたのでした。そして韓国のソウルで開かれた高句麗学会に出席し高麗大学博物館で開催の展覧会を見て、平壌と近郊の壁画古墳を訪ねる機会を伺っていました。
 そんな時、日本にある高句麗会の永島暉臣愼会長から誘いがあり、立命館大学の和田晴吾教授を団長とする京都・大阪の研究者グループに同行して実現したのでした。一行14人は9月中旬、関西空港から中国の大連経由で瀋陽から、北朝鮮の平壌へ高麗航空で入国しました。中国での入、出国を経ても約7時間後には平壌空港に着くのですから、直行便が運行されれば2時間余の近さなのです。しかし国交のない国への渡航は初めてで緊張感を覚えました。何しろ拉致をはじめ核開発など難題山積で両国の関係は冷え切っているからです。事前に日本の旅行社を通じ入国許可を得ていましたが、所持品などの厳重チェックを予想していました。ところが携帯電話以外はパソコンを含めフリーパスなのに驚きました。
 入国後は北朝鮮の旅行社から日本語の流暢なガイドとその上司が待ち受けていました。旅行中、この二人の指示に従うことになりましたが、軍関係と農村などの撮影は厳禁でしたが、他はビデオを含め写真も許可されました。8日間の旅はほとんど遺跡と古墳めぐりに終始しました。北朝鮮で二番目の世界遺産の候補に上っている開城(ケソン)まで足を延ばせたことも収穫でした。
 最初の訪問地は故金日成主席の生家のある万景台を訪ねました。女性ガイドが日本語で説明してくれました。地方から多数の人が見学に来ていました。さらに故金主席の還暦を祝って創られた大銅像のある万寿台に赴きました。外国人客はまずここで献花をするのが習わしだといいます。
 その後、貸切バスで平壌城に移動しました。城壁は東が大同江に沿って北上し、最高部の北城から牡丹峰公園を通って南西に下り、普通江に沿って続いています。高句麗時代の名残をとどめた建物は朝鮮戦争時、アメリカ軍の爆撃で破壊され、戦後にいくつかの建物を復旧したといいます。その一つ乙密台は、6世紀中ごろ高句麗が内城を建築した際に軍事的指揮処として建てたものです。築台の横の道を進むと玄武門がありました。この名前は四神から由来したもので北側の守りに当てられていました。さらに高く市街が一望できる最勝台にも登り、高句麗時代の礎石も見学しました。

平壌城の玄武門

 その日午後には、高句麗の山城である大城山城へ向かいました。6つの峰を結ぶ尾根沿いに築かれています。東西2.3キロ、南北1.7キロで、山城内の面積は約2.7平方キロに及ぶそうです。城壁は一部二重、三重になっており、総延長が9.3キロもあります。きれいにツタで覆われた復原の南門を経て蘇文峰へたどりつきました。
 高い所では10メートルもある立派な城壁が復元されていました。この復元は学術的に疑問が残るとの説もあります。いずれにしても周辺には城石が散乱していました。この高台の南面には安鶴宮があり、その広大な跡地が眼下に見えました。さらには一筋の大同江の流れが望めました。
 山城は中国・桓仁の五女山や集安の山城山子山などでも見てきましたが、平地の城から緊急時のために背後に築いたのでした。それにしても大がかりな城壁の工期や動員された人数、そしてこのような城壁を築かなければ守れない権力や国家とは何なのか考えさせられました。四囲を海に囲まれた日本と、大陸につながる半島との違いなのかもしれません。

装飾壁画の保存・公開に工夫

 今回の旅でのお目当ては装飾壁画を自分の目で確かめることでした。安岳3号墳の墳丘は方台形で縦横約30メートル、高さが6メートルもあり、緑が映える芝生で覆われていました。そして片隅に世界遺産の登録を示す真新しい標柱が立っていました。本来、丘陵となっている所は、掘り込まれ半地下に石を積み、前室や東西の側室、回廊、玄室で構成されています。しかし墳丘には開口部なく、近くの事務所から入りました。すぐに地下に下りる階段がありトンネルをくぐって墓室の入り口にたどりつく構造でした。こうした羨道によって外からの空気の侵入をできるだけ防ぐ仕組みになっていたのです。

芝生の美しい安岳3号墳

安岳3号墳に描かれた相撲図
『高句麗壁画古墳』
(共同通信刊から)


