シルクロードが世界文化遺産に

2014年5月17日号

白鳥正夫


世界遺産になる
西安の大慈恩寺に
そびえる大雁塔。
玄奘が翻訳した
経典を保管。

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は4月末、ユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)によって、世界文化遺産への登録が勧告されました。「絹の国」として育んだ文化と歴史を世界にアピールできそうですが、同時に「絹の道」であるシルクロードの「天山回廊」も、世界文化遺産へ勧告されています。ともに6月にカタールの首都ドーハで開かれるユネスコ世界遺産委員会で正式決定の見通しです。私にとってシルクロードは、新聞社時代に取り組んだプロジェクトを通し、定年後もライフワークのように17回も旅した思い入れの地です。このサイトでも何度か取り上げてきましたが、その意義について伝えておきます。

壮大な構想、国境を超え包括登録


蘭州からハミに至る
広大な牧草地。
二こぶラクダなどの姿も。

シルクロードはユーラシア大陸を横断し、アジアとヨーロッパを結ぶ大動脈です。中国西域から炎熱のタクラマカン沙漠周辺を縫い、酷寒の天山山脈やパミールの高嶺を越え、中央アジアの草原を経て、古代オリエントからローマへと繋がった壮大なルートであり、多くの国にまたがっています。

そのシルクロードの世界遺産への申請は、中華人民共和国に加え、カザフスタン、キルギス両共和国と3国共同で提出され、初めての本格的シリアル・ノミネーション(複数の連続性有る遺産の推薦)でした。

そもそも「絹の道を世界遺産に」と着想し、口火を切ったのは、ほかならぬ日本画家でユネスコ親善大使であった故平山郁夫さんです。国連文化遺産年の2002年12月に中国の西安で開催されたユネスコ・シルクロード国際学術シンポジウムで提唱されました。


玄奘が「空には飛ぶ鳥もなく、
地を走る獣もいない」と
記した莫賀延蹟。

後日、平山さんは「シルクロードを国際交流や平和の道に」との趣旨を盛った書簡を、当時のコフィー・アナン国連総長に送っています。

今回は中国が主導となっていますが、将来的にはシルクロードの世界遺産をさらに西方の「交易の道」であった地中海地域へ繋がっていくのは確実です。東に延長させて、日本の沖の島、太宰府を経て奈良に至る「仏教伝播の道」への可能性も秘めているのです。中国との関係悪化が続いているとはいえ、日本がもっと関心を寄せるべき事象なのです。


山が燃えているような火焔山。
孫悟空さえもが行く手を
阻まれと、描かれた難所。

包括申請では、資産の名称として「シルクロードの始点と天山回廊経路網」となっており、長安から「天山回廊」を経て、中央アジアにいたる全長8700キロに及んでいます。紀元前2−紀元1世紀にかけて道路網として形成されたのでした。

構成資産としては、中国の陝西省西安市や新疆ウイグル自治区トルファン県など13市県から22ヵ所、カザフスタン2州から8ヵ所、キルギスタン1州から3ヵ所の計33ヵ所の考古学的遺跡や歴史的建造物、霊廟・墓、洞窟などを取り込んでいます。


世界遺産になる修復された
高昌故城内の祠。

具体的には、玄奘三蔵ゆかりの大雁塔や興教寺(いずれも西安)、高昌遺跡と交河城址、キジル千仏洞(いずれも新疆ウイグル自治区)などが含まれています。すでに世界遺産に登録されている敦煌などは入っていません。今回の申請はシルクロード全域の一部ですが、シリアル・ノミネーションという国境を超えた画期的な決定によって、国際的にも注目されます。

日本イコモス国内委員会副委員長の前田耕作さんは、「登録に向けた国境を超えた努力はアジアの平和に貢献するもので意義深い。日本はこの機にシルクロード文化研究の蓄積を世界に発信し、将来は終着点として日本の遺産の追加登録を目指すべきだ」(5月3日付け読売新聞朝刊)との、考えを示しています。

