コロナ禍、お勧めの美術書新刊と展覧会

2020年4月12日号

白鳥正夫

新型コロナウイルスの感染はあっという間に世界に広がり、公立の美術館も軒並み休館に追い込まれています。こうした時期に、ぜひ読んでいただきたい新刊美術書の吉村良夫著『美術と私たちの近・現代』(マニュアルハウス刊)を取り上げます。また西宮大谷記念美術館で開幕したものの緊急事態宣言で当面休館(5月7日まで。状況により、休館期間を延長する場合があります)の日本で初めての回顧展「メスキータ」が、6月14日までの会期ですので、まずはこのサイトで紹介しておきます。

美術記者が足で書いた力作『美術と私たちの近・現代』
 美術ジャーナリストして約40年、37編を厳選


吉村良夫著
『美術と私たちの近・現代』
(マニュアルハウス刊)の表紙


著者の吉村良夫さんは、朝日新聞社の尊敬する先輩です。1939年(昭和34年)新潟県に生まれ、81歳です。幼少時満州国奉天市(現在の中国瀋陽市)に育ち、戦後の昭和21年に帰国。京都大学文学部を卒業し、昭和37年から平成6年まで朝日新聞記者として勤務しています。新聞社では京都支局を経て、主に大阪本社学芸部に所属し、美術記者として活躍されました。

時を隔て、新聞編集の整理部に所属していたことがありましたが、同じ職場で共に働いたことはありません。ただ私が定年前の10数年企画部に在籍したことがあり、展覧会を企画した際に、特集記事を何度か執筆していただいただいた接点がありました。当時、美術記者は吉村さん一人で、絵画や彫刻、文化財から現代美術まで多方面にわたって担当していたことをよく憶えています。今にしてみれば、相当の激務をこなしていたと感心します。

平成6年に退職後、芸術の都パリに赴き、美術学校などに通い約3年間多様に学び直しています。この時代も在仏日本人向けの雑誌などにも執筆しています。私が展覧会企画を担当した「ベルギーの巨匠5人」展の特集記事をパリ在住の吉村さんに依頼したこともありました。帰国後は大学の講師として教鞭をとりながら、美術評論家として現在も活動を続けています。

吉村さんは朝日新聞時代、週2回の文化面に大阪本社管内の近畿、中・四国、北陸など16府県で開催の展覧会を取材し、署名の批評記事をはじめ美術イベントの案内記事など2000本を超す膨大な原稿を書いています。その後も合わせこれまで通算して約40年もジャーナリストとしての取材歴があり、パリから帰国後も図録や美術雑誌などに300本もの原稿を執筆しています。

新刊は四六判並製、242ページ(2,000円+税)。内容は、これまで『日本美術工芸』や、『美術フォーラム21』などの美術誌に寄稿した数多くの原稿の中から37編を厳選しまとめています。いずれも独自の視点で現代を問い直していて、示唆に富みます。お申し込みは最寄りの書店へ。まずは、いくつかの文章を抜粋してみましょう。

第1章「見わたして考える」の冒頭に「自殺をやめる気にならせた絵」の一文があります。京都国立近代美術館長だった河北倫明さんから聞いた実話で、死にたいと思って家を出た女性が村上華岳の《裸婦図》(1920年、山種美術館蔵)を見て、亡母の面影を偲び自殺を思いとどまった逸話を記しています。


村上華岳《裸婦図》
(1920年、山種美術館蔵)


吉村さんは華岳の「単に一人の女を描かうとしたものではなくて、その腕にも、その髪にも、或は頬や乳房に、山川草木の美しさ、自然の凡てのものから受ける喜びを表現しやうとしたのでした。(中略)私はあの『裸婦』の続きを製作してゆきたいと思っています」の言葉を引き出し、次のような文章で結んでいます。

1939年に、華岳は51歳で亡くなった。2年後に始まった太平洋戦争は知らずに済んだが、病弱でなければ、もっと長く生きていても不思議ではない。おぞましい戦中、戦後の世相変転にもしも巻き込まれていたならば、その「心持」はどんな製作に向かって行っただろう。見知らぬ女性に自殺を思いとどまらせた「裸婦図」の続きは、どんな表現になっていただろうか。

