版画“三昧”と、お水取り展

2023年3月1日号

白鳥正夫

陽春間近、新型コロナも下火となっています。そうした時季、展覧会名にも誘われ和歌山県立近代美術館の「とびたつとき 池田満寿夫とデモクラートの作家」(~4月9日)を鑑賞してきました。1950年代から1966年ころまでの池田満寿夫の作品とともに、池田が影響を受け交遊のあった作家らの作品が約270点も展示され、堪能できました。また毎年、東大寺でお水取りがおこなわれるこの時季にあわせて開催される恒例の特別陳列「お水取り」(~3月19日)が奈良国立博物館で開かれています。同館では特集展示「新たに修理された文化財」も併催中です。ウクライナ戦争とコロナ禍の終息を願いながら、二つの美術・博物館の展覧会を取り上げます。


和歌山県立近代美術館の「とびたつとき 池田満寿夫とデモクラートの作家」
戦後、世界を席捲した日本の版画約270点展示

「とびたつとき」展は、戦後の1951年に瑛九(えいきゅう)が中心となって、大阪で結成された美術グループ「デモクラート美術家協会」が展開した活動を採り上げています。戦争への悔恨を抱いていた瑛九の考えを受け継いだ池田らは、それぞれが独立した自由な制作をめざし、「とびたつとき」の成果が回顧されています。

「デモクラート」とはデモクラシー(民主主義)を意味するエスペラント語で、既成の美術団体や画壇の権威主義を否定し、「既成画壇に出品しないこと」を唯一の参加条件とし、公募展に対する批判と反骨精神から生まれたのでした。東京、大阪、宮崎と拠点が分散し、画家のほかデザイナーや写真家、評論家、バレリーナに至るまで幅広い領域にまたがっていたことも特徴です。

1957年に日本初の国際現代美術展である東京国際版画ビエンナーレ展が開催され、メンバーの池田や関西を拠点にしていた泉茂らが入賞・入選したことを機に、デモクラート美術家協会は解散することとなりました。解散までの短い期間に、池田ら世界で活躍する多くの美術家たちを輩出しました。今回の展覧会は 当時世界を席巻した日本の版画を振り返ろうとの趣旨です。

池田満寿夫(1934~97)は、満州国奉天市に生まれ、終戦の年に父母と共に長野に引き揚げました。高校を卒業後、画家を志して上京しましたが、東京藝術大学を3回受験するも失敗。そうした頃の1955年に靉嘔(あいおう)に出会い、彼を通じて瑛九や美術評論家の久保貞次郎を知ることになります。

油彩画家としてスタートしますが、瑛九の助言で、色彩銅版画を始めます。1957年に東京国際版画ビエンナーレ展に入選、1960年には同展で文部大臣賞を得て脚光を浴びます。1965年には、ニューヨーク近代美術館で日本人として初の個展を開き、1966年、32歳のとき、棟方志功に次いで版画家としては最高権威のヴェネツイア・ビエンナーレ展版画部門の国際大賞を受賞しています。

その後は、版画を中心に挿絵、彫刻、陶芸、小説、映画などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍しています。とりわけ1977年に『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞したことと、陶芸の「般若心経」シリーズをパラミタミュージアムで見た時は、その多才ぶりに驚いたものです。

池田の版画や油彩作品は京都国立近代美術館や広島市現代美術館などのコレクション展示で見ていますが、まとまった作品展としては、「版画家 池田満寿夫の世界展」(2002年)、「池田満寿夫 知られざる全貌展」(2008年)以来でした。今回の展覧会で84点が出品されています。

この展覧会では、池田が亡くなって四半世紀、彼の版画作品が世界で評価され情熱的に展開されたその制作活動を検証し、合わせてデモクラートの作家たちの作品を紹介し、当時世界を席巻した日本の版画を振り返っています。

展示は年代順に、「デモクラートとの出会い」「起点としての瑛九」「夜明けまえ」「それぞれのとびたつとき」「池田満寿夫 とびたつとき]の5章で構成されています。

池田の主な作品を画像とともに掲載します。第33回ヴェネツイア・ビエンナーレ展版画部門で国際大賞を受賞した一連の作品のうち《愛の瞬間》(1966年、広島市現代美術館蔵)は、男の頭が女の肩に埋まり一体化を表現し、左端にも男女の抱擁が描かれていて印象深い一点です。


池田満寿夫《愛の瞬間》
(1966年、広島市現代美術館蔵)


