米寿 浜田知明の新作展

2005年5月5日号

白鳥正夫

 自らの戦争体験を踏まえ、版画や彫刻作品を創作し続ける浜田知明さんは、今年米寿を迎えられました。美術の分野において「戦争と平和」のテーマを考えることの大切さを伝えようと、私は戦後50年記念に「ヒロシマ 21世紀のメッセージ」展を企画し開催しましたが、その展覧会の出品作家に、強烈な印象を残した一人の芸術家がいました。1917年、熊本県生まれの浜田さんでした。今月16から28日まで大阪のギャラリー新居で「浜田知明新作彫刻展2000−2004」が開催されますので、その人と作品を紹介します。

熊本の自宅近くで、浜田知明さん

核時代をテーマにした「ボタン」

 私が浜田さんの作品に接したのは1994年、広島市現代美術館の収蔵庫です。上記「ヒロシマ展」の準備でコレクション・テーマ「ヒロシマ」の中から出展作品を選んだことによります。作品は「ボタンB」のタイトルで35.5×51.0センチの小さな銅版画でした。でも作品の意味は重いものでした。

「ボタンB」1988年
広島市現代美術館所蔵

 作品の構図は、ひときわ大きい硬い表情の男が、前の男の後頭部に付けてあるボタンを押そうとしています。また、へらへらとした真ん中の男の指は、その前の男の背中のボタンを押そうとしています。最後にボタンを押す男は、頭部がすっぽりと布で覆われていて、顔も見えず人格が抹殺されています。そしてボタンを押す決定を下す大男の頭上にはきのこ雲が描かれています。それは意思のある行為を暗示しているかのようです。
 浜田さんはこの作品について次のようなコメントを寄せています。

モチーフについては、殊更解説の必要はあるまいと思う。今や人類の存否はこのボタンひとつにかかっていると言っても過言ではない。核の不安の上に辛うじて保たれている平和。現代の危機をどのように表現すればよいのか、長い試行錯誤の末に、私なりにこのような作品に辿り着いた

「ボタンB」は1988年の作品です。2年後には彫刻で「ボタンを押す人」を発表しています。米ソの冷戦構造は終焉したとはいえ、核をめぐる緊張は北朝鮮をはじめとして、現在もなお影を投げかけているのです。銅版画の「ボタン」は、核による戦争の構造と恐怖を、冷静にとらえており、彫刻の「ボタンを押す人」は、ユーモラスな造形ながら社会を風刺しています。そこには「美」はありませんが、独創的な表現力に優れた芸術性を感じさせます。

「ボタンを押す人」1990年
「浜田知明の全容」展図録から

自らの戦争体験が出発点に

 浜田さんは東京美術学校で油画を専攻しましたが、1939年に卒業後、応召されました。翌年中国大陸へ派遣され、その時の体験が、人間の愚かさや弱さ、社会の不条理を直視する画家としての出発点となったのでした。
 戦後、モノクロームの銅版画を自らの表現手段に選びました。版画は版を持つことによる再現性と、版を介することによる間接性が大きな特徴です。より多くの人に自身の絵に触れてもらいたい、という思いがあったのかもしれません。しかし浜田さんは同時に、版画という表現の枠を超え、彫刻の世界にも表現を広げていきます。
 1950年代に「初年兵 哀歌」シリーズなど銅版画制作で注目を浴び、53年にサンパウロ・ビエンナーレへ出品します。64年から65年は滞欧し、フィレンツェ美術アカデミー版画部名誉会員になるなど国際的な評価を得ます。
 1979年、ウイーンのアルベルティーナ美術館で個展、93年には大英博物館日本館でも個展を開催。この間、89年にはフランス政府からシュバリエ章を受賞しております。日本でも各地で個展が開かれますが、1996年に東京、富山、下関、伊丹で「浜田知明の全容」展が催されます。
 この展覧会は朝日新聞東京企画部が企画し、私は伊丹会場の担当デスクとして参画したのでした。会場に来られた作家と親しく懇談でき、作品について直接解説していただける機会に恵まれたのです。文字通り全容展にふさわしく200点を越す版画と彫刻が出展されました。
 代表作「初年兵哀歌(歩哨)」の構図は、暗い塹壕の中、ひとりの歩哨が銃を喉もとにつきつけ、足の指で引き金を引こうとしています。骸骨のような頭をもった歩哨の眼から、一筋の涙が頬を伝ってこぼれ落ちようとしています。浜田さんは「不安や危機感といった目に見えないものを表現したかった」と言います。
 「毎日、毎日なぐられた。ほっと自分に返れるのは、狭い便所の中と、夜、一人で歩哨に立っているときぐらい」と浜田さんは著書に書いていますが、戦時中の凄惨で不条理な体験は、深く重いテーマとなったのです。
自らの戦争体験を基に戦争への憎悪・平和への願いを版画や彫刻に託した浜田さんは、人間の持つ心の闇・残酷さを銅版画で見事に表現したゴヤと並んで、時代を超えた痛烈なメッセージを発する作家です。

「初年兵哀歌(歩哨)」1954年
「浜田知明の全容」展図録から

ユーモラスで哀れな人間を表現

 私は浜田さんの作品に興味を覚えると同時に人間性に魅かれました。1997年に別の展覧会で熊本を訪れた際に、2度ご自宅を訪ねました。その後、何度か手紙のやり取りをさせていただきました。穏やかな表情で語り、丁寧な字を綴る浜田さんですが、内に秘めた創作への意欲の激しさに驚かされました。その浜田さんが米寿を迎えられ、この5年間の新作を見ることができるのは感慨深いものです。
「浜田知明新作彫刻展2000−2004」には、「悩ましい夜」(2000年)「冷たい関係」「病院の廊下で」(いずれも2001年)「かげ・見えない壁」(2002年)「吠える男」(2003年)「水」(2004年)などが出品されます。
 なお同展は、東京のヒロ画廊に引き続いての開催で、6月8日から7月3日まで熊本市現代美術館でも巡回します。「セルパンの門」(2004年)は、82センチを超す大作で「熊本市現代美術館図書館のための作品」との副題が付けられていて、熊本会場のみの展示となります。

「冷たい関係」2001年
(以下、ヒロ画廊提供)

「病院の廊下で」2001年

「かげ・見えない壁」2002年
「セルパンの門」2004年

 さて私たちが目にする現代美術は多様的で、「戦争」とか「平和」といった時代の主題を捨てた感じさえします。しかし主題があるからといって、芸術の価値が減少することは断じてありません。浜田さんは、次のように主張しています。

人間は社会的な存在だ。だから、私は社会生活の中で生じる喜びや苦悩を造形化することによって、人々と対面したいと思う。そして、抽象では感じは伝えられても、言いたいことは伝わらない。人に訴えるには主題を持ち、具象的に描くしかない。

 いま、改めて浜田さんの作品に目を向けると、重い主題を作品に投影しつつも、おぞましく、どこかユーモラスで哀れな姿として描かれた人物たちに、深い共感を覚えるのです。


しらとり・まさお
朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。

新刊
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

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三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
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