(文芸誌「ぜぴゅろす」1012年春・第8号)


第4章が「パリで暮らした間の見聞」で、「パリで奈良の仏の素晴らしさを見直す」の文章もあります。1996年秋、パリのグランパレで開催された「日本仏教美術の宝庫--奈良・興福寺展」を現地で取材した記事には、「日本で見る場合とは印象が違った」と、こう綴られています。


国宝の運慶《無著菩薩立像》
(鎌倉時代 1212年頃、興福寺蔵)


今回最も注目された「無著・世親」像は、貴族政権の没落期に戦火で焼かれた奈良の復興を祈って新たな武士政権の変革エネルギーと呼応しながら、運慶父子が彫り上げたといわれる。仏像というよりは人物彫刻といいたいほど自然で、生き生きとした作品だ。そこに凝縮された意志の表現が、この会場では、日本でみていたときよりも強く迫ってくることに驚かされた。自分は日ごろ祈る習慣すらない程度の仏教徒だが、それだけに、この彫刻が信仰を超えて人間を問い存在を問い直す姿に、あらためて揺さぶられたのだった。

(『日本美術工芸』1997年1月号)


このほか、ピカソとロスコ、モローやフェルメール、現代日本を代表する横尾忠則や森村泰昌、絹谷幸二らの作家論をはじめ、バブル時代の美術展ラッシュや、戦後日本の表現世界の展開など、縦横無尽な美術批評やエッセイが、練達の文章で綴られ、どこからでも興味深く読めます。

吉村さんは近年体調を崩し、年に一度お会いできるかどうかです。時折近況や寄稿文のコピーを寄せてくれます。美術だけでなく短歌も詠みます。80歳になった昨春、毎日歌壇に入選した一首です。満州の国民小学校で敗戦を迎え、酷い体験をした心情が窺えます。
 
亡き父の「昭和」の戦禍「平成」後「令和」に繰り返させてたまるか

西宮大谷記念美術館で初の回顧展「メスキータ」
非業の死、知られざるアーティストの約240点


メスキータとは、初めて聞く名前です。昨年上京した際、東京ステーションギャラリーの次回予告チラシを見て注目しました。というのも「エッシャーが、命懸けで守った男」と謳われていたからです。エッシャーと言えば、「だまし絵」で知られるオランダの奇才で、当サイト(2018年12月3日号)でも取り上げています。何とそのエッシャーは、メスキータの教え子で、彼を生涯の師として敬愛していたそうです。東京展は見逃していましたが、西宮展の開幕日に開かれたプレス内覧会に駆けつけ、じっくり鑑賞できました。ところがコロナ禍で突然の休館。ひと足早く、このサイトで、代表作の画像とともにご覧になってください。

サミュエル・イェスルン・デ・メスキータ(1868-1944)は、ポルトガル系ユダヤ人の家庭に生まれました。ハールレムやアムステルダムで、画家、版画家として、また、装飾美術の分野でデザイナーとしても活躍、19世紀末から20世紀初頭のオランダにおける最も重要なグラフィック・アーティストの1人と言われています。今回の展覧会は、ドイツの個人コレクターの所蔵品から選ばれた版画約180点と油彩や水彩など約60点の約240点による日本で初めての回顧展です。
 
メスキータは国立美術アカデミーを受験するも不合格となり、国立師範学校で美術教育の資格を取りました。1902年にハールレムの応用美術学校の教師になり、エッシャーはここでメスキータの教えを受けます。しかし1940年、ドイツはオランダを占領。ユダヤ人であったメスキータは1944年、家族もろともゲシュタポに逮捕され、アウシュビッツで75歳の生涯を閉じました。

師の悲報を嘆いたエッシャーは、いちはやくアトリエに残された膨大な作品の一部を友人たちと決死の思いで救い出し、戦時中も命懸けで守り抜きます。終戦後すぐにメスキータの展覧会も開催しています。今日までメスキータ作品が残っているのは、エッシャーの尽力があったからでした。

