現代人に示唆、良寛の生き方

2011年2月5日号

白鳥正夫


生家の屋敷跡に建つ良寛像
(出雲崎町)

「戦後66年目を迎える日本、閉塞感が漂っています。無縁社会が浸透し私生活主義が蔓延する世の中にあって、個々人の生き方も問われています……」。私が差し出した年賀状の一部文面です。と同時に年頭所感でもあります。戴いた賀状の中に、『良寛歌集』より「月の兎」の一説を綴っているものがありました。そうした年明けの1月中旬、愛知県常滑市の知人の誘いで出席した出版パーティーは、杉本武之さんの『慈愛の人 良寛』(ちたろまん)を祝っての会でした。昨年2月に急逝した旧知の作家、立松和平さんの遺作となったのが『良寛 行に生き行に死す』(春秋社)です。混迷の続く現在、二人の『良寛』本は示唆に富んでいます。二冊の新刊を紹介するとともに良寛の生き方を通じ、現代人へのメッセージを考えてみました。

山寺の和尚さんは、歌人で書の達人


良寛像と良寛堂
(倉敷市の円通寺)

良寛と言えば、「山寺の和尚さんが まりはけりたし まりはなし 猫をかん袋に おしこんで……」の歌詞が口ずさまれます。心をいやす「山寺の和尚さん」は、久保田宵二作詞、服部良一作曲で昭和12年に発表された歌ですが、良寛をモデルとしたわらべ歌が素材になったと思われます。

昭和世代なら誰しも知る良寛像は、この歌のイメージ同様、子どもらと手毬をついて遊ぶ姿を思い浮かべることでしょう。「子どもの純真な心こそが誠の仏の心」と唱える良寛は、子ども達をこよなく愛し、いつもかくれんぼや、手毬をついたりしてよく遊んでいたという言い伝えが人々の記憶に残っています。

この里に 手まりつきつつ 子どもらと 遊ぶ春日は 暮れずともよし


五合庵
(燕市の国上寺)

しかし歴史上の良寛は江戸後期の歌人であり、和歌だけでなく漢詩や狂歌、俳句、俗謡にも優れ、書の達人でもありました。百科事典などの来歴によりますと、越後国出雲崎(現新潟県出雲崎町)に四男三女の長子として生まれています。父はこの地区の名主であり、神社の祠職を務め、俳人でもあったそうです。名主見習いだった良寛ですが、18歳のとき出家、備中国玉島(現岡山県倉敷市玉島)の円通寺の国仙和尚に師事し、托鉢して諸国を廻ります。

その後、48歳のとき越後国蒲原郡国上村(現燕市三条)の国上寺・五合庵、61歳には同じく燕市三条にある乙子神社境内の草庵、さらに島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内の小舎に住まいを転々とし、74歳で没するまで生涯寺を持たなかったとのことです。一般庶民に分かり易く仏法を説き、教化に努めました。無欲恬淡な性格で、質素な生活を実践し、広く民衆に共感や信頼を得たのです。


草庵
(燕市の乙子神社)

良寛を人生の師とする杉本さんは愛知県碧南市の出身です。子どもが好きで35歳のとき教師の道に進み、25年間小・中学校に勤めました。定年後もいくつかの小・中学校で講師を務めていましたが、常滑・武豊市を中心に主に中日新聞を扱っている「あかい新聞店」が出している月刊の地域情報紙『ちたろまん』(約1万7千部発行)からの依頼で、2005年7月号から良寛の連載を始めたのでした。

杉本さんの連載は現在も続いていますが、昨年5月の59回までを加筆し、『慈愛の人 良寛』が没後180年メモリアル出版されたのでした。「あかい新聞店」経営の赤井隆之さんは「読者から好評で本にしてほしいとの要望が多く寄せられました」とのことです。新刊の問いあわせ・販売先は「ちたろまん」(0569‐35-2861)もしくは中部経済新聞社事業部(052‐561-5675)です。価格は2000円(税別)。


古今東西の人物と比較した杉本さん


杉本武之さんの著書
『慈愛の人 良寛』

良寛に関しては数多くの伝記が出されています。杉本さんが良寛を意識したのが大学生時代で『良寛詩集』を手にしていますが、理解できなかったそうです。それから10年後、唐木順三の『良寛』に接し、糸口を見出せたと言います。連載を始めた約5年前から本格的に研究を重ね、読破した主要な参考文献だけでも中野孝次の『風の良寛』(文春文庫)や吉本隆明の『良寛』(春秋社)、水上勉の『良寛』(中公文庫)など27冊に上っています。

杉本さんが著した良寛像は手探りしながら、人間像やその生涯と作品、良寛をめぐる人々、中でも貞心尼との出会いや交流などを丹念に追求しています。そして良寛ゆかりの五合庵や草庵、円通寺などを訪ね歩いたのでした。

杉本さんはこれまでの本と異なり、古今東西の著名な人物と比較して考察し、良寛の豊かな人間性を浮き彫りにしたのでした。若い頃から好きだった画家のミレーやゴッホ、作家のドストエフスキー、思想家のモンテーニュやニーチェ、さらには松尾芭蕉や種田山頭火、夏目漱石や山下清らを取り上げ、江戸時代に生きた良寛と比べながら人間の深遠さを探ろうという意欲的な試みです。


