戦後70年、「戦争」と向き合った企画展

2015年8月09日号

白鳥正夫


開会式で挨拶する
浜田知明さん
(熊本県立美術館)

浜田知明
「自画像」(1939年)
の前で解説する
井上正敏学芸員

今夏のヒロシマとナガサキでの原爆祈念の日、そして終戦記念日は、戦後70年の節目の年に迎えました。国会では、集団的自衛権の行使をめぐる安保法案をめぐって論戦が繰り広げられ、戦争放棄を謳った「平和憲法」に違憲との声も高まっています。そうした年、各地の美術館では「戦争」と向き合った企画展を取り上げています。熊本県立美術館で9月13日まで「浜田知明のすべて」を、名古屋市美術館では9月23日まで「画家たちと戦争:彼らはいかにして生きぬいたのか」の特別展を開催中です。このほか広島県立美術館で特別展「広島・長崎 被爆70周年 戦争と平和展」(9月13日まで)、横浜市美術館でもコレクション展「戦後70年記念特別展示 戦争と美術」(10月18日まで)がそれぞれ開かれています。いずれも美術の視点から戦争を見直す好企画です。

戦時体験を版画や彫刻で表現
97歳、「浜田知明のすべて」展

自らの戦時体験を彫刻や版画作品に投影し続ける老作家がいます。熊本市在住の浜田知明さんです。今年98歳を迎える現在も創作意欲は衰えていません。「浜田知明のすべて」展には、銅版画や彫刻をはじめ油彩画、スケッチ、デッサンなど初期から近作まで360点も出品されています。中でも戦争の愚かさを告発するとともに、風刺やユーモアのあるオリジナリティにあふれた作品に感銘を受けます。


浜田知明「ボタンB」
(1988年)

私が浜田さんを知ったのは、朝日新聞社で企画を担当していた1995年、戦後50年記念企画「ヒロシマ 21世紀のメッセージ」展でした。出展した浜田作品は、広島市現代美術館所蔵の「ボタンB」(1988年)です。35.5×51.0センチの小さな銅版画ですが、メッセージは重いものでした。

作品の構図は、核のボタンに手をかけようとする頭巾を被った男の背中のボタンを押そうとしているへらへらとした真ん中の男。ひときわ大きい硬い表情の男が、前の男の後頭部に付けてあるボタンを押そうとしています。最後にボタンを押す決定を下す大男の頭上にはきのこ雲が描かれています。それは一人の権力者の意思によって引き起こされる核戦争の脅威を暗示しているかのようです。

浜田さんはこの作品について次のようなコメントを寄せています。

モチーフについては、殊更解説の必要はあるまいと思う。今や人類の存否はこのボタンひとつにかかっていると言っても過言ではない。核の不安の上に辛うじて保たれている平和。現代の危機をどのように表現すればよいのか、長い試行錯誤の末に、私なりにこのような作品に辿り着いた

浜田知明
「初年兵哀歌(歩哨)」
(1954年)

浜田知明
「アレレ…」
(1974年)

浜田知明
「杖をつく男」
(2012年)

2年後には彫刻でも「ボタンを押す人」を発表しています。米ソの冷戦構造は終焉したとはいえ、核をめぐる緊張は北朝鮮をはじめとして、現在もなお黒い影を投げかけている。銅版画の「ボタンB」は、核による戦争の構造と恐怖を冷静にとらえており、彫刻の「ボタンを押す人」は、一見ユーモラスな造形ながら国際社会を風刺する効果も高めています。

1996年には「浜田知明の全容」展に関わり、約200点もの作品を目にすることができました。この展覧会は朝日新聞東京企画部が仕立て、私は伊丹市立美術館の担当デスクとして参画しました。会場に来られた浜田さんと親しく懇談でき、作品について直接解説していただける機会に恵まれました。

代表作「初年兵哀歌(歩哨)」(1954年)が印象に残りました。暗い塹壕の中、ひとりの歩哨が銃を喉もとにつきつけ、足の指で引き金を引こうとする構図だった。骸骨のような頭をもった歩哨の眼から、一筋の涙が頬を伝ってこぼれ落ちようとしている。過酷な軍隊から逃れるには自ら命を絶つしかない苦悩は、自殺のことを考えて生きていた作家自身の姿でもあったのです。

「毎日、毎日なぐられた。ほっと自分に返れるのは、狭い便所の中と、夜、一人で歩哨に立っているときぐらい」と、浜田さんは著書に書いていますが、戦時中の凄惨で不条理な体験は、創作活動のテーマとなったのです。
 
