ジャーナリスト魂に拍手

2010年7月8日号

白鳥正夫


『光州 五月の記憶』の
表紙

かつて新聞記者だったことは幸せなことでした。新聞記者になりたいと思ったのは、生きている人々に寄り添い、変わり行く社会を見つめ、文章にして伝えることの意義を感じたからです。念願かなって朝日新聞の記者になれたことは、身震いするほどの感激でした。いくつかの部署を経て現役最後の10年余が企画部でした。展覧会企画などを担当する部署だったため「書きたい」ことへの思いは燃焼できなかったのです。定年後のいま私を駆り立てるのは、「朝日新聞記者だった」誇りと、少しでも「書きたい」意思です。しかし定年後もジャーナリストであり続けることは簡単ではありません。無償で地味な作業の連続なのです。ジャーナリスト精神が萎えがちな日々、大いに刺激を与えられたのが、私の上司で70歳を超えたお二人が韓国・光州事件とゾルゲ事件に関わる史実に向き合った翻訳本と著書を出版されたのです。歴史に埋もれかけたテーマを追い続けるジャーナリスト魂に感服しました。

光州事件を「内側から」描く  
『光州 五月の記憶』(原題=尹c源・評伝)を翻訳


抗争指導者の尹c源

『光州 五月の記憶』(社会評論社刊)は、1980年5月27日未明、大韓民国(韓国)の光州にあった全羅南道道庁に立て籠もり、戒厳軍の銃弾に倒れた抗争指導者・尹c源(ユン・サンウォン)の生涯を綴った同志・林洛平(イム・ナッピョン)の評伝(初版1991年、改訂版1997年)を高橋邦輔さんが邦訳したのでした。

大阪在住の高橋さんは、1937年に朝鮮慶尚北道大邱府で生まれています。小学2年の1945年、父の出身地の香川県に引き揚げてきました。丸亀高校から早稲田大学第一政経学部新聞学科を卒業後、朝日新聞社に入社し、1997年定年退職しています。この間、大阪と東京の整理部長など編集局の要職を歴任されました。  

私は大阪整理部に転任になった時の次長で、厳しく鍛えられた思い出があります。整理部は新聞記事の価値判断をして見出しをつける重要な役どころですが、時々刻々と移り変わるニュースに対応しなければならないハードな職場でした。高橋さんは早朝、新聞の宅配を待ちかねて各紙をくまなく読むなど博覧強記の方で、部員から一目置かれる存在でした。社内では妥協を許さない厳しい半面、会社を出ると深夜まで私たちと酒席を共にしていました。  


地図は
抗争の中心地になった
全羅南道道庁

私が編集の仕事を離れて、高橋さんとは懇親の機会が少なくなりましたが、2004年1月、和綴じの私製本が贈られてきました。『高麗舟は霞の彼方 朝鮮通信使を旅する』との表題でした。朝鮮通信使の全行程の主な宿泊地を踏む10年来の試みを完結し一冊の本にまとめられていました。この間、死線をさまようほどの大病を乗り越えての挑戦だったといいます。執筆は当然として、写真から図版の作成と入力、印刷まで自力でこなす手づくりの力作でした。

高橋さんは「あとがき」で、「これを以って朝鮮通信使は卒業とし、何かを始めたい」と綴っていました。そして今回の翻訳出版につながったことになります。半島生まれの高橋さんは、この10年来「韓国逍遥」を続け、その締め括りが、『光州 五月の記憶』だったのでしょう。  

ちょうど30年前、韓国で光州事件と呼ばれる民衆決起と戒厳軍による鎮圧事件が起きました。その頃、私も整理部に所属していて、断片的にニュースを扱った記憶があります。その実相を追及し記録した『光州 五月の記憶』を、あらためて邦訳したのでした。高橋さんは、ただ翻訳したにとどまらず、現地に足を運び、関係者と面談するなど取材を重ね、出版に当たっては注釈などにも細かく気を配っています。


裸にされ連行される
市民ら

評伝には、この運動の中で市民軍のスポークスマンとして活躍し、銃弾に倒れた伊c源の生きざまが詳しく書かれています。当時、市民軍や一般市民は最後にはアメリカ軍が助けに駆けつけてくれるだろうと期待していたようです。無慈悲な虐殺蛮行の軍部とアメリカが手を握ることなんてありえないと信じられていたのです。ところが、アメリカは戒厳軍を支持し、何らの抑制の動きも示しませんでした。

