21年目を迎えた大阪城ホール

2004年8月20日号

白鳥正夫

 大阪の歴史的シンボル大阪城のふもとに、「大阪21世紀計画」のメモリアル事業として完成した財団法人の大阪城ホールが今秋10月に21年目を迎えます。今年5月末で3400万人を突破し、文化・スポーツの振興に貢献しています。この間、ほぼ10年、評議員の一人として、事業の推移を見守ってきました。第三セクターの経営難が続くなか、健全な運営で質量ともに日本を代表する一大拠点に発展したことを喜ばしく思っています。この度、評議員を辞するにあたって、これまでの歩みを振り返ってみます。

大阪城のおひざ元で
威容を誇る大阪城ホール
(写真:いずれも大阪城ホール提供)

千変万化のアリーナ活用

 大阪城ホールが誕生したのは1983年のことです。建設の発端はその2年前、大阪市が「大阪21世紀計画」の実施に当たって、開幕を飾る「大阪築城400年まつり」の式典会場として想定したのでした。建築予定地は大阪城公園の東北に位置した旧大阪砲兵工廠の跡地に決まり、総工費106億円をかけ、地下1階、地上3階の多目的ホールが2年足らずで出来あがったのでした。
 収容人員1万6000人、延べ床面積3万1065平方メートルの規模は、日本武道館を上回る日本一のスケールとなりました。21世紀を視野に経済や文化の発展に寄与するにとどまらず国際都市大阪に向けての先見性のある構想で、官民上げての取り組みでした。
 日本経済におけるバブル破綻以前の1980年代とはいえ、今にしてみれば、何と大阪に活気があったことでしょう。確かに1970年の大阪での万国博覧会以後、関西の地盤が急テンポで浮上していました。ホールがオープンした年には、築城400年まつりを始め大阪城博覧会、世界帆船まつり、さらには第1回御堂筋パレードが開催されております。
 オープン記念行事には、8000人の市民を招いてアリーナで多彩な演芸や舞踏などの催しが繰り広げられました。最初の1年には、大阪国際ファッションフェスティバルや沢田研二、谷村新司、都はるみらのコンサート、渡辺二郎のWBA世界Jバンタム級タイトルマッチなど多彩な催しが行われています。
 この20年間では、数々の流行歌手のコンサートに、スポーツでも室内陸上競技やインドアテニス、バレーボール、柔道、大相撲などで、また企業や学校の展示や記念式にと、舞台のアリーナは千変万化して利用されてまいりました。
 さらに1995年11月に開かれたAPEC大阪会議では、2週間にわたって合同プレスセンターの会場として利用されました。私も取材メンバーとして入場パスポートを発給していただき、連日訪れたものです。

千変万化する
大阪城ホールのアリーナ

数々の舞台、稼働日数も回復

 毎年恒例の行事開催にも力を注ぎました。その一つが「1万人の第九コンサート」です。第1回が開館の年で山本直純が指揮し、プロ・アマを合わせ6300人の合唱に約7000人の観客も加わり、ベートーヴェンの第九交響曲「合唱」を歌い上げたのです。第17回からは佐渡裕が総監督・指揮を務めています。佐渡は「大阪城ホールは第九の甲子園です。日本はもとより世界の第九の聖地にしたい」と抱負を語っています。
 「1万人の第九コンサート」はすっかり「大阪城ホールの顔」として定着しますが、こうした音楽ホールとしての評価には残響効果があげられます.クラッシック音楽では2秒がモデルとされていますが、1.45秒あり、大規模アリーナとしては十分に合格点がつけられます。
 私もこの10年余で、1993年10月に開かれた開館10周年記念の「服部良一音楽祭」を皮切りに数多くのイベントを見聞してきました。大阪出身の日本を代表する作曲家の業績をしのぶ音楽祭で、「音楽畑」活動を展開しています子息で作曲家の服部克久さんとも懇談した思い出があります。
 2000年2月には「グラフさよならテニス」と銘打った引退記念試合も見ました。名プレーヤー、スティフィ・グラフの相手をしたのは伊達公子さんでした。このほか1994年7月の「シレラ・人魚伝説」の舞台、1996年1月にも「大震災激励コンサート」、1997年1月には「ニッポンの太鼓フェスティバル」などが印象に残っております。
 もう一つ忘れ得ないイベントは1999年9月の坂本龍一初のオペラ「LIFE」です。この催しは朝日新聞創刊120周年記念事業として実施されましたが、私は会場選定や交渉の仲介役になれたことです。東京の武道館と合わせ6公演ありましたが、地球環境や愛、救い、共生をテーマに感動的なステージとなりました。
 20年の実績は数字の上にもはっきりと見てとれます。稼動日数で見ますと、開館以来漸増し1990年の327日(90%)がピークでした。しかしバブルがはじけ、次第に低下し、2002年度が239日(65%)まで減少しました。ところが昨年度は一転、295日(81%)までに回復しています。これは音楽・芸能部門が183日で過去最高の数字を示したためです。
 損益計算書では1995年度から3年間赤字決算となっていますが、昨年度はホール使用料が寄与し、事業収益が約12億6830万円で2002年度より1億7000万円も増えています。これまでにも観客席の改修のほか大型映像や電光表示装置、舞台照明、空調自動制御設備なども更新しながら、剰余金を繰り越しています。

年末恒例となった
「1万人の第九」コンサート

 

苦境にあえぐ大阪ドーム

 一方、1997年に開業した大阪ドームは苦境にあえいでいます。こちらは大阪市の20億円を筆頭に大阪府、大阪ガス、近畿日本鉄道などが計96億円を出資して設立されました。地上9階、地下1階建てで、5万5000人を収容できます。プロ野球の大阪近鉄バファローズの本拠となっていますが、開業以来赤字が続き、債務超過の有様です。
 さらに今年になってバファローズとオリックスの合併問題が生じており、来年以降の抜本的な再建策を迫られています。ドームのような巨大施設となると、使用目的がプロ野球やレスリング、動員力のある音楽興行などに限られるため、一度完成すると、大きなお荷物になるおそれがあります。2008年のオリンピック誘致に失敗したことも誤算になったのではないでしょうか。
 大阪城ホールでは21年目となる2004年度についても稼動日数を260日以上をめざしています。主な催しとしては、「1万人の第九」をはじめ矢沢永吉、ジャニーズらのコンサート、宝塚歌劇90周年記念大運動会などを予定しています。
 私にとって最後の評議員会で、山幡一雄理事長は「安全・快適・グレードの向上をモットーに一層努力をしたい」と強調していました。20周年記念誌は、さらなる飛躍として次のような言葉で結んでいます。「大阪発の文化を世界に発信する活動を展開したい。21世紀、大阪をアジアのそして世界の感動のメガロポリスにするために」

「シャ乱Q」のコンサート風景


しらとり・まさお
朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。


新刊
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたち平山郁夫画伯らの文化財保護活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者の「夢しごと」をつづったルポルタージュ。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
「ぶんかなびで知った」といえば送料無料に!!

 

もどる