問われる美術館教育

2004年6月20日号

白鳥正夫

 「身売り」問題まで生じている芦屋市立美術博物館など「運営に苦しむ公立美術館」のことは2003年12月20日号で取り上げましたが、地域社会の中における美術館の在り方が注目されています。自治体の財政難に伴い、ダムや道路などの公共事業のムダ遣いが指摘され、美術館も同レベルで「ハコモノ行政」の象徴として存在価値が問われています。しかし文化や芸術への関心が高まっており、成熟社会へ向けて、むしろ美術館の果たすべき役割は強まっているのです。今回は子どもや地域社会に目を向けた美術館の取り組みを紹介し、美術館を中心とした美術教育について考えてみました。

かたちを超えた普遍的なもの

 私が愛読している『ウエッジ』(6月号)の「日本人の忘れもの」に、中西進・京都市立芸術大学長が次のような興味のある話を掲載しています。

ピカソの絵を見て、一体何を意味するのかと首をかしげた経験はないだろうか。
日ごろ見ているものと同じでないと「解らない」と考えてしまう私たちは、目に見える物のかたちだけでしか信じない写真信奉者になってしまっている。
しかし物のかたちに囚われていては、心の焔を燃やす人の内面までは理解できない。
心の焔を燃やす人と火焔が同じだと、かたちを超えて普遍的に存在するもの発見したい。

美術の力と、美術教育の大切さが、中西学長の言葉に込められています。

 ピカソと言えば、反戦のシンボルと評価の高い『ゲルニカ』(1937年)をめぐって、もっと端的な話があります。縦3.5メートル、横7.8メートルの大作は、一時ニューヨークに置かれるなど流浪していたが、今は故国のソフィア王妃芸術センターに永久保存されています。前田興・倉敷市教育委員会生涯学習課主任はこの作品について、次のような話をしてくれました。

反戦のシンボルとされる大作『ゲルニカ』


 『ゲルニカ』には抽象的な馬や牛、女性や兵士が、何の脈絡も無く切抜きのように断片的に描かれていますが、見た目に戦争は描かれていません。作品を感じたまま見ると奇抜な絵画でしかありません。作品が生まれた背景にある真意を理解しようとする努力がなければ、作家のメッセージを受け止めることができない、ということです。
 『ゲルニカ』に関しては、朝日新聞社が戦後50年企画の目玉として、実物を借用し展示したいという悲願がありました。しかしスペイン政府の持ち出し許可を得ない限り実現不可能なことでした。結局、「ピカソ 愛と苦悩─ゲルニカへの道」展として、『ゲルニカ』に至ったピカソの多くの作品を展示するとともに、米ポロライド社の特殊撮影での実写による原寸大のレプリカ(複製)を制作して、展示しました。
私はこの展覧会の裏方として関わりましたが、監修にあたった神吉敬三・上智大学教授(故人)らからこの作品の真意を勉強する機会が与えられました。
 スペイン内戦さなかの1937年4月、フランコ将軍が率いる反乱軍を支援したドイツ・ナチス軍はバスク地方の古都ゲルニカを無差別爆撃しました。容赦なく爆弾の雨を降らせ、無防備な多数の市民の命を奪ったのでした。この憎むべき悲劇に心を痛めたピカソは戦争を題材に取り組んだのでした。死んだわが子を抱いて泣き叫ぶ女、苦痛に歯をむきだしておののく馬、槍を突き刺されて倒れた兵士……全体を黒と白、灰色という暗い色調で描き、暴力の不条理を暴き、その非道に怒りをぶつけたのです。こうした作家の背景を知らないと、この作品の意味を理解したとは言えません。

