美術鑑賞「ゴッホの作品と人」

2004年10月20日号

白鳥正夫

 

「わだばゴッホになる」。あの鬼才・棟方志功をして、憧れさせたフィンセント・ファン・ゴッホ(1853−1890)は、なおも世界を代表する天才画家であることに間違いない。


 私事で恐縮ですが、こんな書き出しの項目も盛り込んだ拙著『「文化」を旅する』(三五館)が来月末に出版されます。今回は一部、その内容を紹介しながら、美術鑑賞のテーマを考えてみたいと思います。現在は美術愛好者ならずとも有名なゴッホですが、全生涯を通じても1、2枚の絵しか売れることはなく、無名のままこの世を去ったのでした。その時代がゴッホを評価しえなかったということかもしれませんが、ただ一人、彼の弟が先見性のある鑑賞者だったのでした。

弟への手紙に画家の苦悩

 1987年に安田火災がゴッホの代表作「ひまわり」を58億円で落札して世間の耳目を集めましたが、私が関心を抱いたのは、37歳にしてピストル自殺をした薄幸の画家だっだことにもよります。その年に安田火災東郷青児美術館で、話題の「ひまわり」の特別展観があり、出向いて見ました。

「花びんの14本のひまわり」
油彩 93×73 1887


 黄色を基調とした色彩の妙にあふれた「一点見せ」は効果抜群でした。その余韻があったためか、神田の古本屋街で、数冊の図版と一冊の古本『ファン・ゴッホの手紙』(昭和22年11月15日発行、養徳社)を買い求めました。
 今や赤茶けた本の定価は150円。土井義信訳とあり、序文に「原書は愛弟テオドールと画友エミール・ベルナールに宛てた手紙の抜粋で、原語はオランダ語とフランス語である」と記されていました。当然ながら旧仮名遣いで書かれていますが、弟にあてた文面のいくつかを、新仮名遣いで紹介してみます。

 愛する弟よ。また君に手紙を書くが、悪く思ってはいけない、――絵を描くことが、僕には実際全く特別の楽しみだということを、ただもう君に知らせたいからなんだ。

 この弟こそ画商であり、何より兄ゴッホのよき理解者であり、生活の面倒を見続けたパトロンであったのです。

 僕が固く信じている通り、もしも僕たちの希望が外れず、印象派の絵の値段が上がるなら、うんと制作が出来るし、それにそれをべら棒な安い値で売るようなこともなくなるに相違ない。
 今度はほんとにまいった。僕の金は木曜日に失くなってしまい、月曜の昼までがいまいましいほど長かった。僕は大体この四日間は二十八杯のコーヒーとパンで生きてきたんだ。それにパンのお金はまだ払っていないのだ。それは君の罪でなく僕の過ちだ。

 これが後世、1枚の絵が何億で売買されることになる巨匠ゴッホの肉声でもあったのです。

画家としてはわずか10年余

 初めてゴッホの作品を直に見たのは、1976年に京都国立近代美術館で開催されたゴッホ展でした。オランダ国立ヴァン・ゴッホ美術館所蔵の作品が40点以上も出品されており、独特の筆遣いと色彩に圧倒されたのでした。
 そして2000年、オランダでゴッホの作品を満喫する旅が実現しました。アムステルダムの国立ゴッホ美術館には、油彩200点、素描550点もの作品を所蔵しています。これらは弟テオの遺族によって管理されていたものがまとめて寄贈されて、1973年にオープンしたといいます。
 本館の2階は常設展示場になっていて、1885年のオランダ時代から年代を追って展示されていました。「ひまわり」級の作品が手に触れられるような位置に、ガラスの覆いもなしに展示されていることにも驚かされました。ゴッホの作品は、アムステルダムから東南東約80キロメートルのクレラー=ミュラー美術館にも多数所蔵されていました。
 自ら命を絶ったゴッホは、短い生涯ながら2000もの作品を遺しています。二つの美術館で、その主要作品を見ることができましたが、ゴッホの境遇や生き方と密接に関わっていた思いを深くしました。
 若いころは画商になることを志し、キリスト教の伝道師を目指したこともありますが、挫折の連続で、画家への道を見出したのは20代も半ばを過ぎてからのことでした。画家としての生活はわずか十余年に過ぎなかったのです。
 激しく短い生涯のゴッホにとって、ヒマワリは希望の象徴だったのかもしれない。明るい光を求めてアルルへ来たゴッホは、芸術家村を夢見て、「黄色い家」を借り、同居したゴーギャンを迎える部屋にヒマワリを飾ろうと考えた。ゴッホは同じ題材を気のすむまで描く画家だった。

「灰色のフェルト帽をかぶった自画像」
油彩 41×32 1887


 またゴッホの自画像も有名で、41点もの自画像を遺しています。ゴッホの顔立ちはかなり特徴的といわれますが、同じ人間とは思えないほど様々な雰囲気で描かれていますが、その険しい表情でから深い苦悩が伝わってきます。
 晩年には、「アルル近郊の花咲く野原」や「嵐の空の下の麦畑」、「花ざかりの桃」など、遠く広がる野原や麦畑をやや明るい色調で描いていますが、テオ宛ての手紙には「僕はそこに、悲哀と激しい孤独とを思い切って表現しようとした」と、書き送っています。

「花かざりの桃 」
油彩 65.5×81.5 1889



生前認められなかった巨匠

 2002年9月、兵庫県立美術館で「ゴッホ展 兄フィンセントと弟テオの物語」が開催され、名作と再会できました。人間としても、画家としても認められることのなかったゴッホは、没後110余年が過ぎ、世界中の人々の支持を受け、巨匠と呼ばれる大きな存在となったのです。
 美術鑑賞は古くて新しいテーマです。10年余にわたって、展覧会企画などアートに関わる仕事に携わってきましたが、とても難題でした。美術館やデパートなどの会場を通じ、「美術の送り手」側の立場としては、数々の芸術作品を紹介する一方で、作品を生んだその人間性にも焦点を当てるように心がけてきました。
 かつて西洋では、美術は王侯貴族が占有し、やがてブルジョワが愛好するようになり、大衆へと広がってきましたが、今や受け手の主役は、私たち大衆です。
 海外が身近になり、芸術作品の「本物」とも出会え、日常的にも、数々の展覧会がこれでもか、これでもかと押し寄せてくる現状です。いわば飽食の時代であり、多様化の時代です。流行や話題性に振り回されず、自分なりの鑑賞術を探してほしいと思います。
「もう一人のゴッホ」と言われた弟のテオは、ゴッホ作品の画商にはなりえなかったものの、すばらしい鑑賞者といえます。


しらとり・まさお
朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。


「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたち平山郁夫画伯らの文化財保護活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者の「夢しごと」をつづったルポルタージュ。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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