美術の新たな視点を提起する二つの展覧会

2021年11月1日号

白鳥正夫

美しさや巧みな表現だけではない、美術の新たな視点を提起する二つの展覧会を取り上げます。大阪の国立国際美術館では、芸術と社会の関係について考察し、芸術とは何でありえるのかと問う特別展「ボイス+パレルモ」が来年1月16日まで開催中です。一方、京都市京セラ美術館は開館1周年記念展として、7人のスペシャリストの眼が捉える「コレクションとの対話:6つの部屋」が、12月5日まで開かれています。私たちの日常は、なおコロナ禍にありますが、美術の新たな視点の奥深さに触れてみてはいかがでしょう。


国立国際美術館の特別展「ボイス+パレルモ」

芸術と社会の関係を問う作品約130点

現代美術の世界で今なお大きな影響を与え続けるボイスの約10年ぶり、その教え子であるパレルモの公立美術館では初めてとなる二人展です。彫刻家と画家である二人のドイツ人作家の作品は、芸術を生の営みへと取り戻そうと試みた点で共通していました。両者の1960−70年代の作品を中心に約130点を展示しています。

ヨーゼフ・ボイス(1921−86)は、第二次世界大戦以降の美術界において、もっとも重要な芸術家のひとりです。「ほんとうの資本とは人の持つ創造性である」と語り、ひろく社会を彫刻ととらえ社会全体の変革を夢見ていました。政治や環境問題にも介入し、多岐にわたる活動を展開しています。また「人は誰もが芸術家である」との言葉を遺すボイスは、教育者として多くの後進を育てました。

ブリンキー・パレルモ(1943−77)は、33歳という若さでこの世を去った早世の画家です。今や巨匠であるゲルハルト・リヒター(1932−)とともに学んでいます。およそ10年という短い制作期間のなかで、絵画の条件それ自体をさまざまに問い直していきます。そんなパレルモを、ボイスは教え子たちの中でも、自分にもっとも近い存在であると認めています。

今回の展覧会では、ボイスの60年代の最重要作品である《ユーラシアの杖》をはじめ、脂肪やフェルトを用いた作品、「アクション」の映像やドローイングなど約80点を展示し、その芸術実践にあらためて着目しています。また、パレルモの手がけた現存しない壁画作品のドキュメンテーションや、70年代の代表作である「金属絵画」まで、短い制作活動を約50点の作品で振り返っています。

ボイスとパレルモ、それぞれの作家の作品を概観しつつ、「フェルトと布」「循環と再生」といったキーワードで両者をつなぎ、新しい視点を提示。芸術と社会の関係について考察し、芸術とは何かと問いかけます。会期中、一部展示替え(前期:〜11月28日、後期:11月30日〜)があります。

展覧会はパレルモの死の少し前に撮影された、二人のツーショットから始まります。ヨーゼフ・ボイスの《ブリンキーのために》(1980 年頃、ヒロセコレクション)には、政治活動も行い、人々と熱く議論するボイスと、多くを語らず、作品も派手とは言えないパレルモは、まるで逆のようなポーズで映っています。いわば動と静の二人は対照的でした。


ヨーゼフ・ボイス
《ブリンキーのために》
(1980年頃、ヒロセコレクション)


二人が出会ったのはドイツの名門、デュッセルドルフ芸術アカデミーで、ボイスが1961年に教授として着任し、パレルモがその翌年に入学したのでした。ボイスは61年時すでに40歳でしたが、本格的に作家活動を始めたのがこの頃です。

新しい表現が「アクション」と呼ばれるパフォーマンスであり、その代表的な作例が67年に初演された《ユーラシアの杖》です。アジアとヨーロッパ、東と西を包摂する「ユーラシア」は、二元論的な思考に揺さぶりをかけるボイスにとって重要なテーマでした。《ユーラシアの杖》の記録映像には、どこか魔術的な雰囲気で部屋のコーナーに脂肪を塗り込んだり、横たわる柱を持ち上げて壁に斜めに立てかけたりするボイスの姿が映っています。

ボイスの展示作品には、《ユーラシアの杖》(1968-69 年、クンストパラスト美術館、デュッセルドルフ)や、《小さな発電所》(1984 年 国立国際美術館)などが出品されています。


ヨーゼフ・ボイス
《ユーラシアの杖》
(1968−69年、クンストパラスト美術館、
デュッセルドルフ)
© Kunstpalast-Manos
Meisen-ARTOTHEK



ヨーゼフ・ボイス
《小さな発電所》
(1984年、国立国際美術館)
Photo: Tom Carter


パレルモの作品からは、その変遷が如実に感じられます。当初、「矩形の内部に描かれる」ものだった「絵画」は、67年の《無題》では、3本の交差する木材と隙間に張られたキャンバスの構成物へと変化します。さらに、楕円のような形の平面に描かれたものや、離れて設置された複数のパーツからなるものまで、「絵画」というジャンルの定義を問うような志向を強めていきます。

