「猿描き狙仙」と「毘沙門天」、注目の企画展

2020年3月3日号

白鳥正夫

新型コロナウイルスの感染が広がり、鬱陶しい日々ですが、季節は春です。関西の美術館も展示替えの時期です。その中で、極めて特化した内容の2つの企画展を紹介します。江戸時代の大坂で猿の絵で知られる特別展「猿描き狙仙三兄弟 −鶏の若冲、カエルの奉時も」が、大阪歴史博物館で4月5日まで開かれています(ただし新型肺炎拡大防止のため3月16日まで休館。※3月17日は通常の休館日です)。福の神の一つ毘沙門天に焦点を当てた特別展「毘沙門天 −北方鎮護のカミ−」は、奈良国立博物館で3月22日まで開催中(ただし新型肺炎拡大防止のため3月15日まで休館)です。狙仙三兄弟を取り上げた展覧会や、毘沙門天彫像を一堂に集めての展覧会は、過去に例が無く注目されます。

大阪歴史博物館の「猿描き狙仙三兄弟 −鶏の若冲、カエルの奉時も」

  動物画オンパレード、江戸絵画の妙約100点

「江戸時代の大坂で名高い絵師のひとりに、森狙仙(そせん)がいます」と、チラシの冒頭に記されています。しかし正直言って、森狙仙の名は聞いたことがありましたが、作品は知りませんでした。美術の世界では、力量や業績がありながら、いつの間にか忘れられ埋もれている作家が数多くいます。まして江戸時代の絵師ですから。そうした知られざる絵師にスポットを当てていただくのも展覧会の楽しみです。

大阪歴博では、5年前に江戸中期に大坂で人気を博した絵師に着目した「唐画(からえ)もん−武禅(ぶぜん)に?苑(ろうえん)、若冲も」展を開催していて、中国由来の絵画を描く唐画師を「ドラえもん」にもじって付けた洒落たタイトルとともに印象に残っています。今回の展覧会では、狙仙に加え、当時は著名な画家だった二人の兄の陽信(ようしん)と周峰(しゅうほう)の作品も展示しています。三兄弟を取り上げた企画展は初めてです。

さらに同時代に大坂と京都で活躍した絵師で名の知れた、鶏(とり)を得意とした伊藤若冲(じゃくちゅう)、虎の絵で知られる岸駒(がんく)、蛙の松本奉時(ほうじ) らの動物画、耳鳥斎(にちょうさい) 戯画など約100点を展示し、見ごたえのある展覧会の内容になっています。

森狙仙(1747? 〜1821)は、絵師の森如閑斎の三男として生まれます。兄の陽信(1738〜1823)、周峯(1738〜1823)ともども狩野派の描法を受け継ぎながら、円山応挙の影響を受けて、写実を重視するようになり、猿画の名手として評判が高くなります。狙仙は当初、示偏(しめすへん)の「祖」の字を号に用いていましたが、獣の絵で有名になったため、獣偏(けものへん)の「狙」に改め、「猿描き狙仙」と評されたといいます。

展覧会の構成を、プレスリリースを参考に画像とともに掲載します。序章の「三兄弟の源流」から始まり、三兄弟が学んだ円山応挙の写生画をはじめ、大坂の狩野派や浮世絵、中国絵画などが紹介されています。その後、第一章「長兄森陽信」、第二章「次兄森周峯」、第三章「末弟森狙仙」と続き、それぞれの代表作が展示されています。

ここはまず狙仙から主な作品を取上げます。《猿候図》中井竹山賛(天明7年 1787年、大阪歴史博物館蔵)は、猿の毛を一本一本丁寧に描き、獣毛の柔らかさを巧みに表現しています。狙仙の猿図には、吉祥性が込められていることが多く、この猿図に描かれる二匹の猿を親子と見れば子孫繁栄の意図を読み取ることもできます。


森狙仙《猿候図》中井竹山賛、部分図
(天明7年 1787年、大阪歴史博物館蔵)


