日本に深く根付いた仏教文化の豊かさ

2016年8月18日号

白鳥正夫

泰西名画の展覧会が盛況の一方で、地味ながら日本の仏教文化を地道に紹介する展覧会が企画されていることに注目したい。仏像は信仰の対象とはいえ、その姿は美しく、仏教に関する仏画、経典や典籍なども美術的に優れています。寺社で拝観するのと違って、美術館では適度な照明の下でじっくり鑑賞できます。関西で開催されている二つの企画展を取り上げます。さて忍性(にんしょう)という名をご存知でしょうか。その知られざる名僧にスポットを当てた生誕800年記念特別展「忍性―救済に捧げた生涯―」が9月19日まで奈良国立博物館で開催。一方、京都・丹後の古刹に伝わる秘仏を出開帳しての特集陳列「丹後の仏教美術」が京都国立博物館で9月11日まで開かれています。日本に深く根付いた仏教美術の豊かさに触れてみてはいかがでしょうか。

生誕800年記念特別展「忍性―救済に捧げた生涯―」
重文《東征伝絵巻》全場面を初公開

建てた伽藍 83か所、供養した御堂 154か所、描いた地蔵菩薩像 1355像、病人・貧者に与えた衣服 33000着、架けた橋 189橋、修築した道 71か所、掘った井戸 33か所、開いた湯屋・療養所 5か所、雨乞い・祈祷 数知れず


《忍性菩薩坐像》
(鎌倉時代、神奈川・極楽寺)

《忍性菩薩像》
(鎌倉時代、
奈良・西大寺、
8月23日から展示)

国宝《鉄宝塔》
(鎌倉時代、奈良・西大寺)

《般若寺結界石0》
(鎌倉時代、茨城・般若寺)

重要文化財
《釈迦如来立像》
(鎌倉時代、神奈川・極楽寺)

以上がチラシに掲載された良観房忍性の業績です。忍性は建保5年(1217年)に大和国城下郡屏風里(現在の奈良県磯城郡三宅町)で生まれました。早くに亡くした母の願いを受けて僧侶となり、西大寺の叡尊上人を師として、真言密教や戒律受持の教えを授かります。

後半生は活動の拠点を鎌倉に移し、より広範囲に戒律復興と社会事業を展開し、人々の救済に努めました。こうした業績は、後醍醐天皇からも評価され、「菩薩」号を追贈されたのでした。貧者や病人の救済に力を注ぎ、特にハンセン病患者を毎日背負って町に通ったという話が『元亨釈書』等に遺されています。

来年、生誕800年を迎える事から、今回の特別展では、忍性ゆかりの寺院に伝わる名宝や文化財を一堂に集め、奈良生まれの名僧の熱い人生とその偉業を偲びます。とりわけ重要文化財の《東征伝絵巻》が初めて全場面公開されるなど国宝17件、重文35件を含む118件が紹介されています。ただし前期(〜8月21日)と後期(23日〜)で展示替えがあります。

展示構成は6章立てで、その内容と主な出品作品をプレスリリースや図録を参考に紹介します。

第1章が「忍性−慈悲に過ぎたひと−」で、忍性の姿を表した彫刻や絵画、本人直筆の書状、伝記などから人間像に迫ります。大きな赤い鼻に澄んだ小さな目。唇の端を上げた様子は微笑んでいるように見え、慈愛に満ちた人であることが感じられます。

《忍性菩薩坐像》(神奈川・極楽寺、鎌倉時代)は、その面影をつぶさに伝えます。《忍性菩薩像》(奈良・西大寺、鎌倉〜南北朝時代、後期展示)も特徴を捉えた画像です。ただ坐像とは逆に右手で払子(ほっす)の柄を持っています。重文の《忍性書状》(兵庫・多田神社、鎌倉時代)などの墨書などが並んでいます。

第2章が「文殊菩薩をもとめて−南都・額安寺時代−」。ここでは忍性が修行し、手を合わせていたであろう額安寺(大和郡山市)に伝わっていた《文殊菩薩像》(文化庁、平安時代)や、生涯の手本とした民衆救済の大先達、行基菩薩の彫像や絵画など、救済のシンボルとされた作品を展示しています。

