地味ながらキラリと光る展覧会

2015年11月13日号

白鳥正夫


鴨居玲展の展示会場

大英博物館展やクレオパトラ展、フェルメールとレンブラント展、さらには琳派400年記念展の大展開……と、まさに百花繚乱のごとき関西の美術界にあって、地味ながらキラリと光る3つの展覧会を取り上げます。いずれも関西ゆかりの作家で、神戸にアトリエを構え57歳で没した「没後30年 鴨居玲 踊り候(そうら)え」展が伊丹市立美術館で12月23日まで、大阪に生まれ西宮とパリに拠点を持つ「松谷武判(たけさだ)の流れ」展が西宮市大谷記念美術館で12月6日まで開催中です。さらに江戸中期に大坂で人気を博した絵師に着目した「唐画(からえ)もん−武禅(ぶぜん)にろう苑(※ろうは門の中に良)、若冲も」展が大阪歴史博物館で12月13日まで開かれています。入場者数にこだわりがちな昨今、こうした内容の展覧会を取り上げるあるべき美術・博物館の役割を高く評価するものです。

没後30年、約100点で辿る「鴨居玲」展


鴨居玲「踊り侯え」
(1974-75年、個人蔵)

「鴨居玲」展は、東京ステーションギャラリー、北海道立函館美術館、石川県立美術館を巡回し、伊丹が最後の会場です。鴨居玲(1928〜1985)は金沢生まれで、戦後創設された金沢美術工芸専門学校(現金沢美術工芸大学)に入学し、宮本三郎に師事しています。南米やパリ、スペインなどを渡り歩き、1977年に帰国。神戸にアトリエを構えるも、たびたび自殺未遂を繰り返し、57歳の若さで命を絶ったのでした。

約25年前、金沢に在任していた私は、石川県立美術館の常設展示室に架けられていた鴨居の「酔って候」(1984年)を見て、生涯記憶に残る作家となったのでした。5年前の2010年に横浜そごう美術館で催された「鴨居玲 終わらない旅」も鑑賞しています。酔っ払いや廃兵、皺だらけの老婆、そして絶望にうちひしがれたような多くの自画像などが展示され、自己の内面と向き合った作品は、心に深く響いてくるものがありました。


鴨居玲「1982年 私」
(1982年、石川県立美術館蔵)

今回は没後30年の節目とあって、油彩の代表作をはじめ初出品となる素描作品に加え遺品や書簡、写真など約100点を集めた大回顧展です。展示は第1章「初期〜安井賞受賞まで」、第2章「スペイン・パリ時代」、第3章「神戸時代 一期の夢の終焉」と、ほぼ時系列になっていますが、第4章「デッサン」は一室にまとめています。10代の自画像から絶筆となる自画像まで網羅し、まさに画業の全貌をあきらかにしています。

初期の作品では、「月に吼える」(1958年)や「月と男」(1959年、いずれも芦屋市立美術博物館蔵)、「赤い髪」(1959年)といったシュルレアリスム絵画のような作品、さらには赤い色調で描かれた「時計」(1962年頃)や「赤い老人」(1963年、いずれも石川県立美術館蔵)など抽象的な作品が目立ちます。


鴨居玲「酔って候」
(1984年、
石川県立美術館蔵

1969年に第12回安井賞を受けた作品と同じタイトルで、構図もほぼ似かよった「静止した刻」(1968年、石川県立美術館蔵)は、サイコロを転がしては遊ぶ男たちの姿が身振りも交えてリアルに描かれています。受賞作は東京国立近代美術館所蔵ですが、伊丹展には出品されていません。迷いと苦悩の中で活路を見出した初期の代表作とされています。

1971年スペインに居を移した鴨居は、絶頂期を迎えます。酒に明け暮れている酔っぱらいや顔中に深い皺を刻んだ老人や老婆、戦争で手足に傷を負った傷痍軍人ら社会の底辺に生きる人たちと出会い、彼らをモチーフにしたのです。「私の村の酔っぱらい(A)」、「おばあさん(A)」「廃兵」(1973年、いずれも笠間日動美術館蔵)などの作品が生まれました。この時期、繰り返し描かれたのが「教会」です。荒野に建つ石の教会には窓がなく、鴨居を拒絶する存在として捉えられています。