このほか屏風仕立ての《岩上群猿図》(文化4年 1807年、三井記念美術館蔵)や《親子猿図》(寛政7年 1795年、個人蔵)など猿の絵がずらり並びます。猿の柔らかな体毛の質感を表現し、生き生きとした表情やユーモラスな仕草が描かれ「狙仙ならでは」の表現力です。申年生まれの筆者は、にわかに狙仙の作品に親近感憶えました。


森狙仙《岩上群猿図》
(文化4年 1807年、三井記念美術館蔵)



森狙仙の作品が並ぶ展示会場

陽信は狩野派風の表現を得意としました。《諫鼓鶏(かんこどり)図》(江戸時代 18−19世紀、個人蔵)は、古代中国の天子が自身の政治を諌めるための太鼓を置いたものの、善政が続いたため誰も打ち鳴らさず、鳥が住み着いたという故事に基づいています。金箔の画面に堂々とした雄鶏の鮮やかな鶏の白色が映える華麗な作品です。大坂の豪商鴻池家旧蔵とのいわれを持つそうです。


森陽信《諫鼓鶏図》
(江戸時代 18−19世紀、個人蔵)


周峰は狩野派風の山水画だけでなくリアルな動物画、ユニークな仙人図なご多彩な活動を展開します。《蝦蟇(がま)仙人図》(江戸時代 18−19世紀、個人蔵)は、蝦蟇を従えて、さまざまな術を使ったという仙人を描いています。仙人に頭を抑えられた蝦蟇は、なにやら不思議な気を吐き、その表情はおかしみを感じさせます。作者の周峰は、狙仙と見紛うほどのリアルな筆さばきです。


森周峰《蝦蟇仙人図》
(江戸時代 18−19世紀、個人蔵)


第四章は「次世代への展開」です。三兄弟の跡を継ぎ、周峰の子の徹山は晩年の応挙に学び、花鳥画や山水画、人物画など幅広い画題を描きました。徹山の養子となった一鳳と寛斎らが、代々絵師の森派を守ります。

終章では森派を離れ、「上方絵師のお家芸」に移ります。お家芸で名を成した江戸時代の絵師で動物画を得意とした、鶏の伊藤若冲をはじめ、虎の岸駒、蛙の松本奉時、さらに耳鳥斎の戯画などが多数出品されています。

このうち大坂の表具師でもあった奉時の《蝦蟇図》(江戸時代 18世紀、個人蔵)は、水気の多い墨を用いて勢いよく描いています。奉時は声の良い蛙の飼育や蛙の干物にいたるまで、さまざまなカエルを愛し集めたそうです。


松本奉時《蝦蟇図》部分図
(江戸時代 18世紀、個人蔵)


こちらは大坂で酒造業や骨董商を営んでいたと伝えられる耳鳥斎は、人の姿を面白おかしく描いた戯画で人気を得ました。《地獄図》(寛政5年 1793年、大阪歴史博物館蔵)は、人々の悪行を断つための教訓として、さまざまな職業の者が落ちる地獄をユーモラスに描いています。そのうちの一図「茶師の地獄」では、羽織を着た鬼が亡者で作った茶釜や茶碗、茶杓などの道具を使って茶をたてる様子が表されています。


耳鳥斎《地獄図》部分図
(寛政5年 1793年、大阪歴史博物館蔵)


この展覧会図録の冒頭に大津市歴史博物館の横谷賢一郎学芸員は、「上方絵画マーケットを席巻した必殺画法―狙仙の『毛描き』と題して「日本美術の収蔵で知られる米国の主要な美術館には、ほぼ狙仙画をみることができる。そこには、市民社会・大衆社会に支持される画題と技法を模索し、需要獲得を狙って成功した狙仙画の普遍性があるのである」と結んでいます。

 

