日本とスイス国交樹立150周年の二大特別展

2015年3月17日号

白鳥正夫

日本とスイス国交樹立150周年の昨年、「日本におけるスイス年」で企画された二大特別展が、神戸で開催中です。スイスが誇る美の殿堂のコレクションを、日本で初めてまとめて紹介する「チューリヒ美術館展─ 印象派からシュルレアリスムまで」が5月10日まで神戸市立博物館で、スイスを代表する画家の「ホドラー展」が4月5日まで兵庫県立美術館でそれぞれ開かれています。スイスといえば、アルプスに聳えるマッターホルンを思い浮かべます。登山鉄道で登った展望台から名峰を眺めた記憶が蘇りますが、美しい風景だけでなく美術の世界でも着目されます。日ごろなじみの少ないスイスからの美のメッセージがあふれる二つの企画展は、いずれも日本での最終会場です。


クロード・モネ「睡蓮の池、夕暮れ」(1916/22年)
以下5点とも(C)2014-2015
Kunsthaus Zürich. All rights reserved.


チューリヒ美術館の傑作74点 モネ、
シャガールら「巨匠いっき見」


エドヴァルド・ムンク
「冬の夜」
(1900年)

スイス最大の都市チューリヒは、湖に面した中世の美しい街並みと、世界的な金融市場としても知られています。一度訪ねましたが、美術館には足を延ばせませんでした。それだけに楽しみな展覧会で、昨年12月に東京国立新美術館で鑑賞し、神戸では内覧会でじっくり鑑賞しました。1910年に建物が落成したというチューリヒ美術館には中世美術から現代アートまで10万点もの作品を所蔵されており、スイス出身のホドラーやジャコメッティのコレクションは世界屈指の規模とのことです。来年には新館を完成させて、スイス最大の美術館となる予定です。


フィンセント・ファン・
ゴッホ
「サント=マリーの
白い小屋」
(1888年)

今回の「チューリヒ美術館展」は、国交樹立150周年の記念展とあって、幅6メートルにおよぶモネの大作やシャガールの代表作6点をはじめ、マティス、ピカソ、シャガールといった20世紀美術の巨匠の作品、さらにスイスを代表するホドラーやクレー、ジャコメッティの作品など印象派からシュルレアリスムまでの傑作74点が出品され、「巨匠いっき見」と宣伝するだけのことはあります。

展示は、作家ごとの巨匠のコーナーと、美術の運動や流派によるコーナーなどに分けて構成されています。圧巻はクロード・モネの壁一面に「睡蓮の池、夕暮れ」(1916/22年)は晩年の大作で、夕暮れ時の微妙な色合いをたたえた睡蓮の池が描かれています。印象派のコレクターとして名高いスイスの実業家、エミール・ビュールレ氏が寄贈した2点の大作の一点とされています。このコーナーでは、連作の「陽のあたる積み藁」(1891年)や「国会議事堂、日没」(1904年)など4点と、エドガー・ドガの「競馬」(1885/87年頃)やオーギュスト・ロダンの「殉教の女」(1885年)も展示されています。


ポール・セザンヌ
「サント=
ヴィクトワール山」
(1902/06年)

「叫び」で有名なエドヴァルド・ムンクの作品は、ノルウェーの寒々としたフィヨルドの風景「冬の夜」(1900年)など4点を展示。空中に浮かぶ人物などで特徴的なマルク・シャガールの作品では、「パリの上で」(1968年)など6点が出品されています。ポスト印象派のコーナーでは、フィンセント・ファン・ゴッホの色彩豊かな「サント=マリーの白い小屋」(1888年)や、ポール・セザンヌが聖なる山を躍動的に表現した「サント=ヴィクトワール山」(1902/06年)、さらにはひと目で分かるタッチで描いたアンリ・ルソーの「X氏の肖像(ピエール・ロティ)」(1906年)などが並んでいます。


アンリ・ルソー
「X氏の肖像
(ピエール・ロティ)」

スイスゆかりの作家のコーナーも充実しています。フェルディナント・ホドラーは、真実と悪を寓意的な構図で捉えた「真実、第二ヴァージョン」(1903年)と風景画など6点、独自の抽象的世界を探究したパウル・クレーの作品も「操り人形」(1930年)など4点、針金のように極端に細く、長く引き伸ばされた人物彫刻でなじみのアルベルト・ジャコメッティも「広場を横切る男」(1949年)など6点が展示されています。

このほかフォーヴィスムとキュビスムのコーナーでは、アンリ・マティスの愛娘の鮮やかなドレス姿を描いた「マルゴ」(1906年)パブロ・ピカソの若き妻の大胆なポーズ「大きな裸婦」(1964年)などの作品も眼を惹きます。またシュルレアリスムのコーナーでも、頭部がバラの花で模られたサルバドール・ダリの「バラの頭の女」(1935年)や一本の樹木の中に光る三日月を配したルネ・マグリットの「9月16日」(1956年)など、多彩な作品のオンパレードで堪能できます。

