トスティ歌曲に「夢」紡ぐ

2005年4月20日号

白鳥正夫

 「理想の人」「四月の夜に」「暁は光から」……。春の宵に、ピアノの伴奏に乗ってテノールやメゾソプラノの歌声が響き渡りました。いずれもイタリア近代歌曲の創始者とされる作曲家フランチェスコ・パオロ・トスティ(1846−1916)の名曲です。東京港区のラディソン都ホテルにあるチャペルでは、一昨年の「トスティ歌曲国際コンクール」の日本予選で1位になった在田恭子さん(東京都出身)や3位の渡邉公威さん(埼玉県出身)が美声を披露しました。日本ではなじみの少ないトスティに捧げるコンサートの開催には、一人の主婦の「夢物語」がありました。

メゾソプラノの歌声を披露する
「トスティ歌曲国際コンクール」の
日本予選で1位になった
在田恭子さん
東京のラディソン都ホテルの
チャペルで開かれた
コンサート風景

 

イタリア以外で初の日本予選

 奈良市のならファミリーにある秋篠音楽堂では2003年10月4日、張り詰めた空気が漂っていました。「トスティ歌曲国際コンクール」の日本予選が、イタリア以外で初めて開催されたのです。在田さんら3位までの前途ある歌い手が2004年5月に本場での本選に招待されました。この日本予選を実現させたのは主婦で声楽家の山口佳惠子さんでした。実に7年越しの運動が実ったのです。
 日本予選に先立って2003年7月、山口さんは秋篠音楽堂の控え室で、時折り目を閉じ、テープから流れる曲にじっくり聞き入っていました。トスティの曲と並び、「紫陽花」(団伊玖磨)「からたちの花」(山田耕筰)「悲しくなったときは」(中田喜直)などの日本歌曲の名曲が次々と流れました。予想を大きく上回る160人以上の応募者があり、テープ・MD審査で絞り込む作業が2日間続いたのです。
 音楽の世界では、「オペラのベルディ」に対し「歌曲のトスティ」といわれています。トスティは、12歳でナポリのサン・ピエトロ・マイエラ王立音楽学院に入学し、ヴァイオリンと作曲を学びます。卒業後、同院に勤めるかたわら、ローマで音楽家として成功し、イタリア王妃の声楽教師にもなりました。30歳代からはイギリスに定住し、王立音楽院の教師などを勤め、ロンドンで人気を得たのです。
 甘美な詩と美しい旋律の歌曲を300以上残し、代表作に「理想の人」「セレナータ」などがあります。近年、パバロッティら三大テノールの歌唱などで脚光を浴びました。トスティ生誕150周年の1996年、生誕地のイタリア・オルトーナ市で「トスティ歌曲国際コンクール」が創設されたのです。オリンピックと同じ4年ごとの開催で、2008年には第4回のコンクールを迎えます。

近代歌曲の創始者とされるトスティ


 
本場の協会と着実に交流

 山口さんは大阪教育大学特設音楽過程卒業後に専攻科を終了しました。奈良女子大学付属高校の教諭をし、その後も家で音楽指導に当たり、これまでの教え子は10歳代から70歳代まで数えきれないほどです。家族の理解もあって、後進の指導と声楽家として音楽活動を続けられたのです。
 1961年から教え子らと音楽を愛するグループを主宰し、演奏活動などをしていましたが、84年から名称を「みち」の会として再発足。その「みち」が主催し、96年に奈良でトスティ記念コンサートを開いたのが発端となりました。翌年には、なら・オルトーナ文化交流団を結成し、現地への研修交流が始まったのでした。