1977年に帰国した鴨居は神戸に住みますが、画題に模索し、裸婦に着手するものの思うにまかせず、焦燥感を募らせます。そんな画家の姿を描いたのが、「1982年 私」(1982年、石川県立美術館蔵)です。中央に白いキャンバスが大きく描かれ、その前に画家自身が口をぼんやり開けて憔悴しきった表情で座っています。周囲を囲むのは、これまで描いてきた酔っぱらいや老人たち、そして裸婦もいます。手に絵筆は無く、「何を描けばいいのか」と言いたげです。この作品の3年後、鴨居は自らの手で命を絶ったのです。


鴨居玲「勲章」
(1985年、
笠間日動美術館蔵)

絶筆となった「自画像」(1985年)は、主の居なくなったアトリエのイーゼルに架かっていたそうです。他人には想像出来ないほどの激しく深い苦悩を宿して、絵画世界をさ迷っていたのです。鴨居は内面に人間の孤独や不安を抱えながらも、深く暗い色調の中に人間の本質を追い求めた独自の画風を確立したのでした。「酔って候」、「出を待つ(道化師)」(いずれも1984年)、「勲章」(1985年、笠間日動美術館蔵)など次々と傑作を出したのです。

展覧会初日には、17年間交際のあった笠間日動美術館の長谷川徳七・智恵子夫妻による講演会があり、「飲んでいる時は、あんな絵を描くことは信じられない楽しい人」「海外では異邦人でなく、その土地に溶け込んでいた」「自分の人生の締切を感じていた」などと話され、興味深く聴くことが出来ました。

自画像に始まり、自画像で終えた鴨居にとって、非日常的なモチーフの酔っぱらいや道化者も鴨居の姿を投影していたのではないでしょうか。孤独でありながらどこかユーモアも、不安でありながら達観、醜悪の中に美を……。鴨居の絵画に、強烈なインパクトを感じさせるのは、その内面に狂気を孕んで時代を駆け抜けた生き様にあったからかもしれません。

「松谷武判」展は独自性を追求した軌跡


松谷武判展の展示会場

「松谷武判」展は、西宮市制90周年を記念して1館のみの開催です。松谷の個展を鑑賞するのが初めてすが、具体美術協会に所属しており、作品数点は見ていた記憶があります。具体といえば、吉原治良のもとに糾合した関西の若手の前衛作家たちによって結成され、国際的な評価が高い美術グループです。ここ数年でもBBプラザ美術館で上前智祐展を、西宮大谷記念美術館で正延正俊展を鑑賞しています。

図録などによると、松谷武判(1937〜)は幼少期、核を患い入退院繰り返し、大阪市立工芸高校で日本画を学ぶものの自主退学をします。西宮市展日本画部への入選を皮切りに美術の道を志します。西宮市民美術教室で元永定正に出会ったことから具体美術協会に参加します。リーダーの吉原の薫陶を受け、木工用ボンドを用いたレリーフ状の絵画作品で頭角を現します。具体美術協会展には1960年から1972年の会解散まで全展に出品しています。


松谷武判「作品66−2」
(1966年、宮城県美術館蔵)

松谷武判「雫-15」
(2015年)

松谷武判「流れ 15-10」
(2015年)

1966年には毎日美術コンクールでグランプリを受賞し、フランス政府給費留学生として渡仏します。翌年からパリでS・W・ヘイターの版画工房アトリエ17に学び、数々の国際版画展で受賞するなど活躍し、以降西宮とパリを拠点に制作活動を続けています。自己の芸術を再び見つめ直した松谷は、長大なロール紙に鉛筆の線を一本一本描き重ねていくドローイングへと至ったのです。

