沙漠の中の美術館・敦煌

2004年10月5日号

白鳥正夫

 色白く透き通るような肌、頬にはうっすらと紅がさし、唇の深紅が鮮やかです。伏し目がちに少し微笑みを浮かべる菩薩は、懐中電灯の明かりに妖しい美しさを放っていました。高松塚古墳の「飛鳥美人」は写真でしか見ていませんが、ここ中国・敦煌では、いくつかの壁画が公開されており、第57窟の菩薩壁画だけでも私を魅了してやみませんでした。5月には装飾壁画のある高句麗遺跡の集安・桓仁に行ってきましたが、先月は世界遺産の敦煌を7年ぶりに再訪しました。

三蔵法師もたどった河西回廊

 一行12人は朝日新聞社の現役とOBの論説委員が中心でした。昨年夏に計画されていたのですが、SARSの余波で延期になっていました。今年こそ万全を期していましたが、直前になって西安から敦煌の航空便が一日中飛ばなくなり、やむなく列車便に変更となりました。本来なら3時間足らずで着くのですが、約30時間もかかりました。
 西安を夕方出発し寝台列車に揺られ、延々と続く沙漠の中に点在するオアシスの駅に止まりながら丸一日がかりでした。やっと着いた敦煌駅は、かつて柳園と呼ばれた所で、敦煌市内までさらに悪路をバスで2時間半かかりました。さすがにシルクロードは果てしなく遠く、味わい深い旅になりました。
 最初の敦煌は1997年8月でした。私は朝日新聞創刊120周年記念事業として「シルクロード 三蔵法師の道」のテーマで展覧会をはじめ学術調査、国際シンポジウムを準備するため西安を訪れた際、敦煌まで足を延ばしたのでした。このため壁画のある窟の見学に1時間ほどしか取れなかったのです。今回は玄奘三蔵がインドへの取経で往来した河西回廊のツアーで、世界遺産の莫高窟をはじめ楡林窟、玉門関、陽関、嘉峪関などをたどったのでした。

敦煌・莫高窟の入り口

敦煌展随展者と再々会

 「敦煌の美」に触れたのは、砂漠の美術館─永遠なる敦煌」展(朝日新聞社など主催)が1997年2月から4月まで神戸市立博物館で開催され、私が主催側の実務責任者として加わったためです。敦煌展は敦煌研究院の設立50周年を記念して開催されたもので、東京、福岡と回り神戸が最終会場でした。
 シルクロードのオアシス都市・敦煌は、断崖に掘られた洞窟寺院で、莫高窟には492窟が現存し、壁画や仏像、経典などが残っています。しかし保存のため未公開の窟も多く、現地を訪れても全容を知ることは難しいのです。同院の協力のもと、展覧会では塑像十数体のほか、壁画や仏画、経巻、出土文物など約百点が展示されました。中でも持ち出し不可能な莫高窟の第249窟と楡林窟の第25窟の精巧な複製窟も制作展示しました。
 会期中、随展者として研究院接待部副主任の李萍(リー・ピン)さんと研究スタッフが来日されました。李さんは日本語が流暢で、敦煌の歴史や現状、今後の保存・修復についても熱っぽく語っていたのが思い出されます。「接待部に所属していますので、日本からの訪問を熱烈歓迎します。文物だけでなく敦煌学といった研究や振興にも入れています。敦煌の宝は中国人だけでは守れません」。
 私は何度も会場に足を運び、李さんらと、一緒に食事をしたり、奈良の古寺訪問の案内などで親交を深めました。また李さんは、かつて神戸大学に留学しており、百橋明穂教授の指導を受けていました。その後、百橋教授は私が担当した三蔵法師展の監修を引き受けていただくご縁も重なりました。
 李さんとの再会は敦煌展閉幕後、半年足らずで実現しました。さらにその7年後に再々会となった訳です。今度は主任となり、臨時スタッフを加えると90人もの接待部の責任者となっていました。

敦煌芸術の粋は世界の宝

 李さんの配慮もあって、莫高窟では計17窟を約3時間かけて鑑賞できました。いずれの窟も一つとして同じ形態ではありません。天井には千仏やハスの華が描かれ、側壁にも仏や飛天、様々な宗教行事、庶民の生活なども活写されていました。
 まずシンボルともなっている九層の楼閣に収まっている第96窟に入りましたが、高さ約35メートルの弥勒菩薩像に圧倒されました。もともと自然の崖を削り、泥をかぶせ彩色したものと思われますが、初唐に作られた一大芸術品です。
 冒頭に書きました第57窟の仏説法図以外にも、第45窟では前室に続いて主室があり、本尊の左右に比丘、菩薩、天王の7塑像が配され、息を呑む迫力でした。とりわけ菩薩の身体がS字の形をしており、その豊満な造形美に感銘を受けました。

菩薩壁画(初唐)
菩薩壁画(初唐)

説法図(初唐)

※3点はいずれも「莫高窟第57窟」(ポストカードより)

 第275窟は奥に深い長方形の主室に、高さ3メートル以上の大きな交脚菩薩が坐していました。両脚を交差させた独特の姿で、左手をひざの上に置き冠をいただく彩塑像の美しさは印象的でした。第196窟は今年1年かけてアメリカのスタッフが立体映像の撮影をしていました。特別に見せていただきましたが、塑像が照明に映えじっくり装飾の細部まで鑑賞でき感激しました。
 安西・楡林窟でのお目当ては第3窟の玄奘取経図でした。後世の小説『西遊記』より300年も前に描かれた最古のものですが、玄奘が猿の行者を従え、合掌礼拝する姿が描かれています。

安西・楡林窟の景観


 三蔵法師は国禁を犯しての出国でしたが、天竺・インドから経典を持って敦煌に帰国した際は時の太宗皇帝に歓迎されたのでした。三蔵法師展では薬師寺に伝わる第3窟の玄奘の模写を展示しました。この窟は修復中で年内閉鎖しているのですが、これも李さんの計らいで見ることができ、とても感慨深いものでした。

楡林窟第3窟の玄奘取経図(西夏)
※(ポストカードより)


 敦煌の石窟芸術は、十六国時代を皮切りに随・唐の隆盛期を経て五代、宋、清代に至り、ほぼ4世紀に始まって14世紀までの約1000年間にわたって生み出されたものです。
現存する壁画は莫高窟と楡林窟、さらに東千仏、西千仏にも散在し、これらを合わせると5万平方メートルに及び、塑像は三千体近くあります。
 観光客は1979年の公開後から毎年漸増しました。1980年代半ばまでは年間10万人そこそこでしたが、1994年にユネスコの世界遺産に登録されて以来、世界各地から増え続け20万人台に、そして今年は35万人に達する見込みです。
 李さんにとっては、接待部の立場からうれしい悲鳴ともいえますが、保存のことを考えると複雑な心境だそうです。今後について「公開と保存の相反する課題をどう調整していくかはとても難しいことです。現在、2008年までに壁画センターを設けてバーチャル展示などで、増える観光客に理解を求めたい」と話していました。
 敦煌の石窟芸術は世界の宝です。これからは人の手による保護から科学的な英知を結集して守らなければなりません。海外の観光客の70パーセントが日本人です。研究院には日本から留学生も派遣されています。国際的な立場で日本の文化財保存、救済の役割が期待されています。私たち個人にとっても見学する窟の「数」より、内容を理解する「室」の変化が求められていると痛感しました。


しらとり・まさお
朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。


「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたち平山郁夫画伯らの文化財保護活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者の「夢しごと」をつづったルポルタージュ。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
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