館蔵品中心に企画展、神戸沿線の4美術館

2020年11月8日号

白鳥正夫

コロナ禍で迎えた美術の秋、例年とは様子が異なります。海外の美術館展や名品展が影を潜め、館蔵品をテーマにした企画展が目に付きます。今回は神戸沿線の4展覧会にスポットを当てました。西宮市大谷記念美術館では「没後20年 今竹七郎展 近代日本デザインのパイオニア」が12月6日まで、横尾忠則現代美術館でも「横尾忠則の緊急事態宣言」が12月20日まで開催。また兵庫県立美術館では「吉田博 播磨造船所 絵画群」が12月27日まで、BBプラザ美術館でも「日本画コレクション 自然へのまなざし―絵とこころ」が今月17日から来年の2月7日までそれぞれ催されています。いずれも館蔵品を中心に新たな視点で仕立てた企画展です。西宮以外は神戸のミュージアムロード沿いにあり、周遊するのも一興です。

西宮市大谷記念美術館の「没後20年 今竹七郎展 近代日本デザインのパイオニア」
「オーバンド」など代表作400余点展示

「どこの誰だか知らないけれど誰もがみんが知っている月光仮面の…」をもじった、「どこの誰だか知らないが。そのデザイン!誰もがみんな知っている。」との文言がチラシ裏面に踊っています。なるほど「今竹七郎」という名前は知らずとも、輪ゴム「オーバンド」の黄色と茶色のパッケージ、「メンソレータム」の看護婦など、どこかで必ず見たことがあるのではないでしょうか。これらをデザインしたのが今竹七郎です。展覧会では、西宮市大谷記念美術館が所蔵する原画、グラフィックデザイン、商品パッケージ、絵画など400余点の代表作を展示し、日本のグラフィックデザインの先駆者として活躍した今竹七郎の足跡をたどっています。

今竹七郎(1905−2000)は、神戸市に生まれ、戦中から94歳で亡くなるまで西宮市に居住しました。バウハウスの理念を学び早くからデザインへの強い関心をもち、1929年に写真家の中山岩太と神戸商業美術研究所を設立。1931年から林重義に油彩を学んでいます。戦前には神戸大丸や燗屋の宣伝部に勤務するも、戦後に独立し、関西の芸術文化、特にデザインの分野に大きな功績を残しました。西宮市大谷記念美術館では、1998年に「今竹七郎展」、2005年に「生誕100年 今竹七郎 大百科展」を開催しています。

展示は、「序章.グラフィックデザイナーへの萌芽」「1.戦前におけるデザインの仕事」「2.戦後におけるデザインの仕事」「3.今竹七郎と西宮」「4.絵画制作」と5つのセクションで構成されています。数に圧倒されながらも、多才で多彩な作品を楽しみながら鑑賞できます。

セクションごとに代表作を紹介したいのですが、画像はデザインの仕事を中心に取り上げます。まず輪ゴムの「オーバンド」(1951年)は、株式会社共和のパッケージで、2013年度のグッドデザイン賞を受賞し現在も使われています。近江兄弟社の「メンソレータム」(1951年)の看護婦や「メンターム」(1971年)の少年とメンソレータムの看護婦の少女のデザインも長年親しまれてきた今竹の仕事です。このほか関西電力の社章デザイン、南海ホークスのシンボルマークなども手がけています。


今竹七郎 パッケージ「オーバンド」(1951年)
以下5点、いずれも西宮市大谷記念美術館蔵



チラシの表面に使われているのは「SYMPHONY in Silk」(1962年)のポスターで印象的です。ポスター作品では、「ランランポマード」(1936年)や、「第7回秋のをどり」(1941年)、「風邪ならダン」(1958年)、「大毎フェア・ランド」(1936年)など数多くあります。


今竹七郎 ポスター
「SYMPHONY in Silk」(1962年)



今竹七郎 ポスター
「ランランポマード」(1936年)



今竹七郎 ポスター
「第7回秋のをどり」(1941年)



今竹七郎 ポスター
「風邪ならダン」(1958年)