今回の展覧会には、これらの代表作とともに、近作も出品されています。2008年の作品「夜行軍、雨」と「夜行軍、山を行く砲兵隊」の2点や、2013年の「山を行く砲兵隊」は、従軍中に脳裏に焼きついた光景をイメージして描いたデッサンです。95歳で制作した「杖をつく男」(2013年)自刻像や、「腐っていく兵士」(2014年)などの彫刻もあり、全貌展を堪能できました。


彫刻作品に取り組む
浜田知明さん
2010年
熊本市内のアトリエで

この展覧会を担当した井上正敏学芸員には、約1年前から今夏の開催をお聞きし、開催2ヵ月前には「休みなしで毎晩10時近くまで美術館で残業です」といったメールで準備の苦労もうかがっていました。また東京の個人所蔵家から油彩の「驢馬」(1944年)の借用が叶い、初めて九州で展示できる喜びなど学芸員冥利に尽きる全貌展になったと感慨深いものがありました。

開会式で、浜田さんは「熊本県立美術館での展覧会は4回目ですが、ちょっと早目の遺作展となってしまいました」と冗談を交え、「97歳の一人の作家として作品数は少なすぎます。これからも作品を作っていきます」と挨拶をされました。会場で時間をかけて自作に見入っていた浜田さんに感想をお聞きすると、「これまで何をしてきたのか 悔いが残ります」の言葉が返ってきました。「生涯芸術家」のすさまじさに驚嘆した次第です。

自らの戦争体験を基に戦争への憎悪と平和への願いを版画や彫刻に託した浜田さんは一貫してゆるぎない創作姿勢を貫いてきたのでした。人間の持つ心の闇や残酷さを銅版画で見事に表現したゴヤのように、時代を超えて痛烈なメッセージを発する国際的な作家であることが確信できました。

激動の時代を生きぬいた
14人の「画家たちと戦争」展


横山大観
「山に因む十題 霊峰四趣・春」
1940年
茨城県立近代美術館

浜田さんと同じように、日本を代表する画家たちにとって、戦争体験が戦場か銃後かに係わりなく、その生涯と芸術に深く刻み込まれています。「画家たちと戦争」展は、戦争のあった時代を生きなければならなかった画家たちが描いた、狭義の時代区分で戦前(1936年から)、戦中(1937年から45年)、戦後(1945年から)の各時期に発表した作品と代表作の参考図版を象徴的に展示し、「彼らがいかにして生きぬいたのか」について問いかけています。

この展覧会を企画した担当の山田諭・学芸員によると、「戦後60年時に企画していたが、諸事情で実現せず、今回は1年前から準備し、30数人の候補から出品交渉などで代表作を借りられる条件に合った14人を選んだ」と言います。

浜田さんも候補だったそうですが、最終的に横山大観、藤田嗣治、恩地孝四郎、北川民次、岡鹿之助、福沢一郎、北脇ら宮本三郎、吉原治良、吉岡堅二、山口薫、香月泰男、松本竣介ら14人の作品129点が展示されています。ただし横山大観、恩地孝四郎は前期(8月23日まで)のみ、福田豊四郎、吉岡堅二は後期(8月25日から)のみの展示となっています。


松本俊介「立てる像」
1942年
神奈川県立近代美術館蔵

戦争画といえば、戦争を題材として描かれた戦争記録絵画が想起されますが、軍の宣伝や戦意高揚に利用された作品も含まれると考えられます。山田さんの選んだ横山大観は生涯「富士」を描き続け、その数は2000点を超すそうです。中でも戦中に描いた「霊峰四趣・春」(1940年)は三保の松原から仰ぎ見た富士の姿を描いています。この作品を含む連作の売上金50万円が軍に献納され、戦闘機になると同時に、皇国・日本を象徴する絵画として位置づけられたことを考え合わせるならば、紛れもなく戦争画であったのです。

この展覧会では、藤田嗣治の「シンガポール最後の日(ブキ・手間高地)」(1942年)と「道(仏印カンボジアの平野)」(1944年)、宮本三郎の「シンガポール英軍の降伏」(1943年)など戦争そのものを描いた作品は数少なく、戦争の時代を生き抜いた画家たちに焦点をあてています。

そのテーマ性から、ポスターやチラシの表紙に掲げられたのが松本俊介の「立てる像」(1942年)です。厳しい戦局が予想される頃、夕暮れ時の街角にすっくと立つ自画像。中央に大きく描いた作家の「私」は、どんな思いを胸に抱いているのでしょうか。国策への協力に反抗していた画家の自立を訴えているようでもあります。