メスキータは初期、油彩や水彩、ドローイングなどを制作していますが、1890年以降の活動は、エッチング、リトグラフ、木版画から、染物や雑誌表紙のデザインまで多岐にわたっています。デザインの分野では、幾何学的な構成を生かし、雑誌の表紙や挿絵、染織デザインなどを手がけました。また、多くの時間を費やして無意識的に描いたドローイングは、自由な発想に満ちており、メスキータの別の一面を示しています。

最大の特色は、木版画のシャープで簡潔な表現にあります。モダン・デザインの興隆を背景に、日本の浮世絵版画などの影響を取り入れた木版画は、白と黒とのコントラストとデザイン感覚あふれる理知的で明快な線により表現されています。鋭い切れ味の線描による大胆な構成、明暗の強烈なコントラストを生かした装飾的な画面は、見る者に強い印象を与えます。

展覧会は、5章で構成されています。章ごとの内容と、主な作品を画像と合わせ掲載します。第1章が「メスキータ紹介」で、自画像はじめ、妻や息子をモデルにした作品、身近な人々の肖像などがあります。生涯を通じ自画像を制作しており、《髭に手をやる自画像》(1917年)もその1点で50歳頃です。後年の自画像では、年齢を重ね深く刻まれた皺など冷静に観察されています。


メスキータ《髭に手をやる自画像》(1917年)
Photo:J&M Zweerts
以下、いずれもメスキータ作品、個人蔵


自画像と並び、妻と一人息子のヤーブはお気に入りのモデルで幼い頃から成人した後まで繰り返し描いています。《マントを着たヤープ》(1913年)から一転、成長した息子の《ヤープ・イェスルン・デ・メスキータの肖像》(1922年)は迫力があり、一度目にしても印象に残る作品です。


《マントを着たヤープ》(1913年)
Photo:J&M Zweerts



《ヤープ・イェスルン・デ・メスキータの肖像》
(1922年)
Photo:J&M Zweerts


第2章が「人々」で、特定の人物の肖像画のほか寓意的・象徴的な意味を持つ作品など多岐にわたります。明暗や立体感の表現にも様々な工夫が凝らされています。《うつむく女》(1913年)は、黒と白のコントラストの表現で、女性の物憂げな様子を巧みに捉えています。


《うつむく女》(1913年)
Photo:J&M Zweerts


本展の特徴の一つが、ステート違いの作品を展示している事です。版画の制作では、工程の段階ごとに試刷りをしていくため、最初の試刷りが第1ステート。その後、最終ステートまで番号が増えていきます。ステートを追う事で、創作のプロセスが楽しめます。《ユリ 第3ステート(全5ステートのうち)》(1916-17年)では、第1ステートでは人物が一人で黒ベタのままですが、次第に人物が二人になり、茎も輪郭線から細かに絵が描かれます。


《ユリ 第3ステート(全5ステートのうち)》
(1916-17年)


《エクスタシー 第3ステート(全5ステートのうち)》(1922年)の各ステートには微妙な差異が認められます。右足が前になる作品もあり、この作品は刷った紙を裏返しにし、図柄が反転、黒ではなく、茶色の絵の具で刷られています。


《エクスタシー 第3ステート(全5ステートのうち)》
(1922年)
Photo:J&M Zweerts


第3章は「自然」です。動植物をモチーフに作品の多くは、アムステルダムの動物園で取材しています。中にはエキゾチックな動物や熱帯の植物などの作品もあります。《シマウマ》(1918年頃)は、見たままを写しても作品になりそうで、美術学校の生徒に題材として勧めなかったそうです。それは形を「いじる」余地があまりなかったからでしょうか。対象を象徴的に描いた《ワシミミズク》(1915年)や、彩色のエッチングの《椿》(1910年)もインパクトがあります。


《シマウマ》(1918年頃)
Photo:J&M Zweerts
Photo:Martin Wissen
Photography,Borken,Germany



《ワシミミズク》(1915年)
Photo:J&M Zweerts



《椿》(1910年)
Photo:J&M Zweerts


メスキータは版画作品のかたわら、生涯を通じ膨大なドローイングを描いています。本人によれば「まったく意図していない無為意識の表れ」とのことですが、想念のおもいつくまま紙に描き連ねたようです。第4章が「空想」で、エジプト風のモチーフや、幻想的なヴィジョンや歪曲された人体などの作品が並びます。《ファンタジー:稲妻を見る二人》(1914年)は木版画作品ですが、黒と白が反復し、稲妻と人物の皺が呼応する面白い構図です。