「教師としてのボイスは私に、私自身、そして私の可能性の道筋を示してくれました」と語るパルレモ。絵画の自明性を疑い、それを一旦モノにまで還元するような仕事には、たしかにボイスとの共鳴を感じることができます。物体を動かして配置を変えることで、そのものの位相を変化させるボイスのアクションから、多くの影響を受けたようです。

パレルモの展示作品では、既製品の布を縫い合わせて抽象絵画のように見立てた「布絵画」シリーズの《無題(布絵画:緑/青)》(1969 年、クンストパラスト美術館、デュッセルドルフ )や、主として4枚の金属パネルに色彩を配する「金属絵画」シリーズの《無題》(1977 年、個人蔵)が注目されます。


ブリンキー・パレルモ
《無題(布絵画:緑/青)》
(1969年、クンストパラスト美術館、
デュッセルドルフ
© Kunstpalast−ARTOTHEK



ブリンキー・パレルモ
《無題》
(1974年、gigei10)


「フェルトと布」の展示では、そのタイトル通り、フェルトロールを壁にかけたボイスの《プライトエレメント》や、パレルモの「布絵画」が並んでいます。また、パレルモが自身のアイコンのように使った青い三角形と、ボイスの代表作であるフェルトのスーツは、空間におけるその象徴的なあり方で響き合います。もちろん、それぞれの作品には個別の文脈があるのですが、二人の作品を見比べる見せ方にも興味を引きます。

最後に掲載するのは、右がイスの《直接民主制の為のバラ》(1973 年)、左がパレルモの《無題》(1974 年、いずれもgigei10)です。二人を同時に紹介する今回の試みは、彫刻や絵画といった区分ではなく、色と形が響きあい、美術が持つ可能性を、鑑賞者に問いかけているようにも思えます。


右:ヨーゼフ・ボイス
《直接民主制の為のバラ》
(1973年、gigei10)

左:ブリンキー・パレルモ
《無題》
(1974年、gigei10)



特別展「ボイス+パレルモ」の展示風景




京都市京セラ美術館開館1周年記念展「コレクションとの対話:6つの部屋」

建築家や現代美術家らが実験的な試み

通常のコレクション展は、館の学芸員の企画意図によって作品の展示がなされるが、この展覧会はひと味違った試みです。ジャンルや時代を超えた画家、現代美術家ら故人を含むスペシャリストが異なるアプローチでコレクションと“対話”し、作品にまつわる秘められた歴史や物語を紐解き、作品に感化された新作を制作するなど、多様な表現で展示構成をしています。  

京都市京セラ美術館は、1933年に「大礼記念京都美術館」として開館。その後、地道に作品の収集を重ね現在約3800点の所蔵品を数えています。特に近代日本画コレクションとしては国内有数の内容を誇り、洋画・工芸・版画についても名品が多く含まれています。

これらのコレクションの中から、スペシャリストが独自の発想で、展示空間を思い思いに構成し、時間を可視化する場の創出など、実験的な試みを展開しています。コレクションの新たな魅力を引き出す6つの部屋を覗いてみましょう。

対話者のプロフィールと、その試みの概要について、プレスリリースを参考に紹介します。まず同館に在籍し草創期・転換期を支えた学芸職員の部屋は、「ことば×日本画」がテーマです。大礼記念京都美術館の構想時から京都市の学芸職員として開館準備に携わった竹内勝太郎(1894−1935)は、詩人、評論家としても活躍し、榊原紫峰ら多くの作家との人脈を持ち、開館時のコレクション形成に寄与しました。

戦後、米軍接収が解除され、京都市美術館としての再開館に立ち会った加藤一雄(1905−1980)は、美術史家、評論家として魅力あふれる文章を数多く残しています。作家との密接な関係から生まれた彼らのテキストが、所蔵作品に新たな視点を投げかけます。コレクションからは榊原紫峰の屏風《獅子》(1927年)や、川村曼舟の《霧氷》(1936年)などが展示されています。


川村曼舟
《霧氷》
(1936年、京都市美術館蔵)


続いて京都の洋画史に多大な足跡を残したフランス人画家のアンドレ・ロート(1885−1962)の部屋は、「西洋×日本の洋画」がテーマです。同館の洋画コレクションにおいて重要な位置を占める黒田重太郎(1887−1970)は、1920年代初頭にロートに師事し、様式化されたキュビスム絵画を描きました。手紙をはじめとする資料の紹介と、黒田重太郎の《渚に座する女》(1922年)など両者の作品の展示を通して、同時代の西洋と日本の洋画について考察を促します。


黒田重太郎
《渚に座する女》
(1922年、京都市美術館蔵)