北脇昇「クォ・ヴァディス」
1949年
東京国立近代美術館蔵

もう一枚、戦後を描いた象徴的な作品に北脇昇の「クォ・ヴァディス」(1949年)があります。タイトルはラテン語で「何処に行くのか」の意味です。くたびれた服装で右手に袋を左手に本を持つ男の後姿を描いています。男の前方に広がる白濁の大地の遠くに行進する民衆の隊列が見えます。敗戦による精神的な空白が埋められず、進むべき道に戸惑っている気持ちを淡々と描いていて、岐路に立つ後ろ姿に自身を重ねた寓意性の強い作品です。

戦後、海外でも評価の高い具体美術協会を創設した吉原治良の戦前、戦中、戦後の作品を見比べてみました。画家で実業家の吉原は藤田嗣治に独自性のなさを指摘され、具象から抽象絵画へと転換します。幾何学的に描いた「図説」(1934年)から、戦中に描いた「雪山」(1940年)は、前衛絵画への風当たりに、円や丸、三角を雪山と車輪、倒木などに置き換えて表現しています。そして終戦4年後の「涙を流す顔」(1949年)では、単なる抽象絵画に復帰することなく人間の姿が入り込んでいます。その後1954年に具体美術協会を結成し、純粋抽象へと変遷し、「円」を基調とした「作品(UNTITLED)」(1962年)に結実するのです。


吉原治良「図説」
1934年
東京都現代美術館蔵

吉原治良「雪山」
1940年
大阪新美術館建設準備室蔵
   

吉原治良「涙を流す顔」
1949年
京都国立近代美術館蔵

吉原治良「作品(UNTITLED)」
1962年
東京都現代美術館蔵



山田学芸員は、展覧会の意図を図録に次のような文章で締めくくっています。

最後に、戦後70年を迎えた現在、まさに戦後が終わりかねない危機的な状況を迎えているが、「戦争の時代を生きぬくこと」とは、どのようなことであるのか、過去の戦争を生きぬいた画家たちの作品を見て、じっくりと考える機会となることを願っている。
新しい「戦争の時代を生きぬくこと」を真剣に考えなくても済むように。

広島と横浜でも戦争をテーマに展示


横浜美術館の
「戦争と美術」展示室

被爆70周年を迎える広島県立美術館では、長崎県美術館と協働による「戦争と平和展」を開催しています。20世紀の二つの世界大戦下、画家たちは戦争をどのように描いたのか、いかなる立場から創造し、変容していったのか、そして広島と長崎の悲劇と祈りはどのように表象され続けてきたのか、その歩みを紹介しています。とりわけ長崎県美所蔵の東松照明の「上野町から掘り出された腕時計 長崎国際文化会館・平野町」(1961年)や浜田知明さんの「初年兵哀歌(歩哨)」などが出品されています。
 
横浜美術館のコレクション展「戦争と美術」セクションでは、戦争という重い経験をいやおうなしに背負い、直接的にせよ間接的にせよ、その影響を投影し続けてきた内外の美術家たちの作品や写真や雑誌・書籍などの資料も交え、所蔵品を特集展示しています。濱谷浩の「敗戦の日の太陽、新潟」(1945年/1991年プリント)はじめ、ここでも浜田作品から「初年兵哀歌(戦いのあと」(1951年)や「絞首台」(1954年)など10点が展示されています。
               ×
「戦争とはどのようなものなのか」「戦争とはいかに愚かなことなのか」――。時代の作家に大きな影響をもたらせた「戦争」を、その時代を生き描かれた美術作品を通して考えてみてはいかがでしょう。現代に生きる私たちにとって、戦争回避への何らかの示唆を与えられるかもしれません。

 


 

しらとり まさお
文化ジャーナリスト、民族藝術学会会員、関西ジャーナリズム研究会会員、朝日新聞社元企画委員
1944年、新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。

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・岩城宏之が創った「おらが街のオケ」
・立松和平の遺志,知床に根づく共生の心
・別子銅山の産業遺産活かしまちづくり

「文化とは生き方や生き様そのものだ」と 説く著者が、平山郁夫、中山恭子氏らの文 化活動から、金沢の一市民によるベトナム 絹絵修復プロジェクトまで、有名無名を問 わず文化の担い手たちの現場に肉薄、その ドラマを活写。文化の現場レポートから、 3.11以降の「文化」の意味合いを考える。
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第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけな
いことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
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定価:1,800円(税込)
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内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
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定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
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内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
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発売日:2003年11月19日
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内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
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定価:本体1,500円+税
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内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。
   

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