画家たちの聖地 パリ

2004年7月20日号

白鳥正夫

 花の都にとどまりません。ファッションの、グルメの、革命の……、など様々な形容で多くの人の感興をそそるパリ。しかし私にとっては一にも二にも芸術の都なのです。この10年余、アートの仕事に携わってきた私は、バルビゾン展やロダン展に関わり、日本で開催されたルーヴル美術館展やオルセー美術館展の行列に加わりました。さらにパリをこよなく愛し、1920年代のエコール・ド・パリの仲間入りをした藤田嗣治をはじめ佐伯祐三、荻須高徳らの絵画は、時と場所を代えいくつもの作品を見ました。こうした画家たちの聖地ともいえるパリを訪ね歩いてきました。

芸術から与えられる至福

 まずは世界有数の歴史と30万点のコレクションを誇るルーヴル美術館です。主要入口はあのガラスのピラミッド。美術館へ入る地下広場には三分の一の逆さピラミッドが下がり入場を待つ人でごった返していました。じっくり見るには一週間ぐらいかかりそうです。日本語の無料パンフレットと持参のガイドブックを頼りに時間との勝負です。ともかくお目当ての「ミロのヴィーナス」と「モナ・リザ」だけは見ておきたいと思いました。

「ミロのヴィーナス」(作者不明)ルーブル美術館所蔵


 「ミロのヴィーナス」といえば、40年前の東京オリンピックと同じ1964年に東京・上野の国立西洋美術館に特別出品されています。朝日新聞社が日本政府の公式要請を取り付けて実現したもので、何しろギリシャのミロ島で1820年に発見、フランス大使に買い取られ、ルーヴルの至宝となって初めて門を出たのでした。フランス旅行なんて夢のまた夢の時代ですから、大学生の私は約三時間待ちも苦になりませんでした。会期中83万人を集め、それまでの記録を大幅に塗り替えたのでした。
 目の前にしたヴィーナスは見飽きることがありません。両腕が無いがゆえに神秘的な美を感じます。「これまで、これから先も、どれほどの人の心に感動を与え続けるのだろうか。作品を遺せた芸術家もきっと驚愕していることだろう」と思いました。その作者は永遠に不明なのです。
 もう一つの目玉は「モナ・リザ」です。こちらは「最後の審判」を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチです。今年4月にイタリアのミラノで見ていただけに、感慨深く、すっかりくぎづけになりました。とりわけ背後の風景は、油彩のぼかしを究極まで追求したといわれるだけあってその天才的な表現技術は言葉に言い尽くせません。

「モナ・リザ」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ作)
「モナ・リザ」を写真撮影する
鑑賞者ら


 何かの美術書で、この作品には両端に柱が描かれていたのに、額縁に合わせ切り取られたという説を読んだことがあります。しかし名画にはナゾがつきまとうものです。ルーヴルではノー・フラッシュならば原則的に写真撮影が認められています。日本の美術館と比べ開放的なのには驚きです。とはいえ時々フラッシュがたかれ、作品保護の観点からとても気になりました。鑑賞の心得を遵守してほしいものです。
 ルーヴルで過ごした時間はわずか3時間足らずでしたが、数々の芸術品を間近にみることができ至福に浸れ、時を忘れました。

「バルビゾン派」の作品にいやし

 ルーヴルの余韻が残る翌日午後には、オルセー美術館に赴きました。ここでのお目当てはミレーの部屋です。ルーヴルより規模が小さいこともあって配置が分かり易く、二つの開口部のそれぞれ正面に「晩鐘」と「落ち穂拾い」がありました。美術の教科書でもなじみの名画がさりげなく手の届くところに飾られているのが不思議な思いがしました。

「落ち穂拾い」(ミレー作)