3つ目の部屋は、同館館長も務める建築家の青木淳(1956−)の部屋で、「建築×日本画下絵」をテーマにしています。青木は所蔵品にある日本画の下絵を用いて展示空間を構成。日本画における素描や下絵には、完成作に至るまでの発想や探求、揺り戻しや再構築といった経緯が凝集されており、そこに建築図面との類似性を見出したのです。竹内栖鳳《写生帖(鳥類写生)》(1880〜81年)とともに、《青木淳によるファサドのためのコラージュ》などを並べ、展示空間を問い直し、日本画というジャンルに新たな視点をもたらしています。


《青木淳によるファサドのためのコラージュ》


気配の痕跡を集めて時を視覚化する現代美術家の宮永愛子(1974−)の部屋は、「時間×工芸」です。歴史ある京都の陶芸家の家系という自身の出自を辿り、過去の時間の新たな捉え方を提示。宮永東山をはじめとした1900年代前半の京都の工芸に触れ、幼少期から馴染みのある京都市美術館の建築空間にも着目し、過去、現在、そして未来の時間を出合わせる場を創出しています。(初代)宮永東山(印錦光山)の《彩釉蕪文花瓶》(1905年)に呼応して、自身の《Tracing Time》(2021年)を出品しています。


宮永愛子
《Tracing Time》
(2021年)の展示風景 
撮影:福永一夫


5番目の部屋は、ひろいのぶこ(1951−)の「テキスタイル×染織」です。ひろいは羊毛や絹などを中心に、紙や金属、貝釦など異素材を組み合わせ、織る・組む・縫うなどの技法によって作品を制作してきました。今回は、染織家山鹿清華(1885−1981)が残した糸や古裂の調査をもとに、そのユニークな作品制作について紹介。また、山鹿清華が所蔵していたシュニール糸を用いて織作品を制作しました。糸が結ぶ二人の染織作家の交流によって、唯一無二の展示空間が立ち上がります。 山鹿清華の《手織錦屏風 立花》(1935年)も展示されています。


山鹿清華
《織錦屏風 立花》
(1935年、京都市美術館蔵)


最後は、「映像×版画」の煖エ耕平(1977−)の部屋です。自身の制作の出発点でもある現代版画に焦点を当てます。過去に自身が発表した「京都市美術館のコレクションのリストを音読する作品」をアップデートし、新たにコレクションの文字情報に着目した映像も制作。音やイメージが連なり重なる様相を通して、版画の構造や概念、コレクションの在り方について追求します。自身の《畏敬のかたち、あるいは喚起の振る舞い−1》(2021年)などとともに、コレクションから木村秀樹の《Pencil 2-3》(1974年)などが出ています。


煖エ耕平
《畏敬のかたち、あるいは喚起の振る舞い−1》
(2021年)の展示風景
撮影:福永一夫


今回、会場構成を手がけた館長の青木淳は、次のような言葉で結んでいます。

コレクションとの対話が展示される。展示を支える空間の間で対話が始まる・そのふたつの対話が重なりあって谺(こだま)することを望んでいた。(京都市京セラ美術館開館1周年記念展「コレクションとの対話:6つの部屋」図録より)


「コレクションと対話」の展示会場






しらとり まさお
文化ジャーナリスト、民族藝術学会会員、関西ジャーナリズム研究会会員、朝日新聞社元企画委員
1944年、新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。

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第二章 多種多彩、百花繚乱の展覧会
第三章 アーティストの精神と挑戦
第四章 アーティストの精神と挑戦
第五章 味わい深い日本の作家
第六章 展覧会、新たな潮流
第七章 「美」と世界遺産を巡る旅
第八章 美術館の役割とアートの展開

新聞社の企画事業に長年かかわり、その後も文化ジャ−ナリスとして追跡する筆者が、美術館や展覧会の現況や課題、作家の精神や鑑賞のあり方、さらに世界の美術紀行まで幅広く報告する
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・国家破綻危機のギリシャから
・「絆」によって蘇ったベトナム絹絵 ・平山郁夫が提唱した文化財赤十字構想
・中山恭子提言「文化のプラットホーム」
・岩城宏之が創った「おらが街のオケ」
・立松和平の遺志,知床に根づく共生の心
・別子銅山の産業遺産活かしまちづくり

「文化とは生き方や生き様そのものだ」と 説く著者が、平山郁夫、中山恭子氏らの文 化活動から、金沢の一市民によるベトナム 絹絵修復プロジェクトまで、有名無名を問 わず文化の担い手たちの現場に肉薄、その ドラマを活写。文化の現場レポートから、 3.11以降の「文化」の意味合いを考える。
ベトナム絹絵を蘇らせた日本人
「文化」を紡ぎ、伝える物語

発売日:2012年5月5日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけな
いことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。
   

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