開会式に駆けつけたチューリヒ美術館のクリストフ・ベッカー館長は「4年前から日本と当館スタッフによって準備を進めてまいりました。幅広いコレクションの中から珠玉の作品がまとまって初めて海を渡って実現しました。市民らから寄贈を受けたスイスの宝を多くの日本の方に見てほしい」と話していました。


フェルディナント・
ホドラーの
「真実、第二ヴァージョン」が
展示された会場

ホドラー40年ぶり、最大の回顧展
初期から最晩年まで網羅した約90点


以下いずれもフェルディナント・
ホドラー作品
「バラのある自画像」
(1914年、
シャフハウゼン万聖教会博物館)

一方、「ホドラー展」は、今回はベルン美術館をはじめスイスの主要な美術館と個人が所蔵する油彩、素描など約90点もの出展で最大規模の回顧展です。フェルディナント・ホドラー(1853−1918)は、19世紀末のスイスを代表する画家として親しまれ、近年ではフランスやアメリカでも相次いで個展が開かれたそうです。日本では約40年ぶりの回顧展で、なじみがあるとはいえませんが、前述の「チューリヒ美術館展」でも出品されていて、その存在があらためて注目されます。こちらも東京の国立西洋美術館でひと足早く鑑賞し、昨年の「バルテュス展」同様、初めて見るホドラー作品に新鮮さを感じました。

ホドラーはスイスの首都・ベルンの貧しい家庭の長男として生まれますが、7歳で父を亡くし、装飾美術を手掛ける職人と再婚した母親と他の兄弟も結核で亡くなります。義理の父親から手ほどきを受け、看板描きや土産用の風景画などで生計を立てます。ジュネーヴに出て、画家のバルトロメ・メインの弟子となりコローやバルビゾン派の影響を受け、50歳を過ぎて、装飾芸術運動の高まりの中で画家として認められるようになったのでした。

こうした幼少期の体験が、「死」を意識し、人間の内面を重視した作品に色濃く反映されます。オーストリアのグスタフ・クリムト(1862−1918)と同時代に生き作風こそ異なるが、共に19世紀末の時代を象徴した画家といえます。また晩年になって国民的画家としての声価を得ますが、オランダのフィンセント・ファン・ゴッホ(1853−1890)に似て、苦難に満ちた画家人生だったといえます。


「傷ついた若者」
(1886年、ベルン美術館)
  以下2点、
Kunstmuseum Bern,
Geschenk des Künstlers

「オイリュトミー」
(1895年、ベルン美術館)

展示構成は、ほぼ時系列に1章「光のほうへ― 初期の風景画」、2章「暗鬱な世紀末?― 象徴主義者の自覚」、3章「リズムの絵画へ― 踊る身体、動く感情」、4章「 変幻するアルプス― 風景の抽象化」、5章「リズムの空間化― 壁画装飾プロジェクト」、6章「無限へのまなざし― 終わらないリズムの夢」、7章「終わりのとき― 晩年の作品群」の7章で紹介されています。

印象に残った作品をいくつか取り上げておきます。2章の「傷ついた若者」(1886年)は、草原に横たわる裸体の青年描いていますが、頭からは血が流れ、白い衣に褐色の染みをつくっています。聖書の物語に題材をえたとのことですが、この時代の作品には「死」のイメージが付きまとっています。右足が浮いたように描かれているのにも興味を引きました。

3章の「オイリュトミー」(1895年)も、落ち葉の散った晩秋の道を歩く、白装束5人の年老いた男たちの姿を通して、「死」を暗示させます。この作品を見たとき、平山郁夫の「求法高僧東帰図」(1963年)を連想しました。こちらは決死の覚悟で旅立った僧たちに思いを馳せ、求法を終えて天竺から帰国する僧の姿を黒と金色で描いています。


「恍惚とした女」
(1911年、
ジュネーヴ美術・歴史博物館)
(C)Musée d’art et d’histoire,
Ville de Genève
 (C)Photo :
Bettina Jacot-Descombes

「感情 V」(1905年)は、「オイリュトミー」と対照的に4人の女性が前進して光景ですが、踊っているようにも見えます。地面にはポピーの花が無数に咲いていて、女性の身体がリズミックに連鎖する構図で、ここでは「生」のイメージを視覚化しています。「恍惚とした女」(1911年)はチラシの表紙にもなっている作品です。紅いドレスの女性が両手を胸元に向け、両膝を少し曲げて踊っている様子を描いていて、まさにリズム感にあふれています。

4章では、スイス・アルプスの自然から想像力を刺激された風景が次第に抽象化していく作品が展示されています。「シェーブルから見たレマン湖」(1905年頃)は、青空に伸びた白い雲と、湖面に投影したシルエットが水平線を境に上下に平行する二つの風景を表現しています。ホドラーのいう「パラレリズム」の世界です。「トゥーン湖とニーセン山」(1910年)は、ピラミッド型の山を三角形のフォルムで表わし、湖面に映る影や雲とともに、幾何学的に再構成した作品です。


「シェーブルから見たレマン湖」
(1905年頃、
ジュネーヴ美術・歴史博物館)
  Depositum der
Gottfried Keller-Stiftung/
Kunstmuseum Bern