会場1階の展示は時系列ではなく、展覧会のタイトルにもなっている「流れ パリ・西宮」をはじめ「繁殖」、「円」や「楕円」(いずれも2014−15年)などと名付けられた近作のインスタレーション・オブジェ・絵画などがずらり並べられていて壮観です。代表作の「アクリルBOX」(1966年)や「本の変身」(1981・84・90)なども展示されています。

2階では、「初期の日本画時代 1956−59」、「具体時代 1960−66」、「版画作品 1967
−」、「黒の絵画 1978−」、「移動するイメージ」といった区分けで、初期の日本画から、独自の表現を模索した具体時代へ。旧作はボンドによる膨らみや円環と鮮やかな彩色が特徴です。そしてヨーロッパでの地歩を築いた版画時代、黒の絵画と新作のインスタレーションまでを網羅した構成です。

今回の企画展の趣旨について、担当の池上司学芸員は「半世紀以上にわたり、日本画、版画、ボンドや鉛筆による絵画など、様々な実験を行いながら独自性を追求してきた創作の軌跡と、その表現を貫く松谷芸術の本質を見ていただけたらと思います」と強調しています。作家の松谷は図録で次のようなメッセージを寄せています。

人間が生まれ、死す。この流れについては数々の論が存在します。美という視覚に訴える行為に於いても、現在ではその意義が多様化され、巷にはそれが氾濫しています。ただ、人間の生から死に至る流れの中に位置付けて考えると、それぞれが違った感じ方、生き方ができること、それが本来の人間性なのであって、作る人と観る人が、互いに真実を見、尊重しあうことに我々人間の使命があるのだと確信しているのです。

知られざる浪速の絵師「唐画もん」展


墨江武禅「美人図」
(個人蔵)

「唐画もん」展は、大阪歴史博物館が仕立てた展覧会で、千葉市美術館に続いての開催です。まずこのタイトルは、中国由来の絵画を描く唐画師を「ドラえもん」にもじって付けた洒落た名称です。琳派を生んだ京都画壇の一方で、江戸時代中期の大坂でも優れた手腕を持つ個性的な作風の絵師たちが活躍していました。この知られざる墨江武禅や林ろう苑らにスポットを当て、この時代の他の絵師や資料150件を紹介しています。

墨江武禅(1734〜1806)は、船頭を束ねる親方であったともいわれています。大坂の浮世絵師月岡雪鼎(せってい)に学び、当初は美人画を描いていましたが、次第に中国絵画などの影響を受けた山水画が創作の中心になります。淡彩の山水を数多く描きましたが、中には色彩豊かな作品も手がけます。


林ろう苑
「白孔雀図」
(大阪歴史博物館蔵)

林ろう苑(生没年不詳、1770〜80年頃に活動)は、幼い頃から絵を好んでいたと伝わっていますが、その生涯はよく分かっていない謎の絵師です。文人画の大成者として知られる池大雅の弟子、福原五岳について絵を学んでいます。人物画や山水画はもちろん、豪放な水墨画、花鳥画も硬軟自在で、幅広い作品が残されています。

武禅作品の「美人図」は、華やかな模様の着物に髪飾りや前帯を締めている妖艶な姿で描かれていることから遊女がモデルとされています。細い目に小さな口など師の雪鼎の描法を受け継いでいます。一転して山水図を数多く手がけており、「青緑山水渓流游回図」などは緑青を多用しての景色を細かく描いています。その傍ら、大胆なタッチの「龍図」も出品されていて驚きました。


伊藤若冲「岩菊小禽図」
(個人蔵)

ろう苑の作品では、「白孔雀図」が出色です。見るも鮮やかな白孔雀のつがいを突き出た岩の上下に配置しています。ピンクの花をつけた牡丹も鮮やかです。大胆な線描による墨一色の「大鷲図」など何でも器用にこなす絵師ですが、一風変わった作品に「紫寒蘭図」と「寒蘭図」があります。鉢植えの蘭を実物大以上の大きさで画面いっぱいに描いています。