戒厳軍を前にして、武器を捨てるのか、武器を捨てずに対等な交渉に持ち込むのかで市民内部の意見が割れました。伊c源たちは、武器を捨てずに闘い、戒厳軍の圧倒的な武力の前に銃弾に倒れるわけです。光州事件のとき、道庁内で死亡したのは20人、後遺症による者を含め606人もの犠牲者が出る惨劇となったのです。政府発表による死傷者数は3586人されています。

この事件は、初めのうちは「戒厳令下に不純分子が起こした暴動」とされていました。しかし1988年、軍人出身の盧泰愚大統領は「光州で起きたことは民主化のための努力であった」と認めるに至り、光州民主化運動と呼ばれるようになったのです。さらに、1990年に光州補償法が制定され、犠牲者への補償金の支払いが始まりました。


翻訳出版した
高橋邦輔さん


邦訳を勧めた
在日の金松伊さん


1993年には金泳三大統領が「光州での流血は、民主主義の礎であり、現在の政府はその延長線上に立つ民主政府である」という談話を発表しました。 1995年、「光州民主化運動等に関する特別法」によって、全斗煥や盧泰愚元大統領らの実刑判決へと転換したのです。

高橋さんは韓国民主化にとって重要な事件を、韓国だけでなく日本でも、決して風化させてはいけないと痛感したのでした。尹c源の霊前に捧げられ全国の闘争現場で歌われるようになったという「ニムのための行進曲」が、本の帯に記されています。

愛も名誉も名も残さずに 生涯貫く熱い誓い 同志は逝って旗翻る
新しい日まで揺らぐまい 歳月の流れは山河が知る 目覚めて叫ぶ熱い喊声
先に行くから生者よ続け 先に行くから生者よ続け


かつての仲間らが集った
出版記念会

この出版記念会が5月27日の尹c源さんの命日に大阪で開かれました。この会に高橋さんに邦訳を勧めた在日の金松伊(キム・ソンイ)さんも駆けつけていました。金さんは毎週のように高橋さんと会い和訳作業の点検などで支えた陰の功労者です。その金さんは「高橋さんの情熱と意気込みに感動を覚えた」と話していました。  
高橋さんは「この本は、尹c源という若者の生涯を描くことによって、日本では(韓国でも)余り知られていない光州事件の『内側から見た歴史的事実』と、韓国現代史のさまざまな出来事を伝えていますが、同時に、軍部独裁の過酷な時代を真摯に生き、死んでいった韓国の<青春群像>の記録にもなっています」とコメントしています。(2010年4月刊、2700円+税。問い合わせは社会評論社03−3814−3861)  

『開戦前夜の「グッバイ・ジャパン」』  
「あなたはスパイだったのですか?」米国人記者の謎に迫る



『開戦前夜の
「グッバイ・ジャパン」』
の表紙

もう1冊は、伊藤三郎さんが著した『開戦前夜の「グッバイ・ジャパン」』(現代企画室刊)です。サブタイトルに「あなたはスパイだったのですか?」とあります。日米開戦をめぐり情勢が緊迫し、ゾルゲ・スパイ団などの諜報機関が暗躍した1940年代初頭の東京を舞台に、様々な思惑や駆け引きが交錯する最中から歴史的スクープを連発した米国人記者、ジョセフ・ニューマンの謎を追っています。  

東京在住の伊藤さんは1940年、兵庫県生まれです。63年に慶応義塾大学経済学部を卒業して朝日新聞社入社。経済部記者、ロンドン特派員を経て、雑誌「AERA」副編集長、編集委員、フォーラム事務局長などを務めました。その後、朝日カルチャーセンター・札幌社長、福山大学客員教授、94‐96年には「政府税制調査会」特別委員などを歴任しています。現在はジャーナリストで日本記者クラブ会員です。  


著者の伊藤三郎さん

私との関わりは、1999年の朝日新聞創刊120周年記念事業推進のため、それを前後して組織された事務局で、伊藤さんが東京在勤の事務局長であり、企画委員をしていた私は大阪在勤の事務局員兼務でした。私の立案した「シルクロード 三蔵法師の道」プロジェクトを支えていただき、展覧会のためインドの文化財借用に同行していただいた思い出があります。  