5章に入ると、装飾芸術運動の高まった19世紀後半以降、イェーナ大学を飾った「独立戦争に向かうイェーナの学徒出陣」(1907/08年)や、ハノーファー市庁舎の会議室に据えられた「全員一致」(1912-13年)など歴史場面を主題とする壁画装飾プロジェクトを数多く手がけました。「木を伐る人」(1910年)は、スイスの新紙幣のデザインを依頼されての作品です。労働する人間の姿を描いた作品で、大原美術館にも所蔵されています

6章では、1913年から17年にかけてチューリヒ美術館にある階段間のための壁画を制作しています。5人の女性像によって構成された壁画は晩年の集大成といえる作品で、「無限へのまなざし」と名づけられました。同じようで微妙に違った身振りをした女性の習作が出品されていますが、作家にとって終わらないリズムの夢だったのでしょう。


「木を伐る人」
(1910年、
ベルン・モビリアール
美術コレクション)

7章は、癌におかされた20歳年下の恋人の死をリアルに描いた「バラの中の死したヴァランティーヌ・ゴデ=ダレル」(1915年)は、薄紅色の背景にバラを配し、作家の心象も表現した作品になっています。ホドラーは3年後に没しますが、最期までこよなく愛したアルプスの風景を描いています。最晩年の「白鳥のいるレマン湖とモンブラン」(1918年)は、外出もままならなくなったホドラーが窓越しに眺めた風景でした。

この展覧会を企画構成したベルン美術館のマティアス・フレーナー館長は図録に、「ホドラーの象徴主義的な人物像が自立を保ちえた、その本質的な理由とは、この人物像が、生や死といった根本的な問いを投げかける生命のフリーズに、ひとつにまとめ上げられたという点にある」との文章を寄せています。

 


 

しらとり まさお
文化ジャーナリスト、民族藝術学会会員、関西ジャーナリズム研究会会員、朝日新聞社元企画委員
1944年、新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。

新刊
「シルクロードを界遺産に」と、提唱したのは故平山郁夫さんだ。シルクロードの作品を数多く遺し、ユネスコ親善大使として文化財保存活動に邁進した。

社長業を投げ捨て僧侶になった小島康誉さんは、新疆ウイグル自治区の遺跡の修復や調査支援を30年も続けている。

シベリアに抑留された体験を持つ加藤九祚さんは90歳を超えて、仏教遺跡の発掘ロマンを持続する。

玄奘の意志に導かれアフガン往還半世紀になる前田耕作さんは、悲劇のバーミヤンの再生に情熱を燃やす。
シルクロードの現代日本人列伝
―彼らはなぜ、文化財保護に懸けるのか?

世界文化遺産登録記念出版
発売日:2014年10月25日
定価:1,620円(税込)
発行:三五館
「反戦」と「老い」と「性」を描いた新藤監督への鎮魂のオマージュ

第一章 戦争を許さず人間愛の映画魂
第二章 「太陽はのぼるか」の全文公開
第三章 生きているかぎり生きぬきたい

人生の「夢」を持ち続け、100歳の生涯を貫いた新藤監督。その「夢」に交差した著者に、50作目の新藤監督の「夢」が遺された。幻の創作ノートは、朝日新聞社時代に映画製作を企画した際に新藤監督から託された。一周忌を機に、全文を公開し、亡き監督を追悼し、その「夢」を伝える。
新藤兼人、未完映画の精神 幻の創作ノート
「太陽はのぼるか」

発売日:2013年5月29日
定価:1,575円(税込)
発行:三五館
第一章 アートを支え伝える
第二章 多種多彩、百花繚乱の展覧会
第三章 アーティストの精神と挑戦
第四章 アーティストの精神と挑戦
第五章 味わい深い日本の作家
第六章 展覧会、新たな潮流
第七章 「美」と世界遺産を巡る旅
第八章 美術館の役割とアートの展開

新聞社の企画事業に長年かかわり、その後も文化ジャ−ナリスとして追跡する筆者が、美術館や展覧会の現況や課題、作家の精神や鑑賞のあり方、さらに世界の美術紀行まで幅広く報告する
展覧会が10倍楽しくなる!
アート鑑賞の玉手箱

発売日:2013年4月10日
定価:2,415円(税込)
発行:梧桐書院
・国家破綻危機のギリシャから
・「絆」によって蘇ったベトナム絹絵 ・平山郁夫が提唱した文化財赤十字構想
・中山恭子提言「文化のプラットホーム」
・岩城宏之が創った「おらが街のオケ」
・立松和平の遺志,知床に根づく共生の心
・別子銅山の産業遺産活かしまちづくり

「文化とは生き方や生き様そのものだ」と 説く著者が、平山郁夫、中山恭子氏らの文 化活動から、金沢の一市民によるベトナム 絹絵修復プロジェクトまで、有名無名を問 わず文化の担い手たちの現場に肉薄、その ドラマを活写。文化の現場レポートから、 3.11以降の「文化」の意味合いを考える。
ベトナム絹絵を蘇らせた日本人
「文化」を紡ぎ、伝える物語

発売日:2012年5月5日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけな
いことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。
   

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
「ぶんかなびで知った」といえば送料無料に!!
 

 

もどる