第3章は「律僧として−南都・西大寺時代−」で、忍性が終生師と仰いだ西大寺の中興開山、叡尊の姿を表した絵画や彫像、そして叡尊の自伝である重文《金剛仏子叡尊感身学正記》(西大寺、南北朝時代、前期)など、西大寺律宗の重要史料を展示します。また、同宗で特に重要視された舎利信仰にまつわる国宝の《鉄宝塔》(西大寺、鎌倉時代)も出展されています。

第4章の「暁の地をめざす−常陸・筑波時代−」では、律宗の発展と民衆救済のために、関東に旅立った忍性は、茨城県・筑波山のふもと、三村山極楽寺を拠点にします。忍性が建てた寺院の聖域と世俗の空間を示す石碑の《般若寺結界石》(茨城・般若寺、鎌倉時代)や、忍性の教導による重文《釈迦如来立像》(茨城・福泉寺、鎌倉時代)などが出品されています。

第5章「大願に生きる−鎌倉・極楽寺時代−」では、鎌倉に移った忍性が新たに極楽寺を興し、律宗の東国最大の拠点に発展させます。ともに重文の《釈迦如来立像》と《十大弟子立像》(いずれも極楽寺、鎌倉時代)は、師の叡尊から受けついだ信仰の誇りでもありました。


重要文化財《東征伝絵巻》
(鎌倉時代、奈良・唐招提寺)

《東征伝絵巻》のパノラマ展示


重要文化財《忍性骨蔵器》
(鎌倉時代、文化庁)

そして何より戒律を日本にもたらした鑑真和上の生涯を描いた《東征伝絵巻》(奈良・唐招提寺、鎌倉時代、前期・後期で巻き替え)は、和上への思慕と戒律を尊ぶ忍性の心根を伝えるものです。全5巻揃って全場面の展示は史上初めてとのことです。

最後の第6章は「救済の日々−勧進僧の時代−」。晩年の忍性は、東大寺をはじめ各地の大寺院復興と民衆救済に奔走し、87歳の生涯を閉じます。遺骨は三分され、若年時代に過ごした額安寺をはじめ、行基菩薩ゆかりの奈良・竹林寺、そして最後の救済拠点だった極楽寺に埋葬されました。忍性の分身である三つの《忍性骨蔵器》(いずれも鎌倉時代)が史上初めて一堂に会します。さらに3ヵ寺の《五輪塔納置品》なども全て展示されています。なお額安寺の文物は文化庁の所蔵となっています。

特集陳列「丹後の仏教美術」
秘仏の《千手観音立像》初の出開帳


重要文化財
《千手観音立像》
(平安時代、京都・縁城寺)

《千手観音立像》を前に
縁城寺住職による法要
(京都国立博物館知新館)

《菩薩半跏思惟像》
(奈良時代、京都・成相寺)

京都府北部に位置する丹後地域は、日本海を挟んで大陸と近く、都との関係も密接で、古代より人と文物の交流が盛んでした。そのため、歴史を通じて重要な寺社が営まれ、信仰が普及しロマンあふれる伝説が息づいてきたのです。

今回の展覧会では、丹後地域の寺社に伝来した重要文化財を含む多くの古像や、仏画、絵巻物など約40件を一堂に集め展示しています。中でも京丹後市の縁城寺の本尊、重文《千手観音立像》(平安時代)が特別公開され注目です。秘仏のため、普段は拝観することができませんが、初めての出開帳です。

こちらも主な展示品を、図録などを参考に紹介します。縁城寺は717年にインドの僧・善無畏(ぜんむい)が創建したと伝えられる真言宗の寺院です。その本尊の《千手観音立像》の特徴は、千手観音といえば顔も11面あるのが普通ですが、頭上に冠を戴くだけのシンプルさです。頭から胴体は一木で、合唱する手と鉢を持つ手も同じ木で造られています。脇に張り出す手は別材で、後世補われたとされています。

縁城寺からは多宝塔の本尊《大日如来坐像》(南北朝時代)や、病気の部分をなでると治ると言い伝えられる《賓頭盧(びんずる)尊者坐像》(平安時代)もお出まししています。また《縁城寺縁起》(室町時代)や《金銅五具足》・《金銅宝冠・法螺》(ともに江戸時代)も出品されています。