会場を回って、今なお新鮮さを失っていない今竹の作品の魅力に驚かされます。これらの作品は、すべて手作業でこなしていたのです。担当の下村朝香学芸員は、図録に「今竹がパソコンを使いこなしていたなら、誰もが到達していない新しいデザインを生み出すことに成功したかもしれないといった想像に興味は尽きない」と結んでいます。

横尾忠則現代美術館の「横尾忠則の緊急事態宣言」
コロナ禍、緊迫場面描いた作品展示

「兵庫県立横尾救急病院展」に続いて、今回は「緊急事態宣言」とは、まさに時宜を得た自在の企画展です。あっという間に世界に拡散し日常を一変させた新型コロナは、まるで映画のように、虚構と現実との境界線が曖昧になったような感覚に襲われます。コロナ禍の以前から、横尾忠則も虚実が交錯するかのような緊迫した状況を繰り返し描いてきました。今回の展覧会では、横尾の絵画における、危機的状況の表現に注目した企画展です。また横尾は現在、様々なビジュアルにマスクや口腔のイメージをコラージュする作品《With Corona》をウェブ上で展開しています。それらの表現を展示空間各所に散りばめるようなインスタレーションも合わせて鑑賞できます。

主な作品を、プレスリリースを参考に画像とともに掲載します。ポスターに使われている《ライオンと緑の月》(1996年、作家蔵〔横尾忠則現代美術館寄託〕)は、ルソーの《眠りジプシー女》を下敷きにしています。原作では眠るジプシー女の傍らにライオンが寄り添っていますが、横尾作品ではライオンがジプシー女を襲う情景がパロディーとして描かれています。


横尾忠則
《ライオンと緑の月》
(1996年、作家蔵〔横尾忠則現代美術館寄託〕)



催事的な緊迫の場面を捉えた《時代の肖像》(1991年、横尾忠則現代美術館蔵)は、湾岸戦争をテーマにしています。輪郭によって暗示されているのは、イラクのサダム・フセイン大統領(左)と、アメリカのジョージ・ブッシュ(父)大統領です。流れ落ちる滝の水が真っ赤に染まっているのは、戦争で流された人々の血を暗示しているとのことです。


横尾忠則
《時代の肖像》
(1991年、横尾忠則現代美術館蔵)



文字通り《屋外で危機一髪》(2001年、作家蔵〔横尾忠則現代美術館寄託〕)は、横尾が中学生時代に熱中した少年向け冒険小説「新ターザン物語 バルーバの冒険」シリーズの挿絵を引用した作品です。大ゴリラから美少女グレースを守ろうとするバルーバを迫力満点で描いています。


横尾忠則
《屋外で危機一髪》
(2001年、作家蔵〔横尾忠則現代美術館寄託〕)



世の中の耳目を集めた非日常の事件を見据えた《男の死あるいは三島由紀夫とR.ワーグナーの肖像》(1983年、横尾忠則現代美術館蔵)は、親交の深かった三島をモチーフにしたいくつかの作品の最初期のものです。篠山紀信が撮影した三島のポートレートを基にしています。


横尾忠則
《男の死あるいは三島由紀夫とR.ワーグナーの肖像》
(1983年、横尾忠則現代美術館蔵)



コロナ禍に即応し、前回展から展開しているマスクのイメージをコラージュした《With Corona》(2020年)は、毎日2〜3点増え続けています。作品はツイッターでも日々公開されていて、横尾は藝術新潮8月号の誌上の筆談インタビューで「できればマスクから解放されるまで続けられないかなと思っています」と記しています。


横尾忠則
《With Corona》
(2020年)



兵庫県立美術館の2020年コレクション展U 小企画「吉田博 播磨造船所 絵画群」
建造作業の様子や動員勤労学徒の姿

明治、大正、昭和にかけて風景画家の第一人者として活躍した洋画家・版画家の吉田博は、アジア・太平洋戦争の最中、相生市にある播磨造船所とその近辺で「銃後」の建造作業の様子、とくに動員勤労学徒の姿を描いていました。その絵が近年、同造船所の後身であるJMUアムテックとIHI相生事業所に保管されていることが明らかになり、ほとんどの作品を兵庫県立美術館に預けられたのです。