 ミレーの農民や田園風景を描いた作品には、質素であり素朴ながら気品と崇高さが感じられました。これは作家自身が農家の子として生まれ、土に感謝し黙々と働き続ける農民を尊敬し、何より自然の恵みに畏敬の念を抱いていたからでしょう。晩年はパリの南東60キロに広がるフォンテーヌブローの森の美しさにひかれ移り住み、61歳の生涯を閉じています。
 ミレーと並んでルソーやコローの絵画も数多く展示されていました。ヴェルサイユ宮殿を華麗に彩る肖像画や宮廷絵画を見た目には、こうした自然美に心がいやされます。彼らはバルビゾン村を理想郷として活動を続け、「バルビゾン派」と称されています。
 私は1995年秋から翌年春にかけて兵庫県立近代美術館を皮切りに静岡県立美術館、北九州市立美術館を巡回した「バルビゾンの発見」展を担当しました。もちろん兵庫県美の学芸スタッフが中心になって進めたのですが、私は画家たちが宿泊した「ガンヌの宿」の壁面に落書きが残されていることを知り、その部屋を展覧会場に再現することに力を注ぎました。
 フランスを訪れる際には、ぜひともバルビゾン村まで足を延ばし、美術館となっている「ガンヌの宿」とミレーやルソーの家を確認したいと願っていました。当時の画家たちが目にした風景や画論を戦わせたであろう息吹に触れたいためです。しかし日程の上で、予定していた火曜日は定休日とあって断念しました。
 オルセーでは、「バルビゾン派」の作品の他にも、名画が目白押しです。ルノアールの「浴女たち」、ゴッホの「自画像」、ゴーギャンの「タヒチの女たち」、セザンヌの「トランプをする人たち」、クールベの「アトリエ」、アングルの「泉」など目白押しです。絵画以外にもブールデルの「弓を引くヘラクレス」やマイヨールの「地中海」の彫刻、さらにはロダンの「地獄の門とウゴリーノ」の石膏原型など枚挙にいとまがありません。
 その中でもモネの「睡蓮の池・緑のハーモニー」に目を止めました。日本の浮世絵に影響を受けたことで知られるモネは、睡蓮の池の中に太鼓橋の架かる日本風庭園を描き込んでいます。その光と色彩のハーモニーが絶妙です。

「笛吹く少年」(マネ作)


 一方、モネ同様に浮世絵に感化されたと伝えられるマネの作品も魅力的です。娼婦を描き不評をかこったそうですが、「オランビア」はわずかに付けた首のリボンが裸婦を鮮烈に印象づけます。また「笛を吹く少年」は2001年末に、奈良県立美術館の「マネ」展に出品されていた作品です。他のマネの作品に比べ圧倒的な一品でした。背景を無くし黒い輪郭で描かれた少年の姿に、再び出会えた喜びをかみしめました。

画家たちの名残をたどる

 「これでもか、これでもか」のルーブルやオルセーの作品群に感服しました。私はこうした名画が生まれたフォンテーヌブローと、もう一カ所現地を散策したいと思っていたのがモンマルトルでした。ユトリロやピカソが愛した街であり、わが日本からも第11回で取り上げた藤田のほか、佐伯や荻須がアトリエを構え遊学した土地だからです。
 まず出向いたのは丘のふもとにある墓地でした。パリで三番目の大きさといわれる墓地には文豪のゾラやスタンダール、映画監督のトリュフォーらも眠っています。画家ではギュスターヴ・モローやドガ、荻須の墓もあります。地図を見ながらゾラやモローの墓を見つけることができましたが、荻須の墓は事務所の係員に尋ねても分からずじまいでした。

ギュスターヴ・モローの墓
画家たちの集った
アトリエ洗濯船跡


 心残して墓地を去り、ロートレックらが通ったムーランルージュの建物や、佐伯、荻須が何枚も何枚も描いた街角を歩き回りました。そしてたどり着いたのがアトリエ洗濯船跡です。ここはピカソやルノアール、ドガ、セザンヌら巨匠たちがアトリエにしていた建物でしたが、1970年の火災で、窓のみを残し焼失してしまいました。ピカソはここでキュビズムの名作「アヴィニヨンの娘たち」を描いております。
 画家たちが刺激し合い、競ったこの街には、もはや名残をとどめるものはわずかです。でも私が余韻に浸っているわずか20分間に日本の女子大生二人とOL三人組が訪れてきました。「時間がもっとあれば」との思いがつのることしきりでした。画家たちの聖地、パリはなお色あせていないのです。
 こよなくパリを愛し、パリに燃え尽きた天才画家、佐伯は大阪市内の由緒あるお寺の次男として生まれています。旧制中学校を卒業するまで大阪で育っており、赤松麟作の主宰する画塾で学びました。こうした経緯もあって大阪・中之島に建設が予定され大幅に遅れている大阪市近代美術館(仮称)準備室には、佐伯の作品を数多く所蔵しております。「郵便配達夫」は1928年に描かれた代表作ですが、私の大好きな作品です。
 中之島といえば、今秋には万博公園にあった国立国際美術館が移設オープンします。すでに大阪市立東洋陶磁美術館もあり、大阪市近代美術館が加われば、日本の中でも有数の美術館エリアが生まれます。パリには比べようもありませんが、文化都市・大阪の充実がより望まれます。


しらとり・まさお
朝日新聞社大阪企画事業部企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から、現在に至る。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。


新刊
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたち平山郁夫画伯らの文化財保護活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者の「夢しごと」をつづったルポルタージュ。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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