二人の絵師のほか伊藤若冲の「岩菊小禽図」、耳鳥斎の「地獄図巻」などの作品も見逃せません。松本奉時(ほうじ)の「象鯨図」は一見して、今年MIHO MUSEUMで鑑賞した若冲の「象鯨図屏風」を思い出させます。モチーフが極めてよく似ていて模写したのか、興味を引きました。

担当の岩佐伸一学芸員は「唐画の二人の絵師の作品は大英博物館やフランスのギメ東洋美術館にも収蔵されています。これほどの腕前を持ったすぐれた浪速の唐画師が居たことを知ってほしい」と話していました。


松本奉時「象鯨図」(個人蔵)

 


 

しらとり まさお
文化ジャーナリスト、民族藝術学会会員、関西ジャーナリズム研究会会員、朝日新聞社元企画委員
1944年、新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。

新刊
「シルクロードを界遺産に」と、提唱したのは故平山郁夫さんだ。シルクロードの作品を数多く遺し、ユネスコ親善大使として文化財保存活動に邁進した。

社長業を投げ捨て僧侶になった小島康誉さんは、新疆ウイグル自治区の遺跡の修復や調査支援を30年も続けている。

シベリアに抑留された体験を持つ加藤九祚さんは90歳を超えて、仏教遺跡の発掘ロマンを持続する。

玄奘の意志に導かれアフガン往還半世紀になる前田耕作さんは、悲劇のバーミヤンの再生に情熱を燃やす。
シルクロードの現代日本人列伝
―彼らはなぜ、文化財保護に懸けるのか?

世界文化遺産登録記念出版
発売日:2014年10月25日
定価:1,620円(税込)
発行:三五館
「反戦」と「老い」と「性」を描いた新藤監督への鎮魂のオマージュ

第一章 戦争を許さず人間愛の映画魂
第二章 「太陽はのぼるか」の全文公開
第三章 生きているかぎり生きぬきたい

人生の「夢」を持ち続け、100歳の生涯を貫いた新藤監督。その「夢」に交差した著者に、50作目の新藤監督の「夢」が遺された。幻の創作ノートは、朝日新聞社時代に映画製作を企画した際に新藤監督から託された。一周忌を機に、全文を公開し、亡き監督を追悼し、その「夢」を伝える。
新藤兼人、未完映画の精神 幻の創作ノート
「太陽はのぼるか」

発売日:2013年5月29日
定価:1,575円(税込)
発行:三五館
第一章 アートを支え伝える
第二章 多種多彩、百花繚乱の展覧会
第三章 アーティストの精神と挑戦
第四章 アーティストの精神と挑戦
第五章 味わい深い日本の作家
第六章 展覧会、新たな潮流
第七章 「美」と世界遺産を巡る旅
第八章 美術館の役割とアートの展開

新聞社の企画事業に長年かかわり、その後も文化ジャ−ナリスとして追跡する筆者が、美術館や展覧会の現況や課題、作家の精神や鑑賞のあり方、さらに世界の美術紀行まで幅広く報告する
展覧会が10倍楽しくなる!
アート鑑賞の玉手箱

発売日:2013年4月10日
定価:2,415円(税込)
発行:梧桐書院
・国家破綻危機のギリシャから
・「絆」によって蘇ったベトナム絹絵 ・平山郁夫が提唱した文化財赤十字構想
・中山恭子提言「文化のプラットホーム」
・岩城宏之が創った「おらが街のオケ」
・立松和平の遺志,知床に根づく共生の心
・別子銅山の産業遺産活かしまちづくり

「文化とは生き方や生き様そのものだ」と 説く著者が、平山郁夫、中山恭子氏らの文 化活動から、金沢の一市民によるベトナム 絹絵修復プロジェクトまで、有名無名を問 わず文化の担い手たちの現場に肉薄、その ドラマを活写。文化の現場レポートから、 3.11以降の「文化」の意味合いを考える。
ベトナム絹絵を蘇らせた日本人
「文化」を紡ぎ、伝える物語

発売日:2012年5月5日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけな
いことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。
   

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
「ぶんかなびで知った」といえば送料無料に!!
 

 

もどる