今回の展覧会は、寄託作品15点をお披露目するとともに、吉田が勤労学徒を送り出した学校にも絵を寄贈しており、その現存する4点と、播磨造船所と関係の深い旧・日本製鉄広畑製鉄所(姫路市)の絵2点なども合わせて油絵23点を展示。また、造船所や製鉄所の絵のために描かれた綿密な下絵も85点紹介され、制作過程を辿りながら作品を鑑賞することができます。

吉田博(1876−1950)は、福岡県久留米に生まれます。福岡県立修猷館に入学し、修猷館の図画教師であった洋画家の吉田嘉三郎の養子となります。京都で洋画家田村宗立に師事。上京して小山正太郎が主催する不同舎に入門し、明治美術会10周年記念展に、などに出品します。1899年に渡米し展覧会を開催し成功。その後、欧州にも渡り、展覧会を開くなど活躍します。日本の情緒豊かな風景を適格な描写力によって描き、国内よりも欧米で高い評価を受けました。

「吉田博 播磨造船所 絵画群」は、《播磨造船所 炎天下のイ鋲作業》(1944 年頃、JMUアムテック蔵〔兵庫県立美術館寄託〕)や、《播磨造船所 松の浦工場東船台》 (1944 年頃、IHI相生事業所蔵〔兵庫県立美術館寄託〕)をはじめ船台作業・組立作業など、当時どのように船が建造されていたのかもうかがえます。


吉田博
《播磨造船所 炎天下のイ鋲作業》
(1944 年頃、JMUアムテック蔵
〔兵庫県立美術館寄託〕)




吉田博
《播磨造船所 松の浦工場東船台》
(1944 年頃、IHI相生事業所蔵
〔兵庫県立美術館寄託〕)

また《播磨造船所 ハンマー・タガネ作業》(1944 年頃、JMUアムテック蔵〔兵庫県立美術館寄託〕)や、《播磨造船所 やすり仕上げの女学生》(1944 年頃、JMUアムテック蔵)のように、造船所で働く勤労学徒の姿を克明に描いた作品もあります。この時代の絵は現存するものが少なく、しかもこれだけの数が揃うのは貴重です。
 
なお同館では「特集展示」に、美術作品を鑑賞する際の目の働きに着目した「視覚遊戯―美術と目の愉しいカンケイ」も併催しています。こちらは所蔵作品の中から白髪一雄、八田豊、ヴィクトル・ヴァザレリらの作品約200点を展示しています。

BBプラザ美術館の2020年度コレクション展U「日本画コレクション 自然へのまなざし―絵とこころ」
日本画の多様な表現を彩る約85点

BBプラザ美術館は、鉄のリサイクル事業で知られる株式会社シマブンコーポレーション(本社・神戸市)の創業100周年事業の一環として、2009年に開館しました。
「暮らしの中にアートを」と標榜し、街中にあって開かれた展覧会活動を続けています。
日本を代表する近・現代の画家をはじめ、フランスの巨匠たちによる絵画や版画、彫刻作品など1500点以上を所蔵しています。今回は日本画コレクションに的を絞っての展覧会で、一部借用品を含め約85点を展示します。

一口に日本画といっても、現在は多様化しています。伝統的な絵画としての保守性と同時に現代絵画としての前衛性もあり、絵画表現は幅広いといえます。戦後、若き日本画家たちは、新たな材料の開拓で、伝統にとらわれない独自の表現を追求し、新しい日本画の創造に挑みました。多くの画家たちは、西洋絵画の造形表現や感覚的な特徴を摂取し、日本画絵具を用いて油彩画のように画面全体を塗りつぶすなど、造形的モダニズムの形成を試みています。

この企画展では、新生日本画の創造を牽引してきた日本画家たちの道程を、人物画、風景画、花鳥画、新しき日本画と大別しての展示となっています。加えて、神戸在住の日本画家・西田眞人氏の協力により、岩絵具、膠、和紙や筆なども展示し、画材を通して日本画の根源を探っています。

展示は4章で構成されていますので、各章ごとの主な出品作品を列記します。1章が「姿とこころ/人物画」で、燻R辰雄の《朝の光の中に》(1982年)や、石本正の《夢のあとに》(1986年)などです。


石本正
《夢のあとに》
(1986年)



