「アートを身近に」BBプラザ美術館3周年

2012年12月11日号

白鳥正夫


「BBプラザ美術館」のある
シマブンコーポレーションビル

前回紹介しています「横尾忠則現代美術館」から神戸市中央区脇浜海岸通りの「兵庫県立美術館」までの約1キロの道を「ミュージアムロード」と呼び、標識も掲げられています。その沿道の阪神電鉄岩屋駅近くのビルに「BBプラザ美術館」が生まれて今夏、丸3年になりました。展示面積が250平方メートル足らずの小さな美術館ですが、「暮らしの中にアートを」を標榜し、街中にあって開かれた展覧会活動を続けています。3周年記念で取り上げたのが、「具体美術協会」の創立メンバーで92歳を迎えた「上前智祐(うえまえちゆう)の自画道」。景気低迷のなか、ふんばる企業ミュージアムに焦点をあてました。

92歳の「具体」作家、「上前智祐の自画道」展


開館記念展が開かれた会場

BBプラザ美術館(TEL:078-802-9286)は、鉄鋼関連事業を中心にサービス事業分野にも進出している 株式会社シマブンコーポレーション(本社・神戸市)の創業100周年記念事業の一環として、2009年7月に開館しました。日本を代表する近・現代の画家をはじめ、フランスの巨匠たちによる絵画や版画、彫刻作品など約180点のコレクションを所蔵しています。

主な館蔵品としては、絵画作品に藤島武二の「裸婦」(1901年頃)をはじめ安井曽太郎の「黒き髪の女(ひと)」(1924年)、東郷青児の「モンパルナスの女」(1960年代〜70年代)のほか、ルノワールの「薔薇をつけた少女」(1915年)、マルケの「ノートルダム曇天」(1924年頃)など。彫刻では「三つのポーランド(アダム・ミスキェヴィッチ記念碑)」(1928年)、ロダンの「ネレイデス」(18878年以前)などがあります。


安井曽太郎
「黒き髪の女」
(1924年)


オーギュスト・
ルノワール
「薔薇をつけた
少女」
(1915年)

オーギュスト・
ロダン
「ネレイデス」
(1887年以前
)



上前智祐さん(左)と
BBプラザ美術館の
坂上義太郎顧問

こうした所蔵作品を随時公開するコレクション展を含め、年4回ほどの企画展を開催し、地域社会における芸術文化振興の一助を目指しています。14回目となる企画展が「上前智祐の自画道」で、来年2月にかけて前・後期合わせ130点を展示し、上前さんにとって最大規模の個展となります。

上前さんは1920年、京都府の丹後半島に生まれました。10代で南画を学んだ後、22歳の時に洋画(油彩画)に転向。「第二紀会」の第一回展に入選した1947年に洋画家・黒田重太郎氏に師事します。1952年に吉原治良氏の作品に出会い、翌々年に関西の前衛美術グループ「具体美術協会」結成に参加、1972年の解散まで在籍し、その後も同協会の精神を受け継ぎ、制作を続けています。


上前さんの
「我家の朝」
(左、1944年)
「作品」
(1946年)

上前さんは、吉原氏に師事して以降、一貫して非具象絵画を追求しています。緻密な点と線による集積的な油彩画、マッチ軸を支持体に塗り込めた絵画、黒い木やオガクズを使用した特異なオブジェ、布に千人針のように糸を縫いこんでいく「縫い」の創作など、多様な素材を使用し膨大な時間を集積して、一つ一つの作品を創り上げています。

上前さんは12歳の時に染織を扱う店で見習い職人として奉公していたこともあり、「縫い」が得意で平面から立体へ独創的な造形の取り組みとなったのです。こうした気の遠くなるような綿密な手作業が制作の基本となっています。かつて吉原氏が述べた「物質は物質のままでその特質を露呈したとき物語りをはじめ、絶叫さえする。物質を生かし切ることは精神を生かす方法だ」(「具体美術宣言」藝術新潮 1956年12月号)という言葉を着実に具現化しているといえます。


抽象的な平面作品


独創的な「縫い」よる
立体作品

内覧会の挨拶で、木谷謙介館長(シマブンコーポレーション社長)は「実は、上前先生は1974年から80年まで当社の関係会社でクレーンマンとして勤務されておりました。その際、眼にした製鉄所構内の高炉をはじめとした大小の工場建屋やタンクと、それらを結ぶパイプやベルトコンベアー群が織り成す造形は、後の作品制作に多大な影響を与えたと伺っております」と、明かしたのでした。

上前さんは60歳定年まで、クレーンマンとしての仕事と作品制作を両立させてきたのです。本人も「製鉄所構内は魔法都市であった。異様な造形美の光景があった。構内は撮影を禁じられていたが、見るだけでは我慢ならず、コダックのポケットカメラで隠し撮りした」(写真集『思い出 神戸の灘浜にて』)と告白しています。木谷館長の言葉通り、製鉄所構内の造形美に触れて得た感動を版画などの作品に反映しています。

展覧会では初期の具象絵画から後年の非具象絵画、独創的な縫い≠ノよる平面と立体作品、オブジェ、版画作品を展観し、約70年にわたる上前の自画道≠ノ迫っています。会場に顔を見せていた上前さんは「具体精神で、今も制作を続けています。まだまだやることがいっぱいあります」と語っていました。

