「こうして私はゴッホになった」

2011年3月1日号

白鳥正夫

ゴッホの名画にまた出合えることがでました。「こうして私はゴッホになった」との名サブタイトルの「ゴッホ展」は4月10日まで名古屋市美術館で開催中です。東京の国立新美術館、大宰府の九州国立博物館合わせ約95万人の動員があり、最後の会場が名古屋です。今回は没後120年を記念しての展覧会で、オランダのゴッホ美術館とクレラー=ミューラー美術館の二大コレクションから油彩36点、版画・素描32点のゴッホ作品をはじめ、ゴッホに影響をもたらせたミレー、モネ、ゴーギャンなどの作品も含め120点余を展示しています。見どころとしては、サブタイトルに謳われるように、いかにして独自の画風を確立したかに着目した構成です。「不遇の天才」「狂気の人生」「孤高の画家」などと伝説的に語られてきたゴッホの人と作品を、あらためて鑑賞する好機です。


「灰色のフェルト帽の自画像」
1887年
ファン・ゴッホ美術館
(フィンセント・ファン・ゴッホ財団) 
以下ゴッホ作品は
(C)Van Gogh Museum,Amsterdam
(Vincent van Gogh Foundation)、
(C)Kröller-Müller Museum,Otterlo



37歳で自殺、画家活動は10年


遠近法の枠
パースぺクティヴ・フレーム
(レプリカ)

「わだばゴッホになる」とは、鬼才・棟方志功の言葉です。世界中で愛され、日本人にとってなじみの画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853−1890)は37歳で自ら命を断っています。短い生涯で、画家としてはわずか10年ながら2000点もの作品を遺し、19世紀を代表する巨匠です。

日本でのゴッホ展は10回以上数え、関西でも2002年秋の兵庫県立美術館に続いて、2005年夏にも大阪中之島の国立国際美術館で開催されています。「世界の名画をこんな頻度で日本に持ち込んでいいものか」とさえ感じてしまいますが、送り手側のコンセプトは異なっています。このサイトでも2004年10月20日号以来、二度目の登場です。

私がゴッホ作品を初めて見たのは、1976年に京都国立近代美術館で開催された展覧会でした。1987年には安田火災が58億円もの巨費で、「ひまわり」を購入しており、安田火災(現損保ジャパン)東郷青児美術館で公開された作品を出向いて見ました。黄色を基調とした厚塗りで描かれた「一点見せ」は効果抜群で、鮮烈に脳裏に焼きつきました。


「白い帽子を被った女の頭部」
1884‐85年
クレラー=ミュラー美術館

そして2000年オランダの旅で、アムステルダムの国立ゴッホ美術館と、そこから東南東約80キロ先のクレラー=ミュラー美術館を訪ね、ゴッホの作品を満喫したのでした。その後も日本で開催のゴッホ展には足を運んでいますが、見るごとに、ゴッホの境遇や生き方と密接に関わっていた作品に思いを深くしました。

ゴッホは全生涯を通じても1枚の絵しか売れることはなく、無名のままこの世を去ったのでした。生きた時代に評価されなかった作品を、ただ一人弟テオが支援し、遺族によって書簡も含め管理された先見性に驚きと敬意を禁じえません。そうした数奇な画家ゆえ、新たな視点の展覧会「こうして私はゴッホになった」のテーマは興味が持てました。

苦闘の人生、変遷の足跡を探る


「じゃがいもを食べる人々」
1885年
クレラー=ミュラー美術館

今回の企画展では、「伝統−ファン・ゴッホに対する最初期の影響」「若い芸術家の誕生」「色彩理論と人体の研究、ニューネン」「パリのモダニズム」「真のモダンアーティスとの誕生、アルル」「さらなる探求と様式の展開−サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ」の6章仕立てで構成されています。基本的には、時代とともに変遷した作品を、影響を与えた他の画家の作品や資料とともに展示しています。

ゴッホはオランダ南部の小村で牧師の長男として生まれ、中学を中退後、画廊勤めなど職を転々とし、やがて聖職を志します。しかし奇矯な行動がもとで、伝道師協会から採用されず、27歳のときに、絵を通し神の心を伝えようと画家になることを決意したのでした。第1章では、ゴッホの絵画人生に大きな影響を与えたルソーやミレー、クールベらの作品を紹介。ゴッホの作品は「秋のポプラ並木」(1884年)と、「曇り空の下の積み藁」(1890年)の2点です。初期と晩年の作品を並べその進展を比較してもらおうとの試みです。


「アルルの寝室」
1888年
ファン・ゴッホ美術館
(フィンセント・
ファン・ゴッホ財団)


再現したアルルの寝室


「ゴーギャンの椅子」
1888年
ファン・ゴッホ美術館
(フィンセント・
ファン・ゴッホ財団)

第2章は、ゴッホがいかにして表現力を身につけたのかを検証しています。巨匠たちの版画や素描などを模写することにより、独学で鍛えていたのでした。ミレーの「掘る人」や「種まく人」などを繰り返し描き鍛えていたのです。このコーナーでは、描く対象の比率や遠近感を調整するための遠近法の枠パースぺクティヴ・フレーム(レプリカ)も出品されています。

第3章のニューネンは両親の住む土地で、素描から油彩へと移行する足跡をたどっています。ここではドラクロワの色彩理論を学び、農婦や静物を描いています。この時期の代表作「じゃがいもを食べる人々」(1885年)はランプの光の下での貧しい食卓の構図ですが、数多くの習作を重ねての作品で、ゴッホの精神性が感じられる作品です。