奈良国立博物館の「毘沙門天 −北方鎮護のカミ−」

 多様な像容、国宝2件含む37件勢揃い

恵比寿・大黒天に並び七福神に数えられる「毘沙門天」は、独尊で祀られる場合の呼称です。四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)の一尊として造像安置する場合は、すべてのことを一切聞きもらさない知恵者という「多聞天」として、仏教世界の北方を守護しています。

毘沙門天は、もともと古代インドの神、バイシュラバナ。中国へ伝わってから強い神に転じ、鎮護国家の神となり、わが国の戦国時代には戦勝祈願の神として崇められました。庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代に遡り、室町時代末期には財宝福徳の神として信仰されてきました。

近年、平安以前の奈良時代の制作と考えられる木心乾漆造の像(愛媛・如法寺)など毘沙門天像の優品が相次いで見つかりました。今回の特別展は、こうした動向を踏まえ、従来から知られている毘沙門天彫像の中でも、特に優れた、いわば毘沙門天像のスター37件(うち国宝2件、重文18件)を厳選し、一堂に展示しています。ポーズや持物などに共通点が見られますが、大小さまざま意外なほど多様な姿で造像されていて、その魅力を存分に味わうことのできます。

主な出陳品と、いくつかの画像を掲載します。まず第1章「独尊の毘沙門天像」では、新たに確認された愛媛県大洲市の如法寺多聞堂に伝来する《毘沙門天立像》(奈良時代 8世紀)が展示されています。高さ28・1センチの小さな像で、胴体の主要部をヒノキの木心で組み、布貼りし、乾漆を盛り上げて造形しています。小さいながら左手に宝塔を、右手に宝棒を差し上げ、迫力があります。


《毘沙門天立像》
(奈良時代 8世紀、愛媛・如法寺蔵)


謡曲「安珍清姫」の舞台として名高い和歌山日高川町の道成寺に伝来する重要文化財の《毘沙門天立像》(平安時代 9世紀)は134センチあり、針葉樹を用いた一木彫像で現存最古級。眼を大きく見開き、口をきつく結んだ面相に、腰や右腕も強くひねった姿態はユーモラスです。


重要文化財《毘沙門天立像》
(平安時代 9世紀、和歌山・道成寺蔵)


毘沙門天では、珍しく台座に座った京都・清凉寺の重要文化財《毘沙門天坐像》(平安時代 12世紀)や、右手を腰にあてがった優美な滋賀・高尾地蔵堂の《毘沙門天立像》(平安時代 12世紀)などが勢揃いです。


重要文化財《毘沙門天坐像》
(平安時代 12世紀、京都・清凉寺蔵)


続いて第2章は「毘沙門三尊像」。京都市・鞍馬寺の国宝《毘沙門天・吉祥天・善膩師(ぜんにし)童子立像》は、わが国で毘沙門天の妻とみられている吉祥天と、子と考えられている善膩師童子を伴っての出で立ち。三体のうち、《毘沙門天立像》(平安時代 11世紀)は、トチ材とされる175・7センチの一木彫像。当初の像容は定かでないが、後世の補修によって左手を額にかざして遠方を見つめています。


国宝《毘沙門天・吉祥天・善膩師・童子立像》
(京都・鞍馬寺蔵)


米国・ロサンゼルス・カウンティ美術館保管の《毘沙門天立像》(平安時代 1124年、個人蔵)は、2メートルを超す大きな像です。島根県奥出雲町の岩屋寺旧蔵とされ、最近になって、制作年を示す銘文が確認されました。


国宝《毘沙門天立像》
(平安時代 11世紀、京都・鞍馬寺蔵)


第3章「双身毘沙門天像」には、京都府木津川市の瑠璃寺にある重要文化財《双身毘沙門天立像》(平安時代 12世紀)が出品されています。後頭部から膝裏に至るまでの背面を密着させ、断面俵形を呈する台座上に立つ2体の武装形合体像です。目を見開き口から垂れ下がった紐のようなものは牙だそうです。わずか6・9センチの木造で、彩色・漆箔されています。


