万葉集を今風に歌い伝える

2004年6月5日号

白鳥正夫

 舞台いっぱいの白い布のスクリーンに虚空蔵菩薩像、馬や馬子の埴輪、隼人楯などの画像が浮かんでは消え、大きくあるいは小さく投影されます。その舞台の主役は万葉集を今風のメロディーに乗せて歌う歌枕直美さんです。5月末、大阪市の大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)で開かれた和歌劇「竹取物語」を鑑賞しました。歌枕さんのすばらしい声量に圧倒されるとともに、この音楽と映像による効果満点のステージにすっかり引き込まれました。ニューミュージック全盛の時代に、万葉集の言葉の美しさや言霊(ことだま)を伝えようという歌枕さんと、それを支えていているスタッフの心意気にも感動しました。この関西から創造的な文化を発信する試みに応援したいものです。

「竹取物語」のかぐや姫に扮した
歌枕直美さん

 

舞台を盛り上げる語りと音、映像

 上演された「竹取物語」はフィクションですが、時は8世紀初めの設定です。権勢をふるった藤原の朝廷とそれに服従しない九州の地方にある妹背の国の争いがテーマです。藤原の帝は妹背の国と古代からの伝統を受け継ぐ美しいかぐや姫を手に入れようと使者を送ります。それに失敗すると軍勢で攻める一方、側室にするという懐柔策を取りますが、かぐや姫は拒み、ついには行方をくらませます。帝の恋を断ち切ったかぐや姫の筋立てですが、現代に通じる人間模様の物語でもあります。
 要所要所に語りが入り、内容を分かりやすくする工夫をこらしていますが、ほとんどが歌枕さんの歌う和歌で構成しています。「万葉集」をはじめ「日本書紀」「竹取物語」などの古典から巧みに引用しています。例えば、かぐや姫の心情を次のような和歌で綴っています。

衣(ころも)こそ 二重(ふたえ)も良き さ夜床(よどこ)を
並(なら)べむ君は 畏(かしこ)きろかも

脚本注〔衣こそは 二重に重ねて着るのも良いでしょうけれど 夜の寝床で 女性を 二人並べて お休みになるあなたは 本当に恐ろしい方ですね〕

逢はむ日の 形見にせよと たわやめの 思ひ乱れて 逢へる衣そ
脚本注〔二度と逢えないと思うので 私の身代わり用意しました 私の思いを込めて織った布です〕


 歌枕さんの歌唱力がすべてと言えなくもないのですが、この舞台を語りの藤沢としやさん、音楽を担当した綱沢僚さんらのスタッフが盛り上げているのです。とりわけ古代から伝わる美術工芸品などの素材をグラフィック処理した画像での見せ方には目新しいものがありました。
 この「竹取物語」は9月19日、奈良県磯城郡・川西文化会館で再演されます。ここでは地域の合唱なども参画するそうです。前売り3000円(当日5000円)で、問合せ先は株式会社うたまくら(06−6317−3873)です。

「竹取物語」の初演舞台
(2003年11月、
浜松市のアクトシティ浜松)
「竹取物語」のステージ
(2004年5月、
大阪市のドーンセンター)