トスティ協会から
名誉会員に任命された
山口佳惠子さん


 山口さんにとって、大学受験の課題曲はトスティの「夢」(ソーニョ)でした。そのトスティと再び向き合うことになったのですが、イタリアでテノール歌手として活躍している延安昭一さんが支援の手を差しのべます。20年来の旧知だった延安さんは、山口さんを国立トスティ協会に紹介したのです。協会では日本の一地方で生誕記念のコンサートを始めたことに感激し、奈良に出向いてもいいとの話に発展したといいます。
 この間、山口さんは奈良県音楽芸術協会副会長などを経て、奈良市国際音楽交流協議会の組織作りに乗り出すことになったのです。国際文化観光都市として、伝統的な文化を継承させるとともに新しい文化を創造していこうとの趣旨でした。邦楽も含めた音楽愛好者の集まりを奈良市長も応援。1995年4月に発足後、市庁舎ふれあいコンサートなど地道な活動を続けてきました。この奈良市国際音楽交流協議会が、現在の日伊文化交流活動の基盤になったのです。
 トスティ協会との交流は着実に続きます。1997年にグループ「みち」の有志が研修に参加しましたが、山口さんの友人で邦楽グループ「古都路会」を率いる神末英子さんらも同行し、イタリアで「吉野静」を共演披露します。翌年にはトスティ協会のフランチェスコ・サンビターレ会長のほかソプラノ歌手やピアニスト、延安さんらを招いてコンサートを開いたのです。
 2度目の交流の旅となった1999年では演奏を学ぶ一方、「奈良の大仏さん」や「夏の思い出」など日本歌曲もイタリアで紹介しました。さらに2000年4月には協会で声楽コンクールのピアニストでもあるイサベラ・クリサンテさんを招いてコンサートを開くなど予選誘致の土壌を育んできました。その年の6月、イタリアに出向いた山口さんはトスティ協会と予選大会に関する基本協定書の調印にこぎつけたのでした。
 2001年は日本におけるイタリア年でした。朝日新聞社としてもトスティ日本予選大会を後援することになり、企画委員だった私も前年秋から実行委員の一人として加わることになったのです。01年4月には「トスティに捧げる名曲コンサート」が秋篠音楽堂で開かれ、私も聞き入りました。日本歌曲とのジョイントでしたが、優しい詩心、メロディーの豊かさなど多くの共通点があることが分かり、文化交流の意義を感じました。
 その時、山口さんはソプラノでトスティの「夢」を歌いました。この曲はP・ヴェルレーヌの詩「ほら、果実、花、葉、そして、ただ君のためにある僕の心。僕のすべては、君とともに過ごす時を夢見ている」に作曲したものでした。そののびやかな声に驚くとともに、山口さんの歌への限りない情熱に感銘を受けました。
 2001年は10月にもトスティ・アンサンブルを迎えての公演が開かれ、2003年の日本予選に向けてムードを盛り上げたのです。山口さんが委員長を勤める実行委員会も回を重ね93年4月には14回を数えました。この年から募集を始めたわけですが、専門的なコンクールだけに、果たしてどの程度の応募があるのか見当もつきません。予算のこともあり、「100人は集めたい」が事務局の思惑でした。日本予選は35歳以下が対象で、1−3位入賞者が生誕地で開催のコンクール本選に出場できたのです。

日本から持ち込まれた
たる酒の鏡割りで
日伊の交流を祝う参加者たち
(2004年5月、イタリア・オルトーナ)



奈良でアジア予選が次の「夢」

 山口さんの熱意は本場でも高く評価され、トスティ協会の名誉会員に推挙されました。世界で15人目、日本人では延安さんに次いで二人目です。昨年の現地本選の表彰式後に任命を受け、式典では鏡開きで日伊文化交流を祝ったのでした。さらに日本予選の成功もあり、奈良に事務局を置く日本トスティ協会支部の設立に発展しました。「日本でトスティを勉強するなら奈良で」との文化の創造につながったのです。
 国際コンクールの日本予選としては、チャイコフスキーコンクールがありますが、関西で新たな国際コンクールの道を開いた意義は大きいといえます。しかし4年に一度の催しということで、継続は至難なことです。一人の主婦が熱い思いで実現した灯を消してはなりません。
 山口さんは「打ち上げ花火にしたくありません。そのために毎年、現地との文化交流を積み重ねるのが大切です。次の目標は日本だけでなくアジアに広げた予選大会に拡大したい」と意気盛んです。
 しっかりと足場を築き、定着したトスティ記念のコンサートは、今春も東京に続き、秋篠音楽堂、東大寺大仏殿内、大阪音楽大学で開かれました。思えば山口さんの音大受験時の「夢」、それから歳月を経て再びトスティに魅せられた山口さんの「夢」は、なおも歌い継がれるように期待したいものです。

大仏を背景に開かれた東大寺でのコンサート


しらとり・まさお
朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。

新刊
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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