 暗くて長い地下通路を通る間、次第に緊張感が高まってきました。いよいよ前室へ。入ってすぐに目に留まったのが左側壁面に墓主と見られる人物像が描かれ、その頭上に墨書が認められました。これが墓誌なのかどうか判明できないといいます。「墓主は誰なのか」「高句麗に亡命した燕の人、冬寿か、高句麗の国王なのか」。依然ナゾに包まれたままです。
 そして冒頭にも書きましたが、西側室の正面に王と思われる人物座像が目に飛び込んできました。ガラス越しとはいえ、まぎれもなく1500年有余も経た「壁画の実物」が目前にあると思うと興奮と感動を覚えました。飛鳥美人の高松塚とは異なるものの冠と華麗な衣装が鮮やかでした。王に向かって左の方には王妃が描かれているのですが、ガラスで仕切られた狭い場所からは残念ながら死角になっていました。
 一方、前室の東壁の左側には、互いに裸になって褌を締め、拳を振り上げ争っている力士姿が描かれているのに興味を引きました。日本の相撲の張り手に似た感じです。こうした相撲を描いた壁画は、中国・集安の4世紀末の角抵塚や5世紀中頃の長川1号墳にもあり、そのルーツや対岸交流の歴史を考えさせるものでした。
 徳興里古墳は1976年12月に発見されましたが、玄室に入る通路入口の上部に墓誌が記され、被葬者とその築造年代を知ることが出来る唯一の墳墓です。それによると被葬者は高句麗の好太王(広開土王)の臣下で大臣となった「鎮」という人物で、「永楽18年」に葬られたとあり、408年に築かれたことが分かります。
 ここでは開口部から墓室に入りましたが、入室に際し出口に置かれた換気装置を動かし保存へ配慮をしていました。内壁には人物や政治、社会生活、風俗などが多彩に描かれていました。日本との関係を物語る天の川と七夕伝説や神社のお祭りなどで見かける流鏑馬なども描かれていました。
 とりわけ前室の天井には月像と天女や仙女などの空想的な信仰世界と、その下の壁面には幽州13郡の太守が幽州刺史「鎮」に伺候している姿が捉えられました。懐中電灯を片手に、持ち込んだ壁画資料との確認をしていると約30分の持ち時間があっというまに経過してしまいました。
 徳興里から約2キロ、壁画見学の最後に江西三墓に移りました。ここには壁画のある大墓、中墓ともう一つ壁画のない墓があります。高句麗壁画は400年間にわたって連綿と築営されてきましたが、四神が描かれている大・中墓で終焉となりました。中国の唐と新羅の連合軍によって668年に滅ぼされたからです。
 三角形の南端に位置する大墓には、整備された開口部から入りました。東西南北の壁面いっぱいに、東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武が力強く迫ってきました。とりわけ青龍は真紅の舌を出し、胸を突き出し、頸に蛇蝮のような包帯をまき、3本の爪は荒々しい表現です。また玄武も、あたかも生きている亀に蛇が巻きついている構図で絵画的に見ても傑作中の傑作です。ガラス越しだが、四神美の極致といえるものでした。ここには人物や風習などの風俗画が排され、王族貴族たちの四神信仰の証しが感じられました。

徳興里古墳の外観
江西大墓に描かれた玄武図
『高句麗壁画古墳』
(共同通信刊から)

東アジアの歴史認識へ文化交流

 壁画以外にも、朝鮮民族の始祖とされる檀君陵や、高句麗建国の始祖王である東明王陵と定陵寺、真波里・雪梅里古墳群など数多くの古墳を外形から見学しました。さらに今回、事前に提出した要望により、高麗の王都、開城へも行くことができました。途中、成仏寺に立ち寄り、王宮のあった満月台、高麗の太祖王顕陵、南大門、高麗博物館などの史跡を巡りました。ここから板門店が目と鼻の先で、ソウルも近いのです。
 平壌では朝鮮中央歴史博物館へも二度訪れました。1945年に開館し、展示品も豊富でした。櫛目紋土器、支石墓,遼寧式銅剣、銀の帯金具、馬具、銘文城石などが展示されていましたが、高句麗室を中心に鑑賞しました。7月にソウルの高麗大学で展示されていた「火炎文透彫金銅冠」や高句麗瓦などを見ました。壁画古墳の内部構造もそっくりに復元されていて楽しめました。

高麗時代の開城の満月台
朝鮮中央歴史博物館の建物外観


 思えば壁画古墳とご対面出来たのが何よりの収穫でしたが、ベールに包まれた北朝鮮を垣間見れたことにも意義がありました。日本から独立してちょうど60年の節目に当たり、朝鮮労働党創建60周年の記念事業としてアリラン祭が開催中で10万人のマスパフォマンスを見てきました。人文字あり、歌と踊り、はたまたサーカスや美女軍団の出演、さらには映像やレーザー光線まで駆使しての催しには感心しました。
 とはいえ街中を自由に見物したり、田舎の暮らしを写真に撮ることなどは認められませんでした。日本からの入国は最悪状態で、ピーク時の10分の一に落ち込み年間約500人とのことです。ホテルには中国人があふれ、ドイツやフランスからの観光客が多数いました。韓国の太陽政策で近くソウルと北朝鮮・新義州との鉄道が再開するそうです。ガイドを通じても祖国統一への願いがひしひしと伝わってきました。
 日本の文化は大陸、半島と深く結びついています。高句麗壁画にも如実に現れています。広域的な東アジアの歴史観への視野が求められています。文化の交流は政治や経済問題を超えて必要なことを痛感した旅でした。

10万人が演じたアリラン祭

しらとり・まさお
朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。

新刊
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
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