シルクロード人気、日本が牽引


断崖の上に築かれ交河故城。
役所の建物や住居跡塔など散在。
ここも世界遺産に。

長大なシルクロードは、悠久の歴史の中で興亡を繰り返してきました。古代にバクトリアと呼ばれた中央アジアはシルクロードの要衝に位置し、オアシスとして栄えてきました。と同時に多くの騎馬民族がその富と覇権を求めて興亡の歴史をたどったのです。紀元前にはアレクサンドロス大王のカイバル峠を越えて東征し、13世紀にはチンギス・ハーンが西征しました。

シルクロードに住む幾多の民族が翻弄されながらも、豊かな文化を育て、交流し東西の文明が融合してきたのです。中国から絹が運ばれ、西からは、宝石や玉、織物などがラクダや馬の背に乗せられてアジアへと運ばれました。その証しとして、奈良の正倉院にペルシャの陶器や楽器が所蔵されています。


世界遺産に登録される
キジル千仏洞。
手前の銅像は、
キジル出身の鳩摩羅什。

奈良県では1988年に、「なら・シルクロード博覧会」を平城宮跡と奈良公園周辺で開催し、682万人の入場者がありました。閉幕後も「奈良公園シルクロード交流館」として開設し、シルクロードの歴史や奈良との関係を展示紹介しています。

シルクロードへの関心の高まりは、1980年、喜多郎のテーマ曲が流れるNHK特集の「シルクロード」の放映によって、日本からブームが起こりました。その四半世紀後の2005年に「新・シルクロード」スペシャルが続映され、日本での人気と関心が世界を牽引してきたのです。


キルギスの軍用ヘリから撮った
万年雪の天山山脈。
左側の平坦部がベデル峠。

ところが、推進者の平山さんが亡くなってから、主導権が中国にあるためか、文化庁をはじめマスコミなどの関心度が薄れています。中国から東へのルートにある韓国では近年、中央アジアへ繋ぐ文化遺産に注目し、国が支援する考古学隊をウズベキスタンに派遣し、初めて発掘を開始しています。一方、日本の取り組みは腰が引けてしまっています。

前田さんは、「文化的な遺産としての正倉院も、シルクロードがなければ、ただの蔵に過ぎません。その世界遺産登録がもっぱら中国主導で行われるとすれば、誤解を恐れずにいえば、シルクロードという名称の特許権が日本から中国に移ることになるでしょう」と警告しています。

「絹の道を平和の道へ」の思いを託し

シルクロードを通って物だけが交流したのではなく、宗教も伝えられました。アラブからはイスラム教が、インドから仏教が東漸したのです。日本の文化の源流がシルクロードを経て伝わったといえます。


天山を越えるとイシククル湖があり、
丘陵地には遊牧民が暮らしている。


仏教が今日の日本に定着した最大の貢献者が玄奘三蔵法師です。玄奘は7世紀、中国からインドまで約3万キロの道を一路西へ、西へとたどりました。17年の歳月をかけ艱難辛苦の末、求法の目的を成就した。そして持ち帰った経典を翻訳した般若心経は、日本でもっとも布教し、親しまれています。


ウズベキスタンの
首都タシケントにある
大きなバザール。
生活必需品一切がそろう。

私のシルクロードへの旅は、朝日新聞社で文化企画の仕事に携わっていた1999年の創刊120周年記念プロジェクトに「玄奘三蔵法師」をテーマにした学術調査や展覧会、シンポジウムを提案し、採用されたことが、端緒でした。

「なぜ、玄奘三蔵を取り上げたのか」――。偉大な宗教家・玄奘は、冒険家でもあり、国際交流の先駆者ともいえます。価値観が揺らぎ混迷の20世紀末、玄奘の生き方を検証し、「アジアの世紀」とされる21世紀に向けて、指針となるべきメッセージを発信できればといった趣旨でした。


中国西域や中央アジアに
オアシスのバザールへ
行き交うロバ車も。

1996年から玄奘の旅を追体験し、悠々としたその魅力をライフワークのように感じ、定年後も機会を見つけては旅を続け、玄奘の道から、さらにイランやトルコを経てローマのイタリアへも足を運びました。
 