さて『開戦前夜の「グッバイ・ジャパン」』の出版には経緯がありました。1941年12月の「太平洋戦争」開戦直前まで米紙ニューヨーク・ヘラルド・トリビューンの東京特派員をしていて帰国したニューマンは、軍国主義下の日本を活写した『Goodbye JAPAN』(英語原版)を1942年に出版したのでした。 それから4半世紀を経た1987年にワシントンでニューマンと遭遇した伊藤さんはその後、ニューマンの追跡インタビューを繰り返しました。その成果としてニューマン自身が新たに書き下ろした追記・解説、伊藤さんのインタビュー・解説などで構成した日本語復刻版『グッバイ・ジャパン』(篠原成子訳、朝日新聞社)を発表したのでした。  


太田昌国さんとの
ピーストーク

今回の出版は、その復刻版の手直しになります。「なぜ」への答えは「はじめに」に説明されています。無垢で優れた記者として思い込んでいたニューマンが、ひょっとして米国のスパイではなかったか、という「?」でした。そしてジャーナリストの大先輩ニューマンへの後ろめたさや自身の懺悔といった個人的な心情より歴史の真実に迫っておきたい意思が動機だったといいます。伊藤さんは次のように言及しています。

私がこの期に及んでニューマンの立場に疑惑の目を向けるのは、その個々の怪しげな行動もさることながら、やはり何か組織とのつながり、あるいは米国という国家の諜報機関に関係があったのでは、という疑念を払い切れないからなのです。
そんな悩みの中、先輩の「記者はみなスパイ」という挑発的忠告にも背中を押されて、今回の執筆に至ったというわけです。

 
新刊は次のような構成になっています。
プロローグ 『グッバイ・ジャパン』とニューマンの奇蹟
謎・その1 渋沢正雄との奇遇
謎・その2 ゾルゲ・グループとの遭遇
謎・その3 グルー大使との癒着
謎・その4 東京倶楽部と外国人受難の日々
謎・その5 ハワイ休暇の奇蹟
エピローグ 新聞記者とスパイの狭間で  


出版記念会の会場で
トークを聞く参加者

この中で、注目されるのは、ニューマンの重要な情報源がソ連の諜報団ゾルゲ・グループだったとされることです。いわゆるゾルゲ事件は、ドイツ人記者のリヒャルト・ゾルゲをリーダーとするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていたとして1941年9月から翌年4月にかけて官憲に次々と逮捕されたのでした。この事件で元朝日新聞記者の尾崎秀実も連座していて、ゾルゲとともに1944年に死刑が執行されています。  

ニューマンはフランスの通信社アバス(現AFP)の東京特派員でユーゴスラビア生まれのブランコ・ド・ヴケリッチからも情報を入手していましたが、彼はゾルゲ・グループに属し中心メンバーだったとのことです。こうして駆け出しのニューマンは米紙に送った情報は、ドイツがソ連を、日本が米国を、宣戦布告なき戦闘開始という第二次世界大戦への展開を予告する特ダネとなったのです。1941年9月7日には日本は米国と和平交渉の一方で着々と戦争準備を進めていることを報じています。  


の本棚にあった
ゾルゲ事件関係図書

伊藤三郎さんの出版記念会が5月30日、京都市上京区のほんやら洞で催されました。会では伊藤さんと現代企画室編集長の太田昌国さんとのピーストークもあり、普天間問題に揺れる沖縄の基地問題や日米安保にも波及しました。私はほぼ10年ぶりに伊藤さんと再会したのですが、ジャーナリストとしての情熱や行動力、そしてこの労作を書き上げたエネルギーに敬意を表したのでした。  

新刊の内容の詳細は読んでいただければ思います。伊藤さんは「日米開戦前夜の東京で、権謀術数が渦巻く混沌の中から、歴史的スクープを連発した記者の足跡を描いていますが、戦争という不条理の前に、自らの意思で立ちはだかろうと奮闘した人間たちのドラマでもあります」と、強調されていました。  

『Goodbye JAPAN』が出されて約70年後、沖縄返還をめぐる密約問題が明らかになり、官房機密費がジャーナリストにも流れていたことなどが伝えられています。そうした時代背景の中での新刊は、「スパイとは」、「国家と報道機関の関係」、さらには「ジャーナリストの役割」などを考える好著といえます。(2010年6月刊、2200円+税。問い合わせは現代企画室03−3461−5082)

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館
アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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