故郷再生の物語を紡ごう

2011年3月21日号

白鳥正夫


土地区画整理事業が進む
JR新居浜駅前

再び故郷のことを書きます。その前に、今回の東日本大震災で亡くなられた犠牲者の冥福を、そして住み慣れた家や歴史、思い出がいっぱい詰まった故郷の風景を失った被災者の方に心から哀悼の意を捧げます。さて私の故郷である愛媛県新居浜市は「住友」グループの発展の礎となった別子銅山の山すそにあります。銅山の閉山から約40年、産業遺産を活かした再生事業に取り組んでいます。「別子銅山から学ぶ環境と産業の調和」をテーマに「第19回環境自治体会議」が新居浜市で開催されます。一方、故郷・新居浜は平成の大改造ともいうべく駅前の土地区画整理事業が進められています。と同時に、それ以上にそこに住む人々の心に故郷を見直す機運が高まっている事に心が動かされました。東北や関東の災害地でも、長い期間がかかるかもしれませんが、故郷の復興に取り組んでいただきたいと祈っております。

5月に新居浜で環境自治体会議


環境自治体会議
特別セッションのポスター

環境自治体会議は、自治体個々の地域特性を尊重しつつも互いに連携し、持続可能なまちづくりを共に実現しようという趣旨で発足したネットワーク型組織で、現在56自治体が参加しています。これまで年1回の大会を参画自治体の各地で巡回開催し、自治体の環境政策に関する情報交換や交流、勉強会を重ねていますが、初めて新居浜市がホスト市になるものです。
 
会議は5月25日から3日間、初日と3日目に全体会、2日目にテーマごとの分科会で各種報告と協議が行われます。今回、佐々木龍市長の肝いりで初めて市民らも自由に参加できる特別セッションが設けられます。詳しくはhttp://www.colgei.org/で見ることができます。

特別セッションは、初日の午後6時から、新居浜市文化センター中ホールで開かれます。新居浜市のまちの形成に深く影響をもたらせてきた別子銅山と環境との関わりを考えます。新居浜南高校の情報科学部員の生徒らが昨年8月、栃木県の足尾銅山に研修旅行に行き、現地の住民たちから見聞したことや、別子銅山と足尾銅山を比較して感じたことを高校生の視点で発表もします。


屋上まで植え込みされた
別子銅山記念館

日本三大銅山で知られる別子銅山は約300年の歴史を誇り、江戸時代から御用銅である棹銅を大量に産出、明治時代に西洋の最新技術を導入し、世界的な規模で発展したのです。その産業施設は別子山上から瀬戸内海に面する新居浜市域と四阪島まで広がっていました。

別子銅山では住友2代総領事の伊庭貞剛は荒れ果てた別子山を見て「別子全山を旧のあをあをとした姿にして、之を大自然にかへさねばならない」と、山林保護の方針を立てたのでした。専門技師らを雇い、植林計画を策定し、毎年100万本もの木を植え大自然の姿に戻そうとの構想です。この英断で先駆的に煙害克服と植林事業で地域と共生を図ってきた歴史があります。今回の環境自治体会議では他の自治体の関係者だけでなく、市民に自分の住むまちについて教訓や課題を学んでいただこうという趣旨です。

半世紀ぶり「えんとつ山」の眺望


「えんとつ山」の入り口に
設置された看板

わが故郷の新居浜には、1973年の閉山後も斜坑や通洞跡、精錬所や水力発電所、索道基地跡などの遺構が広範囲に散在しています。その一つ、赤いレンガの煙突は別子山中で行っていた製錬事業を山根地区に移転し、生子山に約20メートルの高さで建設された。1888年に稼動したものの煙突から排出される亜硫酸ガスが付近の農作物に被害をもらせたため1895年に閉鎖されたのでした。

通称「えんとつ山」と呼び親しまれている小高い山の上に残された一本の煙突は、竣工120周年の2008年秋、周辺地を含め所有する住友林業が新居浜市との間で別の市有地と等価交換されました。煙突は登録有形文化財となり、市では別子銅山の産業遺産として保存することになり、3月までに修復工事を終える予定です。

こうした動きに呼応して市民有志が2009年年初から「えんとつ山倶楽部」を結成し、山を憩いの場として整備するとともに、市民参加型のイベントなどの企画運営に乗り出しました。さらに故郷を離れて暮らす同郷の人達にも呼びかけ、全国への情報発信拠点としてホームページhttp://www.entotsuyama.com/も開設したのでした。


進路の標識も手づくり

猛暑の名残りのあった昨年10月初め、約半世紀ぶりに「えんとつ山」に登ってみました。「えんとつ山倶楽部」で保護活動に取り組む4人の方たちも同行していただきました。登山口に「えんとつ山入り口」と達筆で書かれた標柱、その横に竹の杖も用意されています。そして登り坂の4ヵ所に置かれた木のベンチや進路の標識……。いずれもボランティアによる手づくりとのことでした。

中腹にある大山積神社の奥の宮に立ち寄りました。そこから眺める故郷の町は格別でした。それもそのはず、やはりボランティアの有志が枯れ木や不必要なヒノキなどを伐採し展望できる場所を整備したのでした。