重要文化財《双身毘沙門天立像》
(平安時代 12世紀、京都・瑠璃寺)


奈良市の東大寺が所蔵する《勝敵毘沙門天立像》(鎌倉時代 13世紀)も、奈良市の東大寺が所蔵する《勝敵(しょうじゃく)毘沙門天立像》(鎌倉時代 13世紀)も、同じように紐状の牙が2体で連続し、それぞれに金銅製の火焔付円光背を伴っています。

第4章は「兜跋(とばつ)形毘沙門天像」。中国の唐で作られた毘沙門天の類型で、玄宗皇帝の世、他国から攻められた時に、都の門の楼上に出現し敵を打ち負かした、と伝えられています。ここでは京都市・東寺(教王護国寺)の国宝《毘沙門天立像》(中国・唐時代 9世紀)が展示されていますが、高さ189・4センチで堂々の姿です。板を四方に立てた形の宝冠をかぶり、長いコートのような金鎖甲と呼ばれる甲をまとっています。腕には輪っかを連ねたような「海老籠手(えびごて)」と呼ばれる防具を着けています。


国宝《毘沙門天立像》
(中国・唐時代 9世紀、京都・東寺蔵)
写真提供:便利堂


最後に、筆者が朝日新聞社時代に企画した「西遊記のシルクロード 三蔵法師の道」展(1999年)の監修者で、インドにも同行していただいた宮治昭・名古屋大学/龍谷大学名誉教授は、今回の展覧会図録に、「毘沙門の源流を探る―インドからガンダーラ・世紀へ」と題して、次のような文章を寄せています。

コータンの毘沙門信仰の実態はなお不明瞭な部分も少なくないが、この地で毘沙  門信仰がインドとガンダーラの伝承を受容しつつ、飛躍的な展開を生んだことは  間違いなかろう。(中略)オアシス国家の歴史的・政治的状況のもとで、武闘神  であり財宝神である毘沙門天は国家の安泰と豊楽を願う王や人民にとって、救い  のほとけであったことは想像に難くない。




しらとり まさお
文化ジャーナリスト、民族藝術学会会員、関西ジャーナリズム研究会会員、朝日新聞社元企画委員
1944年、新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。

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第三章 生きているかぎり生きぬきたい

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新藤兼人、未完映画の精神 幻の創作ノート
「太陽はのぼるか」

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発行:三五館
第一章 アートを支え伝える
第二章 多種多彩、百花繚乱の展覧会
第三章 アーティストの精神と挑戦
第四章 アーティストの精神と挑戦
第五章 味わい深い日本の作家
第六章 展覧会、新たな潮流
第七章 「美」と世界遺産を巡る旅
第八章 美術館の役割とアートの展開

新聞社の企画事業に長年かかわり、その後も文化ジャ−ナリスとして追跡する筆者が、美術館や展覧会の現況や課題、作家の精神や鑑賞のあり方、さらに世界の美術紀行まで幅広く報告する
展覧会が10倍楽しくなる!
アート鑑賞の玉手箱

発売日:2013年4月10日
定価:2,415円(税込)
発行:梧桐書院
・国家破綻危機のギリシャから
・「絆」によって蘇ったベトナム絹絵 ・平山郁夫が提唱した文化財赤十字構想
・中山恭子提言「文化のプラットホーム」
・岩城宏之が創った「おらが街のオケ」
・立松和平の遺志,知床に根づく共生の心
・別子銅山の産業遺産活かしまちづくり

「文化とは生き方や生き様そのものだ」と 説く著者が、平山郁夫、中山恭子氏らの文 化活動から、金沢の一市民によるベトナム 絹絵修復プロジェクトまで、有名無名を問 わず文化の担い手たちの現場に肉薄、その ドラマを活写。文化の現場レポートから、 3.11以降の「文化」の意味合いを考える。
ベトナム絹絵を蘇らせた日本人
「文化」を紡ぎ、伝える物語

発売日:2012年5月5日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけな
いことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。
   

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