《私の詩人、私の猫》(1965年、広島市現代美術館蔵)も、《愛の瞬間》同様モチーフに猫が登場し、しかも女性の服装に溶け込むかのように黄色と黒のストライブで描かれています。両足の表現も面白く、黒と黄色のわずかな色を主体に視覚的効果を感じさせます。


池田満寿夫《私の詩人・私の猫》
(1965年、広島市現代美術館蔵)


《海のスカート》(1965年、広島市現代美術館蔵)は、一見青い上衣に黄色のネクタイをした男性の様ですが、よく見ると足です。顔の部分に羊を抱く顔のない女性がうっすらと黒一色で描き込まれたユニークな作品です。スカートのように広がる青色は波打つ海を連想させます。


池田満寿夫《海のスカート》
(1965年、広島市現代美術館蔵)


ほかに油彩の《退屈な時間》(1955年)や、《白い岩石》(1957年)、《女・動物たち》(1960年、いずれも広島市現代美術館蔵)などが出品されています。


池田満寿夫《退屈な時間》油彩
(1955年、広島市現代美術館蔵)



池田満寿夫《白い岩石》
(1957年、広島市現代美術館蔵)



池田満寿夫《女・動物たち》
(1960年、広島市現代美術館蔵)


宮崎出身でデモクラート美術家協会を率いた瑛九(本名:杉田秀夫)の作品も2章で、《鳥のピアノ》(1957年、和歌山県立近代美術館蔵)など39点が出品されています。図録で寺口淳治・広島市現代美術館館長は「瑛九は、自立した自由な制作を続けたが、表現にかかわる自由は与えられるものではなく、それぞれつかみとりまもらねばならないことを、深い思考とその言動によって示していたのである」と、記しています。


瑛九《鳥のピアノ》
(1957年、和歌山県立近代美術館蔵)


このほか、茨城出身の靉嘔(本名: 飯島孝雄)の《倦怠》(1955年、個人蔵)や、関西ゆかりの泉茂の《闘鶏》(1957年、和歌山県立近代美術館蔵)と吉原英雄《きりきり舞い b》(1956年、個人蔵)、さらに加藤正、磯辺行久、利根山光人、舩井裕らの作品が数多く展示されています。


靉嘔《倦怠》油彩
(1955年、個人蔵)



泉茂《闘鶏》
(1957年、和歌山県立近代美術館蔵)



吉原英雄《キリキリ舞 b》
(1956年、個人蔵)


開催館の山野英嗣・和歌山県立近代美術館館長は、図録で「デモクラートの解散とともに、むしろ自由に飛躍していった作家たちが、さらに自らの表現を追い求めていった。そのひとりである池田満寿夫も、デモクラートへの参加によって、『とびたつとき』を迎えた」と、コメントしています。


奈良国立博物館の特別陳列「お水取り」
《二月堂光背 頭光》や《十一面観音》など65件

お水取りは東大寺二月堂で行われる仏教法会で、正式には修二会(しゅにえ)と言われ、春を告げる風物詩です。3月1日から14日間にわたる本行では、心身を清めた僧(練行衆)が本尊の十一面観音の前で宝号を唱え、荒行によって罪過を懺悔し、天下安穏などを祈願します。天平勝宝4年(752年)に東大寺の実忠和尚(じっちゅうかしょう)が初めて執行して以来、一度も絶えることなく1271年にわたって実施され続けてきました。

この年中行事に連動する奈良国立博物館の「お水取り」の特別陳列には、実際に法会で用いられた法具や、歴史と伝統を伝える絵画、古文書、出土品などが出品されています。今年は《二月堂本尊光背 頭光》や《十一面観音像》など、重要文化財19件を含む65件が出陳されています。


重要文化財《二月堂本尊光背 頭光》
(奈良時代 8世紀、東大寺)




重要文化財《十一面観音像》
(鎌倉時代 13世紀、東大寺)


主な出陳品を紹介します。重要文化財の《二月堂本尊光背 頭光》(奈良時代 8世紀、奈良・東大寺)は、修二会の本尊である二月堂十一面観音(大観音)の光背の頭光です。江戸時代の寛文7年(1667年)の火災で、本尊の光背は破損して断片が残るだけになってしまいました。復元的に配置したもので、表面には華麗な文様が施されています。

同じく重要文化財の《十一面観音像》(鎌倉時代 13世紀、東大寺)は、雲にのり、海上を飛来する十一面観音を描いた画像です。後方の観音の浄土、補陀落山(ふだらくせん)には、船で渡海してきた人々の様子や中腹の楼門、山頂の楼閣までが精緻に描き込まれています。観音の衣に施された緻密な文様や繊細な截金(きりかね)による衣文の描写も注目されます。