月刊の地域情報紙
『ちたろまん』

ドストエフスキーとの比較では、二人に共通しているのが、父親との敵対関係と分析しています。二人とも憎しみすら抱いた父親ですが、ドストエフスキーの父は農奴に惨殺され、良寛の父は京都の桂川で自殺をします。異常な死に、ドストエフスキーは罪悪感を抱き癲癇の発作を起こします。良寛もいったん捨てた故郷に帰って衆生済度の道を歩もうとします。

良寛の最大の謎は名主にならず出家したことで、諸説ありますが、父親への激しい反発心だったというのが定説になっているそうです。ドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』の主人公アリョーシャが死期の迫ったゾシマ長老のもとで修道僧として暮らす生き方と関連付けて言及しています。

杉本さんの著作では、「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」との辞世の句を遺した先達の松尾芭蕉について「是の翁以前に翁無く」と記した芭蕉を讃える詩作を紹介しています。また後の世に生きた漂泊の禅僧・種田山頭火との類似性を、さらには放浪の天才画家・山下清との共通点など多岐にわたって書き進めていて、興味が尽きません。


杉本さんが描いた良寛


杉本さんが描いた手毬



円通寺を訪ねた杉本さん

良寛に傾倒し、書まで入手した夏目漱石は、良寛の法号である「大愚」を意識した詩「大愚到り難く志成り難し、五十の春秋瞬息の程。(略)」(杉本さんの大意−良寛の大愚の境地に到達することは難しく、その志もとても成就できそうもない。50年の歳月が、あっという間にすぎてしまった)を遺しています。この項で杉本さんは次のように結んでいます。

死ぬ少し前、漱石は、良寛の「天真に任す」生き方から、「則天去私」という標語を考え出しました。絶えず他者を意識するエゴ(自我)を捨て去って、良寛がしたように行雲流水の如くどこまでも自然に生きようとする人生態度です。

良寛を知れば知るほど魅了され続けた杉本さんは、あとがきで「実に厳しい宗教家であり、奥の深い思想家であり、才能ゆたかな芸術家であり、愛に満ちた教育者だった」と述懐しています。常滑市のホテルで教育関係者ら多数が出席して開かれた出版パーティーで、杉本さんは「良寛の人間性にほれこみ、資料などを読み込んできました。その結果を本に結実させることができてうれしい」と話していました。


挨拶する杉本さん
(1月、常滑市で)


花束を受ける杉本さん



絶筆を含め5冊も遺した立松さん


立松和平さんの著書
『良寛 行に生き行に死す』

冒頭に書いた『良寛歌集』所収「月の兎」の賀状は、福井県小浜市にある古刹・明通寺住職からです。ウサギ年にちなんで抜粋したのでしょう。この「月の兎」は『大唐西域記』や仏典に出てくる有名な話で、神の化身である年老いた老人が猿と狐と兎に食べ物を求めるのですが、何も見つけることができなかった兎が火の中に飛び込み、「この体を食べて元気になって下さい」というストーリーです。

杉本さんの本でも、良寛の長歌を省略せず引用し「見も知らぬ飢えた老人のために命を捨てた兎の自己犠牲の中に、仏法慈悲の究極の姿を見て、良寛は心から感動したのです」と書き留めています。

良寛の生き方については、私の敬愛する作家の立松和平さんが没頭し、亡くなる前に「次は良寛の本を出します」と言っていたのを思い起こします。20年来の知己で、2009年秋に私の郷里の新居浜に講師として招いたのでした。『道元禅師』(東京書籍)の上下2冊の大作を出版し、泉鏡花文学賞と親鸞賞を受賞していました。


講演する立松和平さん
(2009年秋、新居浜市で)

死の直前、『良寛のことば こころと書』(考古堂書店)を皮切りに、死後も『立松和平が読む 良寛さんの和歌・俳句』『立松和平が読む 良寛さんの漢詩』(いずれも二玄社)、さらには小説『良寛』(大法輪閣)と、刊行が続いたのです。

遺作の『良寛 行に生き行に死す』は5冊目で、立松さんが亡くなった昨年6月に発行されました。この中で、立松さんが啓蒙した良寛像を端的に次のように書いています。

良寛は世を厭うて山林に一人離れて佇む隠者ではなかった。迷悟を超え天然自然の中に投入し、世間などに煩わされずあるがままに生きた。世の人と積極的に交わり、大乗仏教の理想である上求菩提、下化衆生を積極的に実践したのであった。つまり菩薩であったのだ。
そして絶筆となったのは、晩年の良寛が円通寺での修業時代を追憶している詩「蛙声、遠近に絶えざるを聴く」を引用し、「道元はいつしかさとっていたのである。良寛もいつの間にかさとっていた。『蛙声』は良寛のさとりの契機についてかたっているのだと、私には思える」と認めています。
          ×      ×
軒も庭も 降り埋めける 雪のうちに いや珍しき 人の音づれ
良寛さんは、私生活主義を排し、自らの生涯を孤独に、自己犠牲の精神で生きました。しかし昼間は子どもらと手まりなどをして無心に遊び、共生社会に溶け込んでいました。人里離れた庵に暮らし、人恋しいほどの孤独を感じることもあったと思われますが、山深い庵で、寂寥感を道元禅師の『正法眼蔵』に慰められ、「大慈大悲」の思想を育んでいったのでした。

杉本さんにとって「永遠の人」であり、立松さんが絶筆で取り上げた良寛の生き方に、現代人が学ぶべきメッセージが込められています。最後に辞世の句です。
良寛に 辞世あるかと 人問はば 南無阿弥陀仏と 言ふと答へよ

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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