絵解きのための訓練が必要

 前田主任は、いわゆる絵解きができれば鑑賞の幅が広がると指摘します。そして美術作品を見るための手がかりとなる筋道の通った考え方を学ぶ訓練は中学生ぐらいから始めるべきだと強調しています。私は「ゆとりの教育」の実践としても学校教育の中に、美術館見学を積極的に組み入れていく必要性を感じています。
 倉敷市立美術館では毎年2月に「倉敷っ子美術展」を開催しています。未来を担う子どもたちの創造力を養い、作品交流や正しい鑑賞の場として、昭和62年からスタートして18回を数えています。今年は市内公立の小、中学校を含む79校が参加したといいます。各校でテーマを決め、共同制作品があれば生徒らの思い思いの作品が美術館の常設展示場を除いて、所狭しと並びます。会期中には父兄を含め約1万人が美術館を訪れたそうです。

「倉敷っ子美術展」で
中学生の作品を見る小学生
「倉敷っ子美術展」の展示風景
(倉敷市立美術館提供)

「倉敷っ子美術展」の展示風景
(倉敷市立美術館提供)
「倉敷っ子美術展」の展示風景
(倉敷市立美術館提供)


 私が注目したいのは、ともかく年に一度とはいえ、これだけ多くの小、中学生らが美術館に足を運ぶことです。子どもらは自分たちや他校の生徒らの作品を見るのが目的でしょうが、常設展示場にも顔をのぞかせる機会が出来ることです。美術館ではこの時期に郷土ゆかりの画家、池田遙邨展を開き、美術教育に役立てようと考えています。2000年には「遙邨といっしょに旅に出よう」のテーマで、作家が描いた場所を地図で示すなど子ども向けリーフレットを作成しています。
 担当の佐々木千恵学芸員は「すっかり定着した催しを通じ、地域の中に存在する美術館としての役割を追求したい」と、抱負を語っています。今年から中国電力を中心とした財団法人エネルギア文化・スポーツ財団の助成もつき、来年は子ども向きの展示企画を、20回記念では、ワークショップもと意気込んでいます。

成熟社会へ芸術への理解を

 一方、愛媛県美術館では、1998年にリニューアルしたのを機に、「作る、学ぶ、見つける」をテーマに掲げました。県民の創作活動を手助けする設備、企画を充実させる方針を打ち出しました。その趣旨について、原田平作館長は「単なるカルチャーセンターになるのではなく、いかに美術館らしく市民の創作活動を手助けしていくかです。芸術は生活の糧になります。繰り返し県美術館に来てみて、自分にあった芸術は何かを選ぶ目を養ってもらえば」と説明しています。
 なるほど活動は幅広く、美術講座にとどまらず実技や体験講座、創作支援活動などで年間を通じ実施しています。例えば「絵本作家に挑戦」といった事業では、3会にわたって小学生約20人が、各自でストーリーを創作し、描画や製本まで仕上げ、世界に一つしかない絵本を完成させています。また一般の主婦らを対象に、作家の指導で「銅版画で作るクリスマスカード」に取り組んだり、美術館にある所蔵作品を模写するなど様々な試みを展開しています。

「絵本作家に挑戦」の
実技講座を受ける小学生ら
(愛媛県美術館提供)
銅版画でクリスマスカードを
作る主婦ら
(愛媛県美術館提供)


 さらに特別企画展の開催に合わせても美術教育へ積極的に取り組んでいます。『愛媛県美術館研究紀要 第3号』(2004年3月発行)では、鈴木有紀学芸員の「鑑真和上展 小学生のための展示プログラム」が紹介されています。和上を見た印象などについて鑑賞時だけでなく、1ヶ月後にも追跡調査をしています。様々な子どもらの感想を取り上げる中で「和上像のみを自分の目で見つめることを目的としたワークシートの作成が可能ではないだろうか。いずれにしても学校との入念な協力体制が必要になってくる」と言及しています。
 いま全国各地の美術館で美術教育をめぐって様々な試行錯誤が展開しています。学校や地域住民が、もっとこうした動きを見詰めてほしいと思います。単に入館者数や運営経費など経済指標を優先した考えを脱却すべきだと考えます。ピカソの絵に象徴される鑑賞の目を養うことは、真の成熟社会への一歩でもあります。


しらとり・まさお
朝日新聞社大阪企画事業部企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から、現在に至る。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。


新刊
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたち平山郁夫画伯らの文化財保護活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者の「夢しごと」をつづったルポルタージュ。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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