清貧に生きる「無垢の画家 石井一男」展


「女神」
(1998年)の前で
石井一男さん

「具体美術協会」の中でも地味な上前さんを取り上げたBBプラザ美術館では、これまでも印象に残る展覧会を開催しています。昨年秋開催の「無垢の画家 石井一男」展もその一つです。石井さんの名はどこかで聞いたことがありました。石井さんはテレビ・ドキュメンタリーになり反響を呼んだのでしたが、番組を見ていません。その後に知った石井さんの素顔はまさに清貧に生きる画家でした。

その存在を知ったのは一冊の本です。ノンフィクション作家の後藤正治さんが著した『奇蹟の画家』(2009年、講談社)。後藤さんは朝日新聞社の文化人サークルである朝日21関西スクエアのメンバーでもあり、講演を聞き、名刺も交換していました。あらためて積読になっていた本を取り出し、ページを繰りました。

長い空白を経て、深海でじっと真珠を抱き続けてきたアコヤ貝が海面へゆっくりと浮上してきたというべきか、男はようやく絵筆へとむかったのである。(中略)画家になりたいと思ったのではない。発表したいと思ったものでもない。ただ絵を描きたいと思った。生きる証としての絵であった。素直に、無心に、自分の内なるものを見つめてそれを描けばいい。


会場に展示された多くの
「女神」たち

石井一男さんは、1943年に神戸の新開地で生まれています。関西大学法学部の二部に入学し、美術部で油彩に取り組みますが、なじめずに離れます。高校卒業後に勤めていた神戸市役所も辞め、皿洗いや新聞を駅に運ぶアルバイトなど、寡黙でも出来る仕事を選び生計を立ててきました。そして再び絵筆をとったのは40代半ばです。体調を崩して死を意識した頃だった、と言います。

石井さんは真摯に筆をとり、画面と対峙しながら浮かび上がってくるフォルム(像)を待ちます。時に人物の顔が、時に静物や鳥のような形態が、画面の中から現れてくるそうです。その人物の顔は、「女神の像」と名付けられたのでした。目を閉じた表情は、静謐で気高ささえ感じられます。

展覧会には初期の作品を含む70点が出品されていましたが、作品の半分以上のタイトルが「女神」です。題名が同じといっても、作品はそれぞれ似ているようで、それぞれにイメージが異なっています。暗い色調ながら、静かな落ち着いた雰囲気が漂い不思議な魅力があり、見る者の心を引き込みます。

今年4−7月の新収蔵品展「燻R辰雄・西村元三朗」展は、燻R辰雄(1912〜2007)のリトグラフと、西村元三朗(1917〜2002)の油彩画を紹介していました。神戸生まれの西村さんの作品については初めて鑑賞したのでした。「多層都市」「空から見た立体交叉」(いずれも1969年)など幾何学的な作品ですが、変わりゆく都市の姿をデフォルメして表現しているようで興味を覚えました。


「塩月彩香
ギャラリートーク
コンサート」
(2010年9月)

BBプラザでは、絵画展だけでなく、「ニャンニャンカーニバル たにかわ・こういち 絵本原画展」や、展覧会のイメージに合わせたミュージアムコンサートなど多様な催しを展開しています。館では1927年製のスタインウェイのピアノを所蔵していて、絵と音のコラボレーションも楽しめます。

こうした企画展の仕掛け人が顧問の坂上義太郎さんです。伊丹市立美術館開設準備から学芸員として活動し、美術館長まで勤め上げ2007年に退職しました。これまで数多くの展覧会を担当し、関西美術界の事情に詳しく、顧問を務める傍ら、大学の非常勤講師やカルチャーセンターの講師も兼務しています。

私にとっても、伊丹時代から親しくしており、頼りになる相談役でもあります。BBプラザの運営などについて伺うと、「小ぶりな美術館ながら、ミュージアムロードに立地し、その一翼を担っています」と前置きし、次のような明解な答えが返ってきました。

神戸ゆかりの作家の発掘に努めたい。まだ評価の定まっていない作家にも光をあてたい。そして展覧会ごとに前回とは違った新鮮な空間でありたい。館蔵品も随時、自然、人、街のキーワードを念頭に組み立て、魅力的に見せたい。

 


 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
・国家破綻危機のギリシャから
・「絆」によって蘇ったベトナム絹絵 ・平山郁夫が提唱した文化財赤十字構想
・中山恭子提言「文化のプラットホーム」
・岩城宏之が創った「おらが街のオケ」
・立松和平の遺志,知床に根づく共生の心
・別子銅山の産業遺産活かしまちづくり

「文化とは生き方や生き様そのものだ」と 説く著者が、平山郁夫、中山恭子氏らの文 化活動から、金沢の一市民によるベトナム 絹絵修復プロジェクトまで、有名無名を問 わず文化の担い手たちの現場に肉薄、その ドラマを活写。文化の現場レポートから、 3.11以降の「文化」の意味合いを考える。
ベトナム絹絵を蘇らせた日本人
「文化」を紡ぎ、伝える物語

発売日:2012年5月5日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけな
いことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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