大山積神社の奥の宮からの
眺望

そして高さ20メートルの赤いレンガの煙突がそそり立つ高台へ。120年もの歳月ここに建っています。幼い頃、この煙突を目指しよく駆け上り遊んだ思い出がよぎります。ゆっくり登って約20分、いい汗をかきました。ここでも生い茂っていたムダ木を40本ほど伐採して整備し、すばらしい眺望です。
 
途中、山歩きをするグループに出会いました。土地の人々にとって格好のハイキングコースのように思えました。そして「えんとつ山」への新たな登山道の開設も有志の手で進められて今年1月には完成したのでした。1月半ば、新設の登山道から再び「えんとつ山」に登ってみました。煙突は修復のため覆われ、周辺も整備されており、起重機やブルドーザーが入り、工事中でした。

精力的にボランティア活動を続けている薦田陽之介さんは65歳で、住友化学に勤めていました。定年後、本格的に「えんとつ山」の整備に取り組んでいます。「故郷の資産を守ると同時に地域のお年寄りたちが山歩きを楽しみ、健康づくりにやくだっていただければと思います」と話しています。


50数年ぶりに登った
「えんとつ山」


修復工事中の煙突

産業遺産を舞台に伝承の歌声


東平地区の別子銅山の
貯鉱庫跡

別子銅山の拠点でもあった東平(とおなる)地区は、標高750メートルの山中に、1916年から15年間、採鉱本部が置かれた所で、最盛期には約4000人が住み、山の町としてにぎわったのです。現在、山の上には貯鉱庫跡と索道基地が産業遺産として残され、まるで古代遺跡を思わせます。いまや「東洋のマチュピチュ」として新たな観光スポットにもなっています。

この東平地区を舞台に、「えんとつ山倶楽部」の働きかけで、昨年7月10日に長く伝承の「別子銅山せっとう節」と「大ュの歌」の実演が初めて行われたのでした。当日は霧がかかって幻想的な雰囲気だったといいます。多くのカメラ愛好者が映像に収めたのでした。たまたま訪れていた観光客にとっては大喜びされたそうです。

「アー別子銅山 金吹く音が 聞こえますぞえ立川へ チンカン好きなら 鉱夫の子になれ アーオカタイ オカタイ」。「別子銅山せっとう節」の歌声が響く中、作業着姿の女性達によって鉱石を運ぶ様子が演じられました。「大ュの歌」は元鉱山に勤めていた人たち17人がそろいのネクタイ姿で合唱したのでした。


東平の産業遺産前での
「別子銅山せっとう節」の
実演
(安孫子尚正さん提供)


「大ュの歌」では
そろいのネクタイ姿
(安孫子尚正さん提供)


私はあいにく現地を訪ねる事が出来ませんでしたが、帰郷時にその時の模様を撮った写真展が「マイントピア別子」で催されていました。「記憶の継承 地域の絆」をテーマにした写真コンテストには55点の応募があり、優秀作品18点に市長賞などが贈られました。写真展は年明け後も新居浜市や伊予銀行などのロビーなどで巡回展示されています。

各地で住民らによる、まちづくりの実践が聞かれるようになりました。わが故郷の活動には目を見張るものがあります。とりわけ一昨年の「山根大通りストリートミュージアム」のイベントは質の高さに驚きました。そのリーフレットには「合縁奇縁 これは、えんとつ山を見てきた先人物語である」と記されていました。


「記憶の継承 地域の絆」を
テーマに開かれた
写真コンテスト

故郷に住んでいても、地域発展に尽くした先人たちの功績に触れる機会が少ないものです。住友別子銅山開発に貢献した広瀬宰平や銅山閉山後の別子の山を緑に復した伊庭貞剛、さらにはイラストレーターの草分け真鍋博、巨人軍のエース、さらに名監督となった藤田元司らの業績をパネル展示したり、「せっとう節」の実演、「キャンドルナイト爪楊枝アート」など、町の各所で面的に展開したのでした。
 
まちの将来は、そこの住む住民の夢や情熱によって芽生え、その積み重ねが活動のエネルギーになり、成熟したまちを形成していくのだと確信します。住民が自分の意思でまちづくりにかかわり、そうした人々が自然に集え、意見を出し合える場が出来、それを盛り上げるイベントがあれば、まちの将来に向けた物語が次々と紡がれていくのではないでしょうか。
 
最後に愛媛県出身のクレア&香さん作詞・作曲の「赤いレンガの煙突」(CD2009年発売、お問い合わせ新居浜まちづくりオフィス0897−65−3158)の一節を紹介しておきます。

赤いレンガのえんとつは
この街のすべてを知っている
遥か明治に吹いた風 そしていま吹く風
変わりゆく街並や 家族の営み
出逢い 別れ 笑顔 涙
一人一人の人生を分かっているみたい
山の上の赤いレンガの 古い 古い えんとつ

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
「ぶんかなびで知った」といえば送料無料に!!
 

 

もどる