縁城寺と同じ真言宗寺院である成相寺は西国三十三所の28番札所として知られる霊場です。この寺院に伝来する《成相寺参詣曼荼羅図》(室町時代)には天橋立も小さく描かれています。ここには10数年前にお参りし、住職の認めた色紙を現在も持参しており、懐かしく感じました。

6月に東京国立博物館で、奈良・中宮寺門跡と韓国国立中央博物館所蔵の、いずれも国宝の《半跏思惟像》を鑑賞してきたばかりだったこともあり、成相寺の《菩薩半跏思惟像》(奈良時代)に興味を引かれました。死後の幸せを願う人々が、救済の方法を考えている姿の弥勒を信仰したとされ、小ぶりながら親しめる佇まいです。成相寺からは重文の《紅玻璃(ぐはり)阿弥陀像》(鎌倉時代)の名品も出展されています。

さらに宮津市の金剛心院に伝わる重文《如来立像》(平安時代)は、量感にあふれ、この時代の代表作例とされています。《地蔵菩薩立像》(鎌倉時代)は東京文化財研究所のX線透過撮影によって、笛や刀子、銅銭、連珠などの納入品が確認されたそうです。今回の展示前に京都国立博物館でもX線CTスキャナーによる撮影で、より詳しく形状や数量が判明し、発願者が極楽往生できることを願ったことが読み取れるとのことです。


《等楽寺縁起》
(室町時代、京都・竹野神社、
8月28日まで展示)


久美浜湾の近くに立地する本願寺の《当麻曼荼羅図》(南北朝時代)は、阿弥陀さまの浄土を描いた仏画ですが、転写本の一本です。他の当麻曼荼羅には見られない珍しい図様もあって、研究者にとっても重要な作品とされています。

京丹後市の竹野神社からは《等楽寺縁起絵巻》(室町時代)と《斎明神縁起絵巻》(桃山時代)が出品されています。どちらも麻呂子親王の鬼退治伝説が題材です。麻呂子親王は推古天皇から丹後に住む鬼退治を命じられ、勝利を祈って7体の仏像を彫り、その願いかなったことから、7体の仏像を本尊とする7つの堂を建立し、等楽寺もその一つと伝えられています。


「丹後の仏教美術」の展示


               ×

仏教は紀元前5〜6世紀にインドで興りました。そして紀元前後に中国に普及し、6世紀半ばに朝鮮半島を経て日本に伝わったとされます。その仏教の教えを実践した忍性が活躍し、奈良や京都と離れた丹後地方に定着した仏教寺院には知られていない秘仏があります。日本の佛教文化の奥深さを実感する二つの企画展です。

 



しらとり まさお
文化ジャーナリスト、民族藝術学会会員、関西ジャーナリズム研究会会員、朝日新聞社元企画委員
1944年、新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。

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発行:三五館
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第二章 多種多彩、百花繚乱の展覧会
第三章 アーティストの精神と挑戦
第四章 アーティストの精神と挑戦
第五章 味わい深い日本の作家
第六章 展覧会、新たな潮流
第七章 「美」と世界遺産を巡る旅
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新聞社の企画事業に長年かかわり、その後も文化ジャ−ナリスとして追跡する筆者が、美術館や展覧会の現況や課題、作家の精神や鑑賞のあり方、さらに世界の美術紀行まで幅広く報告する
展覧会が10倍楽しくなる!
アート鑑賞の玉手箱

発売日:2013年4月10日
定価:2,415円(税込)
発行:梧桐書院
・国家破綻危機のギリシャから
・「絆」によって蘇ったベトナム絹絵 ・平山郁夫が提唱した文化財赤十字構想
・中山恭子提言「文化のプラットホーム」
・岩城宏之が創った「おらが街のオケ」
・立松和平の遺志,知床に根づく共生の心
・別子銅山の産業遺産活かしまちづくり

「文化とは生き方や生き様そのものだ」と 説く著者が、平山郁夫、中山恭子氏らの文 化活動から、金沢の一市民によるベトナム 絹絵修復プロジェクトまで、有名無名を問 わず文化の担い手たちの現場に肉薄、その ドラマを活写。文化の現場レポートから、 3.11以降の「文化」の意味合いを考える。
ベトナム絹絵を蘇らせた日本人
「文化」を紡ぎ、伝える物語

発売日:2012年5月5日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけな
いことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。
   

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