シルクロードを旅して実感するのは、人間の歴史です。アレキサンドロス大王やチンギス・ハーンに代表されるように覇者が勢力を伸ばし侵攻し、戦い滅ぼし、広大な土地を支配しました。しかし栄枯盛衰で、別の勢力が興り、幾たびかの戦乱を繰り返し、現在に引き継がれているのです。「歴史は進歩や近代化ではなく、単なる変化でしかない」ことを、多くの遺跡が語っています。


玄奘がインドで学んだ
ナーランダ大学遺構。

シルクロードでは21世紀も戦火が絶えません。アフガニスタンやシリアでは内戦が続き、自由に往来が出来ません。「シルクロードを世界遺産に」と提唱した平山さんは、奪い合うのでなく与え合い精神文化を育て、「物」と「心」の調和により、平和への熱い思いが込められていました。今回の世界遺産を機に、観光化だけが進むのではなく、平和と文化の大公道を築いていかなければ、真の意義はありません。


21世紀、私たち一人一人が世界の中でどう生きたらいいのかが問い直されています。そして国際社会への日本の役割が求められている歴史の転換期にあたって、仏教の真の教えを求め無私の精神でシルクロードを旅した玄奘の生き方から現代人が学ぶべき指針があるように思えます。

 


 

しらとり まさお
文化ジャーナリスト、民族藝術学会会員、関西ジャーナリズム研究会会員、朝日新聞社元企画委員
1944年、新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。

新刊
「反戦」と「老い」と「性」を描いた新藤監督への鎮魂のオマージュ

第一章 戦争を許さず人間愛の映画魂
第二章 「太陽はのぼるか」の全文公開
第三章 生きているかぎり生きぬきたい

人生の「夢」を持ち続け、100歳の生涯を貫いた新藤監督。その「夢」に交差した著者に、50作目の新藤監督の「夢」が遺された。幻の創作ノートは、朝日新聞社時代に映画製作を企画した際に新藤監督から託された。一周忌を機に、全文を公開し、亡き監督を追悼し、その「夢」を伝える。
新藤兼人、未完映画の精神 幻の創作ノート
「太陽はのぼるか」

発売日:2013年5月29日
定価:1,575円(税込)
発行:三五館
新刊
第一章 アートを支え伝える
第二章 多種多彩、百花繚乱の展覧会
第三章 アーティストの精神と挑戦
第四章 アーティストの精神と挑戦
第五章 味わい深い日本の作家
第六章 展覧会、新たな潮流
第七章 「美」と世界遺産を巡る旅
第八章 美術館の役割とアートの展開

新聞社の企画事業に長年かかわり、その後も文化ジャ−ナリスとして追跡する筆者が、美術館や展覧会の現況や課題、作家の精神や鑑賞のあり方、さらに世界の美術紀行まで幅広く報告する
展覧会が10倍楽しくなる!
アート鑑賞の玉手箱

発売日:2013年4月10日
定価:2,415円(税込)
発行:梧桐書院
・国家破綻危機のギリシャから
・「絆」によって蘇ったベトナム絹絵 ・平山郁夫が提唱した文化財赤十字構想
・中山恭子提言「文化のプラットホーム」
・岩城宏之が創った「おらが街のオケ」
・立松和平の遺志,知床に根づく共生の心
・別子銅山の産業遺産活かしまちづくり

「文化とは生き方や生き様そのものだ」と 説く著者が、平山郁夫、中山恭子氏らの文 化活動から、金沢の一市民によるベトナム 絹絵修復プロジェクトまで、有名無名を問 わず文化の担い手たちの現場に肉薄、その ドラマを活写。文化の現場レポートから、 3.11以降の「文化」の意味合いを考える。
ベトナム絹絵を蘇らせた日本人
「文化」を紡ぎ、伝える物語

発売日:2012年5月5日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけな
いことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
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