2章は「自然の気息/風景画」。東山魁夷の《清晨》(1951年)はじめ、奥田元宋《遠山白雪》(1989年)、燻R辰雄の《二日の月》(1996年)、加山又造の《火山月光》(1973年)、平山郁夫《昇仙峡仙娥滝》(1964年)などの名作ぞろいです。


燻R辰雄の
《二日の月》
(1996年)



3章は「生物への慈しみ/花鳥画」で、前田青邨の《紅白梅》(1960-65年)ほか、山本大慈の《牡丹》(1975年)、野々内良樹の《庭の春》(1976年頃)などが並びます。最後の4章「表現の拡がり/新しき日本画」には、星野眞吾の《不詳》(1991年)や、下村良之介の《婁(る)》(1961年)、西田眞人《光のアーケード》(1996年)などが出品されます。


下村良之介の
《婁(る)》
(1961年)






しらとり まさお
文化ジャーナリスト、民族藝術学会会員、関西ジャーナリズム研究会会員、朝日新聞社元企画委員
1944年、新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。

新刊
「シルクロードを界遺産に」と、提唱したのは故平山郁夫さんだ。シルクロードの作品を数多く遺し、ユネスコ親善大使として文化財保存活動に邁進した。

社長業を投げ捨て僧侶になった小島康誉さんは、新疆ウイグル自治区の遺跡の修復や調査支援を30年も続けている。

シベリアに抑留された体験を持つ加藤九祚さんは90歳を超えて、仏教遺跡の発掘ロマンを持続する。

玄奘の意志に導かれアフガン往還半世紀になる前田耕作さんは、悲劇のバーミヤンの再生に情熱を燃やす。
シルクロードの現代日本人列伝
―彼らはなぜ、文化財保護に懸けるのか?

世界文化遺産登録記念出版
発売日:2014年10月25日
定価:1,620円(税込)
発行:三五館
「反戦」と「老い」と「性」を描いた新藤監督への鎮魂のオマージュ

第一章 戦争を許さず人間愛の映画魂
第二章 「太陽はのぼるか」の全文公開
第三章 生きているかぎり生きぬきたい

人生の「夢」を持ち続け、100歳の生涯を貫いた新藤監督。その「夢」に交差した著者に、50作目の新藤監督の「夢」が遺された。幻の創作ノートは、朝日新聞社時代に映画製作を企画した際に新藤監督から託された。一周忌を機に、全文を公開し、亡き監督を追悼し、その「夢」を伝える。
新藤兼人、未完映画の精神 幻の創作ノート
「太陽はのぼるか」

発売日:2013年5月29日
定価:1,575円(税込)
発行:三五館
第一章 アートを支え伝える
第二章 多種多彩、百花繚乱の展覧会
第三章 アーティストの精神と挑戦
第四章 アーティストの精神と挑戦
第五章 味わい深い日本の作家
第六章 展覧会、新たな潮流
第七章 「美」と世界遺産を巡る旅
第八章 美術館の役割とアートの展開

新聞社の企画事業に長年かかわり、その後も文化ジャ−ナリスとして追跡する筆者が、美術館や展覧会の現況や課題、作家の精神や鑑賞のあり方、さらに世界の美術紀行まで幅広く報告する
展覧会が10倍楽しくなる!
アート鑑賞の玉手箱

発売日:2013年4月10日
定価:2,415円(税込)
発行:梧桐書院
・国家破綻危機のギリシャから
・「絆」によって蘇ったベトナム絹絵 ・平山郁夫が提唱した文化財赤十字構想
・中山恭子提言「文化のプラットホーム」
・岩城宏之が創った「おらが街のオケ」
・立松和平の遺志,知床に根づく共生の心
・別子銅山の産業遺産活かしまちづくり

「文化とは生き方や生き様そのものだ」と 説く著者が、平山郁夫、中山恭子氏らの文 化活動から、金沢の一市民によるベトナム 絹絵修復プロジェクトまで、有名無名を問 わず文化の担い手たちの現場に肉薄、その ドラマを活写。文化の現場レポートから、 3.11以降の「文化」の意味合いを考える。
ベトナム絹絵を蘇らせた日本人
「文化」を紡ぎ、伝える物語

発売日:2012年5月5日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけな
いことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。
   

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
「ぶんかなびで知った」といえば送料無料に!!
 

 

もどる