《ファンタジー:稲妻をみる二人》
(1914年)
Photo: J&M Zweerts


最後の第5章は「ウェンディンゲン」です。メスキータが表紙のデザインを担当した建築と美術の雑誌『ウェンディンゲン』(1912年創刊、1932年廃刊、116号発行)も並びます。表紙は1920年代の様々なスタイルの作家がデザインを手掛け、メスキータは計9回を担当し、うち2回は、メスキータ自身の特集でした。『ウェンディンゲン』第5巻11・12号[特集:建築家プロジェクト(ルトマン、ブラーウ、クロウェル)]もメスキータが担当しています。


『ウェンディンゲン』第5巻11・12号
[特集:建築家プロジェクト
(ルトマン、ブラーウ、クロウェル)]   
Photo:Martin Wissen
Photography,Borken,Germany


コロナ禍で、所蔵家のクリスティアン・オルトヴィン・ヴォルタース氏が来日出来ず、展覧会は予定通り開幕したものの、ほぼ1ヵ月の休館です。展覧会の再開時、非業の最期を遂げた知られざるメスキータの魅力的で新鮮な作品の鑑賞をぜひお勧めします。

 



しらとり まさお
文化ジャーナリスト、民族藝術学会会員、関西ジャーナリズム研究会会員、朝日新聞社元企画委員
1944年、新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。

新刊
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―彼らはなぜ、文化財保護に懸けるのか?

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定価:1,620円(税込)
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「反戦」と「老い」と「性」を描いた新藤監督への鎮魂のオマージュ

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第二章 「太陽はのぼるか」の全文公開
第三章 生きているかぎり生きぬきたい

人生の「夢」を持ち続け、100歳の生涯を貫いた新藤監督。その「夢」に交差した著者に、50作目の新藤監督の「夢」が遺された。幻の創作ノートは、朝日新聞社時代に映画製作を企画した際に新藤監督から託された。一周忌を機に、全文を公開し、亡き監督を追悼し、その「夢」を伝える。
新藤兼人、未完映画の精神 幻の創作ノート
「太陽はのぼるか」

発売日:2013年5月29日
定価:1,575円(税込)
発行:三五館
第一章 アートを支え伝える
第二章 多種多彩、百花繚乱の展覧会
第三章 アーティストの精神と挑戦
第四章 アーティストの精神と挑戦
第五章 味わい深い日本の作家
第六章 展覧会、新たな潮流
第七章 「美」と世界遺産を巡る旅
第八章 美術館の役割とアートの展開

新聞社の企画事業に長年かかわり、その後も文化ジャ−ナリスとして追跡する筆者が、美術館や展覧会の現況や課題、作家の精神や鑑賞のあり方、さらに世界の美術紀行まで幅広く報告する
展覧会が10倍楽しくなる!
アート鑑賞の玉手箱

発売日:2013年4月10日
定価:2,415円(税込)
発行:梧桐書院
・国家破綻危機のギリシャから
・「絆」によって蘇ったベトナム絹絵 ・平山郁夫が提唱した文化財赤十字構想
・中山恭子提言「文化のプラットホーム」
・岩城宏之が創った「おらが街のオケ」
・立松和平の遺志,知床に根づく共生の心
・別子銅山の産業遺産活かしまちづくり

「文化とは生き方や生き様そのものだ」と 説く著者が、平山郁夫、中山恭子氏らの文 化活動から、金沢の一市民によるベトナム 絹絵修復プロジェクトまで、有名無名を問 わず文化の担い手たちの現場に肉薄、その ドラマを活写。文化の現場レポートから、 3.11以降の「文化」の意味合いを考える。
ベトナム絹絵を蘇らせた日本人
「文化」を紡ぎ、伝える物語

発売日:2012年5月5日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけな
いことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。
   

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