万葉集の代表歌に曲を付けCDに

 万葉集を歌う歌姫であり、会社を経営する歌枕さんはどんな人でしょう。まずその名前は芸名かと思っていたのですが、何とご主人の本名でした。「こんな名前を授かったのですから、歌うことは天命なのでしょう」とは本人の弁です。
 大阪芸術大学音楽教育学科を卒業後、女声コーラスグループを結成し、音楽活動を始めます。出前音楽に力を注ぎ、役所のロビーや結婚式の会場などに出向いたり、老人ホームの慰問や、心身不自由者の音楽療法的な活動にも取り組みます。レパートリーもクラシックにこだわらず童謡や民謡にまでを広げますが、演奏だけでは食べていけませんでした。
 音楽企画会社「うたまくら」を設立して、ピアノの名器・ベヒシュタインの輸入販売、楽器が読めなくてもピアノが弾けるシステムの教室を開くなどの活動を続ける中、宿命的ともいうべく万葉集にひかれます。日本人の情感と言葉の響きに魅せられたからだといいます。苦節7年余、万葉集を歌う異色の歌手として地歩を固めることになります。やはり芸術は絵画にしても音楽にしても独創性が不可欠です。
 1977年に額田王の「三輪山」や山上憶良の「天の川の恋」など万葉集11首をシンセサイザーのメロディーに乗せたCDアルバム「みやびうた」をリリースしました。これを機に奈良や大阪の神社で音楽奉納をし、各地で「みやびうたコンサート」を展開します。
 さらに翌1998年には2枚目のアルバム「明日香風」を発売し弾みをつけます。こちらは志貴皇子の「明日香風」のほか、柿本人麻呂の「近江の海」など郷愁や女性の恋心を盛り込んでいます。さらに2000年「あさね髪」・2001年「カエリー<天>」・2003年新「みやびうた」・2004年「和歌劇 竹取物語」を出し、文字通り万葉集がライフワークになります。これらの作曲、編曲には歌枕さんの音楽活動のパートナーとなっている綱澤さんが大きな力になっています。
 歌枕さんは、各地のコンサートやイベントの一環として招待される機会が増えていますが、自主コンサートにも力を入れています。こうした地道な音楽活動を応援する会の会員も現在200人を超えました。かつてのコーラス仲間が、社員として勤めています。松田千鶴さんもその一人です。「小学校時代の同窓生でもあり、今の仕事で多くの人に共鳴していただくことは私の喜びであり、夢です」と話しています。

「日本語のオペラを」の意気込み

 今や新たな音楽ジャンルを築きつつある和歌劇は、歌枕さんの音楽活動の集大成ともいえます。和歌劇を提唱しスポンサーとなり、脚本、総監督まで手がけているのが静岡県の医師、菅沼登さんです。歌枕さんのCD「音楽で綴る万葉集」シリーズを知人から入手して着想したといいます。「もともと古代史と音楽が好きでしたので、日本語のオペラを創りたい」と申し出たそうです。最初の和歌劇は「額田姫王(ぬかたのひめぎみ)」で、2002年10月に浜松で旗揚げし、翌年3月に大津で、5月に大阪で再演しました。

「額田姫王」のステージ
(2003年3月、滋賀県立芸術劇場)

まほろば大学校冬季公開講座での講演
(2002年1月、奈良で)


 私は「額田姫王」を大津と大阪の二会場で見ることができました。この公演に驚きました。ソプラノの歌枕さんは当然として、バリトンの橘茂さんら13人もの出演者に、演奏もパーカッションやピアノ、オルガン、琴まで動員しての本格的なオペラとして上演されていたからです。古代から伝わる、日本が世界に誇れる万葉集を西洋音楽と融合させる試みに優れた芸術性を感じました。創作ストーリーにも恋や争い、別れや神への賛歌といった現代にも通じるメッセージが込められていたのも意義がありました。
 私の尊敬している万葉学者の中西進先生は、昨年5月から月に一回、小、中学生を対象に「万葉みらい塾」を実施しています。教育現場に出向いての授業で、中西先生は「万葉の歌の魅力と日本語の美しさを、未来を託す子どもたちに伝えたい」と強調しています。歌枕さんの和歌劇も豊かな感性を養う試みだと思います。菅沼さんは毎年度一公演を支援する方針で、今年11月には第三弾として「夷武(いのたける)」に挑戦するといいます。次はどんな新しい表現世界を見せてくれるのかが楽しみです。

うたまくら茶論でピアノ演奏
(2004年2月、吹田市)
うたまくら茶論でのひととき
(2004年2月、吹田市)

 


しらとり・まさお
朝日新聞社大阪企画事業部企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から、現在に至る。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。


新刊
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたち平山郁夫画伯らの文化財保護活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者の「夢しごと」をつづったルポルタージュ。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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