そして画商をしていた弟のテオを頼ってパリの第4章へ。モネやピサロら印象派の画家達との交流は、ゴッホに劇的な変化を及ぼしたのでした。花など描いた静物画は一転明るい色調になります。またスーラなどの点描も学ぶなど、数々の技法を試み、次第に独自の様式を切り拓くのです。チラシの表紙にもなっている「灰色のフェルト帽の自画像」(1887年)は、点描より大胆な線描によって仕上げられ、インパクトを与える作品です。


「種まく人」
1888年
ファン・ゴッホ美術館
(フィンセント・
ファン・ゴッホ財団)

画家たちを集めユートピアをめざしたゴッホは、浮世絵に感動し日本への憧れもあって、陽光にあふれる南仏のアルルに移住します。第5章では、ゴッホの夢見たユートピア実現のための「黄色い家」は出品されていませんが、「アルルの寝室」(1888年)とともに、この部屋を再現しています。朝日新聞社時代に「バルビゾン展」で画家たちの溜まり場となった「ガンヌの宿」を再現したことを思い出しました。

しかしゴッホの呼びかけに応じたのはゴーギャン一人で共同生活も破局し、自身の耳の一部を切り取ることになったのでした。今回「ゴーギャンの椅子」(1888年)が、日本で初公開されたとのことです。この1年そこそこの時期に、美術史に名を刻む傑作を生んでいます。損保ジャパンの「ひまわり」もアルルで描かれた作品です。


「サン=レミの療養院の庭」
1889年
クレラー=ミュラー美術館

最後の第6章は、アルルで精神病の発作を起こしサン=レミの病院に入院しますが、病室でも絵筆は離さなかったのでした。作品の様相は一変し、不安な心象風景を反映した糸杉や星月夜をモチーフに数多くの作品を遺しています。が、この展覧会では「渓谷の小道」や「サン=レミの療養院の庭」(いずれも1889年)などが展示されています。最後に飾られているのが「アイリス」(1890年)で、「ひまわり」同様に黄色い背景に儚く咲くアイリスが心を打ちます。

このほか展覧会では、パリ時代に浮世絵を約400点も購入したといい、その中から歌川国芳の「川を渡る女性」や歌川広重の「五十三次名所圖繪」など6点も特別出品され、浮世絵に大きな影響を受けたゴッホの軌跡をたどっています。昨年訪ねたフランスのジヴェルニーのモネの自宅には、部屋一杯に浮世絵が飾ってあったことがよみがえりました。

爆破予告の電話、美術館に教訓


「アイリス」
1890年
ファン・ゴッホ美術館
(フィンセント・
ファン・ゴッホ財団)

開幕前日に開かれた内覧会に先立って報道関係者を対象に、深谷克典・名古屋市美学芸課長の説明会がありました。約30分かけ、会場を巡回しながら見どころを伺うことができました。後日談ですが、名サブタイトルの「こうして私はゴッホになった」は深谷課長の案で、当初は「こうして彼はゴッホになった」だったのが、広報のメインビジュアルに自画像を使ったため、いつの間にか「私は」になってしまったそうです。 

その深谷課長がこの展覧会の意義について、共催の中日新聞2月20日付けで次のように端的に寄稿しています。

伝説の霧の彼方に隠された画家の真実の姿を明らかにすること。「天才」という安易な評価の影に潜む、途方もない努力の積み重ねを紹介すること。この二つが今回のゴッホ展の大きな狙いといえるでしょう。(中略)

あなたの知らないゴッホと、あなたがよく知るゴッホ。二人のゴッホが一つになった時、この画家の本当の姿が見えてきます。

         ×          × 
   


内覧会で紹介される
名古屋市美術館の
担当学芸員

今回のゴッホ展を取材して、展覧会の送り側に対して、気がかりになったことを付記しておきます。その一つが報道用説明会の直後に起こったハプニングです。「爆破予告電話があり、避難してください」との館内放送があり、退避すると美術館前には、一般内覧会に多くの人が詰めかけており、一時大騒ぎになりました。

警察の爆発物処理班なども出動しましたが、予想通り、嫌がらせか、愉快犯の仕業だったのでしょう。しかし、万一事故が発生していたら、ゴッホ作品にも損傷が免れず、金銭では償えぬ美術史の大事件に発展しかねません。模倣犯を含めこうした犯罪行為には厳罰でのぞむ法体制が急務です。

いまや世界中のどこでテロが発生しても不思議でない世の中、美術館の危機管理はどのようになっているのでしょうか。地震や火災はともかく爆発物対策などへのマニュアルなど聞いたことがなく、今後全国の美術館にとって教訓にして欲しいと思いました。名古屋市美では急遽、マニュアルを作成し全員に周知したといいます。


爆破予告の電話で避難し
大騒ぎとなった
美術館前の広場

もう一点、主催者側の広報のあり方です。展覧会の取材に、著作権問題などがあり制約があるのは当然です。ネットのこのサイトの取材でも画像提供や表記などで条件が提起されています。しかし展覧会場での作品や展示風景などの写真取材はこれまで認められていました。ところが今回、ネットでの取材に対して、撮影は不許可になりました。

海外の主な美術館ではノーフラッシュなら一般客の撮影を許可しており、近年東京国立博物館でさえ、常設展の撮影は特別な作品を例外に許可しています。規制緩和の時代に、こうした展覧会企画の広報のあり方に疑問があり、その間の事情を説明してほしいと要請しましたが明確な回答がありませんでした。後日、「美術館と新聞社の主催側の意思統一が成されない中での対応だった」とお聞きしましたが、真に残念なことであり、遺憾に思いました。

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

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定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
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定価:本体1,300円+税
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内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
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定価:本体1,500円+税
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内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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