《二月堂縁起絵巻》2巻(室町時代 天文14年・1545年、奈良・東大寺蔵)は、修二会の創始や二月堂観音の利益(りやく)にかかわる説話を表した絵巻。図版は、本尊の十一面観音に供える香水(こうずい)が湧き出た場面です。画面下の岩から白黒2羽の鵜が飛び出し、そこから香水が湧き出ました。現在の閼伽井屋(あかいや)はその場所で、この香水を汲むことから修二会は「お水取り」と呼ばれています。


《二月堂縁起》
(室町時代 天文14年・1545年、東大寺)


今回初めて出品されたのが、《油甕》(安土桃山~江戸時代 16~17世紀、奈良文化財研究所)です。油の貯蔵に用いられた備前焼の大甕で、肩部に「三石入」(三石は約540リットル)の文字と、縦横三本線を直交させた窯印が刻まれています。かつて東大寺へ燈明油を納めていた油屋に甕として並んでいたものです。


《油甕》
(安土桃山~江戸時代 16~17世紀、奈良文化財研究所)


このほか、重要文化財の《香水杓(こうずいしゃく)》2枝(鎌倉時代 建長5年・ 1253年と建長7年・1255年)、《錫杖(しゃくじょう)》4柄(江戸時代 18~19世紀)、重要文化財の《二月堂神名帳(じんみょうちょう)》(室町時代 大永8年・1528年)、《朱漆塗担台(しゅうるしぬりにないだい)》(室町時代 15世、、いずれも東大寺蔵)など、お水取り行事にかかわる貴重な文化財が陳列されています。


奈良国立博物館の特集展示「新たに修理された文化財」
国宝の《飛天像(横笛)》など5件を公開

奈良国立博物館では、長い歴史を経て今に伝わる文化財を保存していくために、毎年計画的に修理を実施しています。文化財の多くが過去に人の手による修理を受けながら大切に保存されており、さらに未来へ継承する事業です。彫刻・絵画・書跡・工芸・考古の各分野の収蔵品(館蔵品・寄託品)について、前年度までに新たに修理された選りすぐりの文化財を展示公開し、その修理内容についてパネルでご紹介しています。

出陳品は、国宝の《飛天像(横笛)》金堂天蓋附属(奈良・法隆寺)のほか、《熊野宮曼荼羅》1幅(京都・聖護院)、《聖徳太子絵伝 》2幅(奈良国立博物館)、《二十八部衆立像のうち迦楼羅王・五部浄居天・毘沙門天・毘楼博叉天)4軀(奈良国立博物館)、《毘沙門天王三尊懸仏》 1面(奈良信貴山・朝護孫子寺)の5件」です。


国宝《飛天像(横笛)》
金堂天蓋附属(奈良・法隆寺)




《二十八部衆立像のうち迦楼羅王・五部浄居天・
毘沙門天・毘楼博叉天)》4軀
(奈良国立博物館)


 



しらとり まさお
文化ジャーナリスト、民族藝術学会会員、関西ジャーナリズム研究会会員、朝日新聞社元企画委員
1944年、新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。

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第二章 多種多彩、百花繚乱の展覧会
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第四章 アーティストの精神と挑戦
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第六章 展覧会、新たな潮流
第七章 「美」と世界遺産を巡る旅
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新聞社の企画事業に長年かかわり、その後も文化ジャ-ナリスとして追跡する筆者が、美術館や展覧会の現況や課題、作家の精神や鑑賞のあり方、さらに世界の美術紀行まで幅広く報告する
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・国家破綻危機のギリシャから
・「絆」によって蘇ったベトナム絹絵 ・平山郁夫が提唱した文化財赤十字構想
・中山恭子提言「文化のプラットホーム」
・岩城宏之が創った「おらが街のオケ」
・立松和平の遺志,知床に根づく共生の心
・別子銅山の産業遺産活かしまちづくり

「文化とは生き方や生き様そのものだ」と 説く著者が、平山郁夫、中山恭子氏らの文 化活動から、金沢の一市民によるベトナム 絹絵修復プロジェクトまで、有名無名を問 わず文化の担い手たちの現場に肉薄、その ドラマを活写。文化の現場レポートから、 3.11以降の「文化」の意味合いを考える。
ベトナム絹絵を蘇らせた日本人
「文化」を紡ぎ、伝える物語

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定価:1,680円(税込)
発